2.二人
「お前たちはいつになったら〝忍ぶ〟という言葉を覚える?」
「ご師匠様。お言葉ですが、忍ぶという言葉をいつになっても覚えぬ大馬鹿者はこいつ一人だけでして――。」
「連帯責任、という言葉を?」
「……存じでおります。」
悔しそうに唇を噛む巴に対し、隣で既に足を崩している義仲は全く堪えていないかのように口笛を吹いた。
それを見て、権三郎が義仲を視線で窘める。
「……忍の世界とは、常に死と隣り合わせじゃ。一寸先は闇。どんな簡単な忍務も舐めてかかれば痛い目を見るぞ。」
「承知しております。」
「俺もです。」
慌てて付け加えた言葉に、思わず隣の巴がじろりと睨んだ。
それに肩を竦める義仲を見て、権三郎は思わず二人にばれぬように溜め息をついた。もちろん、二人はそれには気づかなかった。
権三郎とて、あまり反りの合っていない二人を同じ忍務につけるのを良しと思っているわけではない。ただ、この二人の持つ良さが合わされば、これ以上にないものになるということだけは、確信していた。
兵法を学び、戦略を練るのに向いている巴。それに比べて義仲はその戦略を実行するだけの力がある。女であるために非力な巴、戦略を練ったりするのを不得意とする義仲。お互いのハンデを補い協力すれば、これ以上のコンビはないというのに……。
権三郎には分からぬ矢羽で何やら口論を始める弟子二人を見ながら、権三郎は本日二回目の溜め息を吐いた。
師匠の心弟子知らず、とはこのことである。
「お前のせいで師匠に怒られた。」
「俺のせいか?」
「お前のせい以外の何物でもあるまい。」
そう言いながら呆れたように息を吐く巴。手には書物を持っている。その横で、沢山の武器を並べて磨いていた義仲が首を傾げた。
何のことだが分かりません、という顔をしているが、確信犯であることは間違いないであろう。
「でもさ、俺のおかげで巴は楽だったろ? 人がいなくてさ。」
「だから、私は加減をしろと言っているのだ!」
義仲のマイペースぶりに、巴が思わず声を荒げる。
「手を抜けば危ないって師匠よく言うだろ。」
「手を抜けという意味ではない!」
「じゃあどういう意味だよ?」
「……白々しい……!」
憎々しげに巴が義仲を睨む。その視線も対して堪えていない様子の義仲は、巴を見ながら相も変わらず表情の読めない顔で飄々としている。元から表情の読めない義仲ではあるが、このように無表情になっていると、もう何を考えているかは師匠にすら分からない。巴はまた漏れそうになった溜め息を飲み込んで、額に手を当てた。
「お前といると疲れる。」
巴は疲れた表情のまま手元の書物に視線を移した。義仲はそんな巴から視線をそらし、また熱心に武器を磨き始めた。その様子を横目で見ながら読書をしていた巴だったが、沈黙に耐えきれなくなったのか、再度口を開いた。
「……お前は、」
「うん?」
そっと顔を伺おうにも、伏せている義仲の表情は見えなかった。巴は自分の言いたいことを頭で一度復唱してから、やっぱりやめたように口を閉じた。
「……何でもない。」
「なんだよ。」
「お前に言っても無駄だと思ったからな。」
「酷いな。」
傷ついた顔をする義仲に、巴は「胡散臭い顔をするな。」と一括する。
「分かってても分からないフリしなきゃならないって、師匠よく言うだろ?」
「お前の場合は分からないフリをしているフリ、だろうが。」
「……。」
無言でまた武器に触れる義仲に、巴は思わず目線を手元から反らした。この男、戦いのことしか頭にないのか。脳みそまで筋肉なのか?
「……義仲、私は今までお前が書物を読む姿を見たことがないのだが。」
「ああ。ないからな。」
ぴき、巴からそんな音がした気がした。その隣で義仲はやはりあっけらかんとした表情で武器を磨いていた。
「それで、お前は実践の時はどうするつもりなのだ?」
「俺の場合は本能のまま動いてるからいいんだよ。」
「よくないだろう!」
その本能のまま動いて失敗し、巻き添えを喰らった巴の言うことは尤もである。しかしその巴の言葉でさえも、義仲にはどこ吹く風。
「いいか、忍というのはな!」
「そんなのはもう師匠から、耳にイカが出来るくらい聞いたよ。」
「……タコだ。」
義仲の言葉に、巴が思わず訂正を入れる。ちなみにこの場合のタコとは、食べる蛸ではない。恐らく義仲は分かっていないであろう。いや、これこそ先程述べた分かっていないフリなのか……。
「……何故お前みたいな奴が忍になどなろうとしたのだ。お前は戦場で馬に乗って駆ける方が似合っているだろうに。」
憎々しげに、しかしどこか羨望の入り混じった声で、巴は言った。義仲はその言葉に応えず、その質問を質問で返した。
「じゃあ逆にお前は何で忍になろうと思ったんだよ。」
「お前には関係ない。」
「それだけ整った顔してさ、それだけ頭もよくてさ。礼儀作法とか見てるとお前がその辺の町娘じゃないってことは分かる。何で、こんな所でこんな事してんの?」
義仲の言葉に巴がぐっと言葉を詰まらせる。そもそも何故この男にそのようなことを言われなければならないのか。私の先ほどの質問には答えないくせして、こちらには質問に応じろと言うのか。
「……お前には、関係ない。」
巴は、そうやって言葉を濁すしかなかった。
ざあ、と風が吹いた。巴は、持っていた書物を閉じ、空を眺めた。今日は月が明るい。そんなことを思いながら、巴は初めてここに来た、遠き昔の日のことを思い出していた。丁度、あの時もこんな夜だったと。




