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晴れ舞台は貴人の茶会で(6)

 サシャが登場してから、ソムニは口を閉ざしている。カウンターから離れる様子はなさそうだが、黙っているなら無視できる。アメリアはほっと一息つきながら、湯を取りに暖炉へ向かった。


 そこへシユが飛び込んで来た。


「大丈夫でしたか、アメリア殿」

「はい。あの、サシャお嬢様が助けてくださって」

「うむむ……」


 二人の視線は同時にカウンターへと向いた。サシャはすまし顔で居たが、視線がかち合うと、意味ありげにぱちりとウインクをした。それを見たシユが悩まし気にこめかみに手をやる。


 ソムニが問題だ。静かにしていると思ったら、彼女の矛先は今やサシャへ向いていた。アメリアへ対する悪辣な視線がそのまま、いや、一層不愉快さを色濃くしてサシャへと突き刺さっている。


 不穏な気配を感じながら、しかし仕事を止めるわけにはいかない。なるべくカウンターの前を見ないようにしつつ、アメリアはティーポットを温めて紅茶を淹れる。そして書き置きで残された次の注文の品を確認に手を伸ばす。


 その時、ふと前ぶれなくサシャが口を開いた。ただその声は、アメリアの居る方向とは逆へ向けられていた。


「ねえ、どうして私をずっと見ているの? アメリアさんの方が素敵なのに」

「はあ!?」

「私だったらこんな風に動けない。何かを作り出せる手、尊敬に値するものよ」

「……あなた、変人ですわね」


 ソムニは鼻で嘲笑した。が、サシャは穏やかなほほ笑みを保ったまま、組んでいた手を解きカウンターから身を起こした。


「そうかしら? でも、よく言われるから、そうなんでしょうね」


 彼女は静かに笑った後、体ごとソムニへ向き直り言葉を続けた。 


「だけど、私にはあなたの方が変わり者に見える。興味も無いのに社交の場そっちのけで裏方の仕事を見に来るなんて。素直じゃないか、それか……わざわざ邪魔をしに来た? 公に近い人の中に、そんな性根の腐った人間が紛れているなんて思いたくないけれど」


 話しぶりは穏やかだったが、言葉には重圧が込められていて、声が届いた周囲の空気が凍り付いた。自分へ向けられものではないとしても、近くで聞いているだけで神経に冷たいものが走る。アメリアは変な汗を流しながら固まっていた。ソムニを知っているだけに、気が気ではない。そしてもちろん、サシャの執事たる男も同様に顔を青くしていた。何か言いたげに手を浮かせるが、気圧されて口を開けないでいた。


 ソムニからどす黒いオーラが立ち昇っていた。自らを名家の娘だと誇るソムニにとって、嫌味の一つすら許されざるもの。きいっと目を吊り上がらせて、刺々しく言い返す。


「口が過ぎますわ。わたくしが何をしたって、あなたにケチをつける権利はないですわよ? あなた、わたくしを――」

「『誰だと思っていますの?』と言うところかしら。知っている、クロチェア公の大事なお嬢様でしょう。それがどうかした? 今の話になんの関係があるの?」


 声を荒げることも無く、仰々しく演ずることもなく、自然で落ち着いた物腰だ。それが逆に得も言われぬ恐ろしさをはらんでいる。


 ソムニは気づかなかったらしい。直情的に、ただ下々の愚者が口答えして来たと捉え、不満顔のまま威圧的にサシャへ詰め寄っていく。


「知っていてその口? ああ、ああ、とんだ無礼者ですわ! わたくしの庭にふさわしくない! あなたねぇ、所詮は商人の娘なのでしょう?」

「ええ、そうよ。それで?」

「ッ! あなたッ、ほんっとうに頭がおかしいですわッ! 野蛮な遊牧民なんかを連れているから、最初からわかっていましたけど! クロチェア家はねぇ、ノスカリアを統べる名家なのですわよ!? わたくしの家の方が偉いの! 商人の家ごとき、お父様が本気を出せばあっという間に取りつぶせますわ! だから、身の程をわきまえなさい。さもないと……どうなっても知りませんわよ」


 声を低くして睨みを利かせる。ソムニの中では全てを屈服させる最終通告のつもりだったのだろう。ところが、サシャはそれを一笑に付して肩をすくめた。


「どうぞご自由に」

「はあッ!?」

「でも、一つ言わせて。……身の程をわきまえるべきなのはあなたの方、と」


 薄く笑みを浮かべた表情のまま、サシャは一歩ソムニに詰めた。するとソムニの方が気圧されてたじろいだ。そのまま続けてサシャは静かに畳みかける。


「ノスカリアの良き治政者たる父君は敬いましょう。今この時もミスクにて南方大陸の法治に頭を悩ませているあなたの兄君も尊びましょう。彼らが私に命じるならば、私は膝をつき従いましょう。でも……あなたはどうか? あなたを仰ぐ理由が無い。なぜなら、あなた自身は何も為していないから」

「こっ、この、無礼な――」

「それなら教えて。あなた自身が何をできるのか。あなたの周りの人ではなく、あなたに流れる血でもなく、あなた自身が誇れるものがなんなのか、それを教えてちょうだい」


 ソムニの顔がみるみる赤く染まっていく。あるいは図星だったのか、口を開きかけたものの一切の音が出てこない。じわじわと潤む目の中で、瞳がぐるぐる泳ぎ回っている。


 サシャはソムニを真正面から見据えてしばらく待ち、返答が見られないと知るや、情け容赦なく切り捨てた。


「血筋、家柄、それだけで人の価値は決まらない。ソムニ=クロチェア嬢、私を跪かせたいのなら、相応の価値ある人になることね」


 ソムニはぎりりと歯噛みする音一つ残し、何も言わずに駆け出した。目からこぼれた雫が宙で一瞬きらめいた。そんな彼女の行く先は屋敷の方であった。


 派手なドレス姿が会場から走り去って行けば嫌でも目立つ。会場中の人々の関心がカウンター周りへ集まっていた。声を潜めて話し合う客、ちらちらと好奇の視線を向ける客、唖然として、あるいはどこか清々とした風に見守っている使用人、そしてクロチェア公も神妙な面持ちで一部始終を見ていた。唯一動いたのはクロチェア公の夫人、すなわちソムニの母で、大慌てでソムニの事を追いかけて行った。そして彼女以外は誰一人、開場前にソムニとつるんでいた令嬢たちでさえ、すぐに何もなかった風に元の茶会の喧噪へ戻った。


 アメリアの手は蒸らし終わったアセムの紅茶を辛うじて送り出した後で、完全に止まってしまっていた。彼女が心を掴まれたのは、ソムニの去った方を遠く見ているサシャだった。目の前に居る彼女を目を見張って眺めている。


 ――この人、マスターに似てるんだ。 


 初対面の時に、すぐに安心できる相手だと思った理由がようやくわかった。静かに落ち着いていて、しかし我は強く絶対に揺らがない、その雰囲気がよく重なる。今のソムニへの詰め寄り方だってそう、マスターが絶対の信条に基づいて説教をする時そっくりだ。


 じっと見ていたらサシャの目がアメリアに向いた。今しがたの強硬な態度とは打って変わって弱った顔をしている。


「ごめんなさいアメリアさん、邪魔はしないと言ったのに」

「いえ、邪魔だなんてそんな……」

「ほら、お茶のご注文が」


 その言葉にアメリアははっとした。見れば、使用人からのメモ書きが大量に溜まっている。会場の空気もすっかり和やかなものに戻っているから、急いで自分も仕事に戻らなければ。あわあわとメモを取って、頼まれた通りにポットを仕込んでいく。


 そんなアメリアの脇から、ひどく焦った様子でシユがサシャの隣へ飛んでいった。眉を下げながら、やや厳しさをはらんだ小さな声で叱咤する。


「お、お嬢様! あろうことか、クロチェア公のお嬢さんになんて暴言を!」

「そうかしら? 何一つ間違ったことを言ったつもりはないのだけれど」

「言い過ぎなんですよ! 言い方だって、他にあるでしょうに!」

「意見なら後で聞かせてちょうだい。今のあなたの役目は私のお守りではなくて、アメリアさんの補佐よ。……じゃあ、私はとりあえず戻るから。アメリアさん、引き続き頑張ってね」


 サシャはアメリアに向かってウインク一つ残すと、静かに踵を返して去っていった。



 ぱたぱたと動き回るアメリアの横で、シユがお客に出す茶器のセットを進めていく。その中で小声でぼやいた。


「申し訳ありませんなあ、うちのお嬢様が騒ぎを大きくして」

「最初に騒いだのはサシャ様じゃないですよ」

「それはそうですが……いやはや、クロチェア公にどう思われたか……。アメリア殿に飛び火しようものなら、どうしようかと……」

「いいんですよ。私、嬉しかったし、すっきりしましたから」


 アメリアは悪戯っぽく笑みをこぼした。だって、ソムニはいつも葉揺亭でやりたい放題してきて、ずっと迷惑をかけられる立場だったのだ。一回くらい向こうが泣かされるのを見て気を晴らす、そんな悪魔心を持ったっていいじゃないか。こっちは神でも天使でもなければ、人のお手本になるような権力者でもない、ごく普通の町娘なんだから。


「シユさん、もうこの話は終わりです。サシャ様だって普通にお茶会を楽しんでいるんですから、私たちも普通にお仕事をしましょう」

「はあ……しかし……」

「お客様の前でそんな暗い顔をしちゃだめですよ!」

「はっ、はい!」


 アメリアはくすくすと笑いながら、蒸らし終わったティーポットをシユのセットに並べて完成させた。



 もう邪魔は入らない、そうなると楽しくて仕方がなかった。カウンターは自分の世界、アメリアは思うがままに一人の茶師として腕を振るう。あれだけ嫌がっていたのが嘘のようだ、そう自覚して自分に苦笑いをこぼした。


 自分の気持ち次第で見え方が変わる、それは茶葉も同じだった。クロチェア家で持っている種類が葉揺亭と違う事、最初は不安から入ってしまったが、今は個性に惹かれていた。


 注文をさばききって手が空いた隙に、一番気になっている茶葉をじっくりと観察する。缶に「イェージェル」とラベルされた茶葉は、見た目には混ぜ物無しの紅茶の葉なのに、非常に強い柑橘系の香りを放っていた。レモンよりも甘く、オレンジよりも酸っぱい、濃厚だが爽やかな、アメリアの知らない香りだ。この香りのもとが試飲の時から気になっている。


 何度見てみても、果物のかけらや花といった、芳香をつける素材は混ざっておらず、一様に細長く縮れた紅茶の葉だけでできている。ということは、茶の葉っぱ、あるいは木そのものが柑橘の強い匂いを持っているのか。そんな話マスターからは聞いたことがない、知っていたら喜々として紹介してくれそうなおもしろい品なのに。


「……マスターでも知らないお茶があるって、あんまり考えたことなかった」


 思わず呟いて、そしてふふっと笑った。マスターは知らない、自分の知っている紅茶。いい土産話ができた、自慢しよう。


 ――いつか見てみたいなぁ、そんな不思議なお茶の木。他のも、マスターの知らないお茶をもっと見てみたい。


 缶を閉めながら、アメリアは遠い未知へと想いを馳せたのだった。




 楽しい時間はあっという間に過ぎるものである。


 最初に会場を去ったのは一体どこの貴婦人だろうか、答えはわからないが、それが合図だったかのように茶会は急に終わりへと舵をきった。特に号令があったわけでもないが、招待客たちが順々に主催たるクロチェア公へ挨拶をし、続々と会場を去っていく。


 ――終わった……!


 アメリアはやり切った顔で見守っていた。今日の青空と同じくらい清々しい気持ちだった。


 しかし、自分はどうすればいいのだろう。もう片付け始めてしまっていいものか、勝手がわからない。


 周りを見渡すと、クロチェア家の使用人たちはみな姿勢よく待機している。帰る客の邪魔にならないよう脇に下がり、近くを客が通ればさっと礼をして、声をかけられたら申し付けに応じて動く。まだ会場の片付けに走り回る人は居ない。そしてずっとアメリアの片腕となって動いてくれたシユも、カウンターの脇で客を見送るように静かに待機していた。


 アメリアも彼らに習う。両手を前で重ねて、見遣る視線は会場を広く。カウンターは門の方面とは逆側だから、帰宅の客が通りかかることはない。正直、暇だ。観察しかやることがない。


 茶会の客たちに関してはあまり興味を引かれない。きれいなドレス、それくらい。知る人が見たら平伏したくなる顔ぶれなのだろうが、アメリアからすれば全員等しく客で、誰か一番偉いとか誰と仲良くなるといいとか、知らないし知りたいとも思えない。


 しかし一人だけ、帰る前にもう一度お礼を言いたい相手が居る。某大商会の令嬢の姿を探し、アメリアは視線をあちこちへ回した。


「……あれ?」


 一往復、二往復。何度左右させても、サシャ=ラスバーナの姿は既に無かった。気づかない内に誰かの影に紛れ帰ってしまったのだろうか、いや、彼女の執事がここに居るのに黙って一人で帰るなんてあり得ない。おそらくは。


「あのう、シユさん」

「お困りですか?」

「いえ、私じゃなくて。サシャお嬢様がどこにも居ないみたいなんですけど……大丈夫でしょうか」

「えっ」


 シユは気づいていなかったようだ。アメリアに指摘されて慌てふためき周囲を見渡し、そして顔を青くする。


「申し訳ないがアメリア殿、私、失礼してもよろしいでしょうか!?」

「え、ええ……お嬢様に何かあったら大変ですものね」

「あの方は何かしでかす側なんです! 本当にもう、少し目を離すと……では、これにて!」


 シユは放たれた矢のように庭園を走り去っていった。あの人も大変そうだ、とアメリアは同情の目で後姿を見送った。


 この頃には会場はだいぶ閑散としてきており、テーブルの周りに客は残っておらず、数人が芝生を歩きながら雑談しているくらい。使用人たちも隅の方から少しずつ片づけを始めていた。


 アメリアも手伝おうと思って、何からすればいいか使用人に声をかけてみた。が、断られてしまった。下手に勝手がわからない人に手出しされるより、わかっている人間だけでやった方が早いし楽だ、そういう事らしい。アメリアも納得した。


 カウンターの片づけでできることは終わっている。洗い物も持って行ってもらったし、道具は整理整頓した。これをどこに戻すかは、勝手がわかっている使用人たちに任せよう。


 じゃあ、もういいだろう。アメリアがクロチェア公の様子をうかがうと、ちょうど彼の周りから人が居なくなっていた。失礼を気にせず近づくなら今しかない、アメリアは小走りで駆け寄った。


「クロチェア公」

「ああ、アメリア殿。今日はご苦労だった。おかげで皆に楽しんでもらえたよ」

「ありがとうございます。それで、私、もう帰ってもいいですかね? 皆さんにお片づけの事を聞いたんですけど、手伝わなくていいって言われました」

「まあ、そうだな。帰ってもらって構わない。一つ、今日の謝礼は後日でもよろしいかな? もちろん店主殿にも礼を言わなければなるまいし」

「問題ないです。マスター、お金の事ってあんまり気にしないですから」

「器が大きくて助かるよ」


 アメリアは苦笑で答えた。器が大きいというよりは、自分の興味があるものにしか口を出さないというだけなのだが。


「それとアメリア殿。ソムニの事なのだが……なんと言ったらいいか……とにかく、今日はすまなかった。私からも後できちんと叱っておくよ」


 クロチェア公は眉目を下げ、重い溜息まじりに言った。そんな顔をされてなんと答えればいいのか、アメリアも口ごもったうめき声を漏らした。


「も、もうその話はいいです。……マスターとの約束を守ってもらえれば」

「ああ。二度と君たちに関わらせない。侍従にも徹底するよう伝えおく」

「よろしくお願いします」


 では帰ろう。クロチェア公に一礼してから足を出しかけた、その時、芝生の方から早足で歩み寄って来る真っ赤なドレスの女性に気づいた。あの人はよく覚えている、フルーツ・ティを頼んで来た貴婦人だ。


 元々明るい顔をしていたその人は、アメリアに気が付くなり、さらに幸せそうな色に塗り替えて足も速めた。するとなぜかクロチェア公の顔が、彼女と真逆の暗い緊張に引きつった。


 恰幅の良い貴婦人は何と言うより先にアメリアの両手をまとめて握り、興奮してぶんぶんと振り回した握手をした。それから唖然としているアメリアを置いて、クロチェア公の方へ上体をひねった。


「ねえねえ、イルシオ! この子、新しく雇ったの!? どこで見つけて来たの。羨ましいわあ、わたしにちょうだいよ!」

「いいえカラムゾン夫人、彼女は町の喫茶店の娘です。今日は特別に参じて頂いただけで、私が雇ったわけでは――」

「あらあらまあまあ! 町の!? そんな、もったいない!」


 夫人は悲鳴にも近い声を上げ、アメリアの顔にがっと顔を近づけた。にっこりと笑っているが近すぎて、圧の強さにアメリアは引く。


「あの……」

「ねえ、あなた、私の家にいらっしゃいな! いいえ、私の末息子の妻になりなさい!」

「はいぃ!?」

「うん、それが良いわ! ちょうどあなたと同じ年頃合いなの! 大人しくて教養のある自慢の息子よぉ、お似合いの夫婦になれるわ!」

「はわわ……」

「私の夢だったのよ。使用人じゃなくて、自分の娘と一緒に料理をしたり針仕事をしたり、そういう暮らしをするの。もちろんお茶もよ!」


 良い笑顔で言いながら、夫人はアメリアの手を固く握る。このまま無理やりにでも連れ去られてしまいそうだ。


 意味なく嫌われるのは悲しいが、だからと言って突然異常に好かれるのも嬉しくはない。アメリアは焦りながら夫人の手を振りほどき、あわあわとかぶりを振りながら小さくなって後ずさる。


「ごめんなさい! ……あの、お誘いは嬉しいです。でも、私は小さなお店でのんびりやっている方が性に合うので。人のお嫁さんになんて、そんなの今すぐには無理です」

「まあ! そんなこと言わずに。あなたの器量なら大丈夫よ! ほら、イルシオからも何か言ってやってちょうだいよ」

「カラムゾン夫人、申し訳ないですが、味方はできかねます。彼女を店へ帰さないわけにはなりません、彼女の主人から厳しく言われております。それに本人の同意がない連れ去りは、誘拐だと見なさざるを得ません」

「あらそう……イルシオが言うんじゃあ、しかたないわねえ。犯罪者になるわけにいかないし」


 夫人は腰に両手を当て、深く息を吐いた。


 助かった、とアメリアは思った。が、それも束の間。


「じゃあ、じゃあじゃあ! あなたね!」


 夫人はまた大声と共に顔を輝かせて、アメリアの眼前に迫ってきた。あまりの勢いに、無礼を承知で悲鳴をあげて跳び上がり、クロチェア公の影に逃げ隠れた。


「今度はなんですかぁっ!?」

「あなた、ミスクで自分の店を出したらどう!? ミスクなら私も毎日通えますもの! 私が資金も土地も全部援助します! だから自分の店を出しなさいよ!」

「じ、自分の店!?」

「そうよ、あなたの喫茶室! 内装もなにもかも、あなたが好きに決めていいのよ!

ああ、きっと素晴らしいものになるわ」

「で、でもまだ私そんな……一人前じゃあ、なくて……」

「何を言っているのよ、十分な腕前なのは見せてもらったわ! それに、いつかは独立したいから腕を磨いているんでしょう?」

「それは……」

「だからほら、いい機会よ! ミスクにおいでなさい、大丈夫よ、イルシオのノスカリアに負けないくらい良い都市よ! 何も怖くないわ!」


 アメリアの頭の中で光が弾けて真っ白になった。口を半開きにして呆然としている。その間にも、夫人は妄想の中でアメリアの喫茶店の段取りを進めていて、今にも肩を抱き実現へ向けて歩き出しそうに手を伸ばしている。


 これはまずいと冷や汗を流したクロチェア公が間に割って入った。


「さあアメリア殿。店主殿が待っているだろう、遅くなるといけない、もう帰りなさい!」

「あっ……はい!」

「帰りの馬車は用意してある、厩舎へ行って尋ねてくれ。今日はありがとう、素晴らしい仕事ぶりだったよ! じゃあ、また!」


 クロチェア公にぐいぐいと背を押される内に、アメリアの思考が戻ってきた。もう一度丁寧に挨拶すると、なかば逃げるような足取りでアメリアは茶会の会場を後にした。赤いドレスの夫人がクロチェア公に大声で文句を垂れているのを背中に聞いたが、追いかけて来る素振りはなかった。



 アメリアは厩を探して庭園を一人歩いていた。少し風は冷たいが、草花の彩が心を温めてくれるから平気だった。


 ようやく仕事から解放されて、のんびり花を観賞しながら庭園を散歩できる。はずなのだが、またもそうした気分ではなかった。アメリアはずっと考え事をしていた。


「独立する。自分、の、お店」


 先ほどの言葉を反芻する。独立なんて考えたことが無かった。アメリアにしてみれば葉揺亭が世界の中心だったから、そこから居なくなるだなんて思いつきもしなかった。だったらなぜ腕を磨いているのかと問われると、特に理由は無く、単にマスターみたいになれるといいと思っていただけ。


「……自分の店」


 それは葉揺亭ではない、あれはマスターの店だ。彼に万が一のことがあってアメリアが店主の座を引き継いだとしても、葉揺亭はマスターの店である。書類的な形式上アメリアの店になったとしても、店にこもった魂はマスターのものだから。


 別にそれはそれで構わない。しかし――自分の店、なんていい響きだろう。


「私の店!」


 アメリアはその場で回って一人で笑った。もちろん簡単な話じゃないだろう、しかし、夢を描くのは自由だ。未来を想像し、幸せ心地でスキップまでしてしまう。


 その時、後ろから声が聞こえた。


「見つけた。かわいいお茶屋さん」


 サシャの声だ。我に返って振り向く。浮かれていた様を見られていた、これは少々恥ずかしい。ぽっと顔が赤くなる。

 

 足を止めたアメリアにサシャが追いついて来た。彼女の後ろには、ずいぶんくたびれた面持ちのシユがくっついていた。合流するまでにあちこち走り回らされたのだろう。


「サシャお嬢様、あの、さっきは本当にありがとうございました! あそこで助けに来てくれなかったら、私――」

「いいの、私がそうしたかっただけだから、気にしないで」


 サシャは軽く首を横に振った。そして、おもむろにアメリアの右手を握った。両手で包み込むように優しく、そして温かだった。そのままじっと目を見つめて来る。なぜかアメリアの心臓がきゅんと跳ねた。


「ね、アメリアさん、お店に帰る前に時間はあるかしら? 私の家に来てほしいのだけれど」

「え……」

「あなたと少しお話しがしたいの。だからこの後、あなたと私の二人での茶会を開く、どう?」

「それは私が――」

「いいえ。今度のあなたはお客様として招待される側よ」


 嫌かしら、とサシャは小首を傾げた。


 思わぬ誘いにアメリアは面食らって、目をぱちくりさせていた。しかしうちで働けだ、誰それと結婚しろだと言われているわけじゃないから、断る理由がない。むしろラスバーナ家のお屋敷に招待されるなんて心躍る話だ。


 アメリアが顔を綻ばせて強く頷くと、サシャも嬉しそうに笑った。


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