1.月夜
暑い雲が満月を覆っている夜だった。
辺りの草原では虫が鳴いていて、時折風の音が大きく聞こえていた。河原近くだからか水の流れる音もしたが、それ以上に……風の音が大きかった。
その中で、月明かりに照らされて二つの影が揺れていた。双方とも気配を消している。その影のうち、小さい方が不意に動き出す。つられて、大きい方も動き出す。
「ついて来るな。」
小さい影が、言葉を発した。その声は想像していたよりもはるかに高い。
「目的地が同じなんだから仕様がないだろう。」
「うるさい、ついて来るな。」
「――無茶を言うな、巴。」
呼ばれた名前からすると、恐らく女人であろう。墨染めの衣装と頭巾。忍び装束と呼ばれるそれの間から垣間見えた顔は、確かに男には見えない。
「私一人で十分に遂行できる。義仲、お前はいらない。」
「相変わらず手厳しいな。しかし、師匠からのお言葉だ。俺にはどうすることも出来ん。もちろん、お前にもな。分かっているだろう?」
諭すように言った男――もとい義仲の言葉に、巴と呼ばれた少女が小さく舌打ちを漏らす。その対応に、男の方は少女にばれぬようにと小さく顔を歪めて笑った。
「あれか?」
「……そうだ。」
義仲が視線を向ければ巴も同じようにそちらを見る。
二人の視線の先には立派なお屋敷があった。噂通りであればここは名の知れた商家だ。ただし、知れている名は全て悪評であるが――。
「見張りは?」
「門に雑兵が二人、寝床に三人。庭に五人、徘徊してるのが四人。どれも金で雇った雑兵だ。」
「じゃあ簡単だな。」
「だからお前はいらないと言ったんだ。」
巴の言葉に義仲が軽く肩をすくめる。
「もうそれはいいだろ? で、作戦は?」
「下着の術を使う。」
「……随分と初歩の術だな。」
どこか馬鹿にしたような物言いに、巴は義仲を睨み付けた。
「悪いか。そもそも一般人相手になら初歩も何もあるものか。通用すればそれでいいのだ。……文句があるなら、」
「はいはい、分かったよ。」
帰ればいいだろう、と巴が言うのが分かり、義仲が遮ってくるりと背を向けた。巴は小さく溜め息を吐いたが、義仲は巴にばれぬように盛大に溜め息を吐いた。もちろん、ばれてはいたが。
「俺が先に忍び込んで騒ぎを起こそう。お前はその隙に密書を探せ。」
「何故お前が仕切る。」
「別にお前が軍目付じゃあない。」
「お前も違うだろうが。って、あ!」
義仲が巴の言葉を聞き入れずにひらりと塀に飛び乗る。慌てて巴も追いかけようとするが、義仲の手によってそれは憚れてしまう。
「っ……義仲、お前な、」
「たまには俺が仕切ってもいいじゃないか。巴は心が狭いんだから……。」
実は巴がここまでムキになるのには大きな理由がある。巴は自分の忍務に専念し、他のことに注意を向けたりはしない。しかし義仲は戦忍だ。そもそもこういった忍び込む忍務には向いてない。義仲には戦場で走るほうが向いているのだ。したがって……。
「お前に騒動役を任せると無駄な怪我人が増えるんだよ……!」
敵を見つけたとき、何とか切り抜けようとする前に義仲はまず相手を倒してしまう。武術に長けた義仲なら、雑兵相手にまず苦戦はしまい。しかし、ここからが問題だ。騒ぎを聞きつけてやってくる雑兵は、時間が経てば経つほど増える。
結果そちらに敵の注意をひきつけた事になり、巴の密書を探すという忍務は楽になる。しかしその増えた敵の数だけ倒してしまうものだから、巴が義仲と合流した時には既に敵は全滅した後……ということになりかねない。というより、義仲はこれの常習犯なのである。
「お前も忍なら忍べ! 何で堂々と侵入して敵と戦って満足して帰ってくるんだ! お前は侍か!」
「こっそりひっそりは性に合わん。」
「……口の減らない奴め。」
元々反りの合わない巴と義仲ではあるが、忍務のことになると更に合わない。何しろ二人は性格や考え方、戦い方さえ違う。
義仲が最も得意とするのは鎖鎌を使った戦術であり、次に得意とするのは肉弾戦である。それに比べて巴が得意とするのは扇術。加えて兵法を身に着けており、どちらかというと戦略を練ったり情報収集をしたりする方が向いている。つまり、二人は全く逆のタイプなのだ。
ではそんな二人が何故、共に忍務についているのか? そのわけは、先ほど二人の会話に出てきた『師匠』という存在にある。
二人は権三郎という老忍に弟子入りしている。巴が弟子入りした半年後に義仲は弟子入りした。その順列から言えば巴は義仲の先輩にあたるが、実質二人にそのような上下関係はない。というのは、忍の世界に歳や時間は関係ないからだ。経験とはいうが、所詮は力の世界である。より優れたものが上に立つのが自然の摂理。忍の世界とは、そういうものなのである。
「じゃ、何かあったら矢羽で呼べよ!」
「義仲!」
しかしそんな道理などは義仲には関係ないようだ。義仲の去っていった後を見て、巴は大きく溜め息を吐いた。
「ああ、またご師匠様に怒られる……。」
そう言いながら塀に飛び移る巴の姿を、お月様だけが見ていた。




