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2 —25

 静かな宿の中、マキヨ嬢は階段を登った。鍵を開ける。ベッドでベルドが眠っていた。

 外れた左肩は戻して固定され、左手は包帯が巻いてある。あと右足を軽く捻ったらしい。全部ウェッドが治療してくれた。


 怪我らしい怪我はそれだけだったけど、ベルド本人はちょっとハイテンションすぎたみたい。命に関わるようなことがあったわけで、アドレナリンがすごく出ちゃったんだろうね。そういえば片手でぶら下がっていたあの状況で、わたしの奇声にやたらツボってたし、怪我してるのに平気そうだったのは、それがあったからに違いない。


 結果、ちょっと落ち着けないということになってしまった。歩きたいと言い出して聞かない。軽度とはいえ右足捻挫に肩外れたばっかりの人、さすがに安静にした方がいいに違いない。ウェッドはベルドに深呼吸をさせて、少し横になって落ち着くことを提案した。痛み止めと睡眠薬も処方された。今後寝られないことがあったら飲むようにって。


 ウェッドがついていてくれたはずだけど、今いないところを見るともう大丈夫なのだろう。ベルドは落ち着いたついでに寝ちゃったんだろうね。


 帽子を置いたマキヨ嬢はそっとベッド横の椅子に腰掛けた。わたしを枕元に置く。彼女は優しい笑みを浮かべて、ベルドを眺めている。


「窓を開けるわね、リル」


 静かに窓を開けると、穏やかな風がカーテンを揺らした。マキヨ嬢のワンピースを揺らす。夕日が差し込んで、マキヨ嬢を照らしている。

 マキヨ嬢は戻ってくると、椅子に腰掛けた。やっぱり満足そうにベルドが寝ているのを眺める。


 どっちかっていうとマキヨ嬢、態度がいわゆる『推し』に対するそれだよなぁ。しかも遠くから眺めていたい控えめタイプ。自分から接するのは意識しない分は平気だけど、ベルドからのアプローチには動揺するというか。ベルドが大事な妻を扱うように接すれば接するほど、推しが近すぎて恥ずかしいみたいな、そういう反応なのよ。


 見てるだけで幸せそう。推しがこっちを見てくれるなんて、気にかけてくれるだけでも十分ってなってそう。だから、私とは釣り合わない、私のことなんて好きなわけがないっていう結論になるのかな。

 ベルドもベルドでマキヨ嬢を大切にするからさぁ。推しに大切にされてる、それだけで幸せなんだろう。


 あれ?ということは、わたしがこの間マキヨ嬢とやったのは、マキヨ嬢の推しの話を聞いただけということ?恋バナじゃなかったのか。いやでも、あの時の感じだと好きは好きなんだよね?一種恋バナなのか。


 ふとわたしはベルドを見た。この人はマキヨ嬢のこと、どう思ってるんだろう。ただの同居人?大切なのは間違いないけど。今度聞いてみよ。


 幸せそうなマキヨ嬢を放置し、わたしは立ち上がる。ベッドのふかふか感を味わいながら歩いていたら、ベルドが目を覚ました。


「あ、ごめーん」

「何が」


 喉が渇いたとベルドは起き上がり、サイドチェストの上にあったグラスの水を飲む。マキヨ嬢が水を継ぎ足そうとして、ピッチャーが空なのに気付いた。


「お水をもらってくるわ」


 静かにドアを閉めて出ていく。おっと、これはチャンス。


「ねーねー、ベルド」

「何だよ」

「マキヨ嬢のこと、どう思う?」


 ベルドはグラスを置きながら、うんと返事した。


「意図が分からん」

「好き? 嫌い?」

「なんだ、占いか何かか? 聞いてどうする」

「わたしが知りたい」


 眠た目ながら、ベルドは軽く笑った。


「正直だなぁ。そこは誤魔化すかと思ったんだがな」

「ベルドには直球で聞いた方がいいと思って。どうなの?」

「うーん」


 うーん?何、悩むような感じ?


「よく分からんな」

「分かんないの? 自分の気持ちなのに?」


 わたしはベルドの膝によじのぼる。ベルドはわたしの頭を撫でた。


「そうだな。俺には好きとか嫌いとか言ってる暇なかったしな。マキヨ君にはマキヨ君で結婚しなければならない事情があったし、俺には俺で結婚した方がいい理由があったから結婚しただけで、好き嫌いは絡まなかったから」


 おや、思ったより事情があるらしい。まー、あのお家だものなぁ。


「マキヨ君は少なくとも、俺のことは好きじゃないだろうが」


 うん?すれ違ってんじゃん!


「なんでそう思ってんの?」

「絶対、俺とは政略結婚だからって言うから」


 あー!照れが違う方に取られてる!ここは違うよって言っておいた方がいいのかなぁ。いや、でも変に拗れても困るし……。


「じゃ、えっと、ベルドは? マキヨ嬢のこと好き?」

「だからよく分からん。でもマキヨ君が俺のことを好きでない以上、あまり好きにはならない方がいいんだろうとは思ってる」


 あぁぁぁぁ!そこは好きでいいのにぃぃぃ!

 わたしは思わず頭を抱えた。えっ、この夫婦なんか面倒!どうしてそこは好きにならんの!


 つまり結婚はしてるけど、恋人以下なわけね!ベルドはマキヨ嬢に対する好感度は高いけど、マキヨ嬢に相棒以上の好意を持たれているわけではないと認識しているから、それ以上になることはない。そしてマキヨ嬢は好感度マックスなんだけどマックスすぎて崇めちゃう。崇拝対象だから、相棒以上の展開が難しい。

 お互い好感度高いのに、妙にすれ違っている。むしろ今回はボーナスイベントだったんじゃん!


 顔を上げるとベルドは不思議そうな顔をしてわたしを見ている。そりゃそうだろうなぁ!しかも眠そうだから、半分くらい何話してるのか分かってなさそう。


「嫌いじゃないよね?」

「嫌いではないな。素直だし寛容だからな。美人だし」


 美人を最初に言わないあたり、ベルドは内面重視かな。


「妹みたいな感じ?」

「妹……ではないな」


 そっち方向に進まれると後々恋人に昇格しづらいから、それはいい。いいぞぉ。


「どうしてそんな話になったんだ?」


 突然問いかけられて、わたしは慌てた。


「マキヨ嬢と話しててそういう話になったんじゃないよ。結婚してるしイチャイチャもできるのに今まで見たことなかったから、どういう風に思ってんのかなって思っただけだよ」

「ま、そうだよな。結婚の話は忘れてたな」


 忘れるレベル……!重症かもしれない。

 これは!もうこれはベルドにマキヨ嬢に対する気持ちをしっかりしてもらって!


「謝るから寝ていいか」


 いけね!病人だったわ。


「謝らなくていいから寝て。お水はもういいの?」

「水……。あれ、マキヨ君遅くないか。大丈夫だろうな」


 眠そうだった目が一気に光を鋭くする。置いてあったステッキを取って、ベッドから降りたところでドアが開いた。顔を真っ赤にしたマキヨ嬢がいた。


「マキヨ君、何かあったか」

「な、何もないわ。水がなくて」


 突然の水不足。


「キッチンに誰もいなかったの。お水、汲もうかと思ったけど、私には無理そうだったから、キッチンにあったピッチャーのお水を移し替えてきたの」

「ピッチャーごと持って来てもよかったんじゃないか、そこは」


 呆れたように笑って、ベルドはステッキを置いた。ベッドに座ったベルドの横で、椅子に座ったマキヨ嬢は震える手でピッチャーから水を注ぐ。よく見るとピッチャーびしゃびしゃ。不器用な彼女のことだから、キッチンの水回りもびしゃびしゃかもしれない。後でチェックしにいかないと。

 ベルドは美味しそうに水を飲みほした。


「ありがとう。うまいな」

「どう、いたしまして」


 ベルドは横になる。そして、すぐに寝息を立て始めた。相当眠かったらしい。疲れてるんだろうね、申し訳ない。


 わたしはマキヨ嬢の膝に乗る。


「マキヨ嬢、キッチン水浸しになってないよね?」

「あ、少しこぼしたかもしれないわ」

「一緒に見に行こうか。人いないんでしょ?」


 マキヨ嬢が部屋の鍵を持って立ち上がる。外に出て階下に人がいないのを確認すると、マキヨ嬢はわたしの身体をホールドした。


「リ、リル、ベルドに私のこと聞いてた、の?」

「あー、うん。どんな感じかなって。聞いてた?」


 マキヨ嬢がわたしのお腹に顔を埋める。


「素直で寛容で美人って言われた……!」


 喜んでた。まぁ、推しの褒め言葉だからね。そうなるか。わたしはマキヨ嬢の頭を撫でる。


「よかったねぇ」

「あ、ありがとう、リル。私、途中からで……。他に何か言ってた?」

「そうだなぁ。うん。とりあえずマキヨ嬢」


 わたしのお腹から顔を離して、彼女は上目遣いにわたしを見た。圧倒的な可愛さに押されつつ、でも言うことは言わないといけない。


「『政略結婚だから』て言うの、やめようか」

「えっ! ベルドに申し訳ないわ」

「なくないなくない。これからそれ言うの禁止ね!」


 戸惑いながら、分かったわと頷くマキヨ嬢。とりあえず一つこれでよし。


 ふわふわと嬉しそうなマキヨ嬢の頭に乗ってキッチンに行ってみると、思った以上に水浸しだった。そこへ宿の主人が帰って来てしまい、頭の上にぬいぐるみを乗せ平謝りに謝る美少女と、困惑する宿の主人と他の泊まり客というカオスな状況が出来上がったことを、今もベルドには内緒にしている。

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