3.
一週間の禁錮処分を終えた俺が、迎えに来た春日さんの車で向かった先は、学校の敷地よりも少し離れた山中にある、小さな宿舎だった。小さな。と言っても、それは学校と比べてのことであり、騎士団の宿舎としては平均的な大きさだ。……ただ、随分と古くさびれている事を除けば。だが。
古い錆びれた鉄格子の門の横には、擦れた文字で、九九九隊第十三班。と書いてある。
「……九九九隊?」
騎士団の隊は殆どを記憶しているが、九九九隊なんて聞いた事がない。……というより、そもそも俺は学校に除籍処分を喰らった身だ。そんな俺が、どうして正規軍に?
「……春日さん。ここって」
「ゴメンね。一応守秘義務があって、私からは何も言えないんだ。多分、中に居る誰かが、教えてくれると思うから」
答えながらも、彼女は俺と目を合わせようとしない。あの時、教官として同伴していた彼女も責任を問われ何かしらの罰則を与えられたらしい。その原因となった俺を責めているのか……どちらにせよ、彼女ともう会う事は無いだろう。立花や、守袖と同じく。俺はもう、二度とあの学校の門をくぐる事は出来ないのだから。
「春日さん。今までありがとうございます。それと……」
少し躊躇うが、彼女に頭を下げる。
「………すいませんでした」
「――――――――」
彼女は何も言わずに踵を返すと、そのまま車へと乗り込んでしまう。頭を下げていたので、彼女がどんな顔をしていたのか、俺には見えなかった。エンジン音が聞こえる。俺が頭を上げた時には、彼女はもう、車を走らせていた。
「………………」
一人、門の前に残される。後ろには廃墟の様な宿舎。一度深呼吸をする。どちらにせよ、他に行くところなんてない。この先に何が待ちかまえていようと、俺は向かうしかないのだから。
「さて……鬼が出るか蛇がでるか」
まあ、何が出た所で、死ぬ事はないだろう。今の俺は、実質的に不死者だ。日の光を浴びた程度では死なないが、殺すには心臓に食いでも打ちこむしかないだろう。勿論、ただの比喩ではあるが。
錆びた鉄格子を開けて、敷地に入る。正門までの距離は十メートルとない。両開きの割れたガラス戸の先は昼間だと言うのに暗く沈んでいて、人の気配は無い。その様子は、軍の宿舎というよりも、ミステリ小説に出てくる洋館のようだ。
ガラス戸をこじ開けて中に入ると、埃っぽい空間が広がる。薄暗くて分からないが、どうやらロビーの様だ。目の前に廃れた受付と、周辺にテーブルとソファーが乱雑に置かれており。そして――
「――――っ」
――ヒュンッという風切音と共に飛来してきた何かを、右手の指の間で受け止める。顔の前に飛んできたそれは、一本のナイフだった。
「…………これはまた」
随分な御挨拶だな。なんて思いながら、ナイフを指から離す。暗がりに慣れ始めた瞳が、受付の机の上に座る、一人の少女の姿を目視した。
「――へえ。まさか、受け止めるとは思わなかったわ。やるわね、新入り」
からん。という音を立てて、足元にナイフが落ちる。だが、俺はそれに目を向けず、ただ少女の容姿を確認する。
中性的な雰囲気の少女だった。襟足まで伸びたクセのある茶髪。黒いコートの上からでも分かる引き締まった身体。
「アンタは?」
問うと、彼女はくすりと笑って脚を組んだ。
「人に聞くよりも、先に自分が何者かを説明すべきじゃない? ねえ新入りさん。貴方は自分が何者なのか、説明する事が出来るのかしら」
彼女の言葉に同調するように、辺りから含み笑いが聞こえてくる。よく周りを見渡せば、周囲のソファに何人かの男女が座っていた。どうやら、彼らがこの屋敷の主らしい。あまり歓迎はされていないようだ。なんて思いながら、俺は一歩、足を前に踏み出す。
「――――――――」
再び風切音。今度は掴むでもなく、首を捻って避ける。背後のガラス戸に当たった刃は、あまり好ましくない音を立てて床に落ちた。
再び彼女に目を向ける。と、彼女は信じられないモノを見る様な目で俺を睨む。
「今のを――避けた?」
何の事はない。今の俺に不意打ちは殆ど通用しない。例え目で確認せずとも、全身がその攻撃を、敵の殺意を認識し、自動で避けてしまう。
「……危ないな。死んだら、どうするんだ」
「ハンッ。あの程度で死ぬような人間、どの道ここには要らないわ。それに、ここじゃあのくらい日常茶飯事よ。精々慣れることね」
言って、少女はぴょんと床に降り立ち、俺と対峙する。
「まあでも、今ので大体、アンタの力量は分かった。歓迎はしないよ。新入りさん」
「そりゃどうも。だったら、いい加減説明してくれないか。俺はここの事を何も知らないんだ」
「ハンッ。何も知らないまま連れてこられたなんて、それは悲劇ね。同情するわ」
言いながら、彼女は肩をすくめた。言葉の割に、その仕草からはむしろ嘲笑が見てとれる。俺とて、同情を求めたわけではないで、それはどうでも良いが。
「良いわよ。説明してあげる。でもそれは、もう一人が来てからね」
「もう一人?」
「居るのよ。もう一人。貴方とは別に、今日ここに連れてこられる予定の奴が」
……初耳だった。まあ、そもそもこの場所自体、連れて来られて初めて知った俺が言うのもなんだが。
「ああ、どうやら来たみたいね」
言っている間に、俺以外の『もう一人』とやらが到着したらしい。そいつは、長い髪を靡かせつつ颯爽と庭を歩いてくると、俺が開けたガラス戸から、宿舎の中へと足を踏み入れる。
その姿を見た時、俺は驚愕した。長い黒髪。整った美しい容姿。肩に細長い袋状の何かをかついでいる。だが、何よりも驚いたのは、そいつが、俺の良く知る人間であったからで――
「――守袖?」
呟いた言葉に、俺だけでなく、周囲の奴らにも動揺が広がる。彼らも守袖の事を知っているのだろうか。この、理不尽な天才の存在を。
「ああ。どうやら良いタイミングだったらしい。会いたかったぞ、先崎」
と、そんな周りの反響なんてどこ吹く風で、彼女は旧来の友人にあった時のような親しみやすさで俺に片手を上げた。
「な――なんで、ここに……?」
「何故もなにも、お前の後を追ってきたんだ」
「嘘を吐かないで欲しいわね。この場所は、狙って落ちてこれる様な場所じゃない。特に貴女みたいな、将来を約束された人間はね。一体何をやらかしたの?」
「? そう難しい事でもなかったぞ。要するに、除名されるほどの問題を起こせば良いのだろう? まあ、その為に学校の人間を何人か傷付けてしまったが。だが、一人も殺して居ないから、結果オーライと言った所か」
さらりと。事も無げに、彼女は告げる。あまりの言葉に、俺だけでなく、少女も、周囲の奴らですら、絶句する。
「……ハンッ。それじゃあ、貴女。本当に、自分からこの場所に来たというの? 学校全体を敵に回してまで?」
「そうだと言っている。……いや、学校全体というのは、流石に言いすぎだと思うけどな。私が相手をしたのは、教官を含めても精々百名程度だぞ? 人間百人なんて、マモノ一匹を相手にする時と比べれば余程やりやすいと思うのだけど」
そんな筈がない。確かにマモノは人間を越える力を持っているが、それでも単体の敵を相手にするのと集団の敵を相手にするのでは訳が違う。例え一人が強大な力を持っていても、それは所詮一人の力であり、数の暴力に敵う筈が無い。
改めて思い知らされる。コレが、今代最強と唄われた無敵の天才。守袖有銘なのだと。
だが、それ故に尚の事不可解だった。
「なんで、そこまでして……」
彼女は、ここに来たのだろう……。
その問い掛けに、彼女は、首を傾げると。
「何を言っているんだ。お前は。友達だからに決まっているだろう」
「――――っ」
絶句するのは、果たしてコレで何度目だっただろうか。だが、そのくらい、彼女の言葉は予想外で……。
「友達って……お前」
「……? 違ったのか? 私は、お前の事を、友達だと思っていたのだが……」
しゅんと寂しげに顔を伏せる守袖。いやいや、そんな以外そうな顔をされても、こっちの方が驚きだ。まさか、守袖に友達だと思われていたなんて……。
「だって、お前は何時も一人で居る私に声を掛けてくれたじゃないか」
「…………それは」
……それは多分、守袖が考えているような理由とは違う。ただ、コイツも俺と同じ、孤独を好いている奴だと思っていたから。だから、一緒に居ると、少し落ち付いたんだ。俺みたいな奴がもう一人居るんだって。……だけど。あれ? そういうのを、友達と呼ぶんだっけ……?
「あの時、私は結構嬉しかったんだ。だから今度は、私の番だと思った。だから、私がここに居るのは、それだけの理由だよ」
「…………守袖」
彼女はこの状況にも関わらず、まるで普段と変わらぬ様子で、当たり前のように呟く。その、あまりの自然さが、逆に、彼女がそれを本気で言っているのだと証明していて……。
「……ありがとう」
「構わない。今更だ」
笑いながら、彼女は肩をすくめる。そうして、飛来してきた一本のナイフを、確認する事もなく背中に掛けた袋で払い落した。
「……なんのつもりかな?」
袋を担ぎ直しながら、守袖は少女へと向き直る。守袖に向けてナイフを投げた少女はチッと舌打ちをすると、コートの中に手を回し、再び投げナイフを取り出した。
「今ので当たらない。か。流石は天才ってところかしら?」
「そんなことはどうでも良い。なんのつもりだと聞いたんだ」
守袖が黒髪を靡かせて、少女へと向き直る。少女はそれに対して鼻で笑うと、手元のナイフをいじりながら口を開いた。
「別に。あんたらの慣れ合いが気に食わなかっただけ。ここは第九九九隊。忌まわしき懲罰部隊なんだから。そんなちゃちな友情ごっこは止めてくれないかしら?」
「懲罰……部隊……?」
「そう。罪人、脱走兵、落ちこぼれ。そういう奴らを集めて、普通の騎士には付けない様な最悪の任務に当てる使い捨ての部隊。その中でも第十三班は、問題を起こした騎士候補生の落ちこぼれを集めた班。わかる? 私達は常に死と隣り合わせ……違うわね。死ぬ事を前提に配属されているの。そんな、余計な慣れ合いなんて――見てて吐き気がする」
「ほう――――?」
少女は身体を半歩ずらして、ナイフの切先を守袖に向ける。対する守袖も、袋の端に手を付けると、するりとその中を取り出した。
鉄拵えの――一本の打刀。あらゆる訓練でA級評価を受けた彼女が、中でも特に得意とする得物が露わになる。俺の山刀と同様の特注品で、噂では、訓練生になる前から所持していたという刀だ。
――粛。と、彼女が鯉口に手を掛けただけで、空気が凍るような緊張が辺りを包む。守袖の様子は、明らかに今までと違っていた。冷たい眼光が、目の前の敵を見据えている。
「…………っ」
威圧されてか、少女が一歩、後退する。当然だろう。後ろにいる俺や、周囲に居る奴らですら、緊張で動けなくなっている。その視線の先に居る彼女がどれだけの圧力を受けているのが、考えたくもない。
だから――
「――待った」
一歩前に出て、片手で彼女を制する。
「俺が相手をする。お前、頭に血が登り過ぎだ」
「しかし…………」
守袖は刀を下ろすと、何かを言いたげに口を開く。だが、結局彼女は何も言わず、頭を横に振って、一歩後ろに下がった。
「……分かった。確かに、ちょっと我を忘れかけていた。反省する」
「そうしてくれ」
くすりと笑う。やれやれ。冷静な様でいて、案外で感情的らしい。友達と守袖は言ったが、良く考えれば、そんなことすら俺は知らない。……まあ、その辺はこれから知っていけば良いか。
「――――――――」
二発目のナイフ――俺の腕へと飛んできたナイフを指の間で挟む。更にもう一発、死角から飛んでくるそれを、振り向きもせずに回避する。
「これでも当たらないなんて…………」
俺は、忌々しげに舌打ちをする少女へと向き直り、口を開いた。
「……悪いね。あの程度じゃ、俺はもう死ねないんだ。俺を殺すならこの場所ごと爆破するか、物理的に回避を阻害するしかない。投げナイフ程度じゃ、例え不意打ちだろうと視えちまう」
「視える――? ……ハンッ。なるほど、そう言う事。まあ此処に落ちてくる様な人間だものね。そのくらいはもっているか」
少女は肩をすくめると、コートのポケットから一枚のカードを取り出して、それを俺と守袖へと投げる。
回転しながら飛んできたソレは、綺麗に俺と守袖の手の中に収まった。カードには、第九九九隊の文字と、俺の名前と顔写真が張ってある。
「それがアンタらの身分証明書。そんで、アタシがこの隊の隊長。或原紗螺。ようこそ、新たな騎士諸君」
その台詞とは裏腹に、或原と名乗った少女の台詞は、まるで歓迎している様では無かった。まあ、分かっていた事ではあるが。
「さてと……それじゃあ歓迎も済んだ所で。水無月。後はアンタに任せるわ」
「は、はい……っ!!」
或原に呼ばれて、暗がりから姿を現したのは、小さな、黒髪の少女だった。華奢な身体付きと幼さの残る顔立ちは、下手をすると有里よりも年下かもしれない。
「ほら。アンタらも解散。さっさと部屋に戻りなさい」
隊長さんの言葉に、周囲に居た九九九隊の隊員達は何も言わず、散り散りに宿舎の奥へと去っていく。最後に、或原が毅然とした態度で奥へと消えていった。
ロビーに静寂が落ちる。残されたのは俺と守袖、そして、水無月という名の少女だけだ。
「えっと…………」
「あ、その……九九九隊。水無月兎乃と申します。お部屋まで、案内します……わたしについて来てください……」
水無月は、小さな声でそう言うと、俺達の返答も待たずに踵を返し、隊員達が去っていったのと同じ方向へと歩き出す。
「……………………」
「……………………」
示し合わせたかの様に顔を合わせる、俺と守袖。守袖が目だけで俺に問い掛けてくるので、俺は軽く肩をすくめて、小さな少女の後を追った。
無言で、電気の通っていない廊下を歩く。こうして中に入ってみると、宿舎というよりも廃墟そのものだ。窓ガラスから入ってくる日の光だけが明かりと言えば明かりなのだが、生憎今日は曇天で、ますますその不気味さを増している。せめて、部屋には電気が通っていると良いのだが……。
「なあ先崎。今の」
「ん?」
唐突に守袖に名を呼ばれて、俺は彼女へと視線を向けた。
「なんだ?」
「ああ。別段。大した事ではないんだが。お前、先程の或原とやらと対峙した時、飛んできたナイフを避けたよな?」
そりゃあ、避けていなかったら、恐らくこうして悠長に話している余裕はないだろう。
「いや。そういう話じゃなくて。お前あの時、死角からの攻撃にも、完全に対応していただろう? あの攻撃、常人なら、まず避ける事は出来なかっただろうけど。……アレは、どうやったんだ?」
「……………………」
思わず、沈黙する。さて、どう説明したものか……。いや、そう言えば彼女は俺の能力について、ある程度は知っているんだった。
「守袖は、俺の目が特殊だって事は、知っているよな?」
「ああ。確か、生物の命の光を見る事が出来る……だったか? だが、それだけではあの回避の説明には……」
「そう。俺の目は、普通じゃないモノを視る事が出来る。以前は命の光だけだったが――今の俺には、自分に向かう危機や脅威を、先読みして視る事が出来るんだ。視るだけじゃなくて、感じる事も出来る。だから、俺に死角なんてモノは無いんだ。それが何であれ、俺に危害を加えようとしているものであるなら、この身体が自動的に察知してくれる」
おまけに、自動防衛機能付きだ。今の俺なら、恐らく睡眠中の奇襲ですら回避する事が可能なのではないだろうか。あまり試したくはないが。
「共感覚による危機探知? 死に瀕して能力が進化したのか……? いや、或いはそれが元々のお前の性能なのか。――不死者ね。なるほど。要するに今のお前は、誰よりも死に難い存在。というわけだ」
「そうなる……のかな。別に身体が頑丈になったわけじゃないんだから。普通に致命傷を喰らえば死ぬぞ?」
「同じだよ。確かに致命傷を喰らえば人間であるお前は死ぬ。だけど、そんな過程に意味は無い。だって、どんなに強力な攻撃も、どんなに早い攻撃も、そもそもお前には当たらないんだ。不死身と言うのは死に難いという事を言うんじゃない。そのままズバリ、『死なない』という事を差す。その方法が何であれ」
「…………それは、また」
いまいちピンとこないが、守袖はそれで納得したらしく、腕を組むと一人うんうんと首を縦に振っていた。それにしても、と思う。
「にしても、お前、随分とこう言う事に詳しいんだな」
「ん? ああ。そのことか。なんて事は無い。前にも言っただろう? 私も、特殊なモノが視えると――」
「おやおや――随分と面白い会話をしているね。新入りのお二人さん」
守袖の言葉に割って入って来たのは、廊下の向こうに立つ、一人の青年だった。彼は燃えるような赤毛を軽く掻きながら、軽薄な笑みを浮かべている。
「た、瀧村さん……どうして、ここに?」
先導していた水無月が足を止めて、彼に問う。彼は一度、水無月に目を落とすと、ふっと鼻を鳴らして視線を俺たちへと向けた。
「なあに。ちょっと話をしにきただけさ。或原の『歓迎』の時から気になっていてね。――おっと。そんなに怖い顔をするなよ。オレはアイツと違って平和主義者なんだ」
男は両手を上げて、敵意は無い。というアピールをする。
「オレは瀧村。瀧村昂。この隊の一員だ。宜しくな。新入りさん」
「あ……ああ」
彼は、親しみやすい笑みを浮かべながら、俺に手を差し出してきた。その手を思わず取ると、外見に似合わない強い力で、彼の掌が俺の手を圧迫する。
「ところで、随分と面白い話をしていたね。特殊な目がどうとか言っていたけれど。君は幽霊でも視えるのか?」
「……いや。今のところ幽霊が視えた事はないな」
「そう。それは残念だ。いやねぇ。ここには他人に視えないモノが視える奴なんてゴロゴロ居るからさ。一人くらい幽霊が視える奴が居ても面白いと思ったのだけど。残念ながらまだそう言う類には出会った事が無くてね」
「……沢山居る、だって?」
「ああそうとも。なにしろこの部隊は、騎士候補生の落第者を集めた部隊だからね。他の能力はからっきしなのに、一分野だけが異常に突出した実力者。オールマイティな天才ではなく、ひたすらにスペシャリティな異才。性能は凡人並のくせに、人外の力でマモノと渡り合う異能力者。ここはそういう、『秀才を超えた落ちこぼれ』達ばかりだ。君だってそうだったろう? かくいうオレも、ちょっと人とは違うことが出来てね。――さてどうだろう? 君にだったら、見せてやっても良いと思うのだけど」
「――――――――っ!?」
――まずい。全身が警告を鳴らし始める。駄目だ、このままコイツの手を握っていたら、俺は死ぬ。原因も理由も不明だが、不死者としての直感が俺にそれを告げている。
「…………っ!!」
得体のしれない恐怖に腕を振り払おうとする。だが、彼の腕はしっかりと俺の手を掴んで離さない。切り替えた覚えもないのに、視界が赤で満たされる。要するに、それだけ危機的な状況に居るというわけで。
「――その辺にしてもらおうか。瀧村とやら」
ガシッと、瀧村の腕を守袖が掴む。それだけで、鉛の様だった彼の掌が、あっさりと俺の手を放した。
「それ以上、私の友達に危害を加えようとするなら、私も容赦はしないぞ」
「危害だなんてとんでもない。オレはただ、友好の証に握手をしていただけだぜ?」
「嘘だ」
白々しい瀧村の言葉を、守袖は一蹴した。瀧村は鼻を鳴らして笑うと、守袖に向き直り両手を上げる。
「オーケー分かった降参だ。だからそう睨まないでくれないか。コイツはともかく、アンタとは仲良くしたいと思っているんだよ。守袖」
「お断りだ。お前みたいな嘘吐きと友達なんて、頼まれたってなるもんか」
瀧村は困った様に苦笑すると、上げた手を降ろして首を振る。
「それは残念。アンタには興味があるんだけどな。オレたちと同じ一芸に突出した異才でありながら、同時に天才の性能を併せ持った天災さん? アンタみたいな奴は、ここじゃあ目の敵にされるぜ。なにしろ落ちこぼれの集まりだ。エリートに対する劣等感は人一倍さ」
「お前もそうなのか」
「まさか。割り切るのは得意なんだよ。オレは。どうせ敵いっこないんだから、恨んだ所で意味なんて無いさ。……それじゃあ、また会おうか。お二人さん」
彼はくるりと踵を返すと、立ち尽くす水無月に目を向けて、彼女の頭に手を置いた。
「ちゃんとお二方を案内してあげろよ。水無月ちゃん」
「あ、は、はい……」
水無月の返答を聞くと、瀧村は笑いながら暗い廊下の向こうへと消えていった。
「……私、アイツは嫌いだ」
ぼそりと、顔を顰めた守袖が呟く。まあ、彼女の気持ちも分からなくもない。俺も、アイツは苦手なタイプだ。
「す、すいません……」
守袖の独り言を聞いた水無月が、何故か顔を俯けて小さく呟いた。
「で、でも、瀧村さんはアレでも優しい方なんです。わたしにも、普通に話しかけてくれますから……」
「? どういう事だ?」
「あ、いえ……。その……何でもないです……。こ、こっちです。はぐれずに着いて来てください」
再びくるりと踵を返し、先へと進む水無月。
「……なんなんだ?」
「さあ…………」
彼女が何を言いたかったのか、全く理解出来なかった俺と守袖は、顔をあわせて首を傾げた。
♪
宿舎の部屋とやらは、学校の時とは違い一人部屋だった。まあ、この規模の宿舎に対して、十三班はたった十数名の少年少女達の集まりなのだから、スペースに余裕が出来るのは当然か。
一番の懸念であった電気は普通に通っていた。水無月に聞いたところ、少ない電力でやりくりする為に廊下やホールは基本的に電気を付けないらしい。誰も気にしていないらしいが、しかし、こうも薄暗いと、ただでさえ暗い気分が余計に滅入ってしまう。
先に送った荷物は問題なく部屋に届いていた――荷物といっても、鞄一つ分の着替えと、銃器類くらいなものだが。整理をする余裕も無く、カビ臭いベットに身体を倒す。時刻は夕方、黄昏時。もうそろそろ、日も暮れる。そう言えば、食事はどうするのだろうと考えたところで、不意にノックの音が響いた。
「先崎? 居るか? 私だ」
「守袖?」
身体を起こし、扉の方へと歩いて行く。ドアノブを引いて扉を開けると、そこには守袖が、片手に刀の入った袋を担いで、相変わらずの調子で立っている。
「どうした? 守袖」
「いや。そういえば食事が未だだなぁと思って。食堂は無いが、調理場と食材は自由に使って良いらしいから、お前の分も作ってやろうかと」
「ああ、それは助かる。正直、どうすりゃいいのか途方に暮れてたところだ」
彼女はにっこりと笑うと、踵を返して歩き始めた。にしても、守袖は料理まで出来るのか……ますます完璧超人だな。
「うん、それじゃあ行こうか。先崎も着いて来い」
「……何か手伝えばいいのか?」
「何を言っているんだ」
守袖は、きょとんとした顔で俺を見つめると、肩に担いだ袋を軽く揺らして、こう言った。
「どうせ、大して腹も空いていないだろう? 腹ごなしに一つ打ち合ってみよう。付き合え、先崎」
「――――え?」
……で。
「……それで、どうしてこんな事になっているんだ?」
宿舎の中庭、日も陰って来た中で、片手に山刀を携え、前に立つ守袖と対峙する。
「良いじゃないか。一度、お前とはやってみたかったんだ」
対する守袖は、浮き浮きとしたようすで袋から取り出した刀を握っている。
「学校では中々機会が無かったしな。よしんばあったとしても、今みたいに本気でやりあえる機会はまあ、まず無かっただろうし」
「そりゃ、そうだろうなぁ…………」
片手に下げた山刀の刃を見つめながら、俺は小さく息を吐いた。落ちこぼれの俺ならともかくとして、もしもコレで守袖を傷つけでもしたら、それこそ一発で除名処分だったろう。
山刀の切先を少女に向けながら、俺は守袖に問う。
「刀、抜かないのか?」
「ああ。抜いたら、殺してしまうかもしれないからな」
大した台詞だ。コレが天災と呼ばれた少女の自信なのだろうか。
……だがまあ。正直なところ、俺も少しだけ気になっていた。守袖が無敵の天災であることは重々承知しているが、俺は、彼女が実際に戦っている姿を見たことがない。
そしてもう一つは、この瞳が、彼女に通用するのかどうか。と言う事だ。過去の俺ならともかく、今の『不死者』としての俺ならば、彼女と渡り合えるのではないかという直感。その感覚を、確信に変える為に――
「――よし。本気で行くぞ、守袖」
「ああ。私も、全力で相手をしよう」
鞘ごと刀を構える守袖。構えは正眼。俺は一度瞳を瞑り、視界を切り替える。彼女の姿が赤色に変わり、周囲の色が消えうせる。視界から余計なモノが消え、映るのはただ、無敵の少女。
「――――ふっ」
片手に山刀をぶら下げたまま、俺は姿勢を低くして少女へと疾駆する。
何も考えていない愚直な突進の様に見えるが、俺の性能は未来予知と危機回避だ。例えどのような状況で、どのような一撃であれ、この身に迫る一撃は全て避けきれる。――それが例え、どのような速度であろうと。
守袖は刀を構えたまま動こうとしない。間合いは既に互いの射程圏内だ。――取った。守袖の身体が僅かに揺らぐ。だが、この距離ならば、俺が山刀を振るう方が早い――!
「し――――っ!!」
――途端。視界が赤色に満たされた。
「…………っ!?」
山刀から手を離し、慣性の法則に抗いながら、全力で後方へと飛びずさる。刹那の差で、先程まで俺の首があった所を、守袖の刀の鞘が通過していった。
「ぐ…………っ!!」
おかしな態勢で背後へと跳んだ俺は、それでも二度三度草の上を転がってから、守袖へと対峙しなおす。直後、俺の手から離れた山刀が、守袖の背後に突き刺さった。
……敗北した。山刀を手放したから――ではない。初めから気付くべきだった。俺の目は、自らの生存の可能性を映す。その瞳が、何も映して居ないわけを。生き残りたければ、彼女と戦ってはいけない。全力で逃走するべきだったのだ。
「…………なんて」
……出鱈目な強さ。並のマモノなんかより、コイツの方がよっぽど恐ろしい。なるほど。天災などと呼ばれるわけだ。
だが、対峙する彼女は刀を下ろすと、感心しているような、腑に落ちない様な、何とも言えない表情で、俺を見つめていた。
「今のを避けるか――確かに取った筈なのに。成程、確かにお前の力は本物らしい。戦いは痛み分けか」
「何言ってんだ。痛み分けもなにも、普通に俺の負けだろ。今の、もしも鞘が無かったら確実に首を刎ねていた」
「もしも鞘が無かったら、多分お前は私に向かって気さえもしなかったろうさ。そういう意味でも私だって勝ったとは言えないよ。……いやね、そういう事じゃなくて。私はあの時、確かに取った筈なんだ。なのにお前はそれを避けた。それが、私にとっては一番不思議な事なんだ」
なんて、守袖は当たり前の様でいて、まったく当たり前じゃない事を口にする。
「…………? どういう事だ?」
「ああ。そう言えば、先崎には未だ話していなかったっけ。……うん。そうだな。良く考えれば私はお前の能力を知っていたのに、お前は私の秘密を知らなかったわけだ。しまったな、この戦いは全くフェアじゃなかった」
「ちょっと待て。お前の秘密ってのはなんなんだ? お前の強さと関係があるのか?」
問うと、彼女は刀を袋にしまいながら、軽く頷いた。
「うん。実はそうなんだ。今まで誰にも教えなかったし、そもそも聞いてくる人も居なかったけれど。お前になら教えてあげる。お前と私は、視えているモノが違うだけで本質的には同じだからな」
「同じ……? 俺と、お前が?」
「そう。私の目もお前と同じでね。人とは違うものが視えるんだ。お前は命が視えるらしいけれど、私は死が視える。正確には、対峙する敵を確実に殺す為に、どんな風に剣を振れば良いのかが視えるんだ。私はただ、視界に映る数秒先の未来の通りに刀を振るう。それだけで確実に相手は死ぬ。お前と同じ共感覚性。人間には必要の無い性能。だけど、私の身体はただ『殺す』事だけに特化していて、お前の力は『生きる』事に特化している。だからお互いにやり合うと、見事に痛み分けになってしまうと。――私の一撃を避けたのは家族以外ではお前だけだ。うん。やっぱり、私はお前が気にいった」
言いながら、彼女はにへらと笑うと、後ろに突き刺さる山刀に手を伸ばした。
「よいしょ。……なんだコレ。無茶苦茶重いな。お前、よくこんなのを片手で振り回せるなぁ」
「俺はお前と違って才能も能力もないからな。単純に重さと力で叩き割る方が、マモノを相手にするならやりやすいんだよ」
俺は、守袖が両手で抱える山刀を片手で持ち上げると、軽く振って土を払い、鞘へと納めた。守袖は感心しているのか、魔の抜けた声を上げる。
「見かけによらずパワー系なのか……」
「うっさい。それよりも、いい加減飯を作ってくれ。出来たら日が暮れるまでにシャワーは浴びておきたい」
「ああ、そうだな。分かった。付き合ってくれた礼だ。腕によりを掛けてやろう」
そう言って笑う彼女は、凛々しい容姿や先程までの雰囲気とは反して、とても可愛らしいものだった。
♪
守袖の食事は普通に美味かった。普通に……というよりも、その辺の料亭で出されたとしても、何の問題もないレベルで。
アイツに弱点は無いのか。なんて考えながら、シャワーを浴びて部屋に帰る途中、廊下の窓から中庭へと目を向けると、一人の少女が、立っていた。
あれは……確か、或原とか言ったか。
或原は俺に背中を向けたまま、片手に一本のナイフを持ち、特に狙った風もなく、無造作にそれを投げる。回転しながら飛んでいったナイフは、そのまま向かいの窓の上に置かれた何かに辺り、廊下の中へと落ちた。
「…………上手いもんだな」
話しかける気は無かったのだが、その一連の動作に、あまりにも無駄が無く美しかったので、つい口から出てしまう。
「ハンッ。こんなの、そう難しい事でもないわよ」
或原は鼻で笑うと、今度は三本のナイフを指で挟み、再び投げる。別の方向に飛んでいったそれらは、それぞれ別の木へと突き刺さった。
「だってあたしは、自分のイメージ通りに投げてるだけなんだから。当たるイメージで投げているんだから、当たるのは当たり前でしょう」
言って、彼女は俺が顔を出す廊下側の壁に背を預ける。当然の様に言う或原だけど、当たり前だがそんなバカな話は無い。イメージするだけで必ず的に当たるのなら、俺の射撃の腕は此処まで悪くなかっただろうに。
「――それとも。それがお前の力ってわけか?」
「ハンッ。まあそうなるんでしょうね。あたしさぁ、本当にイメージだけでどんな距離でも、どんな得物でも当てる事が出来るわけ。対物ライフルの初演習で百発百中した時には、流石に周りの目が痛かったわ」
やれやれ。と、彼女は肩をすくめる。
「でもね、あたしに出来るのってそのくらいなのよ。例えどれだけ射撃の腕が上手くても、それを集団で活かす技術があたしにはない。ここにいる奴らは皆そう。協調性が無いとか、そう言うレベルじゃないの。あたしたちは誰もがジョーカーだから。そもそも他人の助けなんて要らないんだ」
「……でも、それは」
……その言葉に、頷く事は出来ない。そうやって自分の能力を過信し、依存し過ぎた結果、俺は……彼女を、殺してしまったのだから。
「割り切りなさいよ。割り切って、納得するの。そうでないと貴方――死ぬわよ?」
「……………………」
「分かるわ。貴方、自分がどうして戦うのか、どんな風に戦うのか、分からないって顔してる。時々居るのよ。ここに来たばかりの奴で、そういう顔してる奴。それで、大抵はそういう奴から死んでいく。ここでは、自分以外に頼れるものなんて存在しない。生き残りたいなら、精々注意することね」
ひらひらと手を振って、去っていく或原の背中を見送る。
「……割切れ、ね」
……図星をさされ、ぐぅの音も出ない。
昔、俺にとって戦う事は、生きる事だった。他に理由も目的も無かったから、ただ、自分が生きる為だけに戦い続けて。それに疑問を覚える事も、無かったと思う。
でも……あの日から、俺は戦う意味を見失ってしまった。俺の力が覚醒した時。……そして、彼女が死んだ時。
「…………有里」
思い出すのは、彼女の笑顔。俺を救い、そして絶望させた一人の少女。本当の所、懲罰部隊がどうとかなんて、俺にはどうでも良い事だった。本来なら、死んでいるべきは俺だったのだから。なのに、俺は未だ生きていて――死んだのは有里で。
残された俺は、こうして、行き恥を晒しながら、生きている。
「ああ、そうか……」
そうして、ようやく気が付いた。
「……俺は、死んでしまいたいのか」
笑ってしまう。あの頃の俺は、生きる為に戦っていた。だけど、今の俺は、死ぬために死地に赴くわけだ。
死ねる筈も、無いのに……。
未来を望んだ彼女が死んで。死を懇願する俺は死ねないだなんて。人生とは、なんて皮肉なのだろう。
次回更新は12月24日20時予定