第10話 言い伝え
一葉たちが小型船でお社の庭に直接乗り付けると、玄関口には多くの鬼人たちが詰めかけていた。
数は五十を超えるだろうか。青年から老人までの様々な年の鬼人たちが集まっている。
彼らは騒ぎはせず、だが不安そうにひそひそと囁き合いながら、中の様子を伺っているようだった。
「通してくれ!」
ライトが彼らの間に割って入り、中に入るための道を作ろうとする。
初めの数人こそは動きが鈍かったものの、直ぐに予期せぬ闖入者に驚いたのか、人垣がさっと割れた。
「ライト・ミナリー……?」
「返ってきたのか」
「よそ者だ……!」
「何でよそ者が!?」
ライトの後ろに続き人々の間を通っていく。
左右からは聞こえるのは、小さくとも嫌悪の孕んだ囁き声。
そして異端者を見るような視線と敵意。
「――――ッ」
初めて体験する、多くの人から向けられる強い負の感情に心が委縮する。
ソレは、新たなる獣が与えてくるモノとは別種の不快感。
まるで自分はココにはいてはいけないと、そう思わされる圧力に自然と冷や汗が出てきた。
早く通り抜けようと歩みを進める。
しかし、僅かな距離がとてつもなく長く感じた。
(……ん?)
色褪せそうになった世界を、右袖に生じた違和感が引き戻した。
軽く何かに引っ張られたような感覚。
見ると、緋色の左手がまるで支えを求めるように裾の端を握っていた。
「――――」
指先から伝わる不安感に心を奮い立たせる。
動転している場合ではない。
少しでも彼女の支えにならねばと、顔を上げ、しっかりと前を向いた。
「……大丈夫」
そして隣の彼女だけに聞こえるようにそう言って、大股で数歩を進んだ一葉は建物の中に入った。
最後の緋色が入ったことで力強く扉が閉じられ、鬼人たちの視線が遮られる。
プレッシャーから解放され事で、一葉と同じように悪寒が止まったのだろう、右袖から手を離した緋色は、
「ありがと」
と顔を見せぬまま小さなお礼の言葉だけを残し、既に建物に上がり込んでいる〝永久の風〟を追って先に行ってしまった。
(……どういたしまして)
軽くなった右腕の感触に僅かな寂しさを感じながら、一葉も皆の後を追いかけた。
そうしてバタバタと全員で廊下を走り、たどり着いたのは子どもたちとカードゲームで遊んだ大広間だった。
ライトが襖を勢いよく開ける。
「――――!」
そこに、子どもたちが寝かされていた。
一緒に遊んだ、コウト、ユルミ、デンソウにソウタの四人。そして、一緒には遊ばなかった年の近い鬼人の子たち。
一葉の知る限りお社にいた子どもたち全員が横になり、彫刻のように微動だにせずに横になっていた。
その光景と静まり返った空気に、良くない想像が一葉の頭をよぎる。
「そんな……」
緋色が驚きに声を上げた。
一葉も声には出さなかっただけで、思いは同じだった。
病気から快復し、昨日はあんなに楽しそうに遊んでたのに、何故、彼らがまるで病人のように倒れているのか。
「お主ら!」
大広間にいたのは子どもたちだけではなかった。
こちらも記憶に新しい、ライトを怒鳴りつけていた村長とその取り巻きが、勢いよく立ち上がって先日の焼き直しのようにライトに迫った。
「お主ら、子どもたちに何を飲ませたのだ!?」
だが以前とは違う、どこか縋るような声にライトも言葉を返せないでいた。
数秒の沈黙の後、怒りの矛先を失ったように老鬼人が力なく一歩を下がり、項垂れた。
「今朝、突然こうなったらしい……」
「……生きているのか?」
「生きてはいるようだ。息はしている。だが、氷のように固くなり、目を覚まさんのだ。……もう一度問う。『薬を持ってきた』とそう、言っていたな。何を飲ませたのだ?」
「何って――」
「アルマ病の薬よ」
老鬼人とライトの会話を遮って、オリガが言った。
「世界中、どこでも飲まれてる鬼人向けの薬。だから、これは薬のせいなんかじゃない」
原因は別にあるのだと、そう力強くオリガは主張する。
「私に診せて!」
「ならん」
子どもたちに向かって一歩を踏み出そうとした彼女を、取り巻きの鬼人たちが遮った。
「どうして!?」
「信用ならん。これはお前たちのせいだ」
まるで根拠のない老鬼人の宣言に、しかし取り巻きの二人は一切の疑いなども見せず、決して子どもたちにオリガを近づけさせまいとする。
「私たちのせいなんかなじゃないってば!」
「薬のせいでないなら、やはりよそ者が……。二百年前の……」
オリガの抗議は、もはや老鬼人には届いていないようだった。
既に彼女を見ることも無く、何かをぼそぼそと呟く老鬼人。
その彼の様子にしびれを切らしたようにオリガが目の前の鬼人を押しのけようとし、
「――――リンはどこだ?」
ライトの発言で止まった。
彼の妹の姿は、確かにその場にはなかった。
他に病気にかかっていたであろう全員が大広間で横になっている。
しかし、彼女だけがそこにいない。
「あいつを、どこにやった!?」
「あやつだけは、病気にかかっておらん。故に、土地神様のところに向かわせた」
「な――!?」
「お主にも教えたであろう。それでこの者らは助かるのだ」
老鬼人の発言に、目を見開いて絶句するライト。
(土地神……?)
「これも巫女の役目であろう」
「お前ら、まさか!」
「見よ! あの子らを。まるで死人のようではないか! 『村人が生きながらにして死人のようになった』という言い伝えと同じではないか!!」
老鬼人は語気を荒げながら奥で寝ている子どもたちを指さし、
「二百年前は巫女を贄とし、それで病は収まった。そして、贄を捧げなければ村人全員が病にかかると、そう伝えられているのだ!」
贄、という言葉に、
(まさか……、そんな)
そこでようやくこの老鬼人が何を話しているのかを理解できた。
「馬鹿野郎どもが!」
一葉の理解を裏付けるように、急ぐように踵を返し部屋を出てこうとするライト。
その彼を、
「行かせるな!」
取り巻きの二人が掴みかかり、阻止しようとした。
「邪魔を、するな」
けれど初老になろうかという鬼人が年若い冒険者を止めることなど出来るはずもなく、二人はライトにあっさりと投げ飛ばされる。
だがその行為の全てが無駄ではなかったようだ。
結果として足が止まった彼を先回りするように、斥候と魔法使いがライトの前に立ちふさがっていた。
感情は表に出さず、ただ真っすぐとライトを見つめる二人。
「――――」
そこで冷静さを取り戻したように、ふぅ、と深い息を吐いたライトは、彼のパーティーメンバーに声をかけた。
「すまない、皆、来てくれるか」
「了解!」
笑顔になって明るい声でそう返し、クルリと反転したカレンは大広間を出て行った。
無言で頷いたアルもカレンに続いて大広間を後にする。
「……」
残された支援士は、少しの間迷う様に子どもたちの姿に視線をやり、しかし意を決したようにパーティーメンバーの後に続いて行った。
ここにいても邪魔されてできることは無い、とそう判断したのだろう。
最後に残ったライトは何かを老鬼人たちに言おうとするかのように口を僅かに開き――、
「……」
小さく首を振ってから噤んだ。
それからずっと置いてけぼりの形となっている一葉と緋色に視線を向ける。
「イチヨウとヒイロは――」
「もちろん、行くよ!」
「行きます。ここまで来て、待ってるなんて出来ません」
「――」
食い気味に返答する二人に、ふ、と口元を僅かに緩めるライト。
駆け出しの冒険者二人を連れて行くリスクとリターンを天秤にかけると、リスクの方に傾くかもしれない。
ましてや、二人にはついて行く必要性も義理も無い。
「恩に着る」
だが彼は迷う素振りなど見せず、申し出に小さく頭を下げた。
頭を上げ、急いで大広間から出ていくライトとそれに続く緋色。
自分も後を追おうとし、その前にと一葉は振り返った。
(……ごめん、僕には何もできない)
そこにあるのは横たえられた鬼人たちの姿。
もう一度、昨日はあんなに楽しく遊んだのに、と理不尽な光景に心が痛む。
(けど……)
どうにかしてあげたいと、そう願いながら、一葉も社を後にした。