第4話 藤堂翔への復讐
藤堂翔――代々医療界を支配してきた名門『藤堂総合医療センター』の御曹司。彼の一族は政財界とも深い繋がりを持ち、医療業界に強大な影響力を誇る。
翔自身もエリート医師として名を馳せていたが、その実態は悪辣だった。
誤診や手術ミス、薬剤の誤投与による死亡事故ーーすべて病院側が記録を改ざんし、自然死として処理。投与ミスで後遺症が残った患者には、示談金を握らせ口を封じた。さらに、製薬会社と癒着し、違法な治験を繰り返していた。
未認可の新薬を健康な患者に投与し、重篤な副作用が出てもカルテを書き換えて責任逃れ。貧困層を狙い、報酬をちらつかせて十分な説明もないまま治験を受けさせる。失敗すれば「持病の悪化」と偽り、遺族に口止め料を支払って沈黙させた。
そんな悪行は長年、巧妙に隠されてきた。しかし今、その全てがレイカの手によって白日の下に晒されようとしていた。
◆◇◆
レイカは翔の病院に自ら潜入するため、慎重に計画を練った。まず、藤堂総合医療センターの外部委託清掃員として偽の身分を用意し、数週間にわたって病院内の構造やセキュリティを観察した。さらに、病院のデータ管理部門に出入りするスタッフの行動パターンを把握し、最も警戒が緩む時間帯を見極める。
次の段階として、翔の部下の一人に接触。裏社会のコネクションを使い、金と弱みを利用して彼を買収する。彼の弱点は、横領と不倫だった。病院の研究費の一部を個人口座に流用していた証拠を掴み、さらに社内で隠れて関係を持っていた既婚女性とのやり取りも押さえた。
凛は証拠を並べ、男に低い声で告げる。
「これが世間に出たら、君のキャリアも家庭も終わるわね」
男は青ざめ、震える手で汗を拭った。
「……何をすればいい?」
「ただ、私の指示通りに動くだけよ」
内部のアクセス権を手に入れた凛は、病院の電子カルテシステムに侵入し、患者データを調査。そこには、健康な患者に意図的に投与された未認可薬の記録まで残されていた。
「これは決定打ね……」
次に、被害者の遺族へ接触を試みる。最初に訪れたのは、ある老夫婦の家。彼らの娘は藤堂総合医療センターに入院中、突然命を落とした。病院側の説明は急性疾患によるものだったが、入院前は健康で、命に関わる病気を抱えていたわけではない。
レイカがカルテの改ざんや薬剤の誤投与を示す証拠を提示すると、老夫婦は沈黙を破り、泣き崩れた。
「私たちもおかしいと思っていたんです。……でも、病院から示談金を提示され、騒ぎを大きくしないように言われたのです。とても強引で、私たちは恐ろしくなってしまって……」
次に訪れたのは、かつて藤堂総合医療センターで働いていた元看護師たち。彼女たちは不審な投薬ミスや患者の病状悪化を何度も目撃していたが、異議を唱えた途端に解雇されていた。
「知っていることを話したら、もうどこでも働けなくなる……そう言われました。でも、もう怖がるのはやめます」
彼女たちの証言に加え、複数の患者の遺族からも病院の圧力についての証言を得ることができた。
それは、レイカだからこそ引き出せたものだった。レイカは時代の寵児と呼ばれる成功した女性実業家。莫大な資産と広い人脈を持ち、メディアでも大きく取り上げられる存在だ。その影響力ゆえに、大病院を相手取っても決して潰されないと証言者たちが確信できたからこそ、彼らは声を上げる決意をしたのだ。
こうして、藤堂一族が権力を利用してもみ消してきた真実を、次々とレイカは暴いていった。
まず、レイカは藤堂家の影響が及ばない強力な医療グループと手を組んだ。証言者たちはそこで保護され、新たな職を斡旋された。同時に、レイカの手によって藤堂総合医療センターの不正をまとめた告発資料が、海外の医療ジャーナルやニュースサイトへとリークされる。
「日本の名門医療機関に潜む闇――患者を犠牲にする危険な治験」と題された記事は、瞬く間に拡散され、海外メディアが大々的に報道。それを逆輸入する形で日本のニュース番組やネットメディアが一斉に取り上げ、大炎上し始める。
ある日、テレビ局の報道番組が翔の病院をいきなり直撃する。
「藤堂先生、誤診や手術ミス、薬剤の誤投与についてコメントを! 違法な治験行為も繰り返していたんでしょう?」
カメラのフラッシュが光り、ゴシップ記事を書く記者たちも一斉に詰め寄った。
「違う……これは何かの間違いだ!」
翔は必死に否定するが、すでに証拠は揃っていた。今回の報道は国内の政治的圧力が及ばない海外メディアが発端だ。藤堂家に便宜を図ってきた政治家も、国外からの暴露に対しては抑え込む手立てがなかった。「海外で報じられたスキャンダル」として日本に逆輸入され、藤堂総合医療センターの不正は国内外で炎上。否定すればするほど、海外メディアのさらなる追及を招くという悪循環に陥った。
政治家たちは、藤堂家と深く関わりすぎたことで、今回の事件を庇えば自分たちにも火の粉が降りかかると察した。もはや不正を隠蔽することは不可能。そこで、彼らは早々に藤堂家との関係を切り捨て、事態が悪化する前に距離を置くことを決める。
「今庇えば、共倒れになる……」
そう判断した政界の人間は、藤堂一族のスキャンダルを見て見ぬふりをし、自らの保身に走った。
数日後、翔そしてこれに関与していた藤堂の父親をはじめ、一族のほぼ全員が逮捕された。
翔は信じられないという表情で警官に囲まれている。
「俺が……逮捕される? 冗談だろう?」
翔は戸惑い、必死に周囲を見渡す。これまで自分の言葉一つで動いていた病院の看護師や末端スタッフたちは、皆、軽蔑や恐怖の入り混じった視線を向けるばかりで、誰一人として彼の目をまともに見ようとはしなかった。かつては権力を誇示し、医療界の寵児として称賛されていた彼が、今や犯罪者として扱われているのだ。
「俺は一流の医者なんだぞ。やめろ! カメラを向けるな! 撮らないでくれよ!」
叫んだところで、何も状況は変わらない。むしろ、記者たちはますますカメラを向け、彼の絶望に満ちた表情を嬉々として映し出していた。
「どうしてだ……? 俺が……逮捕されるなんて……」
翔は違法な治験によって複数の死者を出した責任を問われ、業務上過失致死罪と詐欺罪で起訴された。さらに、カルテの改ざんによる死亡原因の隠蔽が発覚し、文書偽造罪と証拠隠滅罪が加わる。その結果、執行猶予なしの実刑判決が下され、懲役10年の刑に処されることとなった。
◆◇◆
逮捕から数日後、翔は拘置所の薄暗い面会室に座っていた。目の前の分厚いアクリル板越しに、ひとりの女が微笑みながら座っている。
翔は目の前の人物をじっと見つめた。栗色に染めた髪をふんわりとカールさせた美女。アイボリーのシフォンブラウスに淡いラベンダーのフレアスカートが、上品で優しげな印象を与えていた。女性実業家としてあまりにも有名な女性だ。
「黒木レイカ? ……なぜ俺に会いに来たんですか? 面識なんてないはずだけど」
「久しぶりね……カケちゃん」
その瞬間、翔の背筋が凍りついた。
まさか、そんなはずはない——だが、その声と呼び方には明らかに覚えがあった。
かつて、凛だけがそう呼んでいた特別な呼び方――カケちゃん。
「凛は死んだはずだ。でもまさか…… 」
「人の噂はあてにならないわよ」
正体も明かさず帰ろうとするレイカを見つめながら、翔は震える唇を噛んだ。
「お前は凛なのか? お前が俺に復讐したのか?」
「私にそんな力があるはずないじゃない?」
「いや、今のお前ならあるはずさ。そうか……美優も破滅した。今度は俺の番だったってわけか」
翔の声は震えていた。鋭く睨みつける目の奥に、憎しみと憎悪が浮かんでいる。
「……このまま終わると思うなよ。俺はこれからお前に何倍も復讐し返してやる!」
「終わる? 何を言ってるの、カケちゃん。復讐はこれからよ。以前、薬剤の誤投与で亡くなった女性を覚えてる? あなたが隠蔽し、わずかな示談金で口封じした老夫妻。彼らの息子が、この刑務所の所長なの。妹を溺愛していたらしいわ。あと、刑務官や囚人の中には、私の息がかかった者も大勢いるのよ。どう? 楽しい生活になりそうね」
レイカの声は甘やかで、けれど酷薄だった。翔の顔が青ざめ、次の瞬間、絶望に染まった。
この事件を受け、厚生労働省は藤堂総合医療センターへの行政処分を発表。医師免許を持つ藤堂家の関係者たちは「医道審議会」により免許剥奪の審査を受けることが決定された。特に翔の行為は悪質と判断され、医師免許は即時取り消しとなった。
また、藤堂総合医療センターへの保険適用資格が剥奪され、患者の診療報酬請求が不可能となったことで、病院の経営は一気に悪化。銀行も融資の打ち切りを決定し、信用を失った病院に患者は戻らず、あっけなく病院は閉鎖された。
一方、遺族や被害者たちはレイカの支援を受け、次々と民事訴訟を起こし、賠償額は数十億円に上る見込みとなった。病院の資産は差し押さえられ、藤堂家の莫大な財産も次々と凍結されていく。
かつて名門と呼ばれた藤堂一族は、あっという間に没落し、藤堂総合医療センターは、かつての威厳を失ったまま廃墟となっていくのだった。