プロローグ
ばあちゃんが死んだ。
8歳の時に両親を事故で亡くし、茫然自失だった俺を
抱きしめて「これからはおじいさんと私がいるからね」と、泣きながら言ってくれた。
それから俺は母方のじいちゃんとばあちゃんに愛情をいっぱい注がれ、哀しみを少しずつ癒やしながら、それでもすくすくと成長していった。
けれど、そんな穏やかな日々も長くは続かなかった。
俺の11歳の誕生日の日、あまり足腰が良くないじいちゃんが、俺のために内緒でケーキを買いに行っていたらしい帰り、ひき逃げにあった。
即死だったらしい。近くには買ったケーキの箱がぺちゃんこになっていたそうだ。
霊安室で眠っているじいちゃんは青白くて冷たかった。ばあちゃんは俺の前では気丈に振る舞っていたけど、夜寝静まったあとの襖の向こうから聞こえる咽び泣く声は半年以上続いた。
それからというもの、ばあちゃんはどこか元気が無くなり、俺はどうしたらばあちゃんを励ませるのか悩んでいた。
ある日、おつかいで街を歩いていたらストリートでギターを持って歌を歌っているお兄さんがいた。誰も聴いている様子はなかったけど、心の奥が暖かくなるようなそんな歌に聞こえた。「これだ!」と思った俺は
中古の楽器を探してお年玉の貯金全てつぎこんでギターを買った。
内緒で練習する為に音楽の先生に頼んでギターを音楽室に置かせてもらって、放課後学校の近くの土手で必死にコード覚えて練習した。
加えて歌も作った。どうしてもばあちゃんへの感謝の気持ちと元気になって欲しいという想いを自分の詩にしたくて頑張った。
そして、ばあちゃんの71歳の誕生日にカードと共に歌を披露した。
ばあちゃんは泣いてくれた。「ありがとう秀くん。本当に・・・、本当にありがとう。」
泣いていたけど、久しぶりに見た心からの笑顔だった。
それから2年後の事だった。学校から帰ってきた俺が、いつも玄関まで迎えてくれるばあちゃんが来ないのを不思議に思って台所に行ったら、ばあちゃんが倒れていた。一瞬目の前の状況が理解出来なくて、我に返った俺は救急車を呼ぼうとしたけど、手が震えてなかなかボタンが押せず、何とか押してつながっても声が震えていた。
運ばれたばあちゃんは意識がなく、脳梗塞と医師は言っていた。俺は付きっ切りでばあちゃんの手を握り、回復するのを祈った。でも、神様は無情だった。ばあちゃんは亡くなる前、俺が必死にばあちゃんを呼ぶ声に反応し、俺を見て、「秀くんの歌が、私の宝物だよ」と言った。
それからのことはあまり覚えていない。葬式のことは遠い親戚にあたる人がやってきて全てやってくれた。
どこに引き取られるかわからない。けれど、じいちゃんもばあちゃんもいない俺にはどうでも良かった。
葬式から一週間が経った土曜日、俺は家ただぼんやり庭を眺めていた。この時はまだ、俺の人生が大きく変化しつつあるなんて、思ってもみなかったんだ。
初投稿です。拙い文章だと思いますが楽しんで書くので一緒にたのしんでいただけたらとおもいます。