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晴れ舞台は貴人の茶会で(3)

 ようやく湯が沸いたところで、アメリアは茶葉と同数のティーカップをカウンターに並べた。これだけの多種類を味見するのだ、手間を省くためにティーポットは使わず、少量の茶葉を直接カップに入れて上から湯を注ぐ。


 そして色が出たところで、濾しもしないで口をつけた。うまいこと息で吹いたり歯でせき止めたりすれば、茶葉を吸い込まなくて済む。


 甘い、渋い、酸っぱい、花みたいな、森の香りの。試飲して素直に思ったことを、茶葉の名前の隣に書き添えていく。これは自分で体感したこと、人に味を聞かれても自信をもって説明できるようになった。


 収穫はもう一つ。流通名として名前を知っていた紅茶も、葉揺亭のそれと微妙に味わいが違ったのだ。原因はわからないが、アセムはずっと軽いし、カメラナは甘味が強くがつんと来る。デジーランはいやに複雑な味で、もしかすると色々な産地のものを混ぜているのかもしれない。


 飲み比べていると楽しくなって来る。何度も繰り返し味見をして、感覚を確かなものにしてメモにも新しい表現を書き加える。そうやって紅茶と向き合っているうちは、周りの事なんて一切気にならないし、不安の雲すらもどこかへ消え失せてしまう。


 最後の一巡と決めた試飲を終わらせた時には、びっしりと自分の言葉でメモが埋まっていた。アメリアはどこか誇らしい気持ちでそれを確認した。


 ここはアメリアのために作られたカウンター、アメリアのための小さな世界。ここで葉揺亭の看板を背負い、他でもない自分が腕を振るう。憧れのマスターの代わりに。


 ――うん、大丈夫よ、きっとできる!


 自分を励まして、アメリアは小さく笑みを浮かべた。


 が、その瞬間。すぐ前から誰かに鼻で笑われて、あっという間にアメリアの笑顔が吹き消えた。


 顔を上げたらソムニ=クロチェアがカウンターの前に居た。今日も今日とて、いや普段以上に派手なドレスを纏い、香水の臭いをぷんぷん振り散らかしている。そして似たような格好の友人二人を、両隣に引きつれていた。


 ソムニは冷たい目で、アメリアの頭から足までを嘗め回すように見ている。一方で連れの女たちはニヤニヤと意地悪そうに笑っていた。


「ソムニのパパが凄腕の茶師を連れて来たって言うから期待していたのに、まさかこんな貧相な子だなんて」

「ほんとに大丈夫ぅ? ニセモノなんじゃない?」


 アメリアはむっとして言い返そうとした。しかし先にソムニが甲高い声をあげた。


「そうよ! これはただの店番の娘。わたくしが認めたのは、マスターだけですわ! マスターがどぉーしても来られないというから、お父様はしょうがなく妥協しただけ。これには何の期待もしていませんわよ」

「あらあらソムニ、そんな風に言ったらかわいそうじゃあない。できないなりに頑張っているみたいですもの。ねーえ? まったく、こんなに散らかしちゃって、汚らしいわ。下品ねえ」


 三人組はずらりとならんだ試飲カップを見て笑い、ニヤニヤと嫌な目を向けて来る。


 アメリアはむっとしながらも、ある種の悟りを開いていた。こいつらは実際に偉い家柄で、上から下を見下すことしか知らないのだ。ノスカリアの時計塔の上から悪口を言われたとして、腹を立てて石を投げ返しても届きやしないし、その行動が相手をさらに愉悦に浸らせるだけ。


 そんな連中、無視するより他ない。アメリアはぷいと顔を逸らして手元に目線を下げると、無駄に大きく歩き回りながら試飲の片付けを始めた。


 ところが、ソムニはわざわざアメリアを追いかけて、カウンターに身を乗り出して詰め寄って来る。


「あなたねえ、本当に大丈夫なのかしら? 今ならまだ間に合いますわ、逃げ帰ってマスターを呼んで来た方がよろしくってよ」

「下がってください。仕事の邪魔ですから」

「いやですわあ……ただの店員のくせに。しかも、あの方とおんなじ格好までして、同格になったつもりかしら? うぬぼれ過ぎですこと、最悪ですわ」

「そんなつもりないです。それに、この服のこと、馬鹿にしないでください。これは私の大事な親友が、私のために一生懸命作ってくれた物なんですから!」


 自分自身が責められるのはしかたなくとも、レインが謗られるのには黙っていられなかった。カウンターに叩き気味に手を置いて、きっとソムニを睨む。


 ソムニは一瞬目を丸くして身を引いた。が、すぐに不機嫌顔になると、アメリアをに睨み返した。


 そのまま視線で火花を散らしている所へ、ソムニの友人が割って入ってきた。ぽやっとした顔を作って、アメリアに向かってわざとらしく小首をかしげる。


「でも、そのお友達、服の事は詳しいのに髪の事もはなーんにも知らないの? いいえ、普通そんなはずないから、あなたが意地悪されているんだわ、かわいそうな子ねえ」

「……え?」

「だってぇ、結い方がへったくそだから髪型崩れてるじゃないの。だいたい髪自体の手入れがなってない、よくそんなので人前に立てるなあ、恥ずかしい」


 アメリアはさっと顔を青くした。慌てて髪に手を伸ばすと、まとめたはずのお団子が崩れてきている。なぜ? 慣れていない結い方にしたせいだ、いつもは三つ編みにしているから髪に癖がついているのを無理にまとめたせいだ、マスターにはいつもの髪型でもいいって言われたのに、自分が背伸びし過ぎたせいだ。


 自分が未熟者なせいで。次の瞬間には、青い顔が火を吹いたように真っ赤になった。


 目の前から嘲笑が噴き上がる。人を最大限に馬鹿にする目が突き刺さる。他にも周りに人は居て気づいているはずなのに、誰も助けてくれず知らんぷり。吹き付ける風はとても冷たい。


 現状と過去とが重なっていく。嫌な思い出がアメリアの目の前を走馬灯のように駆ける。外の世界に夢と希望をもって孤児院を離れた、その後の――


「わっ、わ、わた、私……私……失礼します!」

「あらあ! どこに行くのかしらあ! 仕事を放棄して逃げるだなんて、最低! お父様に言い付けなければいけませんわねぇ!」


 ソムニの勝ち誇るような高笑いに耳を殴られつつ、アメリアは唇を噛んで走り始めた。


「あら、逃げちゃった。いじめ過ぎたかしら? さすがにパパに怒られちゃう?」

「いいのよ、別に。あれが失敗すれば、全部わたくしの望み通りになるんですもの」


 ソムニの言葉がアメリアの背中に重くのしかかった。そう、それだ。マスターがクロチェア公に突き付けた条件、茶会が失敗した時にはマスターが責任を取る、なんでも言う通りに従うと。重責がアメリアの肩にかかっている。


 それでもアメリアは止まれなかった。こんな状況で失敗せず仕事をしろ? 無理だ、出来るわけない。重荷に緊張して手が震えて醜態をさらすだけ。ソムニだって積極的に嫌がらせをしてくるに違いない。


 だからと言って、逃げるわけにはいかない。それこそソムニの思う壺だし、マスターにどんな顔をして会えばいいかわからない。応援してくれた皆にも。


 頭に色んな思いが渦巻いて、苦しくて仕方がなかった。アメリアは走りながら後頭部に手を伸ばして、髪留めの紐をむしり取った。長い髪が羽を伸ばすように広がった。


 逃げるわけにはいかない。逃げるつもりはない。でも――少しだけ休みたい。


 世界で一番安心できる場所の風を感じながら、いつもの葉揺亭のアメリアに少しの間だけ戻りたい。だからアメリアは、広い庭園を駆け回ってジェニーの姿を探していた。茶会の客は続々と到着しているから、彼女もどこかに来ているはずだ、と。


 ところが、探せど探せどジェニーが見つからない。会場とは反対側の温室の方まで見に行ったのに、居るのはきらびやかなドレスの知らない人たちばかりで、いつでも生真面目なジェニーの面影はどこにもなかった。


 まだ来ていない、これから着くのかもしれない。そう思ってアメリアは門まで行った。来客に応じて入口を開閉する門番なら、到着済みの客を把握しているだろう。まだ来ていないなら、自分も門のところで待っていればいいのだ。


「あの……ラスバーナ商会の……会長様って、まだ、来ていないんですか?」


 アメリアが背中に声をかけた門番の男は、振り向くなりひどく動揺した。それもそうだろう、髪を振り乱し肩で息をする少女が、半泣きで話しかけて来たのだから。門番は「ラスバーナの会長」と唇だけで繰り返す。アメリアはこくこくと頷いた。


「いや……その方は、今日はいらっしゃらないですよ?」

「えっ……えっ!?」

「招待はされていたのですが、急用で都合がつかなくなったと。一昨日に旦那様の所へ書簡が来たそうです。ただ代わりに――」

「あ、ありがとうございました……」


 門番の話は最後まで聞かず、アメリアはふらふらと回れ右して立ち去った。


 絶望だ。心の拠り所がどこにもない、自分の居場所がどこにもない。


 アメリアは俯いて足を進めながら、マスターのくれたブローチに手をやった。一緒だと言ってくれても心の持ち様の話、今はもう、逆に独りぼっちを強調するアクセサリーになってしまっていた。


 とうとうアメリアの目から涙が一つこぼれた。堰が切れてしまったら、一気に決壊する。後から後から雫がこぼれて頬を流れ、自分の涙で溺れそうになる。


 だめだ。こうしている間にも、茶会の時間は近づいてくる。嫌でも無理でも、一人でやらないといけない。アメリアは涙を飲み込んで前に足を出した。今すぐ髪を結い直して顔を洗って、嘘でも笑顔を取り繕って、そうでないとまた――


「あっ……!」


 ほんの少しだけ浮いていた地面のタイルで足を躓かせ、膝から前に転んでしまった。膝と手のひらがじんじんと痛む。両手をついて体を起こそうとして、しかしアメリアはそのまま固まってしまった。


 ――みじめだ。もう立てない、そんな気力がない。こんな気持ちになった事、昔にもあった。


 アメリアの頬を伝い落ちた涙が地面のタイルを濡らす。でも、記憶に蘇るあの時は、もっともっと濡れていた。自分の涙がどこに落ちたのかもわからないくらいに。


 ざあざあと冷たい音が辺りを取り囲む。――そう、あれは、ひどい雨の日だった。


 冷たい水が叩きつける中で倒れて動けなくなって、声も出せなくて、そのまま何も考えられなくなって。このまま独りぼっちで死ぬんだと目を閉じた。


 だけどあの時には、神様が手を差し伸べてくれた。


 次に目を覚ました時、葉揺亭に居た。大丈夫かと笑いかけてくるマスターの顔、それが今のアメリアの始まりだった――


「大丈夫ですか、お嬢さん」


 現実でかけられた誰かの声が、アメリアを夢想から引き上げた。


 顔を上げると、真っ黒の紳士服にタイを付けた男性が目の前にしゃがみこんでいた。その不安げなまなざしは、手を伸ばせば届くほどに近い。


 なんだか優しそうな顔の人だが。そう思った次に、こげ茶の頭のてっぺんへ目が引き付けられた。高い位置で髪をひとくくりに結った、そのお団子に小さな宝石がついた串が横から刺さっている。不思議な形の髪飾り、あれは(かんざし)と言っただろうか。西方からの交易品として、稀にノスカリアの市で売られている。実際に本来の用途で使っている人は初めて見た。


「どこか具合が悪いのですか? 立てますか? 館までお連れしますよ」

「あ、いえ、すいません……なんでもないんです……」


 アメリアははっとして顔を下げると、男を脇に無視して足早に逃げ去ろうとした。一瞬、風変わりな雰囲気に飲まれそうになったが、だめだ、どうせこの人もどこかの偉い人かその付き人。変に関わるとろくな目に遭わないに決まっている。まして泣き顔なんて見せるわけにいかない。


 ところが、簪の男はアメリアに追いすがってきた。


「ああ、待って、そんな風に膝を汚したまま……擦りむいたりしていませんか。ちょっと見せてください」

「本当に、大丈夫ですから」

「じゃあせめて身だしなみだけでも、私に任せてくれませんか、すぐに終わらせますから」

「ほっといてください」

「そう言わず、悪いようにはしません。ちょっとだけ足を止めて下さいな」


 男はぱたぱたと足を早め、アメリアの前に飛び出した。その手には既に髪を梳かすためのくしが握られている。いやに準備がよくて、なおさら不審に思えた。


 強引に足を止めさせられたアメリアは、両脇でぎゅっと拳を握って、きっと男を睨み上げた。


「あのっ、あなたは、どうして私に優しくしてくれるんですか!? ほっといてくださいって、言ってるじゃないですか! どうせ、また嫌がらせなんでしょう!?」


 そうきつく言った直後、自分で自分に嫌気がさして唇を噛みしめた。わかっている。八つ当たりだ、こんなの。自分の嫌な気持ちを他人に押し付けているだけだ。


 ところが、男はきょとんとした後、のほほんと笑って頭に手をやった。


「あー、いやいや、申し訳ない、確かに怪しかったですよね。どうにも私、お嬢さんみたいな方を見ると放っておけなくて。こういう性分なのです、お気になさらず。うちのお嬢様にもよく『お節介がひど過ぎる』って呆れられます」

「おじょうさま……?」

「ええ、私めもあなたと同じで一介の使用人でございまして。お嬢様には『執事』などと呼ばれておりますが、そんな大層なものでもありません、ハハハハ――じゃあ、少し失礼して」


 誰ぞの『執事』なる男は、困惑しているアメリアの後ろに回って金色の髪を手に取った。くしで梳いて、綺麗に束ねるようにまとめて。手つきはマスターに劣らず優しくて、かつ丁寧であった。しかも、あっという間に仕上がった。さらにはアメリアが自分でやったよりずっと綺麗にまとまった。とどめに男は懐から取り出した小さな鏡で、アメリアにもきちんと仕上がりを見せてくれた。


「はい。これなら多少動き回っても落ちてきたりはしません、ご安心を」

「あ、ありがとうございます……」

「さあ、涙も拭って。誰かにいじめられでもしたのですかな?」

「えっと……」

「まあ、誰しも虫の居所が悪い時がありますからね、あんまり気にするものではありませんよ。ここまで大きな家ですと、正直な所、内々で色々あるでしょう? 派閥とか、仕事の配分とか……あ、いや、うちが言えたことでもないですなあ。今のは聞かなかったことに」

「はあ……」


 人の都合も考えず次から次へと喋ってくる。だけど、それが今は少し嬉しかった。


 しかし、この男、一体何者なのだろうか。少なくともクロチェア家の者ではなさそうだ。むしろ向こうがアメリアのことをクロチェア家の従者だと思って扱っている節がある。


 お嬢様、という言葉から連想するのはさっきの出来事。人を見下す事しかしない、嫌な性格の女たち。もし自分の従者が見下す対象へ親切にしたと知ったら、あの連中はまた文句をつけてくるだろう。


 ちょうどその時、女の人の声がした。誰かを呼んでいる。そして前方にある十字路の右手側、角の植栽の影から、清楚な紺青のドレスに身を包んだ若い女の人が現れた。彼女に向かって簪の男が手を挙げて、それで向こうもこちらに気づいた。


 どこぞの令嬢は従者に招かれるまま、小走りで向かってくる。まずい、とアメリアは顔を青くした。


「ああ、やっと見つけた、どこに行ったのかって――……」


 彼女は間近でアメリアを見るなり、驚いたように言葉を失った。アメリアには戦慄しか走らなかった。


「ねえ、シユ、この子は!?」

「ああ、お嬢様。この方がここで泣いておられて――」

「わ、わ、私違うんです! ごめんなさい、もう行きます!」


 アメリアはふらふらと後ずさりしてから、館に向かってわっと駆けだした。


 ところが。


「ねえ、待って!」


 背後から叫ぶような迫真の声が飛んでくる。その一つで肩を震わせた後、アメリアの足は魔法にかけられたように動かなくなった。後ろから静かに迫って来る気配を察して、小道の真ん中で小さくなって立ち尽くしていた。


 近づいて来た気配は背後でぴたりと止まった。アメリアは恐る恐る振り返った。


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