第五十二話 新しい家族との始まり
「重治さん、いま魚住さんから電話がありましたよ。桃香ちゃんと嗣治君の赤ちゃんが今朝方無事に産まれたんですって、女の子だそうよ」
中庭の植木に水をやっていると桜子さんがやって来て嬉しそうに報告をしてくれた。
「そうか。予定より少し早かったね」
「五月生まれは嫌だったみたい」
「桃香ちゃん達の子供らしいね、ちゃんと意思表示してるわけだ」
そう言いながらひしゃくを桶に入れて元の場所に置く。桜子さんが手拭いを差し出してくれたのでそれで濡れた手を拭きながら縁側から部屋へと上がった。
「お祝い、何にしようかしら。直ぐに使えるものが良いかしらね」
「気が早いよ、桜子さん。せめて床上げまでは遠慮しなくてはならないし、お祝いを選ぶのはそれからでも遅くないんじゃないのかい?」
「それぐらい弁えていますよ、私だって経験者だから」
心外だわという顔でこちらを見上げている桜子さん。彼女が私の子供を産んでくれてから長い年月が経っていた。その子供達も既にそれぞれの家庭を持ち今では大勢の孫達に囲まれて穏やかに過ごす日々だ。
「魚住さんの御両親が親身になってお世話されるでしょうからね。私だってでしゃばるつもりはないのよ」
「分かっているよ。桜子さんは桃香さんのことが可愛くて仕方がないだけなんだろう?」
「だって娘みたいに思えるんだもの」
「孫じゃなくて?」
「娘なの。おかしいでしょ?」
フフフと笑いながら、そろそろお茶の用意をしましょうねと言いながら桜子さんは台所へと行ってしまった。
桃香さんがこの街にやって来た時から、いい大人なんだからあまり干渉するのは良くないわよねと言いつつ桜子さんが何かと彼女のことを気にかけていたのは知っていた。それに桃香さんの妊娠を知ってから時間を見つけては月読神社にお参りに行っていたことも。それは多分、自分が娘を産むことがなかったからなのだろうと思う。もちろん息子達の伴侶であるそれぞれの義理の娘達との関係も良好だし、桜子さん的には何の不満がある訳でもないのだろうがやはり娘が欲しかったのだろうなと今更ながら思う。
「桜子さん」
台所に行ってお茶の用意をしている彼女に声をかけた。
「なんですか? 今日は櫻花庵さんから頂いた桜餡のお餅ですからちょっと待ってて下さいね」
「女の子を授かるまでもう少し頑張っていたら良かったのかな、私達も」
「?!」
手にしていた茶筒が足元に転がった。
「ほらほら慌てないで。蓋が開いてなくて良かったね、開いていたらせっかくのお茶が台無しだ」
足元の茶筒を拾い上げて差し出しながら桜子さんの顔を見れば何と真っ赤だ。
「どうしたんだい、そんなに顔を赤くして」
「……だっていきなりそんなこと言うんですもの。驚いちゃって」
「そうなのかい? でも桃香さんのところに女の子が産まれたって聞いて、頑張っておけば良かったかなあって少しだけ後悔しているんだ。だって桜子さんは女の子が欲しかったんだろう?」
私の言葉に桜子さんは少しだけ首を傾げた。
「でも男の子三人も賑やかで楽しかったわ。皆、重治さんにそっくりで可愛かったし。ああ、もちろん今も息子達は可愛いわよ、そんなことを言ったらあの子達、自分の子供達にからかわれるから嫌がるだろうけど」
これからもおめでたいことがあるだろうから商店街もまだまだ賑やかになるわねと笑いながら桜子さんは急須にお湯を注いだ。
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「では皆さん、お世話になりました」
退院当日は暑くもなく寒くも無く見事な五月晴れ。天気予報ではちょっと曇りがちになるかもって言っていたのに、もしかしてハルちゃんは晴れ女かも。
「無理はしないようにね。何かあったらすぐに連絡するように」
「はい」
お義兄さんがお祝いにって買ってくれたチャイルドシートにハルちゃんを寝かせると先生と看護師さん達に見送られて病院を出た。家では千堂のお母さんとお義姉さんがハルちゃんが帰ってくるのを準備して待っていてくれることになっている。何もかもが初めてのことだし暫くお母さんがうちに滞在してくれることになって心強い。
「そう言えばさ、嗣治さん。去年の夏に願い紙に何を書いたかって話をしたの覚えてる?」
私の言葉に運転していた嗣治さんがチラリとこっちを見た。
「ん? ああ、そう言えば内緒にしておいた方が良いとか言って教えてくれなかったってやつか」
「うん。あれね、実は嗣治さんとの赤ちゃんが早くできますようにって書いたの」
「そうだったのか?」
「うん。だけどさ、考えてみるとあの時すでにお腹にハルちゃん来ていたっぽいよね、逆算すると」
プッと嗣治さんが噴き出した。何よ、だって本当のことじゃない? 出産予定日からするとどう考えても夏祭りの日にハルちゃんは私達のところにやって来たっぽいんだもの。きっと神様的にはもうそこに居ますよ~って言いたかったに違いない。あ、そう言えば宮司さんも直ぐに叶いますよって言っていたっけ。もしかしてそういうことだったのかな?
「なんだかお願い事一回分、損しちゃった気分……」
「そんなことないだろ、無事に産まれるまでがモモの願い事なんだから」
「そう? だったらちゃんとお礼に行かなきゃね。ハルちゃんは元気に産まれてきてくれたんだから。あ、それでさ、嗣治さんの願い事はなんだったの?」
確か自分の願い事を知りたかったら私の願い事を言えって言ってた筈。私の方はこうやって話したんだから教えてもらえる筈だよね? あ、まだ叶ってないのかな?
「実のところ俺もモモと同じことを書いたんだよ。桃香との間に早く新しい家族ができますようにって」
「そうなの?」
「ああ」
それで嗣治さんは宮司さんに直ぐに叶いますよって言われた時に恥ずかしそうな顔をしていたのか。なるほど、納得。
「千堂家は桃香の家族同然の存在だがやっぱり俺と桃香だけの家族が欲しいって思ったんだ。それはモモも同じだろ? だから早く新しい家族ができますようにって書いた」
「そっか。夫婦そろって同じお願いをしたから効果抜群だね」
「モモは妊婦らしからぬ元気さだったからな。もしかしたら月読の神様のサービスだったのかも」
「睡魔に襲われて大変だったけどね」
確かに悪阻もなかったし、私もハルちゃんも元気いっぱいだったし。普段はそういうことを信じる方じゃないけど今回ばかりはちゃんとお礼に行こうと思えてきたよ。
「私とハルちゃんと嗣治さん。家族だね」
「ああ、家族だ」
私がこの街に始めてやって来たのは十八歳の時。あの時はまさかこんなふうに自分にも家族ができるなんて思いもしなかった。あの時に叶うことなんて絶対にないって思いながら書いていた「新しい家族ができますように」が現実になるなんて。何だか月読神社の神様が「どうだ参ったか」と得意げに笑っている気がしてきちゃった。
ハルちゃんがお出掛けできるようになったら神社に「畏れ入りました」と言いに行かなくちゃね、嗣治さんも一緒に!