第四十話 師匠も走る十二月 ①
夏の終わりに妊娠したことが分かってから何となく私の周囲は色んな意味で慌しく気が付けば十二月になっていた。
出産予定は五月ということで未だ呑気な感じで私は過ごしているけど、籐子さんの方は既に八ヶ月に入ったということでお腹も目立ってきたし何となくいよいよですねって感じ。もう徹也さんや大空君が口煩くやいやい言うものだから籐子さんもさすがに辟易としているみたいで、そっちのほうが胎教に悪いわ……なんてぼやいてた。その気持ちは良く分かる、うん、とっても!
そしてそのおめでた空気に当てられたのか、婚約したばかりな筈の昌胤寺の次男坊の恭一君と京子ちゃんのところでも何やらおめでた?が発覚したらしくて、急遽、結婚式を前倒しすることになったとかどうとかって話を小耳に挟んだ。まあこちらはあくまでも噂なので今のところ確定事項ではない、と思う。
ただ、篠宮さんの御主人経由の雪さんから聞いた話なのでほぼ間違いないんじゃないかなって睨んでいるんだ。これは招待されている側としては用意を急がなきゃ?と密かにカレンダーで大安の日のチェックを始めているところ。私の予想では年明け早々になるんじゃないかなって思ってるんだけどどうかな?
それから今年の商店街一番のサプライズはどうやら醸さんの告白に決まりそうな気配。雪さん曰く「うちの子はやる気が出るまで時間がかかるの♪」だとか。お相手は神神飯店の天衣ちゃん。
ただ醸さんの場合、告白するまでかなりの時間を要したせいか、醸さんの頭の中で色々なことが熟成しすぎているみたいで何かと先走っちゃって大変なことになっているらしくって、今からあんなんじゃ先が思いやられるよとテンテンちゃんは本気で愚痴ってた。最終手段としてはお姉さんの吟さんを召喚?とまで言っていたから、これはかなり大変なことになっているんじゃないかな。確かに……この前、店先で見かけた醸さんの顔、ちょっとだらしなく緩んでいたかもしれない、うん。
そしてキョウキョウコンビ(恭一君と京子ちゃんのことみたい)と違って私達はまだ清い仲だからね!と聞いてもいないのに念押しするところなんて、テンテンちゃんてばなかなか可愛いじゃないかと思うんだな~。でもさ、こういう場合って同性のテンテンちゃんを応援して良いのかな? それとも同世代として脳内が熟成しちゃった醸さんを応援したら良いのかな?と非常に悩ましいところなんだよね。嗣治さんにどっちを応援する?って聞いてみたけど微妙な顔をして言葉を濁したところを見ると私と同じ気持ちみたい。
とにかく地元では年の暮れも押し迫りっていうか、私を含めて人生のターニングポイントを迎えた人が大量発生したというか、とにもかくにも色々な意味で賑やかしいことになってきたけれど、私達の仕事の方はと言えば逆にようやく落ち着いてきたというのが現状なんだ。れいの強盗殺人事件が予想していたよりも早く解決したのが大きいかな、やっぱり。
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資産家のお宅に押し入った強盗殺人の犯人が無事に捕まり今年の澤山君のクリスマスデートは安泰だねということになった日、その日は珍しく皆で飲みに行こうかって話になった。もちろん私は妊娠中だからお酒は飲めないけど無事に事件が解決したということで少しだけ顔を出させてもらうことに。もちろん所長のたっての希望で嗣治さんには今夜は残業デーじゃないけど少し遅くなると連絡しておいたので一応は安心、の筈。
そして九時過ぎになった頃、私はそろそろ帰りますということで席を立った。
「あ、俺が途中まで送っていきます」
そう言って同じように席を立ったのは澤山君。
「駅はすぐそこだし送ってくれなくても大丈夫だよ?」
「いえ、せめて駅までは送っていきますよ。それに」
カノジョにも電話したいですしと恥ずかしそうに付け加える。なるほど、私を送っていくと言う口実で席を立ってカノジョさんと電話で話したいわけか。うんうん納得、だったら是非に送ってもらおう。ここは割り勘ということなので私の分は菅原さんが立て替えておいてくれるそうなので後で払いますねと言って澤山君と並んでお店を出た。温かかったお店から出ると冷たい風が顔に当たり思わずブルッて体が震える。
「うー……さすがに十二月になると寒いねえ……」
「そうですね、今年は厳冬になるかもって長期予報で言ってましたよ」
「そうなの? はああああ、また憂鬱な季節が始まるのか~」
毎年毎年やってくる憂鬱な季節。そりゃクリスマスとかスキーの季節とか嬉しい人も大勢いるんだろうけど私はやっぱり寒いのは苦手。これから暫くは仕事なんてせずに春がくるまで冬眠していたいよ。
確かに冷え性対策として嗣治さんがそういうのに良いっていうご飯を食べさせてくれているせいか少しは冷えを感じるのはマシになったと思う。だけど寒いものは寒い。そこは基本的に変わらないのだ。
「でも今年は桃香さん、あまり寒がってませんよ?」
「うん。それはね、旦那さんが色々と冷え性対策のご飯を食べさせてくれているからなの。だけど寒いことに変わりはないよ。もうしっかり張り付けるカイロ、腰のところに貼ってるよ」
「それも遅い方ですよ。去年は確か……秋口から貼ってませんでした?」
「うん、それはそうなんだけどね……」
それでも寒いのは嫌だなあなんて話しながら駅に向かって二人で歩いていると、いきなり横から飛び出してきた人に突き飛ばされてその場で尻餅をついてしまった。一瞬なにが起こったのか分からなくて私はポカンとしたままその場でペタリと座ったまま相手を見上げた。目の前に仁王立ちしているのは酔っぱらいのサラリーマンさんではなく般若みたいな顔をした綺麗なお姉さん。綺麗な人って怒っているともの物凄い迫力のある顔になるんだなあって呑気なことを考えながら相手のことを見詰める。
「あの……」
どちら様でしょう?って尋ねる間もなくそのお姉さんが怒鳴り始めた。
「仕事仕事って言うからデートも我慢していたのにやっぱり浮気していたのね?!」
「清香!!」
いち早く我に返った澤山君は、今にも私に殴り掛かってきそうな雰囲気のそのお姉さんと私の間に慌てて割って入ってきた。も、もしかして澤山君のカノジョさん? なんだか想像していたのとちょっと雰囲気が違うかな……。で、浮気って私と澤山君が浮気しているってこと? ちょっと待ってそれって物凄い誤解だよ!
痛むお尻をさすりながら立ち上がろうとするとその気配に気が付いた澤山君がこちらに振り返って慌てて大丈夫ですか?!って言いながら助け起こしてくれる。それが更にカノジョさんの怒りに油を注いでしまったみたいで……。
「その人を庇うっていうの?!」
「清香、誤解だ、この人は俺の職場の先輩で……」
「もう別れるから!!」
「だから誤解なんだって、人の話を聞けよ」
目の前で誤解だって必死に宥めようとしている澤山君と完全に頭に血が昇ってしまっているらしいカノジョさんとの言い合いが展開され、口を挟むタイミングも掴めなくて一体どうやって仲裁したら良いのかとただオロオロしているばかりの私、うーん、なんだか情けなくなってきた。ここは先輩として後輩の澤山君のフォローをしてあげたいんだけど、なんだかカノジョさんの勢いに口出すタイミングが掴めなくて、あのとか、そのとかだけでなかなか思うようなタイミングで口を挟めない。それに下手に口出ししたらカノジョさんのパンチが飛んできそうでちょっと怖い。
「こんな往来で何を喧嘩しているんだ? 警察を呼んだ方が良いかい?」
のんびりとした声がいきなりしてヒョロリと背の高いサラリーマン風の男性が私の横にやってきた。あれ? この声何処かで?と見上げると懐かしい顔があった。
「宮路先生?」
「やあ、元気だった? 結婚式以来だね。ところでどうしたんだいこの騒ぎは。警察、呼ぼうか? 交番ならすぐそこにあるよ?」
「あ、いえ。後輩とそのカノジョさんなんですけど、なんか誤解があったみたいで……」
まだ痛むお尻をさすりながら肩をすくめると、先生はまだ言い争っている澤山君とカノジョさんの間に割って入っていった。私が施設にいた頃もああやって喧嘩している子達の間に割って入っては仲裁していたっけ。そして先生はその時と同じようにあっと言う間に二人、っていうかカノジョさんを静かにさせると、こちらを振り返ってニッコリと笑った。
「桃ちゃん、時間があるならそこのカフェで四人でお茶でもしようか。俺の奢りで」
そんな訳で、私は久し振りに会った恩師と、後輩さんとそのカノジョさんと共に駅前のカフェに行くことになってしまった。ああ、また遅くなったら嗣治さんに叱られちゃうよ、お店に入ったらすぐにメールしなきゃ……。