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4.


 次の日の朝。早朝から守袖によって叩き起こされた俺は、着慣れない九九九隊の軍服に身を包んだ後、昨日のロビーへと守袖と共に向かった。

 ロビーには、既に俺達以外の十三班のメンバーが集まっており、その中心、受付に腰掛けた或原が、やって来た俺たちに一度目を向けて、口を開く。

「これで全員揃ったわね。それでは、今から今回の作戦概要を説明する」

「作戦?」

「そ。あんた達にとっては初陣って事ね」

 思わず問うと、彼女は鼻で笑って、手元にある書類へと目を向けた。

「今回の作戦は……。なんだ、今までと変わらないわね。該当地区に存在するマモノの殲滅。結構は、本日正午より行う。これからすぐに出発するから、準備して来なさい。以上」

 或原の言葉を聞いて、周囲に集まっていた十三班のメンバーは散り散りに周囲へと去っていく。或原はぴょんと受付から降りると、部屋の方へと足を向けた。

「ちょ、ちょっと待て! 今から?」

「そうよ。ほら、貴方も早く準備をしてきなさい」

「待て待て。俺、未だ朝飯も食べてないんだけど」

「そんなの誰も食べてないわよ。適当に用意して、移動中にでも食べなさい。どうせ結構遠いんだから」

「それにしても……」

 流石に、急過ぎるのではないだろうか。準備っていっても、この程度の時間じゃ満足な支度も出来ないだろうに。

「ハンッ。この程度、ここじゃ日常茶飯事よ。むしろ今回は優しい部類よ。夜中に叩き起こされるよりはよっぽどマシでしょうに」

「……………………」

 黙り込む俺に、彼女は再び鼻を鳴らすと、ロビーから去っていった。立ち尽くす俺の隣に守袖が来て、ぽんと俺の肩を叩く。

「時間が無いぞ。先崎。早く準備を済ませてしまおう。別に遅れるのは構わないけれど、刀が無いのは私にとっては致命的だ」

「……ああ、そうだな」

 ……この程度でうろたえているようじゃ、ここに居る資格は無いってことか。

 俺は守袖の方へと顔を向けて頷くと、再び、自分の部屋へと戻っていった。



 すべての用意を終え、門から外に出た俺を迎えたのは、四人乗りの車だった。助手席の前には或原が腕を組んで仁王立ちしており、俺と守袖を顎で指し示す。どうやら後部座席に乗れという事らしい。

 俺は片手に下げた鞄を背負い直し、後部座席の扉を開く。そのまま、守袖よりも先に車へと乗り込むと、運転席に座る男が、こちらを振り向いた。

「よう。先崎」

「……瀧村」

 そこに居たのは、瀧村だった。彼は口元をにやりと歪めると、次に乗り込んでくる守袖の方を見て、軽々しく手を上げる。

「よう。またあったな、有銘ちゃん」

「……私を名前で呼ぶな。馴れ馴れしい」

 ……守袖がこんなにも感情を露わにしている姿を見るのは、初めてだ。彼女はふんっと鼻息を荒くすると、腰に下げていた刀を鞘ごと外して両手で抱え、座席に座り直す。

 瀧村は、そんな彼女の姿を見ながらけらけらと笑っていた。……守袖は、恐らくこの部隊でも最強であろう少女だというのに、その飄々とした調子を崩さないとは、実は意外と大物なのかもしれない。

「なにやってんのよ、貴方達は。ほら、瀧村君も。新入りにちょっかいを出してないで自分の仕事をなさい」

「へいへい。まったく人使いの荒い班長様だよ」

 やれやれと肩をすくめて、彼は車を発進させる。十三班の面々は、他にも数台の車に分けて目的地に向かっている様だ。軍用のジープなんて良いものでもなく、普通の乗用車である。しかも古臭いポンコツ。罅割れた道を進むごとに、ガタガタと揺れるお陰でお尻が痛い。出来る事なら、さっさと目的地について欲しいものなのだが……。

「なあ、或原。目的地まで後どのくらいだ?」

「さあ。距離からすると、多分正午までには着くんじゃないかしら。それからすぐに作戦を開始すれば……まあ、明日には帰れるわね」

 ……その返答に、俺は閉口するしかなかった。

「……おい。俺、野営の準備なんてしていないぞ」

「ハンッ。知らないわよ。言ったでしょう? ここでは他人に頼る事なんて出来ないって。自分でどうにかすることね」

 或原は鼻で笑うと、それきり口を閉じてしまう。俺は、納得のいかない面持ちで、隣に座る守袖に目を向けた。先程までの会話は彼女にも聞こえていただろうに、彼女は刀を肩に掛けたまま、ぼんやりと窓の外を眺めているだけだった。

 余裕のある態度に見えるが、しかし彼女の持ちモノは刀だけであり……要するに、俺と同じで何の準備も無し。と。……困った。

「まあ、貴方達が頑張ってさっさと終わらせれば良いんじゃない? 貴方はともかく、守袖さんは天災と呼ばれた人なんでしょう?」

 或原の言葉は、本気とは取れず、単に俺達をからかっているだけに聞こえた。相当癪に障るが、他に方法が無いというなら、仕方がないだろう。

「……分かった。作戦書を貸せ。詳細な内容を確認したい」

「今? 焦らなくても、向こうに着いたら全員に通達するわよ」

「それじゃ遅いんだよ……」

 或原は振り向いてにわかに眉を顰めるが、はぁとため息をついてバッグから数枚の紙を取り出した。俺はそれを受け取ると、紙面に目を通す。

「――目的は、マモノの殲滅。数は……約百体……? おいおい……こっちの戦力の五倍以上じゃないか」

 酷い任務だ。無茶苦茶な内容過ぎる。そもそもマモノとの戦闘では、一体のマモノに対して必ず複数で挑む。特別隊の隊員でも、同時に相手に出来るのは精々三体までと言われている。

 或原は何も言わない。作戦概要の説明時に言っていた通り、こんなのは日常茶飯事ということか。

 ……ようするに、コレが九九九隊だと。まさか、少し前まで学生だった少年少女をこんな地獄に投げ込むとは。成程、記録に残せない筈だ。

 ……くそっ。人の命を、何だと思っているんだ。

「……………」

 無言で首を振って、冷静さを取り戻す。内容は分かった。目的はマモノの殲滅。数は百。……なるほど。面白いじゃないか。どうせ死ねないのだから、このくらいでないと張り合いがない。

 心の中で自らを鼓舞しながら、俺は次に、目的地の場所へと目を向けて――言葉を失った。

「こ、こは…………」

 それは、とある山中。高速道路の高架線から降りた先にある、A級地帯。

 その場所は――俺が訓練生として最後に向かった、あの山中だった。

「――――――――」

「……? どうした? 先崎」

 守袖に声を掛けられて、俺は正気を取り戻す。

「……いや。なんでも、ない」

 首を振って答えるが、守袖はこちらに向き直ると、心配げな顔を俺に向けてくる。

「本当か? なんだか体調が悪そうだぞ? 大丈夫か? ……もしかして酔ったのか? そりゃあ、こんなに揺れる車の中でそんなに小さな文字を読んでいたら、酔いもするだろうが……」

「い、いや。本当に大丈夫だ。酔ってなんかいないよ」

「おいおい頼むぜ? こんな所で吐かれでもしたら困っちまう。折角手に入れた愛車だってのに」

 瀧村の嘲るような台詞に、助手席に座る或原が割って入ってくる。

「……瀧村君。この車はあくまでも隊の持ち物であって、貴方個人のものじゃないわ。その辺ちゃんと理解してよね。今度またドライブに使ったりしたら、ガソリン代は給料から引いておくからから」

「おお。怖い怖い。バレないようにしないとな」

 飄々と受け流す瀧村に、或原はそれ以上何も言わず、ただため息を吐くだけだった。十三班を纏める彼女にも、苦手なモノはあるらしい。

 だが、そんな事を気にする余裕は、俺には無かった。用紙に書かれた地名と、詳細な地図が、俺の目を捉えて離さない。

 騎士団では、作戦中にマモノに殺された隊員の遺体は、そのまま放置するか、現地で埋葬する事が基本となっている。マモノには未だ未解明な部分が多く、その影響を受けた遺体を何の処理も無く持ちかえることでどんな影響があるか分からないからだ。

 そして、それは、訓練生にも適応される。

 だからこの山には、彼女の――有里の身体が、埋まっている。

 二度と行く事は無いと思っていたのに……。

「……一体、何の、因果だ」

 どうやら俺は、自分の罪から目を背ける事も出来ないらしい……。



 以前と同じ五時間のドライブの後、再び高速道路上に辿り着く。車から降りた十三班の隊員達は、朝と同じく或原を中心にその周囲へと集まってくる。或原は、一度周囲を見渡すとこほんと咳をして注意を引いた。

「さて。それじゃあ、詳細な内容を説明するわね。先崎くん。貴方に渡した作戦書、返してちょうだい」

「……ああ」

 あまり注目を浴びたくはないので、さっさと彼女の前まで行って、作戦書を手渡す。彼女は俺に何も言わず、ただ書類に目を向けて、再び口を開いた。

「さて。本日の案件は一つ。該当するマモノの殲滅。ノルマは……百体ね。標的の特徴は各々に伝達するから、四人一組で行動する事。定時連絡を欠かさなければ、後は好きにやりなさい。以上、解散」

「以上って……そんな適当で良いのか? もっとこう、作戦とか、連携とか、色々あるんじゃないのか」

「無いわよそんなの。どうせそういう条理から外れた奴らばかりなんだから、変に行動を制限する方が厄介よ。それに、仮に連携を立てたとして、貴方はそれに従うのかしら?」

「…………う」

 ……確かに、ここに来る前の俺は、仲間との連携を無視して戦い続けてきた。それは、彼女のいう通り、その方が俺の力を生かしやすいから……でもあった。

 だが、結局その所為で有里は命を落としたのだ。

 この場所で。

「……………………」

 俺が思案している間に、他の十三班の面々はとっくに高架下へと降りていっており、残されたのは俺と或原。守袖と、そして瀧村だけだった。

「それじゃあ、あたし達はこの面子ね。ほら、行くわよ。先崎くん」

「…………ああ」

 或原に促され、俺は顔を上げる。刀を腰に差し直す守袖に、先崎がニヤニヤと笑いながら近寄り、彼女の肩に手を回した。

「よう有銘ちゃん。また一緒に行動出来て嬉しいよ」

「……放せ。切り落とすぞ」

 守袖、本気である。

「やれやれ。つれないね」

 横から見ていた俺ですら背筋が凍りそうになる殺気を前に、しかし瀧村は、彼女から手を放しながらも、最後までその調子を崩さず踵を返した。……やはり大物なのかもしれない。あまりお近づきになりたくはないが。

 山中へと向かう或原と瀧村の背を見ながら、俺はベルトに吊るした散弾銃と山刀の位置を確認する。……うん。問題はない。眼は……しばらくは切り替えなくても済むだろう。以前と違い、今の俺は瞳を切り替えなくても自分に迫る危機ならばある程度察知できる。

「……よし。行こうぜ。守袖」

 良いながら、ぽんと守袖の肩を叩くと、彼女は眉見に深い皺を寄せたまま、ジト目で俺を睨んだ。

「な、なんだよ……」

「……有銘だ」

 と、軽く怯える俺に、彼女はぼそりと小さな声で呟く。

「私の名前は有銘だ。あの男にばかり名前で呼ばれていると思うと怖気が奔る。だから、お前も私の事はそう呼べ」

「え、あ、ああ…………」

 そんなにあの男が嫌いなのか……。まあ、確かに嫌な奴ではあるが。……しかし、同い年くらいの少女を名前で呼び捨てにするのは、結構勇気が居る。それも、相手が守袖とあっては……。

 ……けど、まあ。その守袖の願いなのだし。聞くしかないか。

「分かったよ……それじゃ、有銘。行くぞ」

「うん。それで良い」

 満足げに呟いて、ニコリと微笑む守袖……じゃなくて、有銘。何だかんだ言いながらも整った顔立ちを持つ彼女の笑顔は、相当に可愛らしい。

 有銘と共に、先に向かった二人の方へと歩いて行くと、非常階段の前に立つ或原が不快そうに舌打ちをする。

「貴方達、なにをやっているの。ここから下に降りたら、そこはもうA級地域なのよ? 確かに他人に頼るなとは言ったけれど、もう少し緊張感を持ちなさい」

「まて。この下はB級地域じゃなかったか? A級地域はもっと先の、崖の下に広がっていた筈だ」

 俺の言葉に、或原はぽかんと目を丸くして俺に目を向けてくる。

「……詳しいのね?」

「別に……少し前、訓練できたことがあるだけだ。それで? どうなんだ」

「確かに、少し前までこの近辺はB級危険地域とされていた。でも、少し前にこの森で派手に立ち回った奴が居たらしくてね。そいつが好き勝手に暴れてくれたお陰で、マモノの縄張りに変化が生じ、A級地域に生息していた筈のマモノがB級地域まで出てくるようになったってわけ。お陰でこの高速道路も、今じゃ相当危険なんだって」

 ……それは、また。

「……迷惑な話だな」

「ええ、まったくよ。お陰であたし達の方に後始末が回ってくるし。もしもソイツに出会う事があったら、一発かましてやりたいところだわ」

 ……その犯人、俺です。とは、言える雰囲気じゃなかった。

 要するに、これは俺の不始末で。自分の後始末は自分で付けろと。。

「上等じゃねぇか……」

 少しだけ、腕に力が籠る。これまでとは違い、明確な目的を持てた故か。

「ふぅん。意外とやる気十分って感じね。まあ、あたしとしても貴方の実力は認めているから、本気を出してくれるというなら助かわ。行くわよ。空回りしないように気をつけなさい」

 或原を先頭に、瀧村、有銘、俺の順に非常階段を下っていく。前を歩く三人の背中と、遠くまで続く山脈を眺めながら、俺は心の中で決意をする。

 オーケー。やってやろうじゃないか。戦う理由としては十分だ。

 それで……有里への追悼になるのだというなら。俺は、いくらでも戦い抜いてみせる。



 森林に降りると同時、俺は瞳を切り替える。生物の気配――より正確に言うなら、脅威となり得る存在の気配を感じ取ることが出来る俺の瞳だが、今回は前回に来た時よりも圧倒的に赤色が濃い。

 俺の力が強まったからなのか、それとも、A級地域に格上げされたが故か。森の端々まで蠢く警戒色は、見ていてあまり気分の良いものではない。

 突然、森の奥から轟音が響き渡る。それに木霊するかの様に、森林のあちこちから銃声が響き渡り、音に驚いた鳥たちが翼をはためかせて飛び立っていった。

「どうやら始めたみたいね。あたし達も行くわよ」

 彼女は腰のホルスターから二丁の古いマシンピストルを引き抜くと、深い森の中へと脚を向ける。

「まて。そっちじゃない。敵を狩るんだろ? なら、こっちに向かった方が早い」

「……わかるの?」

 ああ。と頷いて、俺は踵を返すと、左手で山刀を、右手で散弾銃を引き抜いて構える。

「……本当に、貴方どうしたの? 急にやる気を出したりして」

「少し、思うところがあってな」

 或原はへぇとさして興味も無さそうに呟いた。

「オーケー。それじゃ、貴方がポイントマンを務めなさい。あたし達はその後について行くから」

「わかった」

 振り向きもせずに答えて、真っ直ぐに目の前の赤色を睨みつける。俺たちが向かうのは、この森林でも特にこの距離では、赤の濃淡で脅威の度合いは分かるが、敵の数まで知る事は出来ない。だが、それでもこの先には、見た事もないほどの数の敵が待ちかまえているだろう。

 ……それがどうした。

 例え何十、何百のマモノが待ち構えていようが構わない。むしろその方が好都合だ。そのくらいの死地でなければ、戦っているという実感すら沸かない。

 ……我ながら、自分が本当に人間なのかどうかすら疑わしく思えるが、俺の背後には、俺をも超える化物が一人居るわけで。

 守袖有銘。絶対無敵の少女。昨日の軽い手合わせですら、想像をはるかに超えた強さを誇っていた彼女だ。実際に刀を抜いた彼女は、一体どれだけの強さを誇るのだろう。

 問題は他の二人だ。或原はともかくとして、瀧村の実力がまったく掴めない。彼らは、大丈夫だろうか。

「……………………」

 ……いや。何を気にしているんだ。俺は。

 或原だって言ってたじゃないか。ここで他人に配慮することほど無意味な事はないと。それに、彼らだってただの素人じゃない、この場所で、ずっと戦い続けていた二人なんだ。なら、遠慮する必要なんてない。俺たちはマモノを殺す為にここに来たのだから。

「――――――――っ!!」

 ――途端、首筋に電流が奔るような感覚に襲われ、俺は姿勢を低くして武器を持ち直す。

「来るぞ、構えろ」

 背後に居る三人に注意を促すと、彼らの雰囲気が変わる。成程、これなら、俺が心配する必要もないか。

 真っ直ぐに前を見据える。向かってくる敵の数は八体。加えて右側面からもう二体。大きさはそう大きくはない。

「前と右、残り五秒で接触! 構えろ!!」

 言いながら、俺は真っ直ぐに銃口を構え、姿を現した狼型のマモノを吹き飛ばす。

「…………っ!」

 三体はまとめて殺ったつもりだったのだが、俺のノーコンな腕前では一体撃ち殺すだけで精一杯だった。すぐさま山刀を構え、飛びかかるマモノを迎え撃つ。

「伏せなさいっ!!」

 叫ぶ或原。咄嗟に姿勢を低くすると、俺の頭上を跳ぶマモノの頭が一瞬で爆散する。

 それと同時、疾風の様な勢いで俺の隣を黒い影が走る。

「有――」

 ――鈴。という音がする。次の瞬間には、腰の刀を抜き去った有銘が、目の前のマモノの首を刎ね落としていた。無駄のない挙動。力の籠っていない流れるような動作に、一瞬、目を奪われる。

「…………っ」

 散弾銃を地面に投げて、山刀を両手で構える。この状況でこの武器は危険だ。下手をすると有銘まで射ち兼ねない。元々、遠距離からの攻撃にこだわる理由もないのだ。敵の攻撃を恐れる必要はないのだから、この山刀さえあれば――!

「――――ハッ!!」

 迫るマモノの頭を、文字通り叩き割る。その背後から更にもう一体。これは避けるまでもない。持ち上げた山刀の先をマモノに向けて、真っ直ぐに串刺した。有銘の様な美しさはそこには無い。ただ力技で敵を殺す事だけを考えた、何処までも無骨な戦い方だ。

 俺がマモノの身体を蹴り飛ばしている間に、有銘は唯の二振りで二体のマモノを打ち殺していた。あまりにも圧倒的過ぎて、残ったマモノ達ですら、有銘に向かおうとはしない。

 一方、背後では側面から出現したマモノを瀧村が二本のナイフで解体しているところだった。これもまた鮮やかな腕前だが、有銘の様な美しさは見られない。その在り方は殺人鬼のソレだ。奴らしいといえば奴らしいが、生々しさに吐き気がする。

 残ったマモノは三体。奴らはくるりと反転すると、一目散に逃げていこうとする。だが、その背中を、或原の大口径拳銃が正確に撃ち抜いていく。

 都合六発。一体に付き二発の弾丸を撃ち込んで、或原は弾倉を落とし、新しいものに入れ替える。そして、ふぅと大きく息を吐いた。

「……これで十体と。なんだ。意外と楽そうね」

「そうだな。これも新入りのお陰かな?」

 嫌な笑みを浮かべながらこっちを見つめてくる瀧村から視線を逸らし、俺は地面に落ちた散弾銃を拾い上げホルスターに戻す。有銘は、瀧村の視線などどこ吹く風と言った様子で、刀に付いた血を払うと、手慣れた仕草で鞘に戻した。

「さあ、次々行くわよ。このまま真っ直ぐ進めば良いのね?」

「ああ……」

 前方に目を向ける。ノルマの十分の一を倒した所で、その赤色が薄くなる事はなかった。むしろ、より純粋な赤色に近づいている気がして、軽い嘔吐感を覚える。

「……誠也。大丈夫か?」

「これくらい、なんともねぇよ……」

 心配してくる或原を手で制して、俺は再び前を向く。濃い赤色。恐らく、先程までのマモノとは比べ物にならない程強力なマモノが居るのではないか。

 それは――まるで。

 あの日、俺と有里の前に現れた、あのマモノの様な。

「……………………」

 真っ直ぐに、赤い死地へと歩く。――それはまるで十三階段を上っているような気分だった。


 奥へ奥へと赤色を追っていったところ、ふと樹の生えていない広い場所へと辿り着いた。

「これはまた……不自然な広間ね。ここだけ樹が生えていないなんて明らかにおかしいわ」

「ふむ。巨大な生き物が通った跡。の様にも思えるが……どうなんだ? 誠也」

 守袖の問い掛けに、俺は地面へと視線を落とす。どうやら俺が追っていた赤い光は、この場所から発せられていたらしい。だが、ここには痕跡ばかり残っていて、重要な本体が見当たらない。

「……確かに、この周辺に強力なマモノが居ると思われる。……だが、姿が見えない。この跡を追って行けば、辿りつけるかもしれないが――」

 ――――っ!?

 背筋が凍る。反射的に逃げ出しそうになる身体を、どうにか押さえる。

「おい――これは――」

 声を掛けるまでもなく、他の三人も既に武器へと手を掛けていた。それほどまでの威圧感。音が無くなったかと思えるほど張り詰めた空気。……だが、それ以上に、とある既知感が俺の脳裏を埋める。

 この、雰囲気は――――っ!!

「――――避けろっ!!」

 叫ぶと同時、俺は即座に身体を伏せた。意識した行動ではない。危機回避能力が思考を越えて回避する事を優先したのだ。

「――――っ!」

 ――それは、まるで弾丸の様な突撃だった。

 巨大な影が俺達の背後から現れる。俺の策敵範囲外からの突進に、俺と或原、有銘はその場から跳びのく。だが、一番背後を歩いていた瀧村だけは、警戒も、避けるだけの余裕も足りなかった。

 そして――

「――――え?」

 ――意外なほど、間の抜けた声を最後に。瀧村の身体がマモノの巨体に跳ねられる。

 まるで、人型の水風船を叩き割るかのように、瀧村が赤い血飛沫を撒き散らしながら宙を舞う。

 砂煙を撒き散らし、巨大な獣が広間の中央で動きを止める。猪の様な、赤い単眼を光らせた、隻眼のマモノ。

「――――っ!!」

 即座に反応した有銘が、鞘から刀を抜き去った。一撃必殺、絶対無敵の刃を前に、マモノはグルンと巨体を回すと、再び先と同じような速度で木々をなぎ倒しながら逃げていった。

「くそ――、逃げ足の速いっ」

 有銘が舌打ちをして鞘に刀を戻す。伏せていた地面から立ち上がった或原が、マモノの逃げていった方へと目を向けながら口を開く。

「追うわよ。アレ、最重要の対象だわ。ラッキーね。こんなに早く見つける事が出来るなんて。これなら意外と早く帰れそうだわ……」

「ちょ、ちょっと待て! た、瀧村は……!?」

 彼女は足を止めると、眉根を寄せて俺へと目を向ける。

「何を言ってるのよ。彼はもう死んじゃったじゃない。ほら、そんなことよりも早く行かないと。逃がしちゃうでしょ」

「…………っ。そんな、ことって……だって」

 ……だって。さっきまで、一緒に戦ってきた、仲間なのに。

「……………………」

 目の前には、赤く染まる瀧村の死体――の、破片。

 何処までが個体で何処までが液体なのかも判別が付かない程、ぐちゃぐちゃになった、人の死体。その姿が――あの日見た、彼女の姿を思い出させて。

「…………ぐっ」

 口元を押さえる俺に、或原は呆れたように肩をすくめる。

「……なに。死体を見たのは初めてとか? だったら見なれておくことね。ここじゃ、このくらい日常茶飯事だから。自分じゃなくて良かったと思える程度じゃないと、死ぬわよ?」

 何時かと同じ様な言葉を同じ様に口にして、彼女は再び、マモノの消えた方へと足を向けた。

「…………誠也」

「いや、大丈夫だ……」

 心配してくる有銘に掌を向けて、俺は立ち上がり、目の前の瀧村へと目を向ける。

「……………………」

 ほんの少しだけ目を瞑り、彼への黙祷を捧げる。……決して、仲が良いわけではなかった。出会ったのも昨日だし、ほんの少しだけ話しただけでも、苦手なタイプだという事は分かった。

 だが……それでも。誰も、彼の死を悼まない。なんて、あまりにも、哀し過ぎるじゃないか……。

「誠也。大丈夫か?」

「ああ。……行こう。アイツを、仕留めないと」

 一瞬だけしか姿は見えなかったが、あのマモノは、俺の最後の訓練の討伐対象だった。

 ……なら、俺が仕留めないと。あのマモノは――俺のエモノだから。


「あら。意外と早かったわね」

 マモノの残した道を辿ると、或原がその途中で足を止めていた。彼女は悪党の様な悪い笑みを浮かべると、指を立てて地面を指す。

「見なさいよコレ。あの化物、思いっきりあたし達を蹂躙する気でいるわよ」

 彼女の指が指し示した先には、四人の、隊員の死体があった。もしかしたら、見知った顔だったのかもしれないが、今はもう瀧村と同じ、ボロボロの断片の様な状態となっており、その面影も見当たらない。

その様子を見た有銘が、厳しい声で言う。

「遠くからの突撃で、防御も反撃もする暇を与えずに……か。成程、確かに恐ろしいマモノだな」

「貴方でも対処できないの?」

「無理だ。私の能力は――当然だが――私の刀が届く範囲までしか通用しない。あのように即座に逃げられては、どうしようもないよ」

「へぇ。あたしも、正確に視認できないとどうしようもないしね。……まあ、よしんば狙いを付けたとしても、あの外皮じゃどうしようもない気がするけれど。……ふむ。そうなると。奴の突撃を先に察知出来て、逃げたアイツを追う事が出来る奴――と」

 或原が、ゆっくりと視線をこちらへと向けた。俺はそれと向き合いながら、小さく頷く。

「ああ。アレは俺が仕留める」

「そ。なら助かるわ。任務はこなさないとね」

 言いながら、彼女はその場にしゃがみ込むと、隊員の亡骸から弾薬や銃だけをかき集める。それらを全てバックパックに詰め、彼女が立ちあがった所で、数度の銃声と、悲鳴が森の中を響き渡った。

「…………っ!」

「こっちね。行くわよ」

 駆けだす或原の背中を追って走る。マモノが走った後は大きな道が出来ている為、追い掛けるのは難しい事ではない。数分程走り続けただけで、巨大なマモノの後ろ姿が目に入った。

「しめた。アイツ、あたし達に気付いてないわ。今なら守袖さんでも近寄れるんじゃない?」

「いけるとは思うが――だが」

 守袖が、刀に手を掛けながら、ちらりと前方を見やる。巨大なマモノの影。その前方には、倒れ伏す隊員の死骸と――マモノの前にしゃがみ込み、唖然とした表情で目の前の化物を見上げる、一人の少女の姿が――

「水無月――――?」

 少女――水無月兎乃。この隊で、数少ない名前を知っている少女。

 年下の少女。その小さな身体が、今目の前で、マモノによって蹂躙されようとしている。

 ――その姿に。何時かの誰かが、重なった。

「――――っ!!」

 理屈じゃなかった。止めようとする自らの肉体を無理やりに動かして、俺はホルスターから散弾銃を引き抜くと、真っ直ぐにマモノに狙いを定める。

「ちょっ――貴方っ!?」

 声を荒げる或原。だが、俺は銃口をマモノに向けたまま、その身体に突進する。

「うおぉぉおぉぉ!!」

 走りながら引き金を引絞る。撒き散らされた粒弾はマモノの背面に命中する。だが、その程度であの外皮を削れるなんて思ってはいない。俺は山刀を引き抜くと、先程の衝撃に気付き此方へと首を向けるマモノに、その刃を突き付ける。

「――その、娘から、離れろ、化物ぉぉぉおおおおおおお!!」

 振り下ろした山刀の刃が、マモノの外皮を抉り、その上背へと突き刺さった。マモノは絶叫を周囲に響かせると、大きく身体を揺らす。

「――――ぐっ」

 その衝撃に弾かれた俺は、山刀から手を離してしまい、近くの木へと叩きつけられる。マモノは再び踵を返すと、背中に山刀を突き刺したまま、物凄い勢いで去っていった。

「誠也…………っ!!」

 二人が俺へと駆け寄ってくる。だが、俺はそれよりも、軋む身体を動かして、水無月の方へと向かった。

「水無月……大丈夫か……?」

「え、あ、は、はい…………」

 彼女は、掠り傷はあるものの、特に目立った外傷は見受けられない。思わず息を吐くと、全身の力が抜けて、その場で腰を抜かしてしまった。

「あ、あれ……?」

「無茶をするからだ。大丈夫か?」

 守袖が俺へと手を伸ばしてくる。俺は軽く頷いてその手を取り、立ち上がる。

 と、後からやってきた或原が、両腕を組んで俺を睨んでいた。その顔には、確かな怒りが見える。

「貴方。どうして水無月を助けたりしたの?」

「……どうしてもなにもない。ただ、助けたかったからだ」

 はぁ。と、彼女は深いため息を吐いて、俺を睨みつける。

「馬鹿じゃないの? 貴方。そんな事の為に獲物を逃がしたっていうの? ……言ったでしょう? この場所じゃ、任務は人命より重いの。一人の役立たずな少女の為に獲物を逃がして、それでどうするのよ!」

「任務の為に……か」

 確かに、彼女の言いたい事も分かる。彼女の言葉の方が、本当は正しいのだろう。……だが、それでも。

「……俺は、嫌なんだ」

 目の前で、誰かが死ぬのは堪えられない。

 目の前で誰かが助けを求めているのに、それを無視するなんて事は、堪えられない。

 俺はずっと――誰かを犠牲にして生きてきた。だから、今度は俺が、誰かを救う番だ。

「――――っ! 守袖! 貴方もコイツに何か言ってやってよ!」

「ふむ。私は誠也に賛同するよ。そもそも私は、コイツを追い掛けて自分からこの場所に来たのだぞ? そんな私が、どうして誠也の言葉を否定する必要があるだろうか?」

 声を荒げる或原に、有銘は当然の様に言い返す。その、あまりにも堂々とした返答は、昨日の――彼女が俺を友達だと言い放った時と、まったく同じで。

「…………っ」

 或原は何も言えずに押し黙ると、静かに踵を返した。

「……ああ、そう! なら勝手にしなさいよ! 好きに慣れ合って足を引っ張って死んでいけばいいわ!」

 ホルスターから拳銃を抜き、マモノの去っていった方へと足を向ける或原。

「まて。何処へ行くんだよ?」

「決まっているでしょう。あのマモノを追うの」

「な……っ!? 馬鹿、お前自分で言っていたじゃないか。自分じゃ敵わないって。なのに……!」

「それがあたしの任務だもの。行くしかないわよ」

 言いながらも、足を止めようとしない彼女の前に回り込み、俺は言った。

「まて、それなら俺も連れていけ。その方が安全だ」

「ハンッ。武器を無くした貴方に来られても迷惑よ。それに、その子を一人で置いて行くの?」

 彼女は足を止め、後ろを見やる。その視線の先には、未だ地面に座り込む、水無月の姿があった。彼女に怪我はないが、しかし十分な装備を持っている様にも見えない。だが、だからと言って連れていくわけにも……。

「分かった? なら退きなさい。貴方の力なんて必要ないわ。あたしは……一人でもやれるんだから……」

 俺の横を通り抜けて、走り去っていく或原。視線を向けるが、彼女はすぐに木々の合間へとその姿を消してしまった。

「あ…………」

 ……追いかけなければ。放っておけば、きっと間違いなく、或原は死ぬ。

 だが、武器を無くした俺になにが出来る? 加えて、水無月の事もある。

 くそ……っ! やっぱり俺は、何も出来ないままなのか……?

「ふむ。誠也は、或原を助けたいんだな?」

 と、隣に立っていた有銘が、またも普段通りの口調で、呟いた。その事に、多少面食らいながらも、俺は頷く。

「あ、ああ……。でも、水無月を放っておくわけにも……」

「ふむ。なら」

 と、彼女は自分の胸元に手を当てると、大きく胸を張って。

「ここは、私に任せろ」

 なんて、普段の調子で頷いた。

「…………え?」

「だから、ここは私に任せろと言っている。なに。心配するな。私なら、そこらのマモノに襲われようと余裕で退ける自信があるぞ?」

「いや、それは心配していないが……」

 当惑する俺に、有銘は胸元に置いた手を降ろすと、ふっと微笑して俺を見つめた。

「別に、一人で何もかも背負い込む必要はないだろう? お前がその選択をしたのなら、私もそれを手伝おう。私はその為にここに来たんだ。……それに、私と同じお前が、自分の為ではなく、誰かの為に戦えるというなら、私も同じ希望を持てる気がする。だから、ここは私に任せろ」

「…………有銘」

「大体、元は落ちこぼれだった誠也が一人で誰も彼も救おうだなんて、ちょっと欲張りが過ぎるぞ。ここは天災と呼ばれた私の出番じゃないか?」

「……なんだそりゃ」

 ふふん。と、何処か自慢げに胸を張る有銘がおかしくて、つい笑ってしまった。

「分かった。そりゃ、お前なら俺の助けなんて要らないだろうしな。任せるよ。有銘」

「ああ。……ふむ。それと――」

 言葉を切って、彼女は自分の腰に手を回すと、ベルトから刀を鞘ごと抜き去って、俺へと向けた。

「武器が無いんだったな。選別だ。持っていけ」

「は?」

 そうして、俺は、本日二度目の絶句をする。

「それじゃあ、お前はどうするんだ」

「別に、刀が無くても心配はいらないよ。知っているだろう? 私は銃の腕も凄いんだ」

 ぽんぽん。と、ホルスターの上から太股の拳銃を叩く有銘。

 それが強がりでも何でもない事を、俺は知っている。本当に、彼女に心配は要らないのだろう。

「…………わかった」

 彼女の手から、刀を受け取る。俺の山刀よりは明らかに軽い筈だが、何故だか妙に重く感じられる。

「その刀はな、私の家に代々伝わる名刀で、銘を守袖という。……守るという文字の入った刀だ。きっと、お前の力になってくれるだろう」

 彼女の言葉に俺は頷いて、刀の鞘をベルトに差した。

 同時に、森の奥で数度の銃声が鳴り響く。

「あっちか――ッ!!」

「らしいな。急げよ、誠也。間に合わなかったら承知しないぞ」

 わかっているとも。心の中で答えて、俺は銃声のした方へと振り向く。準備は万端だ。両眼の力なんかよりも、よっぽど心強い武器を手に入れたのだから。

「あ、あの……!」

 と、走りだそうとする俺を、水無月が引き止める。

……? 振り向くと、彼女は赤く染まった顔を大きく上下に振りながら、彼女にしては意外な程の大声で。

「た、助けてくれて、ありがとうございましたっ!」

「――――――――」

 ――ああ。成程。これは。

「……良いもんだな」

 再び踵を返して、真っ直ぐに前を見据える。

 さあ――それじゃあ。もう一度、誰かを守る為の戦いを始めよう。



 森林を駆け抜ける。聞こえてくるのは銃声と轟音。そしてマモノの咆哮。

 銃声が聞こえてくるという事は、或原は未だ生きているという事だ。

 急がなければ。距離はそう遠くはない。いや、例えどれだけ距離があろうとも、必ず助けて見せる……!

 林を抜けると、目の前にはマモノの背中。そして、その前に対峙する、或原の姿。或原は俺を見つけると、大きく目を見開いた。

「貴方、なんで――」

「ば、馬鹿っ!!避けろ……っ!」

 一瞬、彼女の動きが止まる。マモノはその気を逃すことなく、土煙を上げると怒涛の突進で彼女へと向かう。

「――――っ!!」

 彼女は即座に手に持っていた小銃を捨てると、真横へと転がった。中空に放られた小銃が、粉々に砕け散る。

 同時、俺は右手で刀を抜き去り、マモノへと疾駆する。距離は十メートル。マモノはこちらに背中を向けている。或原は無理な回避動作をしたせいで未だ動けない。

「うぉおおお!!」

 助走を付けた俺は、マモノの背面に向けて大きく跳躍した。刀を逆手に持ち直し、両手で握りしめた俺は、その背中へと深く突き刺す。

 俺を振り落とそうともがくマモノから刀を引き抜くと、俺はそのすぐ真横に突き刺さった山刀を左手で掴み、同時に背中を蹴ってマモノの前方へと飛ぶ。

 泥の上を転がり、態勢を立て直した俺は、左手の山刀と、右手の刀を構えなおして、目の前の敵を見据えた。

 三度の対峙。マモノの隻眼が俺を捉える。全身が総毛立ち、今すぐにでもこの場から離脱しなければという感情が身体を支配する。だが、それを心で押しとどめ、宿敵と対峙する面持ちで、その視線を受けとめる。

「さて。お互い、相手をするのも飽きてきたよな?」

 山刀の刃を、マモノに向ける。マモノが僅かに姿勢を低くする。ぴりぴりとした緊張が奔る。勝負は一瞬。奴の突進が俺を砕くか――それとも、俺がそれを避け、奴の命を止めるか。

 マモノが動く――両目に力を込める。赤い死線が視界を覆う。時の流れを遅く感じる。

 俺は逆手に持った日本刀の刃を前へと向け、突進してくるマモノの顔面へと跳躍する。

「――――っ!!」

 交差する視線と視線。目前に迫る隻眼に、俺は日本刀を突き刺した。

 マモノの絶叫が響く。深く、恐らくは脳髄の近くまで突き刺さった日本刀は、その衝撃に耐えきれず、根元から折れた。俺はマモノの額に足を乗せ、その顔面に乗りかかると、折れた日本刀を投げ捨てて両手で山刀の柄を掴み、そのまま、マモノの頭へと叩きつけた。鋼の刃は鋼鉄の頭骸を砕き、その額までをバックリと叩き割る。

 鉄を叩くような衝撃が、両腕を痺れさせる。マモノが脳症を撒き散らしながら大きく身体を揺さぶるが、弾き飛ばされないように懸命にしがみついた。

 マモノの咆哮が周囲を揺さぶる。それでも尚、深く刃をめり込ませていくと、やがて、糸が切れたかのように、マモノの動きが止まった。咆哮が止まると同時、世界中の音が無くなったかのような不思議な感覚が身体を包む。

 だがそれも一瞬。ゆっくりと倒れ込むマモノから刃を引き抜くと、俺はマモノの額を蹴り、跳躍した。

 俺が着地すると同時、マモノの巨体が音を立てて横に倒れる。目の前には、土の上で腰を抜かす或原。俺は山刀に付いた血糊を振り払うと、静かに鞘へと戻す。

「大丈夫か?」

「だ、大丈夫って……貴方、ねぇ」

 はぁ。と大きく息を吐く或原。良く分からないが、とりあえず無事そうだ。胸を撫で下ろす。

「貴方、どうしてここに来たのよ? 水無月は?」

「守袖に任せてきた」

「守袖にって……でも貴方が持ってたアレ、守袖さんの刀でしょう? いくらあの子でも、マモノと素手で渡り合える訳ないわよね……?」

「大丈夫だって。言ったろ? アイツは天才なんだ。俺たちが心配する事じゃない」

 とは言え、流石に心配か。

「よし。ほら、立てるか?」

 或原へと手を差し出すと、彼女は、顔を背けながらも、俺の手を掴み、立ち上がった。

「なんで、あたしを助けにきたのよ」

「なんでって、さっきも言っただろ。俺はただ、目の前に助けられる人が居たら、助けようと思っただけだ」

「……ハンッ。さっきも言ったわよね? ここでは、他人に構っている余裕なんてないって。誰かを助けたって、その誰かは貴方を助けようとなんてしない。ただの骨折り損よ?」

 俺は、静かに首を横に振った。

 別に、見返りが欲しいから誰かを助けているわけじゃない。

「或原。お前、前に俺に聞いたよな? 何のために戦うのか、分かっていない。そんな顔してるって。ああ。確かにその通りだ。俺は、ずっと、自分がどうして戦うのか、分かっていなかった」

「…………それで?」

「だから決めたよ。俺は……誰かを守る為に戦う。例え、こんな地獄みたいな場所でも。俺は最後まで、誰も見捨てないと誓う」

「……ハンッ。貴方の瞳は、あくまでも自分に迫る危機しか映す事は出来ない。貴方が不死身であるには、自分を第一に考えた場合のみなのよ? 自分の有利を、他人の為に捨てるというの?」

「そうだな」

 だが、それがどうしたというのだろうか。そもそも、人間が不死身である事自体おかしいのだ。

 一人では死ぬ事が出来ない俺は、転じて、一人では生の実感すら得る事が出来ない。俺は初めから、誰かと一緒に居て、初めて人間になれるような、そんな欠陥だらけの生物なのだ。

「だから、それでいい。一人で惨めに生きるよりは、誰かの為に死ねる方が、よっぽど嬉しい。そんな生き方を選べる自分を誇らしく思う。――だから俺は、なにを言われようと誰かの為に戦い続けるよ」

 それが、俺の選んだ生き方なのだから。

「…………そう。なら、勝手になさい」

 言って、彼女はもう一度、深く息を吐いた。そして、彼女は半ば呆れの籠った頬笑みを、俺へと向ける。

「言っておくけれど、あたしは自分の生き方を変えるつもりはないわよ。あたしは自分の為に戦い、自分の為に死ぬ。貴方に救われたからといって、それは変わらない。あくまでも、自分の利益の為に戦う」

「ああ。それで良いと思う。俺は或原の生き方を否定はしないよ」

 俺が、俺の誓いを胸に戦うように。彼女は、彼女の在り方を貫けば良い。どちらにせよ、死んでしまったら元も子もないのだから。

「……ハンッ。なら良いわ」

どれだけアイツが強くても、水無月を守りながら、不慣れな武器で戦っているのだ。早く戻って加勢しに行かなければ。

 ……ついでに、刀を叩き折ってしまった事に対する言い訳も、今の内に考えておかないと。

 何時もの様に鼻で笑って、彼女は、俺達が元居た方へと踵を返す。

「それじゃあ、戻りましょうか。守袖が心配でしょう?」

 その言葉に、一瞬、俺は呆気に取られてしまった。

「あ、ああ……。え?」

「……勘違いしないで欲しいわね。あたしは別に心配しているわけじゃないわ。ただ、彼女は今のあたし達にとっては重要な戦力だからね」

 だから、こんな所で死なれたら困るのよ。と、彼女は視線を逸らしながら呟く。

「……なに笑ってるのよ」

「んや、別に。……わかったよ。それじゃあ、行こう。或原」

 ふんっと鼻を鳴らして走り出す或原の背中を、俺は苦笑しながら追い掛けた。



 駆け足で二人のいた所まで戻ると、幸いな事に、特に問題はない様だった。片手に拳銃を持った有銘は、俺と或原の姿を確認すると、表情を緩める。

「やあ。二人とも無事で何よりだ」

「ハンッ。お互いにね」

 有銘の言葉に、或原は鼻を鳴らして答える。俺は二人から視線を降ろして、水無月の方へと目を向けた。

「大丈夫だったか?」

「は、はい。あ、ありがとうございます……」

 小さく笑う水無月の顔を見ていると、自分の選択は間違いではなかったと思える。

 ああ、そうとも。例え誰に何を言われようとも――誰かを助けるという行為が、誰かの為になりたいという思いが、間違いである筈がないのだ。

 間違いであってはいけないのだ。

 だから俺は、それを証明する為に、戦い続けよう。

「ふむ。ところで、誠也」

 と、何時の間にか隣に立っていた有銘が、軽く俺の肩を叩く。

「そろそろ、私の刀を変えしてはくれないか? やっぱり、腰に何かを差していないと落ち付かない」

「…………あー」

 ……いや、誤魔化すわけにもいかない。俺は鞘をベルトから抜くと、彼女の前へと差し出す。

「あのー……その、非常に、言いにくいのだが」

「……………………?」

 首を傾げる彼女の顔を見ていると、非常に心が痛む。今からとんでもまく残酷な真実を突き付けようとしているのだから……。

「……ええい。その、悪かった!」

 頭を下げながら、俺は鞘から刃を抜いた。否、そこに存在する筈の刃は、鍔元の辺りからすっかり無くなってしまっていた。

「……………………」

 彼女は無言で、俺の手から刀を受け取る。俺は未だに頭を下げているので、彼女の表情を見る事は出来なかった。もう少し何かを言われると思っていたので、少し拍子抜けだ。

 ……無言で顔を上げる。両手で刀を握った彼女の顔は――なんかこう、あまり見た事が無いような顔をしていた。

「……あ、有銘、さん?」

「――――はっ」

 呆然としていた有銘が、はっと正気を取り戻す。彼女は震える手で刀を鞘に戻すと。腰のベルトに差した。

「い、いや。まあ、その……大丈夫だ。貸した時からこうなる事は覚悟していたし、それに古い刀だったしな! お、折れることだって、ちゃんと、予想していたから……」

 ……すごい。こんなに動揺している有銘なんて初めて見た。普段から冷静沈着というか、何を考えているのか分からない奴だったのに。……とかそんな場合じゃなくて。

「…………落ち込んでる?」

「落ち込んでる……」

 がくり。と肩を落とす有銘。……それはまあ、まるで気にしないなんて事はないだろうと思っていたが。それにしても、こんなに落ち込むとは思わなかった。お陰で俺まで動揺してしまう。

「あ、ああ、有銘。その、済まなかった……」

「い、いや。本当に良いんだ……この刀は、その銘に反して、ずっと誰かを殺す為に使われてきた刀だから。誰かを守る事が出来たというなら、刀も本望だったろう。だから、折れたんだと思う」

 そう言って、彼女は無理やりに笑みを作った。

「この刀は本懐を達したんだ。それはきっと、私では出来なかった。誠也のお陰だ。だから私は、誠也を恨む事はないよ」

 彼女の言葉の意味は、俺には分からない。だが、その刀の持ち主である彼女がそう言っているのだ。なら、俺はそれに納得するしかない。

「そっか…………」

「ああ、そうだ」

 苦笑を洩らす彼女に、俺は笑わず、ただ頷いた。

「そこの二人。何をやっているの? 未だ任務は終わってないわよ?」

 と、片手に無線機を持った或原が、駆け足で俺達の所にやってくる。

「生き残っている仲間と連絡を取ったわ。ノルマは残り三十体。さっさと終わらせてしまいましょう」

 言って、彼女は物言いたげな視線を俺に向けた。

 分かっているとも。俺がここで頑張れば、それだけ、他の隊員のリスクは少なくなる。つまり、俺の目的も、彼女の目的も達成できる。

「ああ」

 彼女の言葉に頷いて、俺は再び瞳を切り替える。命を見る瞳。かつては、忌々しいとしか思えなかったこの両目。

 だが、今はこの眼に感謝をしようと思う。この眼を与えてくれた誰かに、感謝しようと思っている。

 この瞳のお陰で、俺は誰かを救う事が出来る。

 俺は思う。

 例えこの場所が、どれだけの地獄であろうとも。

 今度こそ、誰も傷付けず、誰も見捨てたりなんてしない。

 その為に、俺は戦い続けることを誓う。

 何時か、俺を信じてくれた彼女の――守れなかった約束を、今度こそ果たす為に。

 俺は最後まで、戦い続けると誓おう。

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