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 死後の世界。それは常人であれば、決して触れることのできない、現実世界とはある見えない壁で阻まれた異次元の世界。


 一生を終えた故人の霊は、死後の世界へと連れていかれ、生きている人と故人は互いに会うことはできない。それ故に、先立たれた人は故人を偲び、ある者は喪失感に苛まれ、自分を失ってしまう者もいる。 

 そのような者に救いを与える存在として、霊と会話をする交霊術、あるいは霊を直接肉体や人形に憑依させる降霊術の使い手、ネクロマンサーという者どもがいる。彼らは死者と交信、あるいは直接呼出し、二度とできるはずのない再会を叶えさせるのだ。


 そんな彼らには、3つの掟がある。



一、誰の頼みもなく、いたずらに霊と交わってはいけない。

二、死者の国の者とは、むやみやたらに交流を持たぬこと。

三、憑依させた霊には、ただ屈せよ。己を殺して、霊を宿せ。





 太陽の空高く昇る昼だというのに、四方を建物に阻まれたこの狭い路地裏は薄暗い。人ひとりがやっと通れるような狭い路地裏にむしろを敷いて、細い竿竹を持った顔を布で覆ったいかにも怪しい男が、ローブを羽織った年頃10歳ほどの少女の横に、あぐらをかいて座っている。

 男は露天商のようで、売り物はなんとこの少女だというのだ。子供を売り物にした人身売買、さぞ悪人面の男がこの闇市に顔を出したのだろうと思いきや、客は以外にも気の弱そうなひとりの女性だった。


「……、あ、あの……。その娘を私に下さいませんか?」


 年頃は30を少し過ぎた頃。まだ若く綺麗な年頃であるはずなのだが、女の皮膚は蒼白く、骨が浮き出るほどまでにやせ細っている。頬がこけており、喉から出す声もか細く震えている。目つきはひたすら虚ろで焦点の定まらない視線を男の方に注ぎかけている。


「珍しい客だ。値は張るよ」


 そして、売り物である少女も、客と同じく虚ろな瞳をしている。子供らしい無邪気さは微塵も感じられない。


 どうして、女はここまで痩せ細り、生気のない姿をしているのか。どうして、少女は濁った瞳で魂の抜けたような表情をしているのか。答えは男の口からも、女の口からも明かされることはない。


「構いませぬ。このために金を貯めたのですから」


 女は、ずだ袋に入った札束を男に袋ごと手渡すと、少女の手を引いて路地裏を後にするのだった。



*****



 ゆっくりとバスが走る。

 バスと言えど、車両の上面には電力を電線から供給するためのパンタグラフが存在しており、エンジン音は車両内に響いていない。これは電力駆動のトロリーバスというもので、ガソリンではなく、電力を駆動力としてエンジンを動かしている。今となっては、一部の山間でしか見られることのなくなった少し型遅れな車両だ。

 そのトロリーバスが走るのは、灰色にボケて少しひびの入ったコンクリート製の古ぼけた建物が立ち並ぶ、どこか懐かしい街。アパートに挟まれたデパートやビルがあり、建物同士がひしめき合っていて、中国の人口過密地区を連想させる。デパートの屋上には、観覧車とコーヒーカップがあるような簡易遊園地があり、子供たちがきゃっきゃと騒いでいる。そんな街中を走る人々の足がこのトロリーバスというわけだ。


 バスの車両のドアが開き、乗客が中に入って来る。

 客には老人が多く、若い者はあまり見かけられない。そして、何故かは知れないが、老人の顔の表情に対して、若者のそれは、どこか物悲しく憂いを帯びているのだ。なかには何が何だかわからないと言った様子で、あわわとうわ言をつぶやきながら、首を左右に動かす挙動不審な若者が、黒い服を着た男に手を引かれているというのもある。


 どこか現実に似ていて、どこか現実を逸脱しているような、何とも言えない奇妙な光景だ。

 そんな中に色を添えるのがひとりの少女。窓のあるバスの席にちょこんと座っている。バスや電車などの乗り物に子供が乗るときというのは、たいてい子供の眼はきらきらと輝いているものだ。窓の外で流れる景色を目で追ったりするものだ。

 ところがこの少女、窓の外に目を向けないどころか虚空を見つめており、瞳の色には無邪気さどころか生気のひとかけらすら感じられない。


「嬢ちゃん、浮かない顔をしているな。旅は早すぎたかい?」


 隣にいる年老いた男が話しかけると、少女はこう返す。


「いいえ、あたしは単なる呼び出し人です。旅はしておりませぬ」

「――呼び出し人?」


 その言葉を聞いた途端に、年老いた男は少女から顔を背けて、黙りこくってしまった。まるで、その言葉を恐れでもしているかのようだ。

 呼び出し人と名乗るものには関わらないこと。そんなルールがこの街にはあるとでもいうのだろうか。少女がそれっきり一言も話さないまま、バスはあるバス停に停車する。

 そこで少女はトロリーバスを降りて、バス停のすぐ近くにある薄暗い路地の奥へと何の躊躇もなく進んでいく。


 いったい少女の目的地はどこなのだろうか。

 細い細い路地を進んでいくと急に、道が開けて苔の生した石造りのタイルが敷き詰められた、まわりを建物で囲まれた中庭のような場所に出た。そして、まわりの建物の中で、少女の視線の先にある一軒だけが、中庭の方に玄関があって入れるようになっているのだ。


 少女は中庭に面した、壁に赤茶けた蔦の絡むアパートへ入り、ところどころ段の崩れた階段を上って2階のとある一室のドアの前に立つ。懐から、メモをした紙切れを取り出し、紙切れと部屋のドアを交互に見返して、首を縦に振った後、ドアの横にあるチャイムを押した。


カーンコーン


 アパートの佇まいと同じく古ぼけた音が響く。この奥で少女を待つ者は誰なのだろうか。


「すみません。リースさん、リースさんおられますか」


 少女が色のない声で中に呼びかけるも返事はない。

 リースという名前ということは、中にいるのは女性なのだろうか。尋ね人がでてこないも、そのまま引き下がるわけには行かないのか、少女は中の者が居留守を使っている可能性に賭けてもう一度チャイムを押す。


カーンコーン


「すみません。リースさん、ちょっとだけでも出てきてくれませんか」


「――なによ。リースはここにいるわよ。何なのいったい? こっちはせっかく、ゆっくりしているっていうのに何か用?」


 中から不機嫌な幼い女の子の返事が聞こえた。

 どうやら、居留守を使っていたようだ。先程のバスの車内といい、この女の子の対応といい、呼び出し人という存在は、相当忌み嫌われているものらしい。


「お呼び出しがあって、つかいに参りました」

「――まさか、来ちゃうとはね。会いに行けないと断っておいて」


 なんともつれない返事だ。わざわざここまでやって来たのに、冷たく突っぱねられてしまう。


「あの、リースさん。開けてくれませんか。それが私の仕事なんです」


 がちゃりと部屋のドアが開くと口元をへの字に曲げた、少女と同じ年ごろの女の子が顔を出す。彼女が少女の尋ね人であるリースということらしい。


「しつこいわね。他人に用があると言うのなら、あなたも名乗ったら?」

「私の名前はフーと言います」


 ここで初めて、呼び出し人と名乗る少女の名が判明する。フーとはどうやら、英語の”Who”から来ているようだ。


「フー? 変わった名前ね」

「はい、『誰でもいい、個人の意思は無視します』という意味をこめて名づけられました」


 名前の由来は、とても将来の幸せを願ったものではなく、何とも悲しくやるせないものだ。互いに名乗ったところで、相も変わらずリースはへそを曲げたまま。それでもフーは自らの仕事を全うするために深々と頭を下げる。



「リースさん。どうか、あなたの母親と会っては下さいませんか。お願いいたします」

「随分物好きな仕事ね。あたしは死んでいるのよ」


 リースは、口をゆがめながらそう返した。

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