第十一話 ツグ父と戻り鰹
「お、おう、桃香さん、今日は嗣治と一緒じゃないのか」
嗣治さんに言われていたサンマを買いに来た私にお父さんが声をかけてきた。あのツグニャンケーキを一緒に食べてから、お父さんはちょっと恥ずかしそうにだけど私に声をかけてくれる。嗣治さんに対して相変わらず無愛想なんだけどね。
「嗣治さんは今日はもう仕事に行ってますよ。で、今日はサンマの塩焼きをしようかって話になって買いに来ました」
彼とお付き合いするまで食材の旬なんて考えたことなかった。だけどさすが料理人の嗣治さん、普段から手に入るものでもきちんと旬を把握していて、その季節の食材を使ったご飯を作ってくれる。私が考えると旬とか全く関係なくなっちゃうから、そういうのはやっぱり彼に任せるのが一番だと思う今日この頃。
「ふむ、秋と言えばサンマだからな。だが今の時期なら鰹も美味いぞ」
「え、そうなんですか? 私、てっきり初鰹の言葉通り春先が旬だと思ってましたよ」
「この時期の鰹はな、戻り鰹といって脂も乗っていて美味いんだ」
「へえぇぇ」
じゃあ目に青葉って言葉は一体なんなんだろうって思う。お父さんに話すとそれは江戸っ子の粋ってやつなんだよって笑って教えてくれた。んー……よく分かんないや。
「ツグなら店で鰹の角煮なんて作ってるんじゃないか? 脂がのっているから柔らかくて美味いし」
「かもしれないですね、私はまだ食べたこと無いですけど」
「……作ってみるか」
しばらく考え込んでいたお父さんがポツリと呟いた。
「え? お父さんもお料理できるんですか?!」
「客に勧めるのにあれこれ調べたのが高じて魚関係だけなんだが」
ああああ~まったく千堂家の男の人ってどんだけ女子力高いんですかあ、もう自信なくすよ私。ちょっと落ち込んでしまった私をよそに、お父さんはお母さんを呼んで店番を頼むと言うと一緒に奥へ来るように手招きした。その手にはお店の売り物だった筈の鰹の大きな塊が。
「お父さん、それ売り物ですよ?」
「いいんだよ、そんなこたぁ」
「えー……」
お母さんにどうするんですか?って目で訴えても仕方ないわねえと笑うばかり。まあその辺のことは後でお母さんが何とかしてくれるのかな…。
台所に行くとお父さんはまな板を出して鰹を切り分け始めた。うう、やっぱり手つきが鮮やかです、私とは全然違うよ。お皿に切った鰹を並べて小皿にお醤油をたらす。お醤油、普通のじゃなくて溜まり醤油って書いてあるよ。薄口ですら使わない私には既に未知との遭遇状態。そんなこと口にしたらきっと呆れられちゃうから絶対に口にしないけどね。
「先ずはこのままで食べてみろ、美味いから。醤油はちょっとだけつけて、だからな」
「いただきますー」
お醤油を先っぽにちょこっとつけてパクリ。う、うまーい!! いつも食べてる鰹じゃないみたい、どっちかって言うとトロっぽい? 戻り鰹ってこんなに脂がのってるんだ。
「美味しいですー」
「だろ? これを角煮にするとパサパサしてなくて更に美味いんだ」
そんな訳でお父さんと私はお店をお母さんに任せて角煮をつくる作業に没頭した。下準備を終えてお鍋に鰹を入れてしまうと後は出来上がるのを待つだけ。待っている間にお父さんは更にたたきの準備を始めてしまった。
「それ売り物……」
「だから気にするな、せっかく美味い鰹なんだ、食べたくないのか?」
「……食べたいです」
「だろ」
なんかそういうところって嗣治さんとそっくりだねと感心しちゃう。
「なあ桃香さん」
「はい?」
「そのう……いろいろとすまなかったな……」
「?」
「初めてここに来た時にワシが言ったことだよ」
「……ああ、そのことですか。気にしてないですよ、料理しなくて家族がいないのは本当だし」
何とも言えない顔でこちらを見ていたお父さんがいきなり頭をグリグリと撫でてきた。
「これからはワシ等が家族だから、家族がいないなんて二度と言うんじゃないぞ?」
「お父さん達が家族ですか?」
「そうだ。桃香さんは嗣治の嫁になるんだろ?」
「うーん……」
私が首を傾げてしまったのでギョッとなっている。
「まさか、ワシのせいで嗣治と一緒になるのが嫌になったとか?!」
「え? いえいえそうじゃなくて。ちゃんと結婚するとかそういう具体的なことを二人で話し合ったわけじゃないので」
「まだなのか?! 嗣治は何してるんだ?!」
「え、えっと、嗣治さんは私と家族になるとは言ってくれているし、それはそのう、そういう意味なんだと分かってるんですけど……」
ただ具体的に『結婚』という二文字が話に出たことがないんだよ。女子力ない私でもやっぱりその辺はなんていうかちゃんと言ってほしいなあとか思っているわけで。
「我が息子ながら何と言う体たらく……」
「そりゃ、お父さんの子ですからね」
いつの間にか台所にきたお母さんが溜息混じりに言った。
「店は?」
「恵里菜さんが来たから任せてきましたよ。貴方と桃香さん二人で置いておいたらまた嗣治を怒らせることになるんじゃないかと心配で見にきたんですよ」
「……」
ああ、ガックリうな垂れちゃった。でもそんな仕草も嗣治さんそっくり。いや、嗣治さんがお父さんにそっくりなんたよね。凄いな千堂家のDNAって。
「桃香さん、もうね、この際だからうちの嗣治を嫁に貰ってくれない?」
「はい?」
よ、嫁に貰うんですか? 私が? 嗣治さんを?
「そうだよな、桃香さんは公務員で嗣治よりも甲斐性があるんだ、あいつのところに嫁に行くと言うよりも、ツグが桃香さんのところに嫁に行くのほうがしっくりする」
なんですとー?! 何気にお父さん酷いですよ、それ!!
「あのう、私もそんなに甲斐性ないんですけど……」
「大丈夫だ、嗣治も働いているんだから。嫁が共働きに出るのは最近では珍しくない」
「そうそう。あの子、マメだから家事全般は得意だしお嫁さんにするならお買い得商品だと思うんだけど」
そう言うお母さんの手には何故か商品に貼り付ける『お買い得商品』シール。偶然にしては出来すぎている……。
「えーあー……」
「やっと振られ記録も止まったことだし、うちとしては嫁に貰ってくれたら安心できるんだけど」
美味しく出来上がった鰹の角煮と鰹のたたきをタッパに入れてもらい魚住さんを後にする時も、うちの子お父さんに似てぶっきらぼうだけど根は優しい子だから末永くヨロシクね♪ってお母さんに言われてしまった。
「あ、サンマ買うの忘れた……」
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「……で、サンマの塩焼きが鰹のたたきと角煮に化けたわけか」
「はい、ごめんなさい。すっかりサンマちゃん忘れてました」
家に戻る前にとうてつの裏口に立ち寄って顔を出すと、私が手にしているものを見た嗣治さんが溜息をついた。
「まあ戻り鰹も今が旬だし、オヤジの言うとおり美味いよな」
「それはビックリでしたよ。本当にトロみたいでした。そんな訳なので、夕飯は鰹さんってことで」
「分かった。久し振りにオヤジの作った角煮を食べられるんだ、楽しみにしてるよ」
「帰ったら言われたとおりに炊き込みご飯の用意、しますね」
「あ、待った」
帰ろうとする呼び止められた。
「はい?」
「角煮には白ご飯がデフォだから、炊き込みご飯は中止で」
「そうなんですか? 分かりました、んじゃ普通に炊きます」
「俺がいないからって面倒臭がらずにちゃんと夕飯食えよ?」
「分かってますよー」
初めて食べる里芋ご飯ってのを密かに楽しみにしていたんだけどまあ良いか。確かにお父さんが作ってくれた鰹の角煮には白ご飯の方が似合いそうだし。
そして遅くに帰ってきた嗣治さんに角煮を出しながらお父さんとお母さんに言われたことを話したら、盛大にお茶を吹いて“ここでも俺は嫁なのか”と大きな溜息をついちゃったのだった。