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騙された税務職員  (譲渡所得実地調査の概要)

作者: Taxman
掲載日:2023/09/27

*この小説は、アルファポリスにも投稿しております。 


  騙された税務職員  (譲渡所得実地調査の概要)



   は じ め に

 


 現職を離れて十年を過ぎ、税理士としての仕事も終盤を迎える年齢となり、ふと、昔の現役の頃の話を思い出すことがあり、思い出話をしてみたくなり、その中の特に二つの話をしてみたくなりました。


 その話の一つは、相続税の実地調査の概要についての話です。


 むかし、むかしの記憶を思い起こし、お話しをすることになりますので、話の内容が飛び飛びとなり、前後がわからなくなってしまいました。


 しかし、実地調査の手順については、自画自賛ですがうまく説明が出来たと思っています。


 私が税務署の資産税担当の職員となったのは、税務大学校で研修を終え、初めて配属された管理徴収部門に所属して、十年を過ぎた頃です。

 誰もが思われると思うのですが、三十を過ぎた年齢で、今さら選択することではないことでしょう。


 しかし、そのような選択をしなければ、税務職員として仕事を続けることができないとまで、自分を追い詰めることがあったからです。

 そして、その仕事を変更したきっかけは、ほんの少しの誤解からでした。

 いま思うと、あのときの誤解から生じた人生の選択に、正直感謝しています。


 おかげさまで、いまは資産税専門の税理士として、現職を離れてからも、数多くの人生を垣間見る仕事をさせていただいています。


 もとより、現職の時には、資産税担当の職員となり、「ほんの少しの正義感」を心に秘め、実地調査という業務を処理した案件を通じて、現在の状況と百八十度違う環境において、多くの経験をさせていただきました。

 職歴十年の新人職員として最初に担当した業務は、若い先輩職員の方に、手取り足取りの状態で指示を受けた内部の事務処理を担当しました。


 税務相談を含め、知識不足により、恥ずかしさを覚えることも、数多くありました。


 その後、譲渡所得の事後処理、また、実地調査の仕事を担当しました。


 「資産課税部門に配置換えする」と、辞令交付を受け、異動の辞令の交付において署長から言われたことを忘れずに、約束として守り続けるつもりでした。


 五年間の修行を予定していたのですが、なぜか、三年間で新人職員の修行は終わりを告げました。

 三年後、資産課税部門の職歴十年の新人職員は、新たな異動の辞令を受け、特別国税調査官付の上席調査官として仕事をすることとなりました。

 主な仕事は、相続税の実地調査を行うことです。


 特別国税調査官付の上席調査官が行う相続税の実地調査は、高額事案で、しかも、全て、一人で担当することが多かったです。

 当時の特官は、署長の重要事案審議会において、調査結果の説明を行い、重加算税の審議を求めることを主としていました。


 私が、特官付に配属となった当時、相続税の実地調査の事案に恵まれたのでしょうか? また、時代と言うべきでしょうか?

 資産税担当の職員となって四年目の経歴としては、相続税の実地調査の結果は、驚くべきという成果をあげていました。

 私も、正直、仕事が面白くて、毎日がとても楽しく、充実していました。


 しかし、往々にしてそんな幸せは長く続かないものです。

 この時の相続税の実地調査の好成績がもたらした実績により、その後、上司のさらなる成果を求める欲求から、調査結果の粉飾処理の命令を受けるという、問題を発生させてしまったのであった。


 当時の上司は、相続税の実地調査の成果だけでなく、譲渡所得の実地調査の実績についても、同様の結果を求めたのであった。


 実地調査の実績の報告期限が迫るころ、譲渡所得の実地調査についても、それなりの調査実績を上げていたにもかかわらず、当時の上司は、どうして実績評価を焦っていたのかわかりませんが…。

 ある譲渡所得の実地調査が難航していたにもかかわらず、増差所得の想定金額が五〇〇〇万円の事案について、見込み決裁による実績を報告するように指示があった。


 しかし、調査結果についての署長の決済が未了であったため、見込み決裁による実績の報告は無理と説明をしました。

 しかし、当時の上司には聞き入れてもらえず、実績として報告しろと強く命令され、拒否することは業務命令違反とまで言われた。

 しかし、納税者に対して修正申告書の提出についての逍遙も行っていないため、また、実地調査の実績の報告書に、自分の筆跡を残したくなかったことから、上司の命令を拒否しました。


 その結果、実地調査の実績の報告書は、上司が作成することとなった。

 そんなことがあったその年の人事異動で、上司は周囲からご栄転と言われた辞令の交付を受け、異動していった。


 その後、若い職員が修正申告書を粉飾し、懲戒免職を受ける事件が、全国で数多く発生したことを記憶している。

 多くの管理職が、実地調査の実績の報告書の成果を求めるばかりに、若い職員に、実地調査の結果が思わしくなく、追い込まれての心の病から、究極の選択をさせてしまったのである。


 私と同じように、若い職員が、同じ仕事を担当し、同じ境遇に置かれ、究極の選択をして、希望にあふれていた職場を去り、人生を狂わせてしまっていたと思うと、とても残念なことであった。


 人事異動で資産課税部門に配置換えが決まったとき、「五年間、黙って仕事をするように」と、辞令交付のときの署長から言われたことを思い出しました。

 調査事務の仕事に集中し、気がついたら、約束を破ってしまっていた。


 しかし、三十を過ぎた年齢で選択した、自分の仕事のスタンスを、今さら変えることは出来なかった。

 そんなことで、また、上司ともめ事を起こしてしまった。


 管理徴収部門での業務命令違反の選択。

 ふたたび、資産課税部門での業務命令違反の選択。


 そんな選択を重ねたことにより、私の人事考査は最悪の結果となり、その後、出世の道は、すべて閉ざされてしまったのであった。

 万年、上席国税調査官と言われつづけた。

 自業自得の結果であったが、それもまた、人生である。


 その頃、偶然が偶然を重ねたように、相続税の実地調査先の臨宅調査での出来事が、また、私の人生の選択の場面を作り、その後の価値観を変えることとなったのです。


 今振り返ると、自分を見つめ直す、貴重な時間をご先祖様達から、私に与えていただいたように思い、感謝しています。

 お墓にお参りすることも、少ないのですが…。


 当時、相続税の実地調査の臨宅調査の現場で、その出来事は起きた。


 被相続人の居宅に臨場し、調査に先立つ世間話をしていたとき、調査先の顧問の公認会計士が、何の意図があったのか、私の学歴について質問をしたのであった。


 当時の税務職員の多くは、高校を卒業して職に就いていた。

 大学を卒業して、税務職員となる者は少なく、稀であった。

 当然に、私に対する質問の回答は、決まっていたのである。


 今にして思うに、調査先の顧問の公認会計士が、実地調査の主導権を得るための方法としてとったこの質問は、現場においては最悪の内容であった。

 まして、応対した相続人もその会話に同調していた。

 当然に、二人は、それぞれ有名大学を卒業していたのであった。

 臨宅調査の現場で、二人の世間話は、大学生活の話で盛り上がっていた。


 「大学卒業の学歴が、なんぼの、もんじゃ…」

 腹ただしかったが、二人の会話が終わるまで無言でいた。

 税務大学校の教育官から、「名もない高校の出身者」と評されていたことを考えると、返す言葉は何もなかった…。


 その時の相続税の実地調査は、広域調査の案件から一週間を費やしたが、臨宅調査の結果から、無記名の定期預金の申告もれを相続人に確認させ、増差遺産総額が二億円となる結果となった。

 調査先の顧問の公認会計士は、申告漏れを指摘した臨宅調査の翌日から、調査に同席することなく、急用ができたという理由から札幌に帰ってしまっていた。

 そんな、好成績の調査の結果にもかかわらず、なぜか悔しさだけが残った、後味の悪い調査であった。


 その後、予定された札幌税務署へ配置換えするという人事異動は破棄されて、四年間、夜間大学の学生生活を送ることを想像することは遅くなかった。

 しかし、いま思うに、四年間の学費の捻出は、結構大変であった。


 広域調査の実地調査の案件の処理を終え、帰署する途中において、名もない高校と称された母校に立ち寄り、卒業証明書を請求していた。

 卒業年度が古く、倉庫から台帳を確認しなければ、発行できないと言われた時には、無謀な挑戦かと思えた。


 しかし、入学試験の面接が終わった時、「四月の入学式に待っています」と、試験官から言われたことを、今も覚えています。

 面接試験の試験官は、大学のパンフレットに載っていた学長であった。

 四年間、大学で学び、卒業証書とともに、若い頃の夢であった、教育職員(中学・公民・商業)の資格を得たことは、生涯の宝物となった。

 特別国税調査官付の調査官の仕事は、夜間大学の入学とともに終わりを告げ、人事異動により解放された。


 その後は、資産課税部門の一員として仕事をすることとなるが、それもまた一時的なことであった。

 大学を卒業すると、再び、特別国税調査官付の上席調査官の仕事を担当することとなった。

 以前と相変わらず、一匹狼の体制で、相続税の実地調査を担当した。

 この頃から、通常の相続税の実地調査に加えて、新たな仕事を担当することとなり、仕事の領域に変化が生じた。


 それは、耐火書庫の書棚の奥に埋もれていた、相続税の実地調査の繰り越し調査選定事案の大掃除、すなわち、棚卸の仕事である。

 誰もが実地調査を敬遠していた、複雑困難事案として未着手で繰り越されていた、ほぼ五年間分の仕事であった。

 実地調査の選定事案を掘り起こし、選定項目の再確認と追加の情報収集を開始して、新たな視点で調査事案の調査項目についての再検討を行う、最後の砦のような棚卸の仕事であった。


 しかし、意外にも、一見、複雑困難事案とされていた調査事案も、ものの見方を変えてみて、追加の資料情報等の照会文書を送付すると、以外と面白い要調査項目が浮かび上がって来ることが多かった。

 それは、ただ、ただ、面白かった。


 また、準備調査を兼ねた調査事案の再分析は、思わぬところで役に立つこととなるのであるが、どういうわけか、その調査案件の多くは、隣の所得税担当の特別国税調査官に調査事案として持って行かれる結果となるのであった。

 特に、譲渡所得が絡んでいる調査案件が多かった。


 ある時などは、会計検査の指摘事項になる寸前の課税処理が、すでに準備調査を兼ねた調査事案の再分析に着手していたことで、無事、無難となったことがあった。

 その事案は、ご多分にもれず、その後、所得税担当の特別調査官に持って行かれた。まして、増差所得三〇〇〇万円のお土産までをつけてであった。


 何ヶ月もかけて資料収集して、準備調査を兼ねた調査事案の再分析を終えて、実地調査に着手、これからというところであったが、会計検査院の指摘事項にはならなかったものの、事後報告を求められたことから、やむを得ないところであった。


 このときも、腹ただしかったが、自分の調査事案の再分析結果に間違えがなかったことが、会計検査院において証明されたので、ある意味、「してやったり」と面白かった。

 こんな、資産税の実地調査の経験を積み重ねても、残念ながら、私が直接、相続税の実地調査の同行研修指導をした新人職員は数人しかいなかった。


 当時、私の調査現場での新人職員の研修目標は、相続財産の保管場所において、現物の確認を行う経験をさせることであった。

 臨宅調査の現場で、相続財産の保管場所において、現物の確認を行う経験をすることは、新人職員の自信を確定させる最大の方法であった。

 これを経験した新人職員は、その後、優れた調査結果を出していた。


 しかし、調査現場で実際にそれを経験できたのは、女性の、新人職員の三人だけであった。

 その内容は、隠されてあった相続財産を居宅内の保管場所、居宅の寝室、仏間、茶室に隠してあった、耐火金庫を現場で確認することが出来た経験であった。


 相続財産の保管場所は、様々であったが、女性の新人職員の三人は、臨宅調査の現場でやってのけたのである。

 それも、その経験者は、数えても、たった三人だけしかいなかった。

 今思うと、とても残念と、思うところである。


 当時、一匹狼の体制で実地調査をしていたこと、準備調査の組み立ての方法が独特であったことから、周囲の同僚から変わり者と思われていたことを考えると、当然の結果かもと、今更に納得していた。


 現在、資産税担当の新人職員が、資産税の実地調査を担当するのは、どのような研修を受けてから現場に出向くのか、わかりませんが、この話が、何かしらの参考になればと思うところです。


 そこで、現在の資産税担当の新人職員に、むかしの新人職員が行っていた資産税の調査について、想像していただきたいと思い、あえて、小説風にお話をしてみました。


 話の内容は、ごく一般的な内容となっておりますので、多くの資産税の調査を経験された職員の方には、実につまらないお話となるかもしれません。


 あくまで、新人職員の方を対象としております。



    目  次



  実地調査事案の交付

  準備調査

  実地調査の日程を検討する

  税務職員は二度ベルを鳴らす

  納税者と関与税理士を知るために

  実地調査の開始

  要調査項目に近づく

  要調査項目

  騙された税務職員

  帰署の途中で

  税務調査



    実地調査事案の交付



 平成十七年分の所得税の確定申告の税務相談業務も無事に終了し、確定申告事績の報告を終えた、佐藤調査官は、平成十八年四月十五日、山下統括官から譲渡所得の実地調査事案の交付を受けた。


 「佐藤さん。確定申告の事績業務報告を終了して疲れていると思いますが、早速、譲渡所得の新規の実地調査事案を交付していいかな…」

 「はい。」といいながら、佐藤調査官は、今年の実地調査事案の配布は早いな、と思っていた。


 山下統括官から、実地調査の事案を受け取り、机に戻ると、佐藤調査官は、いつものとおり、準備調査のための事前の準備をはじめた。


 山下統括官から交付された調査事案は、平成十六年分で、三件であった。

 「さて、始めるか…」と言いながら、いつものように事前の準備作業を開始した。


 佐藤調査官は、実地調査の事案の着手について、一件ずつ行うことは時間のロスが生じることから、事前の準備は、常に、交付された全事案を対象として行っていた。

 そのため、事前の準備作業には、いつも多くの時間と、手間をかけることとなってしまう。


 まず、最初にすることは、調査先の納税者が、確定申告を提出した後、転居することが考えられることから、現在の住所の所在を確認するため、市役所に住民票を請求し、併せて、確定申告書の住所地の住宅地図の写しをコピーすることであった。


 時々、この作業の段階で住所地の異動が確認され、納税者が管轄外に異動していることが理由となり、管外転出事案として、統括官に調査事案を返すこととなることがある。

 せっかくの、出会いの機会が失われることに、残念と思うところである。


 一方、知らないことであるが、納税者の視点からは、実地調査から逃れられたので、一時の幸せかもしれないが…。


 次に、住民票が送られてきたあと、納税者の世帯の家族構成の内容の確認のため、戸籍謄本・戸籍の附表を請求するための準備を行うことがある。

 必要のないことと思うことが時々あるのだが、高額な不動産売買契約の場合、譲渡の実地調査事案において、あらかじめ家族構成の内容を確認することは、時に重要な情報となることがある。


 売買代金の現金の追跡を行う場合、その多くは銀行で預貯金の入出金の反面調査として伝票を確認することがあるが、そのとき、家族の預貯金についても確認することとなるためである。

 ただ、臨宅調査において、納税者の筆跡を得るためとして、「家族構成表」を書いてもらうこともある。


 並行して、譲渡所得の事績書のKSK管理システムの資料と譲渡所得の内訳計算明細書の譲渡物件を確認し、譲渡物件の住宅地図の写しの三年分と、ブルーマップの写しをコピーする。

 三年分もいらないのではないかと思うこともあるのではあるが、不動産の利用状況の履歴の情報源となることもあること、また、一連の手順として長年やっていることから、自然な行動であった。


 特に、居住用不動産の売買については、譲渡所得の計算の特例、居住用不動産の特別控除(三〇〇〇万円)の特例が想定される。

 同様に、常に、必要と思っていることなので、同時に、譲渡物件の不動産登記簿謄本と公図及び測量図、建物が立っている場合は、建物の不動産登記簿謄本と図面を法務局に請求する。

 特に、不動産登記簿謄本は、譲渡物件の履歴書であり、多くの情報を提供してくれる重要な資料である。


 納税者が、いつ、誰から、どのように譲渡物件を取得したか、また、現金で、それとも借入で購入したのか?

 抵当権の設定と解除の日から、借入先の金融機関と借入金額、また、返済日等が確認できる、など…。


 次に、KSK管理システムの端末で納税者の過去の申告情報を検索し、平成十六年分の所得税確定申告書の編綴番号を確認する。

 併せて、調査対象年分の前後の所得税の確定申告書の編綴番号を確認する。


 「譲渡所得の準備調査のための事前の準備は、いつものことながら、大変ですね」

 佐藤調査官は、誰に話をするのでもなく、つぶやいていた。


 平成十五年分と平成十七年分を確認する。

 耐火書庫に収蔵されている所得税の申告書綴りから、各年分の確定申告書のコピーをとる。

 結果、納税者には譲渡所得の臨時収入の他に、経常的な収入として、不動産収入があった。


 そのため、所得税の調査カードの不動産収支計算書の確認が必要となった。

 現場での所得税と資産税の同時調査の想定から、不動産調査の準備も必要となった。

 追加として、市役所に不動産の所有についての照会が必要となった。


 先日、「税務署の調査担当者は、五年後、所得税・資産税・法人税、そして消費税と、全ての実地調査を担当することとなる予定である。」と、山下統括官が話していたことを思い出した。


 そのとき、佐藤調査官は、各税目の知識の習得が必要となったことに、困っていた。

 新たな税法の知識の習得に時間がかかる。

 これは、結構、きついものがある。


 所得税の調査カードの不動産収支計算書の確認から、納税者の所有する不動産等を特定し、住宅地図の写しとブルーマップのコピーをとった。

 さらに、住民票等の送付後、札幌市の全区役所に不動産照会を予定した。

 出来れば、申告漏れとなっている賃貸不動産を把握したいものだ。


 佐藤調査官は、準備作業から次々と新たな情報がわ沸いてくるので、調査範囲の広がりを感じ、なぜか楽しくなってきた。

 同時に、土地と建物の不動産登記簿謄本と公図・測量図・建物の図面を法務局に追加請求することも思案した。

 事前の準備調査でやることは、かなりの分量となった。


 交付された実地調査事案は、三件であったため、準備調査のための事前の準備は、かなりの時間を必要とするが、三件同時に行うことで、思考パターンが統一され、処理の効率化が図れ、その後の準備調査の時間が短縮できる。


 しかし、事前の準備調査に多くの時間をかけるためか、仲間内の調査官から、「佐藤さんは、いつも始動が遅いね」とか、統括官からは、「アイドリング調整に時間をかけすぎている」とかの批判を浴びることがある。

 それでも、今までの経験から培ってきた、自分の実地調査の組み立てのスタイルを変更することはなかった。

 そして、一匹オオカミの特別国税調査官付調査官の立場が、それを許していた。


 入念な事前の準備作業は、時に、納税者の隠された重要な情報を与えてくれ、その結果が、その後の準備調査をスムーズに展開していくことになると、佐藤調査官はいつも思っている。

 あなたの準備調査は、どうですか?

 統括官から指示されるまま、上司・先輩から言われるまま、そんなスタイルで仕事をしていませんか?



    準備調査



 事前の前準備で、順次請求した資料の回答が、翌週から毎日送られてきた。


 「ありがとうございます」と、お礼の言葉をつぶやきながら、回答文書の封筒を開封する。

 この封筒の開封作業は、ある意味、楽しみの一つであった。

 紹介先から送られてきた回答文書に添付された資料を、A4版の用紙に貼付し大きさを揃え整理した。


 「お前なあ。そんなことをしていたら、時間の無駄、用紙の無駄を重ねるだけだ」

 実地調査を担当した最初の頃、先輩からいつも叱られていた。


 しかし、佐藤調査官は、回答文書に添付された資料を、A4版の用紙に貼付し、大きさを揃え整理する、その作業をやめられなかった。

 自分自身も、「なんで…かな?」と、いつも思っていたが、なぜかこだわっていた。


 一週間も経つと、交付された三件の実地調査事案の準備調査の検討資料はすべてそろった。

 事前の準備作業で収集した情報は、とても大切なものである。

 資料の作成に協力していただいた、他官庁等の職員の皆様に感謝したい。


 平成十八年五月七日、佐藤調査官は、交付された三件の実地調査事案の中から、吉国一郎の実地調査事案を選んでいた。


 調査事案の申告審理の要調査項目を、再確認した。

 申告審理の要調査項目は、租税特別措置法第三十三条の四(収用交換等の場合の譲渡所得の五〇〇〇万円)の、特例適用疑義であった。

 譲渡所得の実地調査の調査案件としては、とても、珍しい案件であった。


 次に、当初申告で提出されていた、譲渡所得の内訳計算明細書の記載内容について確認する。

 譲渡物件の所在地・種類・地積・利用状況・・・、売買年月日は、平成十六年七月十九日・引渡日平成十六年十一月三十日。


 譲受人は、札幌市。

 そして、譲渡価額は、四五〇〇万円…。

 見込時価と比較してどうだろう…。

 階差はない、むしろ高いかもしれない。


 佐藤調査官は、つぶやきながら、自作の「土地・建物等の取引図」を作成し、実地調査の準備調査の思案を始めた。

 この、「土地・建物等の取引図」は、情報を図解した様式であり、不動産売買の概要を把握するのに、とても便利なものであった。


 公共事業の買取り証明書等から、都市計画の承認を受けた道路拡幅事業の事業用地の収用の譲渡と確認する。

 租税特別措置法第三十三条の四の五〇〇〇万円の特別控除の事前協議済みの事案であった。

 通常、実地調査事案に選定されることは、たしかに珍しい。

 「なんで…かな?」と、思うところであった。


 「どちて、どちて」と、「どちて、坊や」が、佐藤調査官の頭の上を回っている。


 調査選定の理由は、事前の納税相談の記録から、建物の移転についての所得区分等の相談が行われていたことによる。

 収用の保証金の所得区分の問題が、抽出された結果であった。


 相談内容は、建物を新築してからまだ五年しか経っていないので、建物を壊すにはもったいないので、移転し増築した場合の相談であった。


 その場合、移転補償の金額については、建物の一部しか五〇〇〇万円の特別控除が認められない。

 一時所得として、所得税がかかることが想定される。


 土地は、昭和五十八年三月五日に取得している。

 建物は、平成十一年六月十八日に新築し取得か。

 取得費の減価償却費の計算はどうか…、譲渡費用は、解体費の六五七〇〇〇円のみ。

 安い…。


 特別控除額は、三〇〇〇万円を満額適用していると…。

 譲渡所得の内訳計算明細書には、計算の根拠となる不動産売買契約書と、領収書の写しと収用証明書が添付されている。


 しかし、建物の取得価額の添付書類、新築の建物に関する書類は、一部しか添付されていない。

 「なんで…かな?」と。

 「どちて、どちて」と、「どちて、坊や」が、佐藤調査官の頭の上を回っている。


 吉国一郎の自宅での臨宅調査の手順及び方法を考えながら、佐藤調査官は、繰り返し、交付された譲渡所得事績書を検討していた。


 佐藤調査官は、譲渡所得の実地調査の準備調査は、いつも、このような手順で行っているのである。

 特に、新人職員の研修調査の指導においては、いつも、それまでの研修調査の内容と経験を確認し、不足している経験を補足するための準備をしていた。


 しかし、いつも、統括官と指導の内容についてズレがあり、また、統括官が勝手に新人職員の指導内容を変更することもあった。



    実地調査の日程を検討する



 平成十八年五月十六日、今月の給料日であった。

 振込先の預金口座は、既に残高がゼロとなっているだろうな・・・。

 佐藤調査官は、給与支給明細を横目に見ながら電話をかけた。


 「はい、吉国です」と、女性が電話に応答した。


 「札幌税務署の資産課税部門の佐藤と言いますが、ご主人はおられますか」

 「主人は、いま出かけておりましておりませんが…」

 家にいた妻が、驚いた様子で電話に応対した。


 「ご主人が戻りましたら、お電話をお願いしたいのですが?」

 「札幌税務署の資産課税部門の佐藤様ですね。どのようなご用件ですか?」

 「それは、ご主人にお話しさせていただきます」


 吉国一郎は不在だった。

 これも、想定の範囲内であった。

 守秘義務の関係から、妻とは言え、情報を漏らしてはいけないのである。


 「はい、わかりました。主人が戻りましたら伝えます」

 「お電話を、お待ちしております」

 吉国一郎本人への連絡を依頼し、電話を置いた。


 しばらくすると、机の電話なった。


 「資産課税部門です」

 「佐藤さんですか。吉国一郎です」

 先ほど連絡をした、吉国一郎からであった。


 「はい。お忙しいところ、お電話をいただきまして、ありがとうございます」

 「家に電話をかけてきましたが、ご要件は何ですか?」

 電話の向こうから、緊張気味に、聞いてきた。


 「はい。平成十六年分の所得税の確定申告の内容について確認したいことがありますので、ご自宅に訪問したいと思いまして…」

 「家に、ですか?」

 「はい。ご都合のいい日を確認したいのですが?」と、臨宅の日時の都合を聞いた。

 「税務調査ですか?」

 「はい、そうです。ご協力をお願いいたします」


 佐藤調査官は、納税者から、実地調査の具体的な内容について聞かれたので、とりあえず、譲渡所得の計算の内容を確認するためと回答した。


 いまでは、国税通則法の改正から、事前の連絡をすることがルールとなっており、その際に、ある程度調査内容を説明しなければならないこととなっている。

 この改正が、現職を離れるきっかけとなることとは、予想できなかったが…。


 吉国一郎の海外出張の仕事の都合から、平成十八年六月五日、午前九時三十分に自宅で会うことで決まった。

 「では。よろしくお願いいたします」と言って、電話を置いた。


 実地調査の舞台の幕はあがった。

 登場人物:吉国一郎とその妻、税務職員、佐藤調査官と同行職員、柴田事務官、関与税理士は誰にしようか・・・。

 演出・監督・原作は、もちろん税務職員の私、佐藤調査官である。


 実地調査の日程について、山下統括官に報告するとともに、同行職員、柴田事務官の了解を確認した。

 公用車の手配、コピー機の予約は、終わった。


 しかし、本件、実地調査事案のシナリオは…。

 「まだだ。」と、つぶやいた。


 佐藤調査官は、実地調査に臨む場合、準備調査で作成した「臨宅調査事績書」を基に、現場における調査の手順、方法について「実地調査事案のシナリオ」を作成することとしていた。

 新人職員の調査指導においても、同様に、「実地調査事案のシナリオ」の作成について指導するのであるが、統括官からは、時間の無駄として否定されることがある。

 いつも、統括官からは、「税務調査においては、マニュアルはいらない、現場における経験が全てである?」と、言われることが多かった。



    税務職員は二度ベルを鳴らす



 「統括官。吉国一郎の譲渡所得の実地調査に行ってきます。」

 「はい。トラブルのないように、よろしくお願いします。」

 佐藤調査官は、柴田事務官とともに、署を出た。


 柴田事務官とは、事前に臨宅調査の打ち合わせを行っていた。

 実地調査の方法は、基本として「譲渡所得の臨宅事績書」を基に行うこととするが、状況に応じて、合図することにより対応することを確認した。


 平成十八年六月五日、午前九時二十五分。

 佐藤調査官は、柴田事務官とともに、調査先の吉国一郎の自宅の前に立っていた。

 約束の時間の五分前であった。


 佐藤調査官は、深く息を吸って、二度ベルを押した。

 家の奥でチャイムの鳴る音が二度響いていた。


 「はい。」

 「札幌税務署の、佐藤です」

 「少しお待ちください」と、少し緊張気味の妻の声であった。

 平成十六年分の譲渡所得の実地調査が始まった。


 しばらくして、重量感のあるドアがゆっくり開いた。

 五十過ぎにしては、若く美しい吉国一郎の妻が出迎えてくれた。

 玄関には、来客を迎えるように置かれている、犬の置物があり、吉国一郎が愛用する、ゴルフバックが置かれてあった。


 案内されるままに、佐藤調査官と柴田事務官は、家の奥へ進んだ。

 一階の奥の応接室に入ったとき、部屋に二人の人影を感じた。

 吉国一郎と以前あったことのある、会社の関与税理士の山田貴之氏であった。


 「札幌税務署の、佐藤です」、「柴田です」と、二人は身分証明書を提示し挨拶をした。

 挨拶が終わり、吉国一郎に勧められるままソファーに座った。


 吉国一郎は、五十五歳。

 現在、会社役員である。

 経済的に余裕があると思われた。


 なぜなら、応接室の室内は、高級感のある調度品が置かれ、上品さが感じられたからであった。

 本題に入る前に、吉国一郎の妻が、早々にお茶を持ってきた。

 譲渡所得の実地調査の臨宅調査の準備が整ったようだ。


 当時の譲渡所得の実地調査の連絡は、相続税の実地調査と違っていて、納税者に直接連絡することが多かった。

 佐藤調査官も、吉国一郎に直接連絡をして本日を迎えることとなったので、会社の関与税理士の山田貴之氏に合うのは、確定申告の相談応援の会場ぐらいであった。



    納税者と関与税理士を知るために



 佐藤調査官は、初めて会う吉国一郎と、関与税理士の山田貴之氏の人となりを知るために、いつもどおりの世間話を始めた。


 幕開けの世間話として、ここ数日の天気の話、最近の新聞記事の話題等、とりとめのない話の連続であった。

 加えて、佐藤調査官は、ここしばらく新聞を読んでいなかったことから、話題が少し時節を裏切っていた。

 まして、経済的事情から、日本経済新聞は残念なことに読んだこともない。

 当然に、世間話の領域は、狭いものであった。


 会社役員の吉国一郎と知識人の山田税理士には、つまらなく、きっと物足りないことだろう。

 まもなく、佐藤調査官にそんな四方山話を継続する余裕もなくなった。

 よって、そろそろ実地調査の本題に入ることとした。



    実地調査の開始



 本件、譲渡所得の調査事案の要調査項目は、既に、準備調査で抽出してあった。

 しかし、本題に入る前に、あえて吉国一郎から、譲渡物件の現況と不動産売買の理由、さらに、申告書の提出までの経緯について確認する必要があった。

 歴史上の大阪城の攻防と同じように、税務調査も外堀を少しずつ埋めることからはじめなければいけないと信じていた。


 そのため、佐藤調査官は、調査事案の不動産売買の周辺情報について、本人の説明を聞くことが重要であると考えている。

 まず、譲渡所得の臨宅事績書にそって、譲渡の経緯について、吉国一郎から詳しく時間をかけて聴取することとした。


 「今回の不動産を札幌市に売却する前に、物件その一を先に購入していますが、購入の理由についてお聞きしたいのですが? それと、購入のときの不動産売買契約書と領収書等を確認させてください」と質問をはじめた。

 吉国一郎は、応接室にあらかじめ用意してあった書類の保管箱から、一つの封筒を差し出した。


 「この中に、書類が入っています」

 「確認させてもらいます」

 佐藤調査官は、封筒の中を確認すると、確かに、不動産売買契約書と領収書が入っていた。


 佐藤調査官は、不動産売買契約書と領収書を確認しながら、質問を続けた。

 「この不動産売買契約書によると、平成十六年七月二日に、売買契約を交わして取得していますが、物件を購入しようと考えたのはいつごろですか?」

 「たしか、平成十六年一月ごろです」と、吉国一郎から、質問を予定していたように答えが返ってきた。


 「なぜ、その時期に購入しようと考えたのですか?その理由を教えてください」と、尋ねた。

 「物件を購入しようと考えたのは、前に住んでいた土地が狭くなるためです」

 「土地が狭くなる」と、回答があったが、質問を続けた。


 「この物件一を購入するため、どなたに依頼しましたか。また、交渉のためお会いした相手はどなたですか?」

 「物件一の所有者が、判りませんでしたので、知り合いの不動産業者の渡辺商事の社長に頼み、交渉を依頼し購入しましたので、直接、物件の所有者には会っていません」

 「この不動産売買契約書に書かれている、立会人の業者ですか?」

 「はいそうです」


 矢継ぎ早に購入の経緯を質問したが、吉国一郎は、速やかに回答してきた。

 調査のための事前の準備は、完璧みたいだ…。


 佐藤調査官は、現場の場面を展開するために、次の質問をした。


 「不動産売買契約書によると、購入価格は一五〇〇万円ですが、購入の資金はどのように工面しましたか?」

 「私名義の定期預金を解約して用立てました」

 「取引銀行はどちらですか、通帳を確認させてください」

 「北洋銀行の清田支店ですが、定期預金の解約の計算書類等は、紛失しましてありません」

 「書類がない?」


 佐藤調査官は、「定期預金を解約したときの書類の保存はないのですね」と、念を押して確認した。


 「その時、普通預金に入金しなかったのですか」

 「はい、定期預金を解約した後、すぐ現金で支払いをしましたので、普通預金には入金していません」

 「購入代金の支払いはどこの場所で行いましたか」

 「北洋銀行清田支店の応接室です」

 「相手の方とお会いして、支払いと同時に登記関係の書類をもらいました」

 「購入したときにかかった費用は、この領収書の分だけですか」

 「はいそうです」


 吉国一郎への質問に対する回答は、たしかに、あらかじめ検討され、準備されていたようであった。


 佐藤調査官は、さらに、場面を展開するため、次の質問をした。


 「その後、購入した土地の一部を隣の人に売却していますが、その時の費用と一緒になっているものはありませんか」

 「たぶん、ないと思いますが」

 「ありがとうございます」

 「いま確認させていただきました不動産売買契約書と、領収書のコピーを頂きたいのですがよろしいですか」

 「はい」


 佐藤調査官は、柴田事務官に、不動産売買契約書と領収書のコピーをするよう指示をした。

 柴田事務官は、吉国一郎に電気の使用の了解を確認し、コピーの準備をはじめた。


 佐藤調査官は、柴田事務官が不動産売買契約書と領収書のコピーを作成している間に、譲渡所得の臨宅調査事績書の質問項目の確認をしていた。



    要調査項目に近づく



 いつのまにか、テーブルのお茶が取り替えられ、コーヒーとショートケーキが置かれていた。


 喉の渇きと緊張をほぐすため、佐藤調査官は、納税者の妻が用意したコーヒーを一口、口に含んだ。

 コーヒーの香りは、現場の緊張をほぐすように、応接室の室内を包んでいった。


 柴田事務官も、不動産売買契約書と領収書のコピーの作成を終了し、コーヒーを手にしていた。

 再び、佐藤調査官は、質問を続けた。


 「吉国さん。次に、物件二についてお話を聞きたいのですがよろしいですか」

 「はい」

 吉国一郎は、第一関門は通過できたと、余裕を感じさせていた。


 「平成十一年八月二十日に購入していますが、購入したときの不動産売買契約書と領収書を確認させてください」

 先ほどと同じような質問が続いた。


 吉国一郎は、テーブルの書類の保管箱から二つ目の封筒を差し出した。

 佐藤調査官は、先ほどと同じように、封筒の中身を確認した。


 「平成十一年に購入したのは、土地と建物ですね。領収書はこれだけですか」

 「はいそうです」

 「この不動産売買契約書と領収書のコピーを採らせてください」

 吉国一郎の了解をとり、佐藤調査官は、山田事務官に不動産売買契約書と領収書のコピーを指示した。


 「つぎに、この土地の図面と建物の設計図を確認させてください」と言った。

 吉国一郎は、立ち上がり奥の部屋に書類を取りに行った。

 本来であれば、この場面で保管場所へ同行するタイミングでもあるのであるが、現場の雰囲気は、それを拒否していた。


 「この物件二は、札幌市の道路拡幅事業のため、平成十六年七月十九日に売却していますが、この札幌市の道路拡幅事業はいつはじまりましたか」

 「たしか、平成十五年ごろ、だと思いますが」


 「当時、道路の拡幅事業について、説明会が開催されたと思いますが、出席していますか」

 「はい。すぐ近くの公民館で開かれましたから、出席しています」

 「その後、札幌市の職員が土地の買収のため訪問したと思いますが、最初に会ったのはいつですか」


 「平成十六年三月ごろだと思いますが」

 「平成十六年三月ですか」

 「はい。間違えありません」


 「先ほど、土地が狭くなるという理由で、物件一の購入を考えたのが一月と言われましたので、もっと早い時期に会っているのではないですか」

 「そうですね。もっと早かったのかもしれませんね」といいながら、吉国一郎は手帳を確認した。


 「いつ頃ですか」

 「平成十五年九月十七日です」

 「その時、札幌市の職員は何人で来ましたか?」

 「たしか、二人で来たと思います」


 「札幌市の職員が来たとき、どのような話をしましたか?」

 「確か、今回の札幌市の道路拡幅事業について、ぜひ協力して欲しいというような話でした」

 吉国一郎は、当時のことを思い出しながら話した。


 「その時、札幌市の職員は、買収の方法とか価格について話をしましたか?」

 「いいえ。その時は買収したい土地の部分の説明と、土地の上にある建物についてどのようにするか確認を求められました」


 「買収の価格についてはどうですか?」

 「買収の価格については、まだ会計の決済が下りてないので、提示することができないと言っていました」

 「そうですか…」


 佐藤調査官は、これ以上この質問を続けても進展が計れないと考えていた。

 収用の「買い申し込みから六ヶ月」の壁は厚かった。


 収用事業の租税特別措置法第三十三条の四の五〇〇〇万円の特別控除の適用を受ける要件のポイントは、収用事業者から買い申し込み、つまり、買収の価格の提示を受けてからから六ヶ月以内に契約をしなければならなかったことであった。


 当時、収用事業の譲渡所得の申告事案は、契約が成立するまでの交渉が長期に及ぶこととなり、「買い申し込みから六ヶ月」の適用要件について、かなり曖昧なところが多かった。

 ことがことだけに、当然と言えば、当然なことであるが。


 しかし、建前として租税特別措置法第三十三条の四特例適用の要件具備は、厳しいものであった。

 そのため、申告後の申告内容の審理は、時に問題を提起することがあった。





    要調査項目



 佐藤調査官は、さらに質問を続けた。


 「この物件二の一部を札幌市の道路用地として売却するとき、土地の上にある建物が問題になりますが、お話によりますと、建物は取り壊して、今の場所に新築したとのことですが、建物の新築についての請負契約書と建築代金の支払いの領収書等を確認させてください」

 吉国一郎は、用意してあった三つ目の封筒を差し出した。


 佐藤調査官は、今までと同じように封筒の中の書類を確認した。


 「建物は、一六〇〇万円で契約していますが、そのときの見積書はこれで間違いありませんか」

 「はい」


 「新築を請け負った業者は、平成十一年の業者と同じですが、お願いした理由はなんですか」

 「平成十一年に建てた家が、とても良く建てていただいたものでしたから…」


 「平成十一年に建てた建物は、不動産登記簿を確認したところ木造2階建で、当時の建築価格として二〇〇〇万円を支払っていますね」

 「はいそうです」


 「平成十六年に建てた、建物が木造3階建で、建築価格が一六〇〇万円ですね。」

 「非常に安いと思うのですが、理由を説明してください」


 「はい。新築を請け負った業者の提案で、前の家を解体したときの使える材料を全て再利用して建てたものですから、安くなったと思います」

 「では、この建物の設計図を確認させてください」

 「はい」


 吉国一郎が建物の設計図を探しに行っている間、書類のコピーの了解を得て、佐藤調査官は、同行の柴田事務官に、コピーを指示した。


 「これがここの建物の設計図です」

 吉国一郎は、しわのない大型の封筒を差し出した。

 建物の設計図を見て、何がわかるのか? 作成した日付はいつだろう…。


 「ところで、ここの建物を新築するあいだ皆さんはどちらに住んでいましたか」

 「はい。近くのアパートを借りて住んでいました」

 吉国一郎は、この質問を待っていたかのように答えた。


 「住んでいたアパートの住所はどちらですか」

 「はい。札幌市の清田区清田三条五丁目です」

 「そのアパートの不動産賃貸契約書と家賃の支払いの領収書を確認させてください」

 「はい」

 吉国一郎は返事をして、また奥の部屋に入っていった。


 しばらくすると、吉国一郎は封筒を手にもどって来た。

 「はい。これです。」


 佐藤調査官は、封筒の中の書類を出し確認した。

 封筒に入っていたものは、確かにアパートの不動産賃貸契約書と家賃の支払いの領収書であった。

 不動産賃貸契約書と家賃の支払いの領収書のコピーの了解を得て、佐藤調査官は、柴田事務官にコピーを指示した。


 臨宅調査事績書の質問項目は、佐藤調査官の思惑を裏切り、埋められていった。

 残りのページは少ない。

 臨宅調査の時間も、残り少ないところとなっていた。


 シナリオの「転」は、まだ、起こらなかった。

 吉国一郎と山田税理士の、ほそくえむ顔が目に入った。



    騙された税務職員



 吉国一郎の自宅の応接室での不動産売買契約の経緯の聴取、領収書等の書類の確認、準備調査で検討した情報をもとに、要調査項目の確認を続けてきたが、確証が得られなかった。

 やるべきことはやっている。


 佐藤調査官は、自分に言い聞かせ自問自答した。

 しかし、租税特別措置法第三十三条の四の特例適用疑義の不正端緒は、確認されていなかった。


 先行する物件一の購入と一部売却。

 そして、物件二の、収用事業の事業施行地として、札幌市に対する道路用地の一部の売却。

 さらに、支障物件の建物の解体と、新築工事及びそれに伴う一時期の仮住居の状況等。


 譲渡物件の周辺の情報について聴取及び確認をしているが、どれひとつとっても疑問をはさむ内容は確認されなかった。


 しかし、新築された建物の不動産登記の登記内容は、平成十六年十一月三十日曳家移転による変更。

 そして、一部増築となっている。

 なぜか…。


 建物の不動産登記の登記内容は、納税者の聴取内容、そして確認した書類から想定される事実と異なっていた。

なぜだ…。

 準備調査の想定内容と大きく異なった結論から、佐藤調査官の思考は停止した。


 佐藤調査官は、実地調査の臨宅調査事績書の要調査項目を再確認した。

 たしかに、本件事案の申告審理の要調査項目は、建物の移転新築による、租税特別措置法第三十三条の四の特例適用疑義であった。


 「しかし、そうだ。」

 「しかし」としか言い様のない、確認内容であった。

 たしかに、吉国一郎からの聴取内容、確認した不動産売買契約書等の書類から疑義の端緒は得られなかった。


 佐藤調査官は、何度も何度も、頭の中でこれまで確認した事項について、臨宅調査事績書見ながら繰り返し検討した。


 しかし、収集された情報分析・吉国一郎の聴取内容・確認した書類関係は、答えを示してくれなかった。


 佐藤調査官は、停止した思考を呼び戻そうと、今までの経過を検証するも、新たな調査の展開が見出せない。

 吉国一郎のほうが一枚上手なのだろうか。

 時間が空しく過ぎてゆく。


 納税者を前にして、「臨宅調査の現場では進展が図れない。仕切り直しだ」と結論を出した。

 柴田事務官のコピーが終わったころ、本日の臨宅調査を終了することにした。


 「吉国一郎さん。今日、確認させていただきました内容については、返ってから検討させていただきます」

 「お忙しいところ、長時間に渡りお話をいただき、ありがとうございました」

 「今日の調査は、これで終了させていただきます」


 佐藤調査官は、柴田事務官とともに、吉国一郎の邸宅を後にした。

 鞄の書類が重たかった。



    帰署の途中で



 佐藤調査官は、柴田事務官と喫茶店でコーヒーを飲んでいた。


 アドレナリンにあふれていた頭を冷ますため…。

 今日の実地調査の復命を、統括官にするため、臨宅調査の検証をしていた。


 臨宅調査で確認した書類は、カバンの中に入れたままである。

 臨宅調査を終了し吉国一郎の自宅を去るとき、あえて次回の調査予定日について日程を確認した。

 「六月は出張が多く、七月でないと時間が取れない」と回答があった。


 本件実地調査事案の繰越を覚悟しなければならなかった。

 七月は人事異動の月でもある。


 佐藤調査官は、今年で四年目、当確の年であった。

 「単身赴任かも・・・」


 佐藤調査官は、そんな思いもあってか、実地調査の復命について思考していたはずが、どうもうまくまとまらない。


 本件実地調査事案は、柴田事務官の実地調査研修の事案でもあった。

 だが、いい研修事案となったか、はなはだ疑問であった。


 しかし、ここのコーヒーは、いつもおいしい。

 調査の疲れを癒してくれる・・・。

 さあ、署に帰ろうか。



    税務調査



 七月、本件の実地調査事案は、まだ調査が終了していない。

 しかし、佐藤調査官に人事異動の発令が出た。

 結果、次期事務年度の繰越調査事案となった。

 この実地調査事案は、お蔵入りとなるかもしれない。


 そのような結論で、佐藤調査官の譲渡所得の実地調査の過程をシュミレーションしてみました。


 この話が、これから譲渡所得の実地調査を行う新人職員の方の参考となれば幸いです。

 相続税の実地調査については、既に実地調査の過程をシュミレーションしたものがありますので、それを参考としていただければと思っています。


 最後になりますが、私の実地調査の考え方をお話したいと思います。

 ある方にとっては、「不謹慎である」と言われると思いますが、

 私は、税務調査はエンターテイメントであると考えています。


 確かに、仕事を娯楽と言うのは問題があります。

 しかし、税務調査の見方を変えると、実に面白いと思うのです。


 まず、似たような事案はあるが、一つとして同じ調査事案がない。

 そのため、私にとっては、交付された実地調査事案をどのように処理していくか、企画し、立案し、毎回、一つのテレビドラマを完成するような思いがしてならないのです。

 そこに、税務調査の面白さと楽しみがあると考えるのは不謹慎なのだろうか。


 だから、調査事案が交付されると、いつも次のような思考をして、かってな想像を膨らますのである。

 新人職員の方には、是非、新鮮な思考で創造して欲しいと思っています。


 本件実地調査の舞台の中心はどこにしようか。

 納税者の自宅にしようか、それとも主宰法人の事務所の応接室。

 いや、税理士の事務所からはじまってもいいじゃないか。


 反面調査の舞台は、時に、あえて設定し調査の現場を変えよう。

 時間はかかるが、見方を変えて見ると、新たな視点が見えるかも。


 取引先の金融機関の会議室での銀行員との攻防。

 伝票が保管されている耐火金庫の中で、一人伝票と格闘する税務職員の私。

 時々、耐火金庫の中で、銀行員の女性の名前を聞いてみたりもする。


 二十年も前のころのことであったが…。

 一週間に及ぶ銀行の伝票調査で、行員と一緒に食堂の定食を食べたことも。


 そして、ドラマの登場人物は納税者とその妻、税務職員と同行職員。

 関与税理士は誰にしようか・・・。


 もちろん、ドラマの演出・監督・原作は、本件調査事案を担当する、税務職員の私である。

 もしよろしければ、あなたも、いま、統括官から交付された実地調査事案を基に、テレビドラマのシナリオを一つ書いてみてはいかがですか。

 明日の税務行政を担うために…。

 いや、明日のあなたを見つけるために…。



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