晴れ舞台は貴人の茶会で(4)
予想に反して相手は微笑んでいた。見たところ自分やソムニたちと大きくは違わない歳頃合いなのに、ずっと自然に大人びていて、弱いものを見守るような優しい笑顔だった。アッシュブラウンの大人しくまとめるように編まれた髪型も、シンプルな装飾で型の整ったドレスも、アメリアの目には年配の者に等しい落ち着いた雰囲気に映った。
そんな彼女はアメリアの正面に立つと、少し言葉を選ぶようにして話し始めた。
「あなたは、クロチェア家の人じゃない。でも他の招待客の従僕でもない。そうでしょう?」
「は、はい……その、クロチェア公に、ノスカリアの町の喫茶店から茶師として招かれて……」
「ノスカリアの喫茶店」
彼女は復唱しながら少し目を見張った。それでアメリアは思わずたじろいだ。馬鹿にされる、と。
「待って、そう怖がらなくていいから。何もしない、少しお話がしたいだけ。もう少し肩の力を抜いて」
そう言って、アメリアの肩に手を置いた。硝子を触れるような柔らかさで、嫌な感じを抱かせなかった。たったそれだけの事だが、アメリアの警戒心は一瞬で解けた。なぜだろう、直感的にこの人は安心できる相手だと思えたのだ。
心にゆるみができた時、ぽろりと本音が漏れた。
「だって、私一人で仕事をするなんて初めてなのに……それなのにこんな場所で、独りぼっちで、不安で……意地悪な人たちばかりだし、誰も助けてくれなくて……」
「なるほど。それじゃあ緊張どころか卑屈にさせられて当然ね。あなたも不運よ、私から見ても性根の腐った鬱陶しい客がちらほら居るもの」
「そ、そんなこと言っちゃって大丈夫なんですか」
「ええ、大丈夫。私の本心を述べただけだから」
と、どこぞの令嬢は笑ってのけた。しかし後ろでは、彼女の執事が渋い顔をして何か言いたげな手を伸ばしている。
「私の事はいいの、敵だらけなんて慣れているから。でもあなたは違う、この状況はあまり良くない――」
彼女は少し視線を落とし、何やら考え込む。が、不意に一つ手を打つと、背後の従者を仰いだ。
「シユ、このまま一緒に居てあげて。できる事なら彼女の仕事を手伝ってあげるように」
ええっと驚く声が、令嬢の前後両方からあがった。令嬢は、まずはアメリアの方へ向き直った。にこやかに笑っている。
「大丈夫よお嬢さん、シユはお節介が過ぎるくらいに優しいから。困ったことはなんでも頼りなさい。意外と器用だし、ね?」
「でも、あの、そうしたらお嬢様は……」
「そうですよ、お嬢様! 私が居なくなったら、誰がお嬢様の面倒を見るのですか!」
すると令嬢は深く息をついた。
「ひどいな、まるで私が何もできないみたい。それともシユ、目を離した隙に厄介ごとを起こすと思っている?」
「少しだけ……いえ、しかし、さすがにクロチェア公の御前ではわきまえてくださるかと信じておりますが」
「大正解。それじゃあ、私は会場に行くね。然るべき相手に挨拶をしておかないと、それこそ鬱陶しい絡まれ方をするかもしれないから」
悪戯っぽく肩をすくめてから、唖然としている二人の返答を待たずにして悠然と歩み去っていった。
小さくなる背中を目で追いながら、アメリアは口を半開きにしたまま必死で状況を整理していた。どこの誰かは知らないが、それなりの身分のお嬢様に気を使われて、自分の従者を好きに使えと差し出された。嬉しいやら、申し訳ないやら、困惑するやら、複雑な気持ちだ。
「ああもう……まったくお嬢様は……」
そう簪の刺さった頭を抱えていた男に、アメリアはおずおずと声をかける。
「あのう。なんかもう、色々とごめんなさい、私なんかのために気を使わせてしまって」
「いいえ、お気になさらず。むしろこちらが強引に決めてしまった事を謝らなければ。どうか、許してやってください、うちのお嬢様はああいう方なのです。自由というか、めちゃくちゃというか……はあ」
その吐息には苦労の色がありありと滲んでいた。それでアメリアは親近感にとらわれて、つい笑みをこぼした。自分もマスターの奔放なからかいに振り回された後、しばしば似た息を吐く。
「いつも苦労してるんですね」
「ああ、わかります?」
「はい。でも、そういうお嬢様のことが好きなんですよね」
「もちろん! でなければ、とてもお仕えできませんからなあ」
執事の男は決して若くはない顔に、幼子のような邪気の無い笑みを浮かべた。
「そういえば、お嬢さんはクロチェア家の方では無かったのですね。いやはや、私すっかり思い込みで……失礼いたした」
「普段はノスカリアの町の中にある『葉揺亭』ってお店で働いているんです。こんなお屋敷に来るのなんて、初めてで」
「なるほど、それは不安になって当然ですなあ。しかしお嬢さん、私にできる事なら協力しますゆえ、あまり気を張らぬよう」
「あの、お嬢さんって言うのやめてください。私はアメリアって言います」
「わかりました、アメリア殿。では、こちらも改めて紹介させて頂きます。私はシユ=ジェツェンと申します。生まれは大陸西の遊牧部族でありますが、今は先ほどのお嬢様、サシャ=ラスバーナ様に専属の執事として雇われておりまして――アメリア殿!? いかがなされましたか!?」
シユが慌てふためいたのは、ラスバーナの名を聞いてアメリアが頭を殴られたような顔をしていたから。
――マスターの言ってた通りだ。人の縁って、どこでどう繋がるのかわからないものね……不思議。
「――なるほど、なるほど。そうでしたか! いやあ、まさかジェニー殿のお知り合いとは!」
「だけど、ジェニーさんからはお嬢様のお話しは聞いた事が無くて。会長さんの事は時々話してくれますけど」
庭園の片隅を茶会の会場の方向へ、アメリアはシユと談笑しながら歩いていた。シユの手も借りて身だしなみは整えた。さすがに泣き腫らした目はまだ治っていないが、こうして笑っていれば大した違和感にはならない。
「あの方は会長殿の仕事上での秘書でありますからなあ。我々使用人とは違って、家の内のことには関わりません。ジェニー殿は真面目で厳しい方ですから、ご自身できっぱり線を引いている様です」
「厳しい、ですか?」
「とっても。会長殿相手ですら、緩んだ仕事をしていると怖い顔でびしっと絞めます。実は私もお嬢様もジェニー殿は少々苦手で……何もかも、細かいんですよねぇ……」
シユは苦笑した。一方でアメリアは感心したように聞いていた。彼に評されるジェニーは、アメリアの印象とかけ離れている。葉揺亭でのジェニーは、確かに仕事には真摯ではあるが、優しくて親しみやすくて話していると楽しい人だから。どちらが正しいのではない、どちらもジェニーという人物なのである。そうやって切り替えられる事、今は憧れてしかたがない。
「ジェニーさんと会長さん、今日はいらっしゃらないんですよね」
「急用で会長殿と一緒に東へ参りました。会長殿の代わりにお嬢様が出席することになったのですよ」
そういうことだったのか、とようやく理解した。
望んでいた親しき人とは会えなかったが、結果的にどちらが良かったのかはわからない。ただ、悪い方に向かっていないのは確かだ。サシャ嬢とその執事、今日さっき出会ったばかりだが、二人ともアメリアを親身に支えてくれている。
これなら大丈夫だ、とアメリアは安堵の息を漏らした。
その時、あわただしい靴音が後ろから近寄ってきた。振り返るとクロチェア公だった。
「ああ、アメリア殿! よかった、いらっしゃったか……」
険しい顔をしていたクロチェア公だったが、アメリアの顔を見るなり安堵に表情を緩めた。
何かあったのか。近づいて来た公へ尋ねると、彼はきまりの悪い風に小声で答えた。
「いや、その……娘が、君が仕事を放棄して逃げ去った、と言い張っていてね」
「私、逃げません! そんな無責任なことしませんよ!」
「わかっている、わかっているよ。あの子の言うことだから、誇張が入っているとは思っていた。ああ、まったくソムニは……」
公は顔をしかめて首を横に振った。その後、わざとらしく咳払いをして流れを変える。
「すまないアメリア殿、急かして申し訳ないが、すぐに会場に入ってくれないかな。気が早いお客様が多くてね」
「はっ、はい、わかりました」
「では、このまま共に参りましょう」
クロチェア公はそう言って歩き出そうとした。が、一歩下がって控えていたシユを見て、はたと動きを止めた。彼の顔を見て胡乱げな顔をし、口元に手を当てて記憶を探る。しかし思い当らなかったようだ。当然と言えば当然、貴族でもないし、自分の家で働く者でもないのだ。
「……君は、何者だ? 西方人を招いた記憶は無いのだが」
「ラスバーナ家のサシャ様に雇われております使用人でございます。お嬢様の命で、今日はアメリア殿の補佐をする次第となりました」
「ああ、そう、ラスバーナの……うまくやってくれるなら、なんでもよいが」
少々冷めた口調で言って、クロチェア公は今度こそ歩き始めた。
アメリアは公の態度にもやっとした感情を抱いた。ただ、シユ当人がまったく気にする様子がないから、あえて何も言わなかった。
急ぎ気味の足取りで戻って来た茶会の場には、確かに大勢の人が集い始めている。既に二十余人がいくつかの塊になって歓談している。まるで会場に派手な花が咲いたかのようで既に目が疲れてくる心地だが、椅子の数からしてまだ倍くらいにこれから膨れ上がりそうだ。
予定外の始まり方をしているのだろう、料理の給仕が急ピッチで進められている。人が居るテーブルを優先して、三段のスタンドに盛られた多種多様の菓子と軽食だとか、宝石箱のようにまとめられたフルーツ盛りだとかがセットされていく。
そんな会場を横切って来たアメリアは、クロチェア公の手でカウンターの中に押し込められた。
「私の居る卓にウラッジロットを……いや、ミランダ夫人はシャンターラがいいな。それを人数分、とにかく急いで用意してくれ」
早口でそれだけ言うと、クロチェア公はマントをなびかせ、慌ただしくテーブルへと向かった。といってもカウンターに一番近い場所だ。他よりも少し大きなテーブルで計八人の顔がある。威厳のある老夫婦と、クロチェア公と同じ年頃合いの夫妻とその息子、そしてカウンターに背を向けてクロチェア夫妻と娘のソムニが並んでいる。公が席についてからも客に恭しく礼をしているあたり、一番の賓客といったところだろう。
アメリアは気を引き締めて、自分の仕事に取り掛かった。こういう場では店と違ってカップに注ぐまで給仕がやるから、必要な杯数分をまとめて作ってしまって良い。用意されたティーポットは一つで三杯くらい取れるから、今回は三つを並べて、後はいつも葉揺亭でやるように――
「アメリア殿、アメリア殿。私はいかがしましょう? どうぞ、なんなりとお申し付け下さいませ」
そうだ忘れていた、とアメリアが振り返れば、シユが朗らかな顔で姿勢よく待機していた。
アメリアは人を使った事が無い、だからどうしたものか少し悩んだ。しかし答えは簡単だった。今日は自分がマスターの代わりである、それならば、普段の自分の代わりを彼に頼めばいい。早い話が雑用だ、そこは非常に申し訳ないけれども。
「あの、シユさん。そっちでお湯をたくさん沸かしておいてもらっていいですか? もうすぐたくさん一気に注文が来ると思うので、その時にお湯が足りなくならないように」
「かしこまりました」
「あっ、あと、そこの大きな入れ物にお湯を張って、カップを入れて温めておいてください」
「わかりましたが、この人数をさばくには小さ過ぎやしませんかな?」
それはアメリアも思った。カウンターに用意されていた容れ物では六個がやっと。注文数が少なければその都度カップに白湯を注いで、と手間をかけられるが、何十人分と一気に来たら追いつかなくなるし、そもそも場所を取ってしょうがない。
「では、何か大きなものを借りられないか聞いてみましょうぞ」
シユはそう言うなり、手近にいたクロチェア家の使用人へと声をかけに走った。その相手はたまたま、アメリアを厨房へ案内したのと同じ人物だった。
アメリアは心配になった。さっきより忙しい最中だ、どうせまた冷たくあしらわれる、それでシユに不快な思いをさせるのは申し訳ない。最初から厨房に行ってシエンツに頼むよう言うべきだったかもしれない。
が、杞憂だった。シユとしばらく会話をした相手は、にこやかな顔で会釈をしてから、小走りで館内へ向かっていった。
アメリアは愕然としていた。自分の時とはまるで違うではないか。驚きのあまり、仕事の手も止まってしまっていた。
そんなアメリアの気も知らず、シユはのほほんと笑って小走りで戻って来た。
「厨房に使えそうな物がないか探して来てくれるそうですよ。いやあ、助かりましたなあ」
「頼んで嫌がられなかったんですか?」
「まったく。むしろ他に必要な物があればついでに持って来ると言ってくれましたよ」
内容は嬉しい知らせなのだが、アメリアは負のショックを受けた。あまりにも態度が違う、やっぱり自分が嫌われているんだ、そう認識してしまう。しょんぼりと肩を落とし、とぼとぼと暖炉にある沸騰したポットを取りに行った。
呈茶の作業をしている内は手元の事に集中できて、嫌な事も一瞬忘れられる。しかし紅茶を蒸らし終わるまでの手持ち無沙汰な時間になると、また色々と考えてしまう。アメリアは砂時計の落ちる砂を暗い顔で眺めていた。
「アメリア殿、また肩肘張り過ぎておりますぞ」
「あ……」
小声で話しかけてきたシユを顧みれば、彼はひょうきんに眉目を上げてアメリアを笑わせようとしていた。アメリアからは苦笑いがこぼれただけだったが。
「あのう、シユさん。聞いてくれますか」
「なんでしょうか?」
「私には皆さん冷たかったんです。そっけなくて、話しかけても相手にしてくれなくて。元からそういう人たちなんだと思っていたら、シユさんには親切にしているんですもの。態度が全然違うのは、私が、場違いだからでしょうか」
シユはうむむと声を出して唸り、少しの間考え込んでいた。
「そうですなあ……アメリア殿はたいそう緊張しておりましたから。それが伝染したのかもしれませんよ」
「でも向こうの人は緊張なんてしていないです」
「あいや、それだけではなく。緊張と警戒心は紙一重です。警戒をありありとさせて接したら、相手にも警戒されてしまうもの。アメリア殿が怯えていたのと同じように、この家の方々もどの距離感で接するべきか戸惑っていたのかもしれません。初対面で、お互い何も知らないのに一緒に仕事をするわけですからな」
アメリアの目から鱗が落ちた。
「私が相手の事を知らないのに、勝手に怖がっていたから……」
「怖い怖いと構えていると、なんでもない物も怖く思えてしまいますよ。まあ、逆もまた然りですから気をつけねばなりませんが、そうですなあ、まずは屋敷の方々もアメリア殿のお客様だと思って接してみたらよろしいのでは」
「……はい!」
要は気の持ちよう一つで世界の見え方は変わるのだ。未知の大地を危険が渦巻く恐ろしい場所と捉えるか、誰も知らない新しいものが詰まった夢の場所と捉えるか、それで身の構え方も違って来る。今日の自分が接するのは、気心知れた常連ではなくはじめましてのお客様ばかり。初顔を接客する時の心得は、葉揺亭で散々培ってきた。笑顔で明るく、丁寧に優しく、いきなり距離を詰め過ぎず、しかし細かい気遣いを忘れずに。そう考え方を変えれば、今日の茶会もうまくこなせる気がして来た。
ちょうど砂時計が紅茶の蒸らし終わりを告げた。軽くポットの中をマドラーで混ぜて、紅茶を均一に仕上げる。ぐるぐると渦巻く飴色の紅茶にほのかに映りこんだアメリアは、もう泣き顔をしていなかった。
できあがった八人分のティーセットを給仕用のワゴンに並べる。手に持つ銀盤も高く積み上げて用意されているものの、これに八人分はとても乗り切らない。葉揺亭にワゴンなんてないが、乳母車を押すような気持ちで優しく進めれば大丈夫だろう。
しかしアメリアがハンドルに手をかけると、その甲の上にシユの大きな手が乗っかり、歩みを遮られた。
「給仕は私にお任せください。アメリア殿には茶を淹れてもらわねば困りますゆえ」
そしてシユは会場の方を手のひらで示した。見れば、あちこちのテーブルで招待客が着席を始めている。同時に使用人が何人も静かな早足でカウンターの方へ向かって来る。今日の自分の役割は。再確認して、アメリアはシユへ会釈をしつつワゴンから手を離した。
ただ、少しだけがっかりする。この様子では、あれだけ予習した茶の講釈を披露する機会はなさそうだから。残念だが、それはまた別の機会に取っておこう。




