寒い日は暖かい世界で(2)
先細りの口からティーカップへ、赤みの強い紅茶が蒸気と共に注ぎだされる。白く暖かな蒸気の中に、独特の香りが入り交ざっていた。かすかな甘やかさをはらんだようなこの匂いは、茹でた栗とよく似ているような。そう言うと、マスターは「栗じゃあないよ」と否定した。じゃあなんだろう。レインはどきどきしながら紅茶を口にした。
「あっ……ジンジャーの味がする」
「わっ、もしかして苦手だったかい!? 君はスパイス系が好きだから、これも大丈夫だと踏んだんだけど……」
「ううん、好きだよ。思ってもみなかったから、ちょっとびっくりしただけ」
ジンジャー自体は、料理に薬草にと使われる根野菜の一種で馴染みがある。しかし他に類のない辛味をお茶に使うという発想はレインにはなかった。ノスカリアの他の店でも見た事が無い。
栗とジンジャー、奇妙にも思える取り合わせだが、確かに自分好みの味だとレインは思った。鼻に抜けるつんとした風味が癖になる。それにマスターが言った通り、体が芯から温まる。温かいものを飲んでいるからというだけではなく、まるで心臓に小さな炎が灯って、そこから発せられる熱が全身へ循環しているような温もりだ。
「お気に召したかい?」
「うん、とっても。体がぽかぽかするし……これジンジャーの効果ってわけじゃないよね、普通じゃないもん」
「ちょっと特別なもの――まあ、そもそもジンジャーじゃないんだ」
「え?」
「形状も味も似ているけど、こっちの方がちょっと辛味が強いかな。匂いもまあまあ違う、少し水っぽい。紅茶にするとそれはわからないだろうけど」
そう言いながらマスターは手元にあった小瓶を掲げた。先ほど引き出しから探し出していたものだ。中身は白みがかった粉末で、よく見ると繊維質であるのがわかる。
「イオニアンは北天の地、氷雪に閉ざされた国イシリス。その極寒の中で咲き誇る不凍の蘭『フェゼン』の根の粉末だよ」
「イシリス連邦かあ……なるほど、珍しいって言うわけだね」
世界の最北に位置し、統一政府からも独立しているイシリス連邦。一年を通して雪と氷に覆われている大地には、ノスカリアとは全く異なる文化や植生が根付いている。また、ノスカリアが世界最大クラスの交易都市とは言えど、北と南で物理的に遥か遠くであるため、イシリスの物品がノスカリアまで流れて来る例も滅多にない。
これは本当に珍しいものだ。レインは感心の息をつきながら、濃い色の紅茶をうっとりと眺めた。
しかも珍しさだけではなく、本当に「特別な」力がある品なのだとマスターは力強く指を立てて語る。
「一言でまとめるなら、体温を上げる力がある。どんな寒さの中でも凍えずに済み、体力の低下から来る病をも退ける。イシリスじゃあ吹雪の中で活動する時の必需品さ」
「へえ。じゃあ、たくさん飲んだら防寒着要らずで便利そう」
「いいや、その素人考えが危険なんだ。ティースプーンに一杯と雀の涙の量、これが肝要だ。もちろん足りないと効果が不十分、しかし多すぎれば高熱で苦しむことになる。実際に、欲張ったせいで体が中から茹で上がって死んだ、という記録も残っている」
「うわあ……聞きたくなかった」
「レイン、この僕を誰だと思っているんだ。そんな初歩的な間違いは犯さないから安心してくれよ」
「もちろん信頼してるよ」
レインはいたずらっぽく口を尖らせた。知る中で一番頼もしい人物だ、それは断言できる。でも時々理解不能な言動があるのはご愛嬌か。
そう言えば、と先ほどの光景を思い出す。マスターは瓶の粉だけではなく、何かを真珠玉みたいな粒を砕いてポットに入れていた。あれはなんだったのだろう。レインが尋ねると、彼は惜しみなく答えを聞かせてくれた。次に差し出されたマスターの掌の上には、やはり真珠玉がちんまりと乗っていた。
「最後に割って入れたもの、これはターダ貝が作る結晶体さ。不凍蘭の刺激を緩和し、おまけに長く効くように作用する。君が栗みたいだって言った味の正体でもあるね」
「うーん、説明されても真珠としか思えないんだけれど」
「何を言っているんだレイン、宝石だったら食べられるわけがないだろう」
そんな当たり前のことをマスターは真顔で言った。レインはついそれに吹き出した。
「もう、マスターってば。さすがに知ってるよ。でも、私の作った人形劇のドラゴンだったら食べちゃうけどね」
「竜でもさすがに宝石は――いや、なんでもない。物語なら自由だ。たとえ宝石を削って紅茶を七色にきらめかせても、ね」
言いながら、マスターはターダ貝の結晶を瓶に戻し、その瓶を振って見せた。光を反射した真珠玉が艶やかにきらめいた。
「そうだレイン、今の言いよう、君は劇の話も自分で作るのか」
「簡単なものは一から。でも、童話とか昔話をアレンジする方が多いかな。図書館に行けば色々あるし――」
そうだ、とレインは手を叩いた。手のひらを合わせたまま頬に置き、期待に満ちた目でマスターを見る。
「マスターさ、変わった昔話とか知らない? 子供にもわかりやすくって、劇にした時に演出が映えるような」
「そりゃ色々と知っているけど」
「じゃあ聞かせて。ちょうど新作つくろっかなーって思ってたの。お願いします、なんでもいいから」
「なんでもいいって言われると迷うなあ」
そう一人ごちながら、マスターはレインの対面に自分の椅子を引いた。口では迷うと言った割に、着席するなりすぐ姿勢を整え、にこやかに指を一本立ててレインへ語り掛けた。
「この季節だ、雪にまつわる話にしよう。ところでレイン、その年初めての雪が降った時に『白の女王が通った』って言うのを聞いた事は?」
「無いよ」
「だろうね。今時は使わない、廃れた伝承さ。……そうじゃないと、僕は話を変えなければいけないんだけどね」
おどけて肩をすくめてから、マスターは「白の女王」のゆえんを語り始めた。優しく穏やかな、あたかも幼子に話しかける母親の語り口で、耳に心地よい音である。
レインは静かに紅茶をすすりながら、その語りに耳を澄ます。
「昔むかしの人たちは、雲の上に大地があると信じていた。天空に広がる世界の中にある雪の国、そこを治める王こそが白の女王だ――」
白の女王は国の中心にある白銀の城に住んでいて、ほとんど外には姿を現さない。と言うのも、女王を始めとした雪の国の住人たちは、常に体から極寒の気を放っていて、他の生き物たちにとっては害になるから。とりわけ女王は強力な力の持ち主で、普通に歩いただけで周りの全てを氷漬けにしてしまうのだ。
しかし、これは単なる女王自身の気持ちによる自粛に過ぎない。城に閉じこもり続ける閉塞感に耐えられなくなった時、白の女王はたがを外し、城外、さらには国外へと飛び出してしまう。この女王のフラストレーションが爆発する周期が、たまたま下天の一年と一致するのだ。
「初雪の日に空を見上げたら、分厚い雲が目に入るだろう。そこに白の女王は居る。地上に降り注ぐ雪の結晶は、天上に居る女王と供の者たちから溢れ出た雪の国の力そのものなのさ」
天上の女王の気まぐれな散歩と共に、地上には寒い季節が訪れる。それがいつまで続くのか? それは、外界巡りに満足した白の女王が城へと引き上げ、彼女たちの残り香がすっかり浄化されるまで。すなわち女王の気持ち次第だ。
初雪に触れて「白の女王が通った」と地上の人間が口にする。そこに寒々とした季節の訪れに対する嘆きを込めるか、それとも年に一度の雪景色を歓迎する喜びを込めるのか。同じ言葉でも、これすなわちその人の気持ち次第だ。
「――どうかな? こんな話」
「伝承としてはおもしろいかもしれないけど……うーん、なんか、雪の降る理由が後ろ向き。女王のわがままのせいなんだよね、結局は」
「それのどこが悪い?」
「子供に聞かせるんだったら、もっと前向きで明るい方がいいじゃん。寒いのが嫌いになっちゃうよ」
レインは口を尖らせた。自分は紅茶で温まりながら話を聞かせてもらったからよかったが、もしこれが寒い屋外で立ち話だったとしたら。寝入るまでずっと白の女王へ恨み言をぶつける羽目になったかもしれない。
いまひとつな感想を聞かされたマスターは苦笑いをした。
「まあ、そこは君の腕でなんとかしてくれ。アレンジして脚本に使うんだろう? さっきも言ったけれど、物語は自由なんだ、伝承をそのままなぞる必要もない。君らしい前向きなお話に昇華させるんだ。君ならできる」
「うん、そうだね。せっかく聞かせてくれたんだし、頑張ってみようかな」
例えば白の女王が出かける理由。それが恋人との逢瀬のためだとしたら、少し美しい話になるかもしれない。だって、こんなに寒いのに城に一人で居るのが寂しいから、ああ、それも共感を生む良い話になりそうだ。レインは暖かい熱に心を解きほぐし、白の女王になりきって情景を想像してみる。自分の城の外に何を望むか。
そうしてレインがふと窓の方を振り向いた時だった。硝子の向こうを、金色の影が右から左へと横切った。
あっと言う間も無く、葉揺亭の玄関が勢いよく開け放たれて、息を切らせた三つ編みのブロンドの少女が飛び込んできた。
「マスター、ただいまっ! あっ、レインさん!」
「アメリア! もう、アメリアが居ないから寂しかったよー」
アメリアはえへへと笑うと、その場で一つくしゃみをした。両手で口元を押さえて、弾みで伏せた目を開いた、そこで出かけた際と店の景色が違う事に気づいた。レインと同じように玄関先で、青い目をぱちくりさせて呆然と立ち尽くしている。
「あの……なんですか、この黒こげ」
「こんな狭い場所で火遊びした大馬鹿者が居たんだ。いくら寒いからって、家ごと燃料にするなんて言語道断だよ」
「火遊びって、まさかヴィクターさんが――」
「まあ、アメリア。店を閉めてから僕が綺麗にするから。君は気にしなくていい」
「はあい。……一体何をしでかしたんですか、ヴィクターさん」
アメリアは憂悶の顔をしながらも、冷えた体を温めようと早足で炭ストーブに駆け寄った。今はもうストーブは平然と立っている。が。
「そんなあ! 火が入ってない!」
「ごめんね、色々あってさ。こっちに来てお茶を飲んで温まりなよ」
「うう……マスター、お願いします、急いでください。私、凍っちゃいそうです。だって、もう雪が降り始めたんですよう!」
鼻を赤くさせ大声で言いながら、アメリアが小走りでカウンターに駆け込んできた。その言葉を聞いて、今度はレインが興奮して叫んだ。
「白の女王が通った!」
窓の外へ目を凝らすと、白く軽いものが舞っているのが確かに見える。まさかこんなタイミングで降り始めるとは。レインは頬を紅潮させ、嬉しそうにマスターを見る。彼も「ああ、今通った。偶然だね」と笑っていた。
「え? なんですか? なんなんですか?」
事情を知らないアメリアが、きょとんとしたまま二人を交互に見やる。
「続きはお茶を飲みながらにしよう。レインと同じものでいいかな? すごく体が温まる」
「はい、お願いしますマスター」
寒さを苦にして暖かい世界に身を寄せて、しかし口で語るは冷気が織りなす白銀の風景のこと。凍える恐れが無ければ、それは魅惑の情景なのである。
果たして白の女王は、一年ぶりの外出で何を見ているのか。さぞ楽しんでいるのだろう、空にかかった厚い雲はそうそう簡単に消える様子ではない。
そして天上の雪国からの贈り物は、地上の都市を美しい銀世界へと塗り替えていくのだった。
葉揺亭 本日のスペシャルメニュー
「不凍蘭の紅茶」
どんな極寒の中でも凍り付かない不思議な蘭・フェゼンの根の粉末を溶かし込んだ紅茶。
単体だと効能・味覚ともに刺激が強いためターダ貝が生成する魔力の秘められた結晶を混ぜてマイルドに調製する。
仕上がりの味はジンジャーと栗の紅茶と言った風になる。
ポットひとつ分飲み干せば、体温を高める効果がおよそ一日続く。息すら凍る夜でもぐっすり眠れるだろう。




