第六話 ツグモモの朝
目が覚めてのびをするとなんだかあちらこちらが痛いです。これって完全に筋肉痛な気がする。
「んー……運動不足を実感しましたあ……」
そんなことを呟くと後ろから筋肉痛の原因の熱くて重たい肉布団がかぶさってきた。お、重たいっす!
「この程度で運動不足ってどんだけ普段してないんだよ」
「そんなこと言っても科捜研の人間はドラマみたいにあっちこっち頻繁に出歩かないんです。普段はだいたいラボで機械と睨めっこしてることが多いんですよ? ドラマのせいでやたらとアクティブだと思われるのは困るかも」
ふぎゃー、耳たぶ噛まないでくださ~い。それと昨晩のせいでちょっと敏感になっちゃってる胸も触らないで~。
「へえ、そうなのかー……ちょっとガッカリだな」
「本職の立場でドラマを見てたら噴飯モノですよ、最近は随分とましになりましたけど。で、嗣治さん、暑苦しいのでどいてもらえませんか」
「せっかくの初めての朝なんだぞ? こう、もっと言うことないのか?」
「重たいです、ぎゃーマジで重たいですぅ」
「俺がもうちょっと重たくても良いかなって言った時は余計なお世話だと言って怒ったくせに」
「それとこれとは違う~」
「重たいだなんて朝から言われて傷ついた。ちゃんと慰めてくれ」
「え?!」
耳元で掠れた声に囁かれてギョッとなる。うわ、嗣治さん、なんだか準備万端な感じになってるのは気のせい?!
「ままま、待って下さい、嗣治さん。私、そんな朝からだなんてちょっと無理かも……」
「運動不足はダメだぞ、モモ」
「そういう意味じゃないと思うぅぅぅ!!」
そんな訳で朝からちょっとした運動をさせられちゃいました。さすがに元気な嗣治さんも長時間なんてのは無理だったみたいで一度の運動で満足してくれてグッタリとした感じで私に体を預けてきた。
しばらくその状態でベッドの中でひっついていたんだけど、体重をかけられてベッドと嗣治さんに挟まれ続けているとちょっとしたサンドイッチのハムの気分になってきた。
ん?……ハムサンド?
「嗣治さん、ハムサンド食べたいです」
「は?」
「なんとなく挟まれたサンドイッチのハムの気分だって考えていたら急にハムサンドが食べたくなりました。ハムとパンあります? 無かったら菜の花ベーカリーさんまで買いに行きますけど」
「料理人に向かって買いに行くなんて言うなんざ、挑発以外のナニモノでもないな」
ちょっと怖い顔をした嗣治さんがこちらに体を押し付けてきて更に重たくなってきましたよっと! そんなこと言ったらグルメ雑誌に載っているものとかを食べ歩くとか出来ないじゃないですかっ。
「でも菜の花さんのサンドイッチ、美味しいですよ。最近は嗣治さんのお弁当持参だから買わなくなりましたけど、以前はお昼ご飯、あそこでお世話になってました」
「俺の弁当では不満だと?」
「そんなこと言ってないですー。あそこの奥さん、旦那さんを亡くされてから一念発起でパン屋さんを開業されたんですよ。だから応援も兼ねて買ってるんですもん。土曜日はモーニングやってますよ? まだ早いし行ってみません?」
私にしては珍しく誘ってみたりしている。こんなこと言うの初めてかもしれない。それもこれももしかしたら昨日からさっきにかけての運動のせいかも。
「そうだなあ……たまには他の店の味を調べてみるのも良いか」
「そうそう、勉強にもなりますよ」
「よし、じゃあ決まり。さっさとシャワー浴びて食べに行こう」
「あ、服、乾いてるかな……」
そう言えば洗濯機に放り込んだのは覚えているけど、その後、回した記憶が無いよ。
「こんだけ気温が高ければ渇いてるんじゃないのかな。寝る前に俺が干しておいたから」
「あー……色々とすみま……あっ、てことは下着も見られたってことです?」
「気にするな。どれもただの布着れ。大事なのは中身」
ひえぇぇぇ、中身とか言われてもそっちも自信ないから恥ずかしすぎる。もっと色っぽいのにしてこれば良かったとちょっと後悔。シャワーを浴びた後、ブラウスはまだ袖のあたりが濡れているってことで嗣治さんが自分のを出してきてくれた。な、長いです、裾はお尻の下まで来るし、ちょっと手が幽霊みたいになりますよ。
「そのままの格好でいてくれた方が俺としては嬉しいんだがなあ」
「なに言ってるんですか、こんな格好で菜の花さんに行ったらお店に入る前に隣の交番直行ですよ」
「残念」
ジーンズの中にブラウスを入れたらモコモコになってしまうので外に出したまにしておく。
「嗣治さんって朝はご飯派ですか?」
「どっちってことはないな。その時にあるもので適当に作っているから」
「それでも作るんですね……凄い」
「まさか食べてないとか?」
「食べるよりその時間を睡眠に使いたいです」
呆れた顔をされてしまった。だって仕方が無いよ本当のことなんだから。これでも随分と生活は改善されているんだよ? 嗣治さんのお陰で。
「たまに食べたくなるんですよ、今日みたいに。だけど普段は食欲よりも睡眠欲の方が圧倒的に大きいです。それに朝はそれこそ大豆バーとかでも問題ないですよ、ね?」
「まあ食べないよりはマシかな……」
「それにですね、私、嗣治さんにお弁当を作ってもらうようになってから明らかに太ったんですが」
「見た感じは太ってないけどな」
「でも明らかに体重が増えたんです、三キロもっ」
着ている服のウェストがどうのってのは今のところ無いけれど、今のまま美味しいお弁当を食べ続けたら私、コロコロの人になっちゃうんじゃないだろうか。
「他の人に太ったとか言われたか?」
「いえ。逆にお肌の調子が凄く良くなったねと」
「だったら問題ないだろ、さ、行くぞ」
え? 問題ないですか? 体重が三キロも増えたんですよ? 三キロですよ、三千グラムですよ? お肉三千グラムで考えたら凄くないですか? ねえちょっと、なんで無視するのかなー?
「そんなに体重が気になるならハムサンド、やめとくか?」
マンションの外でそう尋ねられた。え、いまさら食べないなんて有り得ない。
「いやです、食べたい」
「だろ? そんなに心配するな、モモは太ってなんかいないから。直接見た俺が言うんだから間違いない」
ギャー、なんてこと言うんですか、しかも公道のど真ん中でっ! 朝早いから人通りは少ないですけど誰が聞いてるか分からないのにっ!
+++
駅前広場に近い場所にある菜の花ベーカリーさんに入ると焼きたてのいい匂いが漂っていた。うー、ハムサンドって言ったけどあの焼き立てのクロワッサンも食べたいっ!
「いらっしゃい、桃香ちゃん。珍しいのね、二人で連れ立ってくるなんて」
「誰かと来るのって初めてかもしれないです」
「そうよね。最近は寄ってくれないからどうしたのかしらと思っていたのよ」
「すみません、最近はお弁当なので……」
そう言って嗣治さんを指差した。
「あら、いいお嫁さんを貰ったこと」
「嫁?」
ここでもまた料理激ウマ嫁を貰ったことになってしまった。席につくと私は宣言通りにハムサンドのセット、嗣治さんは厚切りバタートーストのセットを注文した。
「お嫁さんだそうです」
「だんだん慣れてきたな。嫁と呼ばれても構わない気がしてきた」
「えー……」
「モモは仕事のできる旦那だな。公務員で安定しているし嫁としては有難い」
「こんな残業続きの旦那なんて私だったら捨てますけど……」
最近どうして残業続きになるか分かった気はするんだよね。なんとなく家庭持ちの人はそれを口実にして仕事を早く切り上げられるけど、私みたいな独身はなかなかそういう口実が無い。今日は彼女とデートなんですと言ったばかりに、嫌がらせのように机の上に書類を置かれた同僚の澤山君の泣きそうな顔を思い出す。
「浮気もせずにちゃんと帰ってくるじゃないか」
「したいと思ってもそんなことしている時間が無いというのが実情だと思います」
「じゃあモモの仕事が暇になる前にちゃんとハッキリさせておいて良かった」
「むー……」
「いいか、俺は鬼嫁だからな。浮気なんかしたらそりゃもう酷いお仕置きがまっていると思えよ?」
ひー……なんか柳刃包丁を両手に持ってフフフフッとか不気味に笑う嗣治さんが頭に浮かんでしまったよ……。