第二十一話【駅前商店街夏祭り企画】 二人の願い事
この季節は商店街では主に三つの代表的な行事がある。花火大会、夏祭り、そしてこの辺りの氏神様をお祀りしている月読神社への願い紙の奉納だ。いつもは夏休みなんて関係なく仕事をしていたので、ポストに入っていた願い紙にお願い事を書いてからその年の役員さんにお願いして終わりって感じだったんだけど、今年はうちがその役員さんに当たっていた。
「はい、これでOKでーす」
奉納には幾つか決まり事があって、必ず守らなければならないのが行く前に身を清めることと浴衣を着ていくこと。どうして浴衣なんだろう?って不思議に思っていたら桜子さんが教えてくれたんだけど、昔は願い紙の奉納時には皆さん正装で行っていたとかで、正装と言えば着物だった時代の名残なんだとか。昔流で言えば浴衣はどちらかと言えば今のパジャマや寝間着の扱いになるんだけど、そういうのは時代を経て変化していくものらしくて、浴衣で行きましょうとなったのは意外と最近なこと……と言っても二十年ぐらい前からなんだって。
私は桜子さんに作ってもらってお祭りの日に着た浴衣を着ることしていたんだけど問題は嗣治さん。お店で作ってもらったのがあるからそれを奉納する日に持って帰ってくるよって話したら、すかさず横から籐子さんと徹也さんからこういう時はきちんと新調すべきだって駄目出しが入った。私もそう思ったので、渋る嗣治さんには黙って紬屋さんで新しい浴衣を作ることにした。幸いなことに寸法はお店で作っていたから問題なかったし? で、今それを着せ終わったところ。
「うんうん、紬屋の奥さんの見立てはバッチリだね。嗣治さん凄く似合ってるよ」
「そうか?」
「うん」
嗣治さんが着ている浴衣は少しクリームがかった生地に藍色の縦縞にツバメが飛んでいるもの、そして帯は黒。帯はよく見ると波模様が入っていて結構面白い柄。最初は縁起のいい龍もあるわよ?って言われたんだけど、それはちょっと冒険しすぎかもしれないと思ってこちらにしたんだよね。模様はじっくり見ないと分からないから今になって龍でも良かったかもなんて考えているのは内緒。あとツバメも同様でコウモリなんてのもあるのよって言われて見せてもらったんだ。だけど私、その柄がコウモリって言うよりカモメが飛んでいるようにしか見えなくて結局このツバメ柄にしたってわけ。
「ところで、モモはどんな願い事を書いたんだ?」
桐箱を抱えてマンションから出たところで嗣治さんが尋ねてきた。
「こういうのって内緒にしておくから良いんじゃないのかな」
「俺にも?」
「うん」
そう言われると逆に気になるじゃないかってブツブツ言っている嗣治さんの横で、私はこの町に引っ越してきて初めてあの願い紙を手渡された時のことを思い出していた。
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「願い紙、ですか」
当時の役員だった下の階の鏡野さんが尋ねてきたのは日曜日の昼間だったような気がする。前の日のバイトから帰ってきて寝るのが遅かったせいで、ちょっとボーっとした頭と変な寝癖がついた髪のまま、玄関でその和紙を鏡野さんの奥さんから受け取った。
「この辺一帯の氏神様をお祀りしている神社に願い事を書いたその願い紙を奉納するのよ。引っ越してきたばかりの桃香ちゃんにはいまいちピンとこないかもしれないけど、これも毎年の神様事だから」
「分かりました。お願い事を書いて、この説明書きの通りにお月様の形に折りたたんで、鏡野さんに渡したら良いんですね?」
「そうよ。次の土曜日までに持ってきてくれる? ここのマンションのは役員のうちが代表して持っていくから」
「はい」
和紙を受け取ってまだボンヤリしている頭でキッチンに行くとポットのスイッチを入れた。暑くても熱いお茶が飲みたくなるのは何故だろう?なんて考えながら。
「願い事かあ……」
どんな霊験あらたかな神様だって私の一番の願い事をここに書いても絶対に叶えられないし、叶う筈がないことを書いても虚しいだけなんだけど。そんなことを思いながら椅子に座って和紙を見詰める。普通の年頃の子だったらもしかしたら恋愛のお願い事とか書いていたかもしれないけど、生憎とそういう夢見る乙女心なんていうものはこれっぽっちも持ち合わせていなくて、私は自分自身でも呆れるぐらい現実的な思考の持ち主だ。でもその時はそんな現実的な私も寝起きでボンヤリしていたらしく、頭がどうかしていたに違いない。気が付いたらサインペンで叶う筈のない願い事を書いていた。
『家族ができますように』
ふと我に返って書き直そうかと思ったけど一枚しか貰ってないし。
「ま、いっか。どうせ叶いっこないし」
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そしてこの時から私が願い紙に書く願い事は何故か『家族ができますように』になった。深く考えてたわけじゃなくてどうせ叶いっこないしって思っていたからなんだけど、今年その願い通りに家族になった人が私の横をブツブツ言いながら歩いている。世の中なにが起きるか分からない。こういう場合ってちゃんと神様にお礼をしなきゃいけないんだよね。
「じゃあ嗣治さんはどんなお願い事を書いてるの?」
「俺? 去年は桃香が行き倒れて飢え死にしませんようにって書いた」
「え?! マジ?!」
「嘘に決まってるだろ。最初はそれを書こうと思ってたんだが俺と一緒なら行き倒れも飢え死にも心配ないだろうってことで家内安全にした」
「びっくりしたあ……って言うか、何で行き倒れて飢え死にしませんようになんて思い浮かぶかなあ」
「そりゃ最初にモモが行き倒れていたからに決まってるじゃないか」
そんなことお願いされたら神様だってビックリしちゃうよ。こんな時代に行き倒れて飢え死にしちゃうような日本人が自分ちの近くにいるのか?!って。
「じゃあ何て書いたの?」
「モモの願いごとを教えてもらってないのに俺のを教えるなんて不公平じゃないか。だから教えない」
「えー……」
つまりは嗣治さんの願い事を聞きたいなら自分の願い事を教えなきゃいけないってことなんだよね。
「そうだな、願い事が叶ったら教えてやるよ」
「えー……」
「そんな変な願い事じゃないから安心しろって」
「わかった。じゃあ叶ったら教えてね」
「ああ」
神社の敷地に入ると巫女装束の娘さんが出迎えてくれた。そう言えばここのお兄さん、たまに本庁の鑑識課や科捜研で見かけるんだけど何故だろう。もしかして鑑識器材を清めるなんてことをしているとか? まさかね。よく超能力捜査なんてテレビでやってるけど、今の日本警察の偉い人にはそういう科学で証明できない手法を取り入れるほど頭が柔らかい人はいないし。
「コンフォート希望が丘の方ですね、どうぞこちらに」
巫女さんの格好をすると皆あんな風に神秘的で清楚な感じに見えるのかな、なんだか凄く神秘的な雰囲気があって同性の私でも見とれちゃうよ。女の私がそうなんだからきっと嗣治さんも……って、あれ、なんでそんな可笑しそうな顔してこっちを見ているのかな?
「なに?」
「モモがアイドルを目の前にしたファンみたいな顔してたから面白くて」
「なんですと?」
そ、そんなにはっきり顔に出てた?! 思わず顔に手を当てた。
「だってだって綺麗なんだもん。嗣治さんはそう思わなかった?」
「小さい頃から知ってる相手だからなあ、特にそんなふうには感じなかった」
「勿体無いよ、眼福を眼福って感じないなんて人生損してるよ~」
「俺はモモの浴衣姿だけで十分」
「どさくさに紛れて何言ってるんデスカ」
「本心だから」
たまーに嗣治さんってこっちが赤面しそうなことを平気な顔して口にするから困っちゃうよ。しかもさりげなく言うものだから直ぐに突っ込めなくてとうてつさんでは常連さんに真顔で惚気るなとまで言われるし。本殿に通された時もまだ顔が赤いんじゃないかなってちょっと心配でパタパタと手で顔をあおぎながら宮司さんが来るのを待った。
特に神様とか信じているわけじゃないけど、こういう場所って独特の雰囲気がある。外は蝉の鳴き声で耳鳴りがしそうなぐらいに騒がしいのに、本殿に入るとその鳴き声も遠くから微かに聞こえる程度だし空気も心なしか澄んでいるような気がする。
それから暫くして正式な装束に身を包んだ宮司さんが本殿に入ってきた。おかしなことだけど宮司さんが本殿に入った途端に微かに聞こえていた蝉の声も聞こえなくなった。こういう不思議な偶然って本当にあるんだな……。宮司さんは拝殿の前で座っていた私達の前に立ち一礼をして顔を上げると何故か私の顔をじっと見詰めた。え? なに?
「……叶いましたか、それは良かった」
「へ?」
宮司さんの視線は私ではなく少し違うところを見ているように思えるのは気のせい? そしてポカンとしている私の目を今度はしっかりと見詰めてきてニッコリと微笑んだ。なに? なんなの? あのう、不思議体験は苦手な方だから勘弁して欲しいんですけど……。
「次も直ぐに叶いますよ、お二人とも」
お、お二人? 思わず嗣治さんの方を見た。あれ? なんで恥ずかしそうに笑ってるの?
「では、奉納の儀を執り行わせていただきます」
嗣治さんに尋ねたかったんだけど宮司さんのその言葉で聞きそびれてしまった。それと気のせいか奉納の儀の祝詞が読み上げられる間、何処からともなく懐かしさを感じる甘い香りが漂ってきた気がしたのは何故なんだろう。
そして宮司さんが言った『次も直ぐに』の意味が分かったのはそれから一ヵ月後のこと。




