シロツメクサ
俺は、弱くなった。
この、数年の間に……。
『どうして、どうして殺したの!?』
あぁ、俺は……殺してしまったんだ。
俺、自身を……。
うたた寝をしていた。
俺には何も無かった。守りたいものも、憎むものも……何も、無い。あるものはただ、「俺」という肉体。「こころ」って、何。精神って、何。何も、何も分からなかった。
そんな俺に、「こころ」というものを、教えてくれるひとが……突如として、現れた。
「どうしたの?」
「……」
首を傾げる少女が目の前に居る。少女は金髪で、青い瞳をしていた。こんなところに、何故幼い少女が居るのか、理解できない。
ここは、「はぐれ」の集まるゴロツキ集団。闇の組織「ドロウ」。依頼さえあれば、殺しさえする、悪の集団。ただ、これまでに拉致などはしたことはないし、捕虜も居ない。
そんな存在は、邪魔になるとすら考えられているからだ。そのため、ここに居るのは闇側の人間しか居ない。
「ねぇ? 固まっちゃって、どうしたの?」
金髪に青い瞳。俺の容姿と同じだが、俺は「子ども」でなければ「女」でもない。
「……誰だ」
「忘れちゃったの?」
「……?」
こんな少女に、会ったことがあっただろうかと俺は過去を振り返ろうとした……が、頭痛が邪魔をして、何も思い出せない。そう、俺には何もないんだ。何も……。
思い出せないのなら、敢えて思い出す必要もないと思っていた。俺は目を閉じた。闇が広がる。馴染みのある闇だ。
「ねぇ、起きて?」
あぁ、うるさい。ガキは嫌いだ。何を考えているのか、分からない。
いや、ガキに限ったことではない。動物も、植物も、何もかも……生きるもの、すべてに俺は嫌気が差していた。こんなにも人生とは、鬱陶しいものだったのだろうか。
いつから俺は、こんな風になったのだろうか。
それすらも、思い出せずに居る。
「目を開けて」
俺はため息混じりに目をゆっくりと開けた。そこにいるのは、依然と金髪おかっぱ頭の少女だけ。ゴロツキ仲間も居やしない。こういうときに限って、気を紛らわせる奴らもいなかった。
「そう。ちゃんと目を開けて。もったいないよ」
「……?」
俺は訝しげな目で少女を見た。もったいないとはどういうことなのだろうか。なんとなくだが、俺は少女に問い返してしまった。
「どういうことだ」
「エイスト」
「……」
俺の名前だった。まさか、誰にも名乗っていない名前を呼ばれるなんて、思いもしなかった。面食らった俺は、この少女はもしかしたら、どこかに雇われた殺人鬼……アサシンなのではないかと、思うようになった。
「思い出して」
「どこの回し者だ。まぁ、いい。殺したいなら殺せ」
アルト声が静まりかえった路地裏に響きわたる。俺の声は、そこまで高くはない。年は……忘れた。もう、思い出せない。
そもそも、親の顔も知らないんだ。気づいたら、此処に居た。俺は、すでに青年の姿をしていた。これまでに、どんな人生を送ってきて、何をしてきたのかなんて……俺を知るものがいないんだ。知るよしもない。
だが、この少女は俺を知っているようだ。もしかすると……俺は過去を取り戻せるのかもしれない。
ただ、その必要性があるのかどうか……と、問われると、分からなくなる。
「怖がらなくていいから。大丈夫、大丈夫」
少女は、そっと俺の頭を撫でてきた。何故だろう。不思議と、嫌な気持ちにはならなかった。ただ黙って、撫で受ける。
「エイスト……名前」
「……?」
風によって、言葉が遮られる。俺はもう一度、少女に繰り返すよう告げた。
「エイスト……私の名前」
「私、の……?」
偶然なのか。
それとも……この少女は。
「私はあなた。あなたは、私」
キィィィィン……!
「痛……っ!」
酷い耳鳴りと共に、目の前に様々な映像が浮かびあがっていく。
見たことのないはずの家……だが、見覚えがあると錯覚する家。
金髪の赤子。金髪の少女。成人した少女……その姿は、俺、そのもの。
「どういう……ことだ」
訳が分からない。ダメだ、ここに居てはダメだ。この少女を見ていてはダメだ。逃げなくちゃ、逃げなくちゃ。だけど、どこへ逃げたらいい。どこにも逃げ場がない。逃げたらダメだ、逃げたら終わりだ。
俺は、パニックに陥った。
「あなたは私、私はあなた……あなたが殺した、もうひとりの、私」
「どういう……こと、だ」
俺は、割れそうになる頭を必死におさえ、目まぐるしく変わる景色から逃れようと、目をかたく瞑った。しかしもう、手遅れだった。目を瞑ったところで、その景色は脳裏に焼き付き、不規則に入れ替わる。
「あなたの無くしたもの……消したもの、消えたもの。すべて私が持っている」
「黙れ!」
俺は腰に携えていた銃を取り出し、少女の頭を撃ち抜こうとした……が、何故だか身体が動かない。頭をおさえた状態から、動き出せなくなっていた。
「思い出させてあげる」
「や、やめろ……」
「あなたは、私だもの……怖がらないで」
「来るな、お前は俺じゃない!」
「大丈夫」
「嫌だ……嫌だ!」
一瞬……。
時が、止まった。
「ハ……っ、はぁ、はぁ……ッ!」
俺は、かたく瞑った目を開けると、あたりを見渡した。金髪の少女は存在していない。いや、そもそもここはどこなんだ。
「違う……俺は、知っている」
少女が見せた、夢のようなもの……そこに映っていた世界が、俺の目の前には広がっていた。ここを……俺は、知っている。
「俺の、生まれ故郷」
そうだ、ここは俺の生まれ故郷なんだ。すべて、焼き尽くされているが……ここは、間違いなく俺の生まれた場所。俺が……十歳のときまで、生きていた場所。
「そう……か」
あの少女は、もうひとりの俺。そういうことか……と、ひとり納得した。
少女。
エイスト。
俺がもらった名前。
俺が救えなかった……少女の名前。
『どうして、どうして殺したの!?』
あの場面が、蘇る。その言葉を発したのは、俺自身。幼かった頃の……俺。性別は、「女」。俺が「女」であることを捨てた、あの瞬間。俺は俺自身を、殺したんだ。俺は一切の記憶を封じ、俺の故郷を焼き滅ぼしたものたちを憎み、復讐を誓ったんだ。
けれども、いつの間にか俺は……忘れてしまった。何を恨んでいたのか、そのことも勿論だが、俺は俺が「女」であったことも、この村のことも、何もかもを忘れてしまったのだ。
それはきっと……「現実逃避」からだったのだと思う。あまりにも、現実は辛かった。「女」である俺が生き延びるには、過酷な戦禍の中だった。そのため、「女」であることを、捨てる必要があった。他人の裸なんて、見たことがなかったし、俺は何故か成人してもそれほど胸も膨らみ出さなかった為、「男」として生きていても、通じることができた。
いつからあの、ゴロツキの「ドロウ」に居たのか……それを思い出そうとすると、また、頭が痛むが、俺はもう、逃げたくはなかった。
ここが、「現在」なのか「過去」なのか、はたまた「未来」なのか……俺には分からない。ただ言えることは、今の俺の姿は成人した、胸はAカップあるかどうかというほどの、スレンダーな女の姿のエイストだ。あの少女と融合したのだろうか。あの少女は、俺の「記憶の欠片」だったのだろうか。
だが何故、今になってこのような記憶を取り戻さなければならなかったのだろう……?
「金髪に……青い目?」
「……?」
ふと、我にかえった俺の前に、ひとりの男が現れた。手には銃……いや、火炎放射機が握られている。
「この辺では珍しいな……まさか、あのときの惨事の生き残りか?」
「惨事? あのとき……?」
男は、うすら笑いを浮かべた。
その刹那……頭痛が邪魔をして、モヤがかかっていた頭がクリアになった。
「スウェイン……!」
憎しみが、一気に溢れかえる。これは、間違いなく「現在」だ。「過去」、俺の村を焼き払った青年。狂気に満ちた男……名を、スウェイン。今は、無精ひげを生やし、チリチリの茶髪を後ろでひとつに束ねた、黄色の目を持つ危険なにおいのするオヤジと化している。
「ほう……俺の名を知っているということは、やはりあの村の生き残りか?」
「そうだ……俺は、あの村。ビースの村の唯一の生き残り、エイスト=バグダールだ!」
俺の仇が目の前に居る。だが、男は火炎放射機を俺に向け、不敵な笑みを浮かべたまま。薬でもやっているのだろうか。尋常ではない目つきをしている。
負けてはいけない。
逃げてはいけない。
だが。
戦っても……いけない。
「コロシテやるよ……楽になりたいだろ? お嬢ちゃん?」
「俺は、変わったんだ。俺はもう……何も失わない」
手に力を込め、ぎゅっと拳をつくる。一度、目をかたく瞑ると、そこには先ほどの少女の姿があった。
笑っている……優しく。
もう、大丈夫。
俺は、見失わない。
「俺は俺を、失わない……俺は自分から、逃げたりなどしない!」
腰に携えていた、マグナムを手に取ると一発だけ弾丸を撃ち込んだ……相手の致命傷になる場所ではなく、いや、相手を傷つけないところ。武器破壊だ。
「そんなもの、捨てちまえ! おっさん!」
火炎放射機は、中心に撃ち込まれた弾丸によって制御不能になる。男は「チッ」……と、舌打ちすると、すぐさまナイフを取り出してきた。無差別か……昔から変わっていない。誰でもいいから、闇雲に「殺し」を繰り返す。
こんな狂った世界、変えなければならない。
「おい、エイスト! お前、賞金首筆頭にはちあったのか!?」
「……!?」
ゴロツキ仲間だ。俺たちは共に、汚い仕事も平気でこなしていた。だが、そんなことをしていては、いけない。
俺は気づけたんだ。
過去の「俺」、もといい「少女」のおかげで……。
「カッティル! 頼む、俺はもう殺しなんてしたくない。誰にも、殺しをさせたくない! だから……手を貸してくれ!」
「はぁ!? お前、急にどうしたんだ……賞金首、スウェインに何かを吹き込まれたのか!?」
「阿呆か! アイツこそが悪の元凶……」
俺はそこまで言ってから、ふと、言葉を止めた。
「いや……」
俺はかぶりを振った。
元凶だと、決めつけてはいけない。
アイツには、アイツなりの事情があるのかもしれないと、思ったんだ。
「どうしたんだ! エイスト……しっかりしろよ!」
「いいから、逃がしてやれ……二対一だ。スウェイン、お前に勝ち目はない! 去れ!」
「分が悪いな……出直してやるよ、お嬢ちゃん」
「さっさと行け……二度と現れるな」
「いつの日か……後悔させてやるぜ。俺を殺さなかったことを……な」
男を黙って見送ると、壊れた火炎放射機が放り投げられていることに気がついたゴロツキ仲間のカッティルは、俺の胸ぐらをつかんできた。
「おい、エイスト! お前、なんで逃がした! アイツには、多額の懸賞金が……!」
「んなもん、どうだっていいんだよ! 金なら、汗水流して稼げばいい。俺は……もう、やめる。ゴロツキなんざ、やめる」
胸ぐらを掴む青年の腕を、力づくで振りほどくと、俺は青年に背を向けてひとり、歩き出した。
「俺は……私は、全うに生きる。これからの人生を……」
私は、ひとり歩き出した。もう、路地裏に戻ってくることはないだろう。戻ってくるとしたら此処……ビースの村、跡地。私の「原点」だ。
記憶を失ったのは、五年前。
村を焼かれたのは、もっと……昔。
今の私の歳は二十五。
いい年をした、紛れもない「女」だ。
「ママぁ!」
小さな男の子が、私の脚にしがみついてくる。まだ、背丈がそれほどまでしかない、幼き子ども。
「エス……どうした? また、ルミナと喧嘩でもしたか?」
「ううん、違うよ! ルミナと一緒にね、明日はお祭りに行くの!」
「そうか……お祭りかぁ」
背後から野太い声がする。私はその男の声を聞くだけで、今や安堵の笑みを浮かべるほどまで、大人になっていた。もう、戦いから離れて、数年が経つ。
「カッティル……もう、帰ったのか?」
「パパぁ!」
ゴロツキ仲間だったカッティルは、「あの日」決別したと思いきや、私の後を追って来た。しばらくは村を転々としたが、やはり私は「此処」に帰ってきたのだ。私の原点「ビース」村へ……と。
はじめは、何も無かった。だが、もともと何も無かった訳ではない。畑だった場所を耕せば、腐葉土のよい赤土がすぐに出てきた。カッティルと私で、その場を中心に畑を作り、小麦畑も作り、家も簡易だが、洞窟をまずは寝床とし、少しずつ藁で家を作り、木で作り、強化していった。
そんな、小さな集落……と呼んでもいいのか分からないが、此処は少しずつ、「村」として蘇っていった。立ち寄る旅人たちが、「居心地がよい」と足をとめ、そのまま居座り続け、新たな「村人」となるようになった。
エス=カルティア。
この、青い瞳に金髪のウルフスタイルのちびは、私「エイスト」と「カッティル=カルティア」の息子。私に瓜二つだが、ストレートである私の髪質だけは、受け継がれなかった。旦那のカッティルのやや癖のある、ウルフスタイルを受け継いだ。
「ルミナ」というのは、この「エス」と同い年の女の子だ。この新たな「ビース村」に流れ着いた旅人であるふたりの間に生まれた、活気ある子。男の子であるエスよりも、男勝りなところがある「ルミナ」は、今は隣の家に住んでいる。気は強いが、根は優しい明るい子だ。まだ、三つであるこの子たちの将来が、楽しみになってきた、今日この頃だ。
私は今を、こころから「幸せ」だと思う。
憎むことをやめ、生きることに執着する大切さを知った今。
私には「守るべきもの」、何よりも大切な「家族」というものを手に入れた。
一度は失った記憶。そして、家族。
すべてを失った私、絶望していた私。
まさかこんなにも、幸せな未来が待っているなんて……思いもしなかった。
私は「母」となり、「親」となり、強くなった。
『どうして、どうして殺したの!?』
あれは、私が当時青年だった……スウェインに放った、こころの叫びだったのだ。
今になって、何故この言葉を思い出したのか。
まさか、運命がここまで残酷なものだったとは……。
そのことをまだ、知る由もない。
ただ、今を……愛しく、大切に思うのみ。
生きている「今」を何よりも、「大切」にするべきだと……息子たちに、受け継がせる。
それが「私」の……「生きた証」となるのだから。
今日は一段と綺麗に「シロツメクサ」が村一面に、優しく咲き風に揺れていた。
こんばんは、はじめまして。
小田虹里です。
「花」タイトルが、いつの間にかシリーズ化となっておりました。ですが、新しい作品。新しいキャラクターたちと触れ合うこともまた、楽しく思います。
長崎原爆から七十年と、節目である今日。
また、八月九日は……昨年亡くなった私の「母」の、誕生日。
「命」の大切さ。
「生きる」ことの大切さ。
そして「生きている」こと、「生きてくれていること」のありがたさ。
それを、噛み締めたくて……伝えたくて。
この作品に、想いを込めてみました。
はじめは、「罪の意識に囚われて」というタイトルで、この物語を書きはじめておりました。しかし、綴っているうちに「四葉のクローバー」が思い浮かび、主人公に「幸せ」が訪れますように……と。さらには、それが受け継がれていきますように……と。タイトルを変更致しました。
私は、ありがたいことに戦争を知りません。
祖父母の世代が、戦争を体験しています。
祖母は、「竹槍で突く訓練を学校でさせられた。とても辛くて、悲しかった」と、語っていました。
祖父は、「隣町まで赤紙が来ていた。次はワシのところかと思ったら、終戦した」と、話していました。
本当だったならば、原爆は八幡製鉄のある福岡に投下されるはずでした。
しかしその日、福岡は「くもり」と視界が悪く、原爆の結果を知るには「晴天」が欲しいと、投下域を変更したと、聞いたことがあります。
そのおかげで助かった祖父と、祖母。
しかし、失われた多くの命があることを、忘れてはいけません。
また、「戦争を早く終わらせる結果となった原爆は、正義」という言い分を、私はどうしても、聞き入れることは出来ません。
私が、被爆した訳ではありません。
私の親族は、誰ひとりとして被爆しておりません。
けれども……悲しくて、辛くて、痛くて、涙が出てくるのです。
どうして、ひとが「ひと」を殺せるのですか?
どうして、殺してもよいのですか?
どうして、それが「肯定」されるのですか? 許されるのですか?
確かに、確かに……戦争は、早く終わったのかもしれません。
でも!
失った「命」は、二度と戻らないんです。
「命」ほど、尊くて重いものは、ないんです。
私たちは、忘れてはいけない。
「戦争断固反対」かつ「平和主義」。
私はこれからも、平和を築くための小説を書き続けます。
どれだけ「子ども」だと、「甘い」と言われようとも……書き続けます。
このような私ではありますが、また別の作品でもお会い出来ましたら幸いです。
ここまでお付き合いくださり、読んでくださり、本当にありがとうございました。