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桃と料理人 - 希望が丘駅前商店街 -  作者: 鏡野ゆう
本編

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第四十九話 桃香、産休に入る

 いよいよ三月も終盤に入り今日が産休前の最後の勤務。だいたいこういう時に限って大変な事件が舞い込んできたり芦田さんがとんでもない事件を手に飛び込んできたりするものなんだけど、そこは日頃の行いが良いせいなのか夏に願い紙を奉納した神社の神様のお蔭なのか、今日一日に限って言えば本当に平和で何事もなくのんびりと溜め込んでいた雑務と長期不在になる前準備をすることができてあっと言う間に終業時間になった。


「これで暫くはモモニャンも母親稼業に専念っていうことだね。何か分からないことがあったら遠慮なく菅原さんやうちの嫁に電話してくれたら良いんだからね」


 仕事を終えて帰宅の準備をしている私に所長が声をかけてきた。最近の所長の過保護っぷりはまるで初孫が生まれる前のお爺ちゃんのようだって最初に言ったのは誰だったか。普段から嗣治さんがどっしり構えすぎているせいかもしれないけど、とにかく所長のワタワタぶりと嗣治さんのどっしりぶりの対比が凄いことになっているって話。


「それより何か不思議事件が起きたら声をかけて欲しいです。あ、興味本位って訳じゃなくて職場復帰した後の為ってことですけど」

「そういう事件があったら私と澤山君できちんと記録しておくから。今はここに集中しなさい」


 菅原さんが笑いながら私のお腹を指さしてくる。


「とにかく生まれて一段落したら知らせてね。皆でお祝い、考えてるんだから」

「うちの彼女もうるさいんですよ、桃香さんの赤ちゃんはいつなんだって」


 澤山君のカノジョさんの清香さんはあのヤキモチシリモチ事件の後、頻繁にメールが来るようになっていた。異常もなかったし大丈夫だから気にしないでって言ってるんだけど、それじゃあ私の気が済まないって言うものだから最近は好きにしてもらってる。それに正直言って年の近い女の子同士のメールのやり取りって今まであまりする機会が無かったからそれなりに楽しいし。そのせいで澤山君にヤキモチを焼かれちゃうのはちょっと計算外だったんだけれど。


「じゃあ暫くは御迷惑をおかけしますが宜しくお願いします」


 皆に見送られて建物を出ると門のところで嗣治さんが守衛さんと何やら話しながら立っていた。今日はとうてつさんがお休みな筈で、確か自宅用の包丁だか何だかを買いに行くとか言ってたっけ。その帰りみたいで手に紙袋を提げていて中を守衛さんと一緒に覗き込みながら何やら話し込んでいた。


「嗣治さーん、関谷さーん、二人して仲良くなに話してるんですかー?」


 私の声に嗣治さんが顔をこっちに向けた。


「仕事、終わったのか?」

「うん。急な飛び込みの仕事もなかったから残業も無しで予定通り明日からお休みだよ」

「ああ、そうか。今日から産休でしたね、千堂さん」


 嗣治さんと話していた守衛の関谷さんが頷く。


「はい。ところで二人して何を話していたんですか?」

「自分は料理が趣味でしてね、千堂さんの旦那さんにどんな包丁がどういう用途に適しているかというのを聞いていたんですよ」

「へえ……確かに色んな種類はありますよね」


 私の方はお料理の用途ではなく刺し傷の形状で色々あるってことを知っているだけで、お料理の時に包丁を使い分けるなんてプロのすることだから自宅に色々な種類の包丁があるなんて想像したこともなかった。もちろん嗣治さんはお店用にってことで何本かマイ包丁を持っているし、それと同じものがうちのキッチンの収納にもあるけど考えてみたらあの棚、普段は鍵をかけていてあまり使われていないような気が。もしかしてあれってもしかしてお店用のストックとかコレクション?


「包丁を買ったの?」

「ん? ペティナイフがそろそろ買い替えの時期だったからそれを買ってきた」

「……もしかしてそれって私のせい?」

「んー、まあそれもあるかな」

「どういうことです?」


 関谷さんが首を傾げている。実のところ嗣治さんと一緒に暮らすようになって初めて小さな包丁を使った結果、意外と使い勝手が良いことに気が付いて果物の皮をむく時以外にお魚やお肉を切る時まで使うようなっていた。嗣治さん的には本来の使用目的とは違うものを切る時に私が使うものだから最初は複雑な顔をしていたんだけど、私が使いやすいからって言ったら渋々ながら使うことをOKしてくれたんだよね。新しいのを買ってきたってことは、今までのは私専用ってことで良いのかな?


「なるほと。桃香さんの手、小さいですからね。あの包丁が使いやすいっていうのは分かります。うちの子供が同じ理由で使ってますから」


 関谷さんの言葉にちょっとショック。私、もしかして子供並に小さいってこと? そんなことないよね?


「あのう、ちなみに関谷さんちのお子さんっておいくつ?」

「中学三年生ですよ。最近はカレシ君にお菓子やお弁当を作るのに夢中になっていて父親としては何とも複雑です」


 女の子らしいいことを覚えてくれるのは嬉しいんですがねと苦笑いしている。お父さんって娘が恋すると複雑な気持ちになるんだねえ……あ、ってことは嗣治さんも将来はそんな気分を味わうのかな。何だか想像つかないな。


「……なんだモモ、なんでこっちを見てるんだ?」

「なんでもなーい。じゃあ関谷さん、私はしばらくお休みなので、またお休みあけに」

「はい。体調には十分気を付けて下さいね。元気な赤ちゃんの話、楽しみにしていますよ」

「有り難うございます」



+++++



「ねえ嗣治さん、私って小さい?」


 駅に向かって歩きながら嗣治さんの顔を見上げた。お腹が大きくなるまでは駅から職場まで歩いて十五分ぐらいで、バスで一区間だから運動がてらに歩いていたけどさすがに最近はバスを利用していた。だけど今日は天気も良くて暖かいしちょっと歩きたい気分だったから嗣治さんにお願いしてのんびり歩くことに。


「どういうことだ?」

「ほら、さっき関谷さんが私の手が小さいって言ってたでしょ?」

「モモの手ぐらいだとペティナイフの方が握りやすいってことで、別に特にモモが小さいって言いたかったわけじゃないだろ」

「そっか。で、包丁の他に何か買ってきたの?」

「ん? ああ、厨房で使う道具なんだが古くなってきた物の買い替えが幾つか。何でもかんでも使い込んでいれば良いってわけじゃないからな」


 とうてつさんの厨房に置いてある道具ってことらしくて嗣治さんや徹也さんが使うものだから買ってくるのを任されたらしい。見せてもらっても未だに何に使うのか良く分からない道具って結構あるんだよね。料理人さんの道具というのもなかなか奥が深い。


「もしかして自分が子供に見えるとか気にしてるのか?」

「そんなことないけど今時のお子さんは発育良いからさ、関谷さんには私がおちびさんに見えちゃってるのかなってちょっと気になっただけ」

「こんなお腹をしたおちびさんなんていないだろ、普通」


 そう言いながら嗣治さんが私のお腹を撫でた。ここのおちびさんは最近は静かにしていることが多い。それまで元気だったのが急に静かになったから、心配になってクリニックの先生に相談したらそういうものなんだって。ちなみに今は静かにしていて多分お昼寝っていうか夕寝中だと思う。


「ところで明日からはどんな予定で過ごすつもりなんだ?」

「んーと、あまり家に引きこもるのはお勧めじゃないってことだから、疲れない程度にはお散歩するつもり。明日はクリニックの先生に紹介してもらったアロママッサージの予約がお昼に入ってるし、夕方には桜子さんちに寄ってお茶をする約束してるし、明後日はまめはるさんで髪を切ってもらう予約入れてるし……それからあ……」


 頭の中に入っているだけの予定を口にすると意外と向こう一週間は毎日なにかしらの予定が入っていた。ハードではないけど家でノンビリしている日って意外と少ないかもしれないかな。


「結構な忙しさだな、疲れないようにしろよ?」

「うん。動き回るにしろ商店街の中ぐらいだと思うよ。アロマ以外は」


 と言ってもアロママッサージをしてくれるお店も駅向こうでそんなに遠くない。クリニックの近くにあるお店で託児所もついているから育児中でも行けるのでママさん達には人気のお店。だから待っている間もママ同士で情報交換したりしてちょっとしたママの社交場になっている。ま、私はあまりお喋りが得意な方じゃないからそういう時はもっぱら聞き役になってるけどね。


「あと一ヶ月かあ、そうやって考えるとあっという間だったな」

「だよね、赤ちゃんができたって嗣治さんに言ったのがつい最近みたいに感じちゃう」


 そんなふうに短く感じたのは多分何事もなく元気に過ごせたからだと思う。健康に関しても嗣治さんがいつも以上に食事に気を遣ってくれていたし、私よりもクリニックで貰った冊子を熟読してしてあれこれ煩いぐらいに世話を焼いてくれた。もう嫁というより母? モモニャンの嫁は母にクラスチェンジしたのか?って言われるぐらいだったし。


 それと所長を筆頭に職場の方でも。とにかく残業させない無茶はさせないが徹底されていて一体どうしたんだろうって首を傾げるぐらいだった。お蔭でちょっと退屈……じゃなくて楽させてもらって妊婦さん的には非常に有り難かった。これって絶対に所長と嗣治さんの間で何か秘密の取り決めがあったんじゃないかって私は睨んでいるんだけど、未だに真相は掴めないでいる。そのうち分かる日が来るかな。


「女の子なのに予定日が五月五日っていうのがちょっと可哀想かも」

「端午の節句か。あれだよな、モモが三月三日でチビが五月五日なら、次の子は頑張って七月七日に生まれるようにするってのも良いかもしれない」

「嗣治さん、まだこの子が産まれてもいないのに気が早すぎ」

「十月十日でも良いかな」

「人の話を聞いてくださーい」


 もちろん子供は二人ぐらいは欲しいねって話はしてたけど幾らなんでも気が早すぎだよ嗣治さん。

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