第四十一話 師匠も走る十二月 ②
「ほんっとに、スミマセン!!」
そして四十分後、カフェの一番奥の席で澤山君とカノジョの清香さんは私に対して平謝りの真っ最中。
「気にしなくても良いよ。誤解することって誰にでもあることだし、なかなか会えない彼氏さんが見知らぬ女と歩いていたらそりゃ動揺するよ」
「でもこいつが突き飛ばしたのはやり過ぎです。桃香さん妊娠してるんですよ? 清香が突き飛ばしたせいでお腹の赤ちゃんに何かあったらと思うと……本当に申し訳ありませんでした。あの、大丈夫ですか? 思いっ切り尻餅ついたように見えてたんですが痛みとかありませんか?」
「大丈夫大丈夫、寒くなってきてかなり厚着しているしそんなに勢いよく倒れた訳でもないしね。今は全然痛くないから心配しなくても良いよ」
こういう時は寒がりで良かったって思うんだ。厚手のタイツに加えていわゆる毛糸のパンツみたいなの穿いてるし、いつもは嗣治さんにかっこ悪いとか言われている大きなトートバッグを持っていたからそれも倒れ込んだ時のクッション代わりになってくれたみたいで、尻餅をついた時はそれなりに痛かったけど今は全然平気で何処も痛くないし。
「あの、なにか変ったことがあったらちゃんと知らせて下さい」
「澤山君、心配し過ぎ。大丈夫だから。ほら、あんまり心配し過ぎるとまたカノジョさんに誤解されちゃうよ?」
「桃香さん、そういう問題じゃないです。原因はこいつの早とちりの思い込みなんだから」
いつもは軽いノリで職場に笑いをもたらしてくれる澤山君が珍しく本気で怒っていた。その澤山君に叱られて横にいるカノジョさんはこちらが気の毒になるぐらい小さくなっちゃっている。それに突き飛ばした相手が妊娠していると分かったものだから真っ青になってるし、なんだか逆に可哀想になってきちゃったよ。
「だって親友が同じような感じでカレシと会えなくなっていたら、いつの間にか浮気されてて捨てられたとかいう話を聞いて、それで心配になって……」
「居ても立ってもいられなくなって来てみたら澤山君が私と歩いていたと。そりゃ誤解しちゃうよね、うんうん、気持ちは分かるよ。ああ、だけど本当に私と澤山君は何でもないからね? それと彼は絶対に浮気はしてないよ。真面目な話、本当に仕事漬けで泊り込みとかしてるから浮気する時間もないし、そのうちカノジョさんに振られるんじゃないかって皆で心配していたぐらいだから」
「桃香さん、なんかフォローになってない気が……」
「そうかな……」
そんな私達の会話を黙って横で聞いていた宮路先生は可笑しそうに笑うと少し冷めてしまったコーヒーを一口飲んだ。
「じゃあ誤解は解けたんだね?」
先生の言葉にカノジョさんがもう一度頭を下げる。
「はい、すみませんでした……千堂さんも本当に申し訳ありませんでした」
「でも良かったね澤山君。こんだけ熱烈に嫉妬してもらえるなら仕事が遅くなる日が続いても振られちゃう心配はないんじゃないかな」
「桃香さん、それ何の慰めにもなってませんっていうか俺のことを奈落の底に突き落としてるでしょ、それ」
「今年はちゃんと休暇申請してあるんでしょ? カノジョさんと仲良くね」
「桃香さん呑気すぎですよ、もうちょっと怒ってもらわないとこいつの為にもなりませんから」
「うーん、そんなこと言われても……」
そんなこと言われても平気なものは平気だし。いつまでもグチグチ文句をいっても始まらないじゃない? そんなに腹を立てたらそれこそ胎教に良くない気がするんだけどな。それに怒るのって正直言って苦手だ。こういう場合ってどうやってまとめれば良いのかな……。そう思いながら宮路先生の方を見上げた。
「まあ本人が平気だって言うんだから今のところはこれ以上のお咎めも必要ないだろう。何かあれば連絡をするということで良いんじゃないかな。ただし君は彼女ときちんと話し合った方が良いかもしれないね。仕事で遅くなるのが続いていたせいでカノジョが君の浮気を疑うぐらい不安になっているのは、やはり二人の気持ちに何かしらのズレがあるってことだから」
「はい」
「分かっているとは思うけど話し合いをすることと彼女を頭ごなしに叱るのとは違うからね。今回の件、責任の一端は君にもあるってことだよ。仕事だからっていうのを免罪符にしないように」
「分かりました。彼女とは今後のことを含めてきちんと話し合います」
こ、今後? まさか別れちゃうとかないよね? それって私のせい?
「彼と彼女のことは二人できちんと決める事であって我々が口を挟むことじゃないよ」
私が何か言いたげにしていたのを察したのか、先生はそう付け加えてこちらを見た。
「とにかく桃ちゃんは自分の体を大事にしないと。桜木の御隠居さんが心配していたよ、桃ちゃんは元気が良すぎるってね」
「……気を付けます」
まさか私まで先生のお小言を貰うとはとんだヤブ蛇……。
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「先生はどうしてあそこに?」
澤山君と清香さんにきちんと話し合いをしなさいねと言い含めた宮路先生は私を途中まで送るよと言って商店街まで一緒についてきてくれた。
「あの近くに定時制の学校があってうちの子の何人かが通っているんだよ。それで今日はそこの担任の先生と今後の進路等についての話し合いをね」
「へえ……」
「それで? 桃ちゃんの方はどうなんだい? お腹の赤ちゃんは順調かい?」
「はい。これ以上は無いぐらい順調だそうです」
「そうか。だけど今日みたいなことがあった後だから、何か少しでもおかしいと思ったら医者に行くんだよ」
「分かってます」
私の返事に宜しいと頷いた先生は向こうの方を見て微かに笑みを浮かべた。
「桃ちゃん、旦那さんが心配そうに待ってるよ」
「え? あ、ほんとだ。遅くなるってメールしておいたのに」
とうてつの前で嗣治さんがこちらを見て立っている。暖簾を片付けている途中だったみたいで、いつもと違うのは腕組みをして怖い顔をしてないことかな。まあ宮路先生と偶然に会ったからお茶をして帰るって連絡しておいたっていうのもあるんだろうけど。
「先生、今日のことは嗣治さんには黙っておいて下さい。余計な心配はさせたくないし」
「ちゃんと話しておいた方が良くないかな?」
「だって誤解は解けたんだしこれ以後は揉めることもないだろうから」
「まあ桃ちゃんが黙っててくれと言うなら黙ってはいるけど……」
あまり賛成できないなあって顔をしているけどそれ以上は何も言わずに嗣治さんのところまで私を送り届けてくれた。嗣治さんは寒いから店に入ってろと私のことをお店に押し込むと、そのまま先生と二人で何やら立ち話を始めてしまった。むむむ、男同士で何を喋っているんだろう、凄く気になる。だけどあまりドアに近づくと気づかれちゃうし他のお客さんにも変に思われるから立ち聞きは諦めていつものカウンター席に座った。
「恩師に会ったんだって?」
温かいお茶を出してくれた徹也さんがそう尋ねてきた。
「はい、進路の事とか大学に入ってからの一人暮らしの準備とかで色々とお世話になった先生なんです」
「へえ、そういう偶然もあるんだな」
「ですよね、私もびっくりしました」
厚手のお湯呑を両手で持ってお茶をさます為にフーフーしていると嗣治さんが戻ってきた。何だか微妙な表情っていうか何か考え込んでいるような表情って言うか。
「どうしたの?」
「いや、宮路先生が帰り際にモモに伝言を頼んできたんだ」
「どんな?」
「ちゃんと話した方が良いと思うって。何のことだ?」
「え?! 先生、他に何か言ってた?」
「いや、特になにも。予定日はいつなんだ?とかモモの最近の様子とか聞いてたぐらいなんだが……」
カウンター越しに私のことを見ていた嗣治さんの目がすっと細くなる。
「何を隠してるんだ、モモ」
「え? 何も隠してないよ」
せ、先生の嘘つき! 黙ってるって言ったのに!!
い、いやいや、目の前の嗣治さんの様子からして詳しいことは何も知らないみたいだから、正確には嘘はついてないのかな?ってことはここで私がしらを切りとおせば何とか知られずにすむかもしれない? し、しらを知りとおせるのかな私?!
忘れてたよ、宮路先生は仲裁も上手だったけど誘導尋問とかこの手のことが得意だってこと!!