雪の日、特別な一杯をあなたに(1)
今年の大気はどこかおかしい。寒季の入りに葉揺亭にてそう口に出したのは、熟年の狩人が先だったか、はたまた自然と生きる亜人種の娘が先だったか。いずれにせよ、大自然に通ずる者の言う勘は馬鹿にできない。
初雪の日より一週と三日の後、ノスカリア地方は過去に例が無い大雪に見舞われていた。昼間から視界は真っ白に塗られ、街角は死んだように静まり返っていた。夜にかけて雪の勢いは増し、人々が不安ながら寝静まる間に分厚い氷雪が世界を覆い尽くした。
朝。
アメリアが寝間着のまま自室の窓の外に見たのは、嘘のような銀世界であった。窓越しに映る向かいの屋根の上も、見下ろした道も、高台の上も、どこを向いても真っ白な雪だらけであった。脚が埋まってしまうくらい厚い、今なら二階から飛び降りても平気かも。こんな光景初めてだ、住み慣れたノスカリアとは思えない。アメリアは白の大地と同じくらいに眩しく目をきらめかせた。
身繕いもほどほどにして、アメリアは階段を駆け下りた。しんと凍みる空気も物ともせず、挨拶の声も忘れたまま、店への扉を開けて飛び出した。
店内には普段と何一つ変わらぬ様子のマスターが居た。温かい湯気の上がるカップを片手に、音に反応して燕尾を翻す。普段ならこの時間は常連の宿屋の旦那を接客しているが、今日はさすがに来店していなかった。
「おはようアメリア。楽しそうだね」
「だって、こんな雪、初めて! ちょっと外に行って来ますね!」
「寒いよ?」
「でも、二度と無いかもしれないですから!」
今はもう雪は降り止んでいる。あの真新しい雪の上に飛び込んで、自分が一番に足跡をつけて、そのまま分厚い雪に埋もれて、そんな世界の果ての雪国のような遊びは、溶けてしまう前の今しかできないのだ。
アメリアはうきうきと床板を踏み鳴らし、玄関扉を勢いよく押して開け放った。……つもりだったのだが、取手を掴んで蝶番をがたがた言わせる音だけが響いて、外の世界へは一向に繋がらない。
「……マスター、玄関が開かないです!」
「えっ?」
アメリアは全体重をかけて扉と格闘していた。それでも扉はうんともすんとも言わない。そんな光景を店主はしばらく呆けた顔で見ていた。
「……ああ、そっか。雪は重いから。積もった雪をどけないと、これじゃお客さんも来られないな」
「もうっ、そこは開店する時に気づいてくださいよ!」
「はは、ごめん」
マスターはこの頃店名のプレートを出すのをアメリアの仕事としていた。どうせ早朝に来るのはオーベルだけだし、鍵さえ開けていれば、彼は細かい部分がどうであれ息をするように入店して来るから問題ない。プレートを出すことがなければ、いよいよ一日中体の一部も外へ出さずに過ごせる。だから、扉が外から封じられている一大事を見逃した。
困ったマスター、と呆れ果てながら、アメリアは降りて来たばかりの階段を駆け上がっていった。
二階の自分の部屋の窓から見下ろすと、玄関先の状況もよくわかる。なるほど、扉が半分くらい埋まっているし、風で吹きつけた雪で隙間もがちがちに凍りついている。これでは小柄な少女がいくら体当たりしたってびくともしない、男手だったとしても難しいだろう。外開きの玄関扉であることが裏目に出ている。
さて、どうしようか。アメリアは腕を組んで外を見おろした。店の窓ははめ込み式で開かず、外へ出るには玄関を使わなければならないが、外から雪をどけないと玄関は使えない。そうすると道は、やはり、この窓から飛び降りるだけしかない。雪が優しく受け止めてくれればいいのだけれど――
「まさか、飛び降りようなんて思っていないよね。要らない勇気は出さない事だ」
気が付けばマスターが後ろに居た。
「アメリア、これを窓から下へ撒いてごらん」
マスターがこれ見よがしに顔の横へ掲げたのは、赤色の硝子の小瓶であった。片手のひらで握り込める大きさで頭のとがった円錐型、すり合わせの栓をしたまま揺らせばちゃぽんちゃぽんと音がする。
アメリアは腕を組んだまま怪訝に顔をしかめた。なんだこれ、と聞いても教えてくれないだろう。マスターは澄ました顔で、アメリアを急かすように手振りで窓を示すだけ。
指示通りに窓を開けて、中の液体を下に振りまいてみる。玄関の周り、なるべく広く飛び散るように円を描き、透明の雫が白い大地に舞い落ちていく。
そして二つが出会った瞬間、無音の爆発が起こったかのごとく蒸気が一面に立ち昇った。視界が雪の眩しい白と別の白に覆われて、アメリアは驚きのけぞり尻餅をついた。
白い靄が掃けた後、アメリアは恐る恐る窓を覗き込んだ。そうして見たのは葉揺亭の店先だけ雪が消え、見慣れた道が露わになっている風景であった。しっとりと濡れた扉のレリーフが、雲間から漏れる朝の日差しにきらめいている。
「これで玄関は開通。一件落着だ」
「……なんだったんですか、今の」
さすがに口からこぼれでた。しかしアメリアの予想通り、マスターは悪戯っぽくウインクして、内緒だと口先に人差し指を立てた。そうして悠々と燕尾を翻して店へ戻って行く。
アメリアはもやもやとした気持ちを抱えながらも、マスターの後に続いた。何はともあれ、重労働の雪かきをせずに済んだのは嬉しい事である。窓から入って来た寒風に冷やされた体を、温かいお茶を飲んで温めよう。
この日は、本来なら時計塔広場に市が立つ予定であった。しかし世界がこんな状況では中止だろう。交易は麻痺して遠方からの品物が届かないし、そもそも町人が雪に閉じ込められるような状況なのだ、出店者も客も集まらない。外に出ても徒労に終わる、少し考えればわかる事である。それでもアメリアは、紅茶で一服した後に深雪のノスカリアへと踏み出して、時計塔広場へと向かった。原動力は好奇心が十割だ、マスターに苦笑されても止まらなかった。
葉揺亭のまわりの入り組んだ住宅地の細道は、まだほとんど雪が掃けていなかった。一歩踏み出すたびに脚が埋まって、ブーツの中にまで雪が入り込んでくる。分厚いコートを着ているのに、冷気が肌を刺して体を縮ませて来る。そんな風だから、アメリアの歩みは亀のようだった。
なるべく雪の少ない場所を選びながら南へ抜けて、西から走る大通りへと出る。
「あれっ!?」
驚きに思わず声が出た。だって、大通りにはたくさんの人が居て、雪道も歩きやすくなっているのだから。
見渡せば、大勢で除雪作業をしている最中だった。近隣の一般の住民から、政府治安部隊の隊員たち、火を吹くアビリスタまでもが協力し合って、水路や建物の隙間に雪を押し込んで通りを復旧していた。筋肉自慢のアビリスタは、巨大な雪山をそのまま板で押して、道をならしながら雪を川へ捨てに行こうとしている。若者から老人まで、寒いのに関わらず汗だくになって作業をしている。
大人が一生懸命に復旧に励む一方で、小さな子供たちははしゃぎ回っていた。雪玉を転がして作った不格好な雪像があちこちに並んでいるし、集められた雪の山で小さな登山を楽しんでいる声が街角に響いている。こちらはまるで寒さを感じていないかのように元気いっぱいで、滑って転んでも笑いながら起き上がって走り回っている。
妙な熱気にあてられて、アメリアもいつの間にか寒さを忘れていた。踏み固められた雪道を、背筋を伸ばして歩く。無意識に表情を緩め、非日常な風景を浮ついた心で眺めながら東へ進む。時々すべって転びかけるのはご愛敬。
また、広場に近づくにつれて除雪が進んでいるのが明らかだった。まだ馬車が通れるほどではないものの、所どころ石畳があらわになっている。通り沿いの飲食店はちらほらと営業を始めており、雪かきに疲れた人を迎え入れている。
もしかしたら、予想に反して市もやっているかもしれない。そんな小さな期待を抱いたアメリアの足は少し早くなった。
そんな時、大通りから南の脇道に入るところで雪と格闘している人々の中に、見覚えのある姿を見かけた。あの緑のリボンテープを巻いた中折れ帽は。
「あれ……アーフェンさん、かしら」
他の誰よりも分厚く重ね着をして、マフラーやら手袋やらで完全防備、それでも寒さに身をこわばらせている。雪を見た事が無いと言っていた温室育ちの彼には、この災害じみた寒さは辛かろう。
アーフェンは他の人と同じように長柄のショベルで雪をすくって投げる動作をするものの、まったく気持ちも力も入っていない。少しすると得物を雪に突き立てて、だるそうな雰囲気を隠そうともせず近くにいた黒髪の少年と駄弁り始めた。相手の彼のこともアメリアは知っていた、アーフェンと同じギルドの仲間で、何度か葉揺亭に一緒に来たことがある。
アメリアは他の大人たちの邪魔をしないように避けながら、二人のもとへと近寄った。声をかける前に向こうも気づいたようで、特にアーフェンはみるみる顔に熱を取り戻した。
「おはようございます。雪かき大変ですね」
「ええ、本当に! まったく勘弁してほしいです。強制なんですよ、これ。ノスカリア中のギルドを狩りだして」
「あれですか、政府命令って言うのですか」
「いいえ、ラスバーナ商会の方です! ある意味では政府よりたちが悪いかもしれません、金銭が動くわけですから」
アーフェンは不満たらたらに教えてくれた。曰く、ラスバーナ商会が莫大な報酬金を支払う約束で、ノスカリア中の異能者ギルドを大雪対応に動員させたと。そして市街地だけでなく、東西の街道や周辺の農村までの支道にまで精鋭を派遣して、交易の早期回復を目指している。
もちろんいくら金を積まれたところで、駆り出されたギルドの者たち全員が乗り気とはいかない。力仕事は不得手な者も居るし、役立つ能力を持っているとも限らないから当然だ。どちらにも当てはまるアーフェンが最たる例だ。しかしギルド単位で報酬が発生する仕事を請け負った以上、与えられた仕事は嫌でもこなさないと信望に関わる。そして信望こそ、はみ出し者の異能者にとっては大事な生命線なのである。
散々愚痴をこぼした最後に、アーフェンはげんなりとした白い息を吐き出した。
「ああ……アメリアさん、これが終わったらお店に行きますよ。続けていたら心の底まで凍ってしまいそうですから」
「ええ、ぜひいらしてください。お友達もご一緒に。暖かくして待ってますから。お店の前は雪も無いですし、雪で嫌な思いをしないですみますよ」
「えっ、もう全部どかしたんですか!? あ、アメリアさんは、見た目に寄らず、意外と体力があるんですね……」
「え、ええ、まあ。すごく早起きしたんです。あっ。じゃあ、お仕事頑張って下さいね! 私はマスターのお使いがありますから! 後でお店で待ってます!」
アメリアは小さな嘘をつきながら二人の少年に手を振って、逃げるようにその場を立ち去った。マスターの魔法の水で何の労も無く終わらせただなんて、汗水垂らして苦闘する彼らに言えようか。マスターも内緒にしているのだし、余計に。
――でも、そもそもマスターがもっとみんなに協力しないといけないですよ。ノスカリアの危機なんですもの。
あの赤い瓶の不思議な液体をみんなに配れば、大雪問題はあっという間に解決してみんな幸せなのに。あまりにも無関心が過ぎるマスターの振る舞いが、アメリアの中でもやもやと吹きだまりになっている。今もマスターは葉揺亭で一人ぬくぬくと過ごしているだろう、その姿を想像すると、苛立ちと寂しさが混じった複雑な気分になる。どうして平気で居られるのか、と。
「……マスター、私だったら閉じこもってなんて居られないですよ」
おもむろに足を止めて、溜息ひとつ。しかしすぐにぷるぷると頭を振って、じめじめした気持ちを追い払った。気分は明るく保っていないと、あっという間に凍りついてしまうから。
「ちょっとだけ広場を見たら、アーフェンさんたちをお迎えする準備に急いで戻る!」
自分に号令をかけて、自分で「おー!」と腕をあげる。そうしてアメリアは雪かきの進んだ石畳を小走りで時計塔広場に向かった。走り始めた途端に派手にすべって転んだのはご愛敬。
いつもの何倍もの時間の末にたどり着いた広場は、雪による障害はほぼ無いほどに復旧されていたが、賑わいは普段通りとはなっていなかった。ちらほらと食べ物の屋台が出ているものの、とても市の日だと呼べる光景ではない。やはり交易都市と言うだけあって、他地域との往来が生命線なのだ。
せっかく来たのだからと、屋台の一つを覗いてみる。石を積んで造った即席のかまどで薪火を起こし、大きな寸胴鍋でスープを煮込み振る舞っている。飾り程度の豆と肉が浮かんだ、色も薄い汁が主体の貧相なスープだ。これが積雪のある景色の中では、途端に贅沢なご馳走に見えて来る。実際に作業に疲れた男たちが大勢集まって、スープを飲んで温まっている。
アメリアも一杯いただいた。混じりっ気のない薄塩味が体を芯から温める。思わず笑みをこぼし、ほっと一息。熱っぽい吐息は冷たい空気の中に白くふわりと漂った。周りでも同じような湯気がたくさんあがっている。
熱い内にスープを飲み干した後、アメリアは広場をぐるりと見渡し、他に興味が引かれる物が無い事を確認してから帰路についた。市は無くて目ぼしい戦利品はなかった、しかし非日常な町に出た経験はアメリアの中に確かな存在として残った。大雪は楽しいだけじゃなく、大変で、疲れて、寂しくて、でもいつもと違うものがおいしくなるのだ、と。町に出て来てよかった、そうアメリアは小さな笑顔を噛みしめた。




