寒い日は暖かい世界で(1)
ノスカリアは比較的温暖な気候ではある。しかし一年の内、暦で言うなら白月季三節の終わりから四節にかけての約五十日は、雪が降るほどの寒冷に見舞われる。ちょうど今の時期が本格的な冷え込みの始まりだ。
人形師のレイン=リオネッタは首まわりに巻き付けたストールを手でさらにきつく絞り、身を縮めながら足早に町を歩いていた。往来の賑わいも普段に比べれば控えめで、頭上を見れば暗く重い雲が青空をすっかり隠し、町全体が急激な季節の移ろいに震え上がっている。
――こんな寂しい日に一人で家に居るなんて。
そんなレインの足が向かう先は葉揺亭だ。外がいくら寒くても、葉揺亭に行けば体も心も暖まる。熱々の紅茶もそうだし、この時期になるとマスターが小さな炭ストーブを引っ張り出して店に置いてくれる。薪と違って炎があがらないから空間を暖めるには心もとないものの、赤々と燃える炭火は気持ちをゆったりと暖めてくれる。
ああ、早く暖かい世界へ逃げ込みたい。レインの足取りはどんどん早くなり、そして葉揺亭への小路を曲がった頃には、ついには走り始めていた。そして家族の待つ我が家に飛び込む勢いで、蔦の葉レリーフの玄関扉を開けた。
「わっ……なになに、どうしたのこれ、火事!?」
扉を開いた格好のまま、レインは固まった。
板張りの床を一直線の黒い焦げ跡が横切って、最終的に左手側の壁にぶつかり、まるで炎を吹き付けたかのように壁面を黒ぐろと染め上げていた。焦げ跡の逆端には、転げた炭ストーブと散らばった木炭が。それらの消火のためだろう、床は水浸しになっている。
マスターはストーブを起こそうとしている所だった。来店客をちらと見て、レインだと知ると困ったように微笑みながら肩をすくめた。そして重い音と共にストーブを起こし立てる。
「間一髪だったよ、レイン。巻き込まれなくてよかった」
「何があったの? ただの事故……じゃないよね」
「空気が寒くなると、人の心も荒むんだよ。困窮が平素より身に堪える、そういう錯覚に陥るのは理解できる感覚だ。が、それを血を見るような手段で逃れようとするのは最適解とは言い難い」
しみじみと語るマスターに対し、レインは眉をひそめていた。何がなんやら。謎掛けのような言葉を、頭をひねって解き明かす。
「えーっと……要するに、強盗が入った?」
「正解だ、よくわかったね」
雑巾を手に床にしゃがみながら、マスターは笑った。
炭の弾ける音が聞こえる店内へ、茶店の空気にはまったく似つかわしくない風貌の男たちが乱暴に踏み入って来たのは、ちょうどレインが家を出た時分のことである。薄汚れた格好の三人の男たちが各々剣だの棍棒だのを振り回し、「ありったけの金を出せ」と何の捻りも無い強奪を企んで押し入って来た。
なぜこんな辺鄙な店に、とマスターは思った。が、客観視してみれば、常駐するのは痩身で色白な男と華奢な少女の二人だけ。おまけに客足が多くない割には裕福そうな経営をしている。人目につかない立地も、強盗の標的にはうってつけだ。なるほど、単細胞に見えて計画的犯行か。マスターはカウンター越しに首へ刃を突きつけられながら、妙な感心を覚えていた。
ただ計画的にやるのなら、頻繁に出入りする顔ぶれの素性まで調べておくべきだった。しかも強盗団にとって不運な事に、出入り客の中で一、二を争うほど犯罪慣れしている人物が居る、そんなタイミングで犯行に及んでしまった。カウンターでだらだらと伏せっている後ろ姿だけでは一見優男に見えるから、行けると踏んでしまったのだろうが。
金を出さなきゃこいつの頭を叩き割る、強盗の一人がマスターへすごみながら、横向きでカウンターに頭を預けていた客の茶髪頭へ棍棒をごりごりとすりつけた。
その客の青年はげんなりとした息を吐きながら、目玉を上にしてマスターを仰いだ。口元はかすかに吊り上げられていた。
『やれやれ、参ったねえ。……なあ、この状況どうにかしたら報酬出してくれるかい?』
いいよ、とマスターがさらりと答えれば、黒コートの青年は瞬時に顔つきを変えた。後ろに跳ねて人質の座から降り、常に隠し持つ武器と得意の炎術をもって、目を丸くした強盗たちをあっという間に成敗した。
ただし、青年も一つ失敗をした。報酬につられ、打ちのめされて逃げだそうとした強盗たちを絶対に逃がさまいという気がはやり、炭ストーブを蹴倒し、その炭火を火炎放射の砲台にした。
確かに効果は覿面であった。店を横切る炎の壁に阻まれて、強盗たちは逃げ道を失って身をすくめた。獲物を捕らえた青年は、燃え盛る火と焦げ臭い煙に煽られながら得意満面な笑みを浮かべた。
しかし同時に、店主の怒りの稲妻が彼の頭に落ちたのであった。
「――で、どうなったの? その人たち」
「知らない。『四人』とも命からがら逃げていったから」
「物騒な人たち」
強盗はもちろん、撃退した方も。運が悪ければ葉揺亭が焼失していたかもしれない。マスターやアメリアも無事では――と、レインは息を飲んだ。そう、どこにもアメリアの姿が見えないではないか。あの子のことだ、こんな事があれば居ても立っても居られず飛び出してくるだろうに。
「あ、アメリアは!? まさか――」
「ちょうど出かけている所だった。本当に運が良かったよ」
「そうなんだ……安心したよ」
レインは胸をなでおろした。寒風に煽られてつい慌ててしまったが、よくよく考えてみると、アメリアに何かあればマスターがこんなに悠長にしているはずがない。早とちりに自嘲しながら、黒焦げの跡を雑巾片手に途方もなく見つめるマスターに声をかける。
「ねえマスター。お店、大丈夫? 今日は帰った方がいい?」
「ああ、いいよ、営業は継続中だ。すまない心配させて。これは目に入れないようにしてくれ」
「別にいいよ。でも……これ、後始末が大変だね」
「まったくだ。削るか張り替えるかしないと――まあいい、今夜にでもやるよ」
そう言ってマスターは吐息一つ残して後片付けを切り上げ、カウンターへ戻った。
「今日は? いつものでいいかい?」
「でもいいけど、何か、うーんと体があったまるのがいいな」
「外は相当寒かったかな」
「うん。もう雪が降りそうな感じ」
空模様を思い出すに、遅くとも今晩あたりには初雪になりそうだ。今宵はさぞ冷え込むだろう、こういう日は自分一人きりの家が恨めしく思える。心の寒さに拍車がかかるから。
レインがちょっとした切なさを抱くと、まるでその心を読んだかのようにマスターが提案をした。
「ねえレイン。いつまでも体が温かくて雪の夜も平気に感じられるような珍しいお茶、飲んでみたくないかい?」
「いつまでも? それに珍しいって?」
「材料が珍しい。ここらじゃまず手に入らない。そして、それを最も至適な条件で調整できる腕の持ち主も珍しい」
「ふふっ、言うねマスター。じゃあ、それお願いします」
よし来たと店主は満面の笑みを浮かべた。
マスターは背面の棚に向いて、最上段の引き出しを開けている。
――そういや、あそこは「特別」だってアメリアが言ってたっけ。
レインはふと思い出した。どう特別なのかは教えてくれなかったが、さっきのマスターの言い方からするに、特に珍しい材料がしまってあるようだ。なんとなく、それだけの単純な理由ではない気もするが、深くは詮索しない。知らない方がいいことも世の中にはたくさんある、そう思っているから。
ところで、そのアメリアはどこへ行ったのだろう。レインが葉揺亭を訪れる時は九割がた彼女の元気な声が聞こえて、残りの一割、アメリアが留守にしている時には、マスターが落ち着かない風にしているのが常のこと。口を開けばアメリア、アメリア、と。しかし今日はどちらでもない。強盗なんて異常事態まで起こったにも関わらず、マスターは平素と変わらぬ穏やかな空気を纏って茶と向き合っている。
「ねえマスター、アメリア、どこに行ったの?」
「今日はスラムにある学校だよ。『遊びじゃなくて、ちゃんとお勉強してきます!』なーんて、張り切って出て行った。そろそろ帰って来るんじゃあないかな」
のんびりとしたマスターの一方で、レインは冷や水を浴びせられた心地だった。たん、とカウンターに手をつき、腰を浮かせて前のめりになる。
「待ってマスター、どうして一人で行くの止めなかったの!? マスターなのに!?」
「なんだ、どうした」
「だってスラムだよ!? 危ないじゃん! それこそ強盗とか! 誘拐とか!」
長い髪を乱しながら詰めて来るレインに対し、マスターは喉の奥で声をあげて笑い、落ち着けと片手をレインの頭の前にさしだした。
「心配しなくても大丈夫だ、危険性なんて微塵も無い。あそこには僕の知り合いが居るんだ、すっごく頼もしい、ね。彼の目が届く所にアメリアが居るのなら、僕は何の不安もなく居られるよ」
「……本当に大丈夫なの?」
「そうでもなければ、僕がアメリアを放逐するわけがないだろう? それは君が思っている通りさ」
マスターはあっけらかんと言った。確かに、とレインも納得し、大人しく椅子へ腰を降ろした。
レインは乱れた髪を手櫛で整え、ぼんやりとした息を吐いた。淡々と茶の準備を進めているマスターの様子を頬杖をついて眺めつつ、それにしても、とぼやいた。
「アメリアは勇気があるなあ、いつまでも可愛いだけだと思ってたのにさ。私だったら、スラムの周りなんて絶対近寄れない。一人じゃなくても」
「それはどうして?」
「だって怖いじゃん。ノスカリアで悪い事を企んでいる人って、だいたいスラムに隠れているらしいよ。実際に騒ぎになる事件がたくさんだし、それに……暗くて汚いし」
「ノスカリアのスラムなんかまだ良い方さ。底なしの沼ではない、境遇に流されるままではなく抜け出そうとすれば希望はある。術と力と知と、ほんのちょっとの運さえあればね」
「運だって。それが一番難しいんじゃないの? 神様は簡単にはほほ笑んでくれないよ。マスターとは違うもの」
「そうかな」
マスターはほほ笑みを浮かべながら、小柄なナイフの背を台上に小さく振り下ろした。敷かれた紙の上で、打ち据えた白い球体が粉々になる。それを熱々の紅茶が抽出できたティーポットへ入れ、ティースプーンで軽く一かきする。
「さて、完成だ。立つ事すら憚れる寒日には、寒さを知らぬ花の力を借りるべし。かわいらしいお嬢さんが一人で凍えているのは目にも痛いからね」
「もう、マスターったら、よくそんな台詞がすらすらと言えるよね」
「君だって人形劇の時はどんな台詞も恥ずかしげなく言えるだろうに。それはさておき、味も君好みだと思うから、冷めない内に飲んでみておくれ」
言われるまでも無く、レインはティーポットを手に取った。




