壁の鏡の精 ~異説白雪姫~
※注意:白雪姫は登場しません。
一幕、
王妃は言いました。
「鏡よ鏡、壁の鏡の精よ。この国で一番美しいのは誰」
壁の鏡の精は答えます。
いえ、答えなくてはなりませんでした。
「ここで一番美しいのは王妃様、あなたです。でも、この国一の美しさは白雪姫です」
「……」
王妃は黙りました。
激怒すると覚悟をしていた壁の鏡の精は、不思議に思い様子をうかがいます。王妃は引き出しを探ると、豪奢な手鏡を取り出しました。そして真剣に覗き込むと、
「鏡よ鏡、手鏡の精よ。この国で一番美しいのは誰」
宝石細工である以外は、ごく普通の手鏡です。返事はしません。
(魔法の鏡なんて、そうそうありませんよ王妃様……。女心ってやつですか)
壁の鏡の精は寂しい気持ちになりました。
二幕、
相変わらず、王妃は言います。
「鏡よ鏡、壁の鏡の精よ。この国で一番美しいのは誰」
溜め息混じりに壁の鏡の精が答えようとすると、
「待って」
王妃は何事か考え始めました。
初めて宝物庫で出会い、封印を解いてくれた頃はもう遠い昔のようです。
国一番ではない。けれど壁の鏡の精は、王妃の思案する横顔を変わらず綺麗だと思いました。
「決まったわ」
無駄に明るい王妃の声に、壁の鏡の精は現実に引き戻されました。
「こう聞けば良かったのよね?」
嫌な予感がします。
「鏡よ鏡、壁の鏡の精よ。円熟した大人の魅力ムンムンで、この国一美しいのは誰」
(人の言の葉、上っ面の問題ではないですよ王妃様……)
壁の鏡の精は空しさに襲われました。
三幕、
そろそろ限界だ、と壁の鏡の精は思いました。
懲りずにまたもや王妃が言います。
「鏡よ鏡、壁の鏡の精よ。この国で一番美しいのは」
「あなたは美しいよ」
王妃の目は真ん丸です。驚いています。
それは当然でしょう、壁の鏡の精はいつもの言葉遣いを止めました。しかも怒声です。
「あなたは美しい。何度でも言う。――――もう精霊としての役目なんてご免だ」
壁の鏡の精は人の姿をとり、王妃の前に立ちました。この孤独な女をまるごと抱きしめるために。そして自分の腕の中、身を硬くする王妃の耳元で囁きました。
「国一番かなんて無意味だ。私は私の価値観しか知らない。初めて見た時からあなたを美しいと思っている」
王妃の睫毛が真珠のきらめきと熱を帯びて、柔らかく震えました。
「あなただけを、美しいと思う」
終幕?
「ここはどこ」
「まあ、精霊の苑とでも」
「たった今考えたのでしょう。壁の鏡の精改め、拉致軟禁の精」
「ふうん、それは変だ」
精霊は言葉を切ると、さも愉快そうに笑いました。
「時の流れが特殊だから容姿を永久に保てる、と言ったら即時に同行を願った姫君?」
「ひ、姫君って呼ぶのは止めて」
「では永遠に好いてくれるか、私の美しい人よ」
元王妃、現精霊の姫君は少し考えて、
「……あなたの性別が男性固定なら」
「私はどちらでも良い。だから姫君の願いのままに」
(人の形をとるのは面倒だが、悪くない)
そう思うと精霊は嬉しくて、羞恥と僅かな怒りとで頬を朱に染める美しい人を何度も抱きしめました。
精霊とその姫君は、いつまでも幸せに暮らしたということです。
(了)
『青空文庫』(著作権切れの名作の数々を紹介している良サイト)で、白雪姫(グリム童話)を読みました。作中に「壁にかかっている鏡よ」という表現がありました。
何故わざわざ壁と限定するのと、思わず笑ってしまいました。そしてそこからヒントを得た話です。




