晴れ舞台は貴人の茶会で(5)
茶会の開幕は怒涛のように忙しい。満席になった葉揺亭――そんなこと、年に一度も無いけれど――の数倍の人数へ、ほとんど同時に紅茶を出さなければならない。客席から使用人が次々飛んできて、場所と数量と内容を告げていく。それをアメリアは耳だけで聞きながら、目と手は手元から離さず必死でさばいていた。こんな数のティーポットを一度に扱うなんて、マスターでもやったことないんじゃないだろうか。変な汗をかきながら、テーブルごとに少しの時間差を設けてやりくりする。
同じ頃、厨房からカップを温めるための入れものが届いた。両手で抱えるサイズの四角く深い金属の容器、洗いたてのようで全体がじんわりと濡れている。底にはカップがぶつかって傷つかないよう、薄手のクロスが敷いてあった。
「厨房から借りてきましたよ」
「ありがとうございます! もしよろしければ、お湯を張っておいてくれませんか。ティーカップが浸るくらいでお願いします」
「わかりました」
物事を頼む時だけは、きちんと相手の顔を見るようにする。相手は全然嫌な顔をしていなかった。カウンターの隅、銀盤のすぐ隣にカップを温められる場がてきぱきと整えられていく。取り出すときに火傷しないように熱湯を水で和らげてくれる気遣いもあった。アメリアは再度礼を言って、手元へと視線を戻した。
一セットを送り出して、次の注文へ取りかかる。またすぐに使うと脇に置いておいたケトル傾けて、さっと顔を青くした。
「お湯が……」
ぴたんと雫一つ落として沈黙するケトルをそのままに、アメリアは慌ててストーブを振り返った。最初に仕掛けてもらったケトルは使い切った、助手のシユは一度給仕に出ると、一風変わった頭の飾りに目をつけられて客に話しかけられ戻って来らず、暖炉の方へ寄っている暇はなかった。そして自分は一度も追加していない。しまった、カウンターの仕事の方へ集中しすぎていた。
だが、杞憂だった。白い湯気を上げるケトルが二つ、ストーブの上に置かれていたのである。
一体誰が。そう思って固まった視界の端から、女の使用人がクロスで掴んだ湯気立つケトルを持ってやって来て暖炉の上へと置いたのである。そして踵を返したところで、アメリアと目があった。
「あ。お湯、すぐ使います? 持って行きましょうか?」
彼女は茶会の前にアメリアが声をかけた使用人だった。アメリアが「お願いします」と返事するまでもなく、湯気を噴出するポットをカウンターまで持って来てくれた。
「ありがとうございます……でもどこから、どうして」
「厨房で大きな鍋でお湯を作っています。今日の人数でこのストーブじゃあ追いつかないだろうと、料理長から指示がありました」
「シエンツさん……!」
アメリアは思わず館の方を神のように拝んだ。そんなアメリアに少し困惑したような顔をしつつ、女の使用人は言葉を続けた。
「あなたも何か手伝うことがあったら遠慮せず指示をください。わたしたちじゃあ、言われないとわからない部分が多いので」
「わかりました。ありがとうございます、よろしくお願いします」
アメリアは丁寧に礼をした。――本当だ、自分が怯えていただけで、みんな優しい。アメリアは救われた心地で息を吐き出し、再び仕事へと向き合った。
開幕の一斉に来た注文をすべて出し終わると、ようやく人心地がついた。額に滲んでいた汗を腕で拭い、やり切った気持ちで会場を見渡す。茶会が始まってからゆっくりと客席を眺められるのは初めてだ。
それぞれの卓に人がついていて、談笑が弾んでいる。どこを向いても男女共に綺麗な衣装で、そして表情も明るくて目が癒される。会話に花を咲かせる傍ら、客人たちの手は料理にも順調に伸びている。そしてもちろん、アメリアが淹れた紅茶にも。
どうだろう、おいしいと思ってもらえただろうか。知りたくて、アメリアはそわそわとしていた。葉揺亭と違って広いこの場では、客の話し声は遠くからのさざ波のようにしか聞こえない。
カウンターの目の前のテーブルで、ワゴンを引き戻って来る途中だったシユが、クロチェア公の妻に声をかけられていた。夫人の傍に跪き、朗らかな顔で小さく相槌を打ちながら話を聞いている。その場所ですら葉揺亭のテーブル席より遠いのだから、会話の内容を聞き取ることはできなかった。
――今ならちょっと出て行って、お客様とお話しても大丈夫かしら。
そんなことを考えていた矢先、シユが夫人に一礼し、ワゴンを引いてカウンターまで急ぎ足で戻って来た。どこか嬉しそうに弾む足取りである。
「アメリア殿、アメリア殿」
「どうしました?」
「クロチェア公の奥方から、『今日のお茶は本当においしい、若いのに素晴らしい』とお褒めの言葉を頂きましたぞ! やりましたなあ」
「ほんとですか!」
天にも昇る心地であった。――マスター、私やりました! 一人でもできました! そう心の中で狂喜乱舞する。
「わ、わ、私! ご挨拶してきます! お礼を言わなきゃ!」
「いやいや、お待ちください。奥方から『アスタ・ケラン』を頼まれました、一番お好きなハーブティですと。アメリア殿、よろしくお願いしますぞ」
確かにそういうハーブティがあった。極淡いオレンジ色で、黄色い花が入っていて、嫌味の無いすっきりとした甘さが印象的だった。ここに来て試飲した中で、アメリア自身が特に気に入った一杯でもある。わかりました、すぐに、とシユに返事をした。これができたら、自分で給仕をしに行こう、とはりきる。
ところが、間髪入れずに困り顔の使用人がカウンターに駆けて来て、息も整えずに声をあげた。
「すいません! 配膳の途中でポットを倒してしまいました、急ぎで一つお願いしませんか!?」
よく見ると奥の方のテーブルで、使用人が何人か集まって慌ただしくしている。ポットを倒した張本人は頭を下げて謝り倒している。ドレスにお茶を引っかけたわけではなさそうだが、客の目の前で食器が破損したようだ。
「大変。急ぎますね」
どうやら少しも離れている暇はないらしい。アメリアは苦笑して、自分の持ち場に立ち直した。
それから、火のついたような忙しさではないものの、しかし完全に手が空くことも無い状態が続いた。今度は物量ではなく質の意味での注文が多くやって来る。少し薄めに淹れてほしい、ぬるくしてほしい、などは簡単なもの。味やフレーバーに対するリクエストもいくつか入って来て、これは自分で考えてあり物の茶葉を調合しなければいけないから、かなり手間がかかる。使用人からも気を使われ「お断りして来ましょうか?」とも言われたが、アメリアは全部受け入れた。お客様の要望には可能な限り応える、それが葉揺亭流だ。
そして今は今日一番に面倒な事をしている。ストーブの端に置いた金属のカップ――用意された道具に金属のティーポットが無かったから、厨房からありあわせで借りてきてもらった――で、じっくりと熱をかけて抽出している、生の果物を使ったフルーツ・ティだ。先ほど真っ赤なドレスの婦人が、飾り切りにされた果物を小皿盛り合わせてやって来て、「これを煮出してちょうだい」と自分で直接頼んで来たのである。
リンゴにオレンジに、あとは知らない果物が三種類ほどだが、生の果物を使ったフルーツ・ティがおいしいのは間違いないと、アメリアは軽やかな二つ返事で引き受けた。「私も好きなんですよ」という、屈託ない笑顔の言葉つきで。
しかし作る側となるとここまで厄介な物もなく、笑顔が消えて真剣なまなざしに変わっていた。何が厄介かと言えば、とにかく完成までに時間がかかる上、加熱しすぎても紅茶の風味が飛んだり果物が煮溶けたりするから、ちょうどいい温度が保てているか常に見ておかなければいけないのだ。また、フルーツの味がしっかり溶けだしたタイミングをまめに確認する必要がある。普段の葉揺亭ならのんびり一対一で相手をするからなんともないが、他の茶も同時に進めながらでは非常に曲者だ。
アメリアがフルーツ・ティと格闘している頃、客席の雰囲気には明らかな変化が現れていた。始めは着席で穏やかに行われていた茶会が、立食の様相を呈している。カップとソーサーを片手に思い思いに動き回りなんでもない所で立ち話をしていたり、空いている別の席へ勝手に移動したり。クロチェア公自身が席を立ち、順々に招待客のもとを回っているから、想定された状態なのだろう。
フルーツ・ティを一匙とって味見しながら、アメリアは客席を眺めて神妙な顔をしていた。なんだか思っていた貴族の茶会と違う、まるで祭りの人ごみだ。
「シユさん、ちょっと聞いていいですか」
ストーブの近くに待機していたシユに小声で話しかける。
「お金持ちの人のお茶会って、こんな風なんですか? もうちょっと静かにやるのかなって思ったんですけど、なんだかノスカリアの町の食べ物屋さんともあんまり変わらないような」
「主催の方針にもよりますが……今日の場合は人数が多いですからね。それでこのようなテーブルの配置にしたあたり、自由に動き回る事を狙っていたのでしょう。そもそもは社交のための会ですからな」
「なるほど。色々な人とお話しできた方がいいですものね」
「ええ。想像とは違うのでしょうが、重苦しいよりよっぽど良いですぞ」
確かにそうだ。この空気感ならば、慣れ親しんだ下町とそう変わらない。偉い人もお金持ちも、自分たちと同じでお喋りが好き。そう思えば肩の力もさらに抜ける。
フルーツ・ティはちょうど良い風に仕上がった。しっかりと果物の味が出ているが、見た目もあまり崩れておらず茶液は澄んでいる。このまま自分で飲んでしまいたい、そんな衝動にかられるほどだ。
会心の出来のフルーツ・ティを提供用の陶器に移し、銀盤の真ん中に乗せると、給仕担当にシユを送りだした。真っ赤な婦人は直接声をかけに来てくれたのだから、こちらも直接届けたかったが、残念ながら入れ替わりに次の紅茶の注文が来てしまった。今度は濃いめのアセムだ、と。
――ああ、私と一緒でミルクティが好きな人だ。どんな人だろう。私に似た人かな。
考えて、ふふっと笑みがこぼれた。
そんな時だった。
「調子に乗っていますわねえ、あなた」
嫌な声がカウンターの向かいから聞こえた。わざわざ振り向くまでもない、ソムニ=クロチェアだ。
いつからそこに立っていたのか知らないが、カウンターのど真ん中を塞ぐようにしている。相変わらず高慢ちきな佇まいだ。そして理由はわからないが、茶会の前よりアクセサリーが増えて、化粧も濃くなっている。香水の臭いもしつこい。
ああ、面倒なのが来た。アメリアは冷静にそう思いながら、臆することなく応対する。カウンターをはさんで立っていて、こちらが茶師なら向こうは客。そう、他と同じ自分のお客さん、そう思って等しく扱うだけだ。
「何かお飲みになるんですか?」
「いいえ。ただあなたの働きぶりを見に来ただけですわ」
ふんとソムニは鼻を鳴らした。
見に来ただけ、嘘だろう。また邪魔をしに来たに違いない。アメリアは頭を痛めつつも、外には出さないように意識して、丁寧に言葉を連ねた。
「用が無いのなら、もう少し離れていてください。話なら後にしてください」
「あらあ、わたくしは主催側の人間ですのよ? あなたに口答えする資格はないし、だいたい、わたくしが何しようとあなたには関係がない、そうでしょう?」
「でしたらなおさら私の事なんて構わないでくださいよ。忙しいですから……お願いします」
アメリアの殊勝な態度に、ソムニは少し面食らった様子だった。
しかし、すぐにいつもの身分を鼻にかけた嫌らしい笑みを取り戻す。くすくすと下品に笑いながら、黙々と作業に戻ったアメリアを煽る。
「あらあら、まあまあ。『お願いします』ですって? それでしたら、もっとまともな頼み方があるんじゃありませんの?」
「……大変申し訳ございませんが、作業の邪魔なのでお席にお戻りください、お願いします、ソムニ『様』」
「違うでしょう? 行動で見せなさいと言っているのですわ。ほおら、跪きなさい。地面に手をついて、頭を下げなさい。わたくしはノスカリアを統べるクロチェア家の人間ですわ、あなたのようなのが物言いするなら、そうするのが礼儀ですわ」
「できません。手を止めている場合じゃないですから。忙しいんです」
本音である。ソムニとやりあっている間にも、また別の茶が頼まれて来た。ただ、持って来た使用人たちは状況を察し、みな適当な紙に書き置きして逃げるように客席へと出て行ってしまった。
アメリアは正論しか言わないようにしていた。本当は、馬鹿にされて腹が煮えくり返っているが、懸命に自分を抑え込んでいた。しかしそうしたところで、ソムニに正論通じるはずがない。通じる相手なら、そもそもこんな苦労をしていないのだ。
ソムニは無視を決め込むアメリアに対して、なぜか勝ち誇ったように笑い声をあげた。
「まあ! このわたくしの言うことが聞けないですって!? ああまったく、常識知らずで困ったもの。あなた一体全体どんな教育を受けて来たんですの? さぞ親も頭が悪いんでしょうねぇ」
「親、ですか?」
「ええ! ああ、いいえ、違いますわね、そもそも町の小娘にまともな教育を受けていると期待したわたくしが馬鹿でしたわ。ノスカリアの崖の下なんてしょせんは商人ばかりの町、乱暴で騒々しくて、まるで品が――」
「みんなを馬鹿にしないでください!」
どうしても譲れない部分に触れられて、アメリアは思わず声を荒げてしまった。閉じ込められていた感情のまま、腕を大きく振り乱した。
ところが、その手が茶を蒸らしていたポットにあたり、転がしてしまった。手に触れた熱湯の熱さと、やってしまったという焦りが、アメリアをさらに乱した。とにかく溢れた茶をクロスで拭わなければ、急ぐあまり手つきは乱暴になるし視野は狭くなる。
「あァッ!」
コン、と手に当たったのは砂時計。気づいた時には大きく跳ね飛んで、カウンターの反対側へ向かって転がり、そのまま地面へ落っこちる。ボトンと芝草の上で弾んだあと、ごろごろとソムニの足元を越え、彼女の白い靴の斜め後ろに到達したところでようやく止まった。
ソムニは目を細めてそれを一瞥し、わざとらしい金切声を出した。
「んまあっ! 最ッ低! わたくしの家のものを、そんな乱雑に扱って! ああ、ああ、本当に駄目な小娘ですわ! 今すぐ出て行ったらどうですの!?」
大声は会場を貫いて、静かにざわめく客席から視線が一斉にカウンターへ集まった。その間にもソムニがきんきんとある事ない事騒ぎ立てている。半分くらいの視線は興味なさげに歓談へ戻ったが、一部はじっとこちらを観察していたり、嫌味にヒソヒソ話をしていたりする。
アメリアは青ざめて呆然としていた。遠くの客席でクロチェア公が顔色を悪くしてこちらを見ているのと目が合った。だが、彼はあいにく客人と大事な話をしている最中だったらしい。話し相手に続きを促されて動くに動けず、すぐに背中を向けてしまった。
異常を察したシユが慌てて戻って来ようとするのも目に入った。だが、彼が来たところでどうなるか? さすがにどうにもできないだろう、そうアメリアは諦めていた。彼とて外部の一使用人の身分、ソムニからしたら同じく踏みつける対象でしかない。
アメリアは唇を噛みしめた。このまま怒りを爆発させるのは簡単だ、悔しさに泣き崩れるのも簡単だ。しかし、どちらも悪手であると理解している。俯いて、とりあえずこぼれた紅茶をさっと拭った後、熱く脈打つ心臓を静めるようにアメリアは左胸を押さえこんだ。はからずともマスターがお守りに持たせてくれたブローチを握りしめるかたちになった。
頭も口も回るマスターなら、涼しい顔をして無難にこの場を切り抜けるだろう。では、マスターは何を言うか。それはわからない、アメリアの頭では彼の思考を辿ることは到底できない。
このままじっとしていても、ただブローチが手の中で温まっていくだけ。何か行動を起こさなければいけない。何をしても逐一ソムニがわめくだろうが、なんとかしてソムニを引きはがさないと仕事にならない。まず何をする。混乱した頭で思いついたのは、とりあえず、落ちた砂時計を拾って取り戻すこと。
蒼白なままアメリアがカウンターを回り込む方へ足を出した。しかしその時、アメリアが行くより早く、芝生の上に転がっていた物は拾い上げられてしまった。ただし、ソムニの手ではない。
しなやかな手がくるりと返され、砂時計は弄ぶように二転、三転と回転させられた。その手の主は棒立ちになっているソムニを追い越し、カウンター越しにアメリアの前へ立った。既視感のある悠々たる微笑みと共に。
「はい。壊れていないし、傷もなさそう。良かった。今度は大切に」
「あ、ありがとうございます、サシャお嬢様……」
「あら? 覚えてくれたんだ。ありがとう」
サシャ=ラスバーナは屈託のない笑みを見せた。そしてそのまま前かがみにカウンターへ両腕を置いた。淡い茶色の目がきらりとアメリアを見あげて来る。
「ねえ、お茶を淹れるところ、私も見ていて良いかしら? もちろん邪魔はしないから、ね、アメリアさん」
「は、はい! 大丈夫、です」
アメリアはまず駄目にした茶をやり直すべく、そそくさと動き始めた。散らしたポットは洗い物に回して、新しい物を用意する。目線を手元に置いて動き回っている間にも真向いから熱視線が浴びせられていた。少々気恥ずかしいものの、カウンターを挟んだこの距離感は葉揺亭と変わらない。だからソムニに見下されるがままいるよりも、よほど心が楽になった。




