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晴れ舞台は貴人の茶会で(2)

 門をくぐった馬車は広い前庭に敷かれた道を進み、玄関ポーチに横づけして停まった。玄関には華やかな貴族そのものの正装をしたクロチェア公が待っていた。


「よく来て下さったアメリア殿。よろしく頼みます」


 クロチェア公は爽やかな笑顔になると実年齢よりも若々しく、いっそきらきらと輝いている風に見えた。一方の、握手を求めて差し出された手を取るアメリアの笑顔はひどく固かったが、さして気にされなかった。


 そして客にすると同様に、公は自らアメリアを庭園へと案内した。


 道中で現れるのは美しく広大な庭の風景だった。刈り整えられた植栽は緑だけでなく、気温が落ち始める季節柄ほんのりと赤や黄色に色づいているものもある。花壇には季節の花が咲き、薄紅色の蝶が舞っている。今日は陽気が良い、彫刻のなされた噴水が小鳥の水浴び場になっている。小道にかかる植物のアーチは今は葉っぱのみだが、鮮やかな花のアーチとなる時季があると容易に察せられる。クロチェア公の説明によれば、玄関から逆側に向かうとガラスの温室があり、暑い土地からやって来た珍しい草花や野菜も年中愛でられるのだと。


 それはアメリアが幼き頃に夢見た、幻想の世界が現実へ飛び出してきたような光景だった。普段なら目を輝かせて、案内される間もなく駆け回っただろう。が。


 ――足が、痛い……。


 履き慣れない靴がじわじわと引き起こす苦痛に苛まされ、庭を楽しむどころではなかった。クロチェア公の案内も半分くらい聞き流し、辛うじて愛想笑いを返すだけだった。


「――そして、ここが今日の会場だ」


 植物のアーチをくぐった先に、テラコッタのタイルが敷かれた広場があった。既に白いクロスをかけた丸テーブルが規則正しく並べられており、間を縫うようにして揃いの濃紺の服を着た大勢の使用人たちが行きかい、食器を並べたり仕上げの清掃を行ったりしていた。


 広場の向かって奥、屋敷に近い側の隅に即席のカウンターが設えられていた。あれがアメリアの仕事場だと一目瞭然だった。カウンターに紅茶缶を始め、呈茶に必要な道具が全て揃っていて、脇には小型のストーブも設置されている。天面は広く、湯沸かしのケトルが複数並べられる。


「あそこが君のための場所だ、好きに使ってくれたまえ」

「はっ、はい……」

「もし足りない物があれば可能な限り用意させる。他にわからないことは、その辺の者に適当に聞いてくれ。じゃあ、私は別の用があるためこれで失礼する。ああ、時間までは自由に過ごしてくれて構わないよ」


 クロチェア公は早口でアメリアに告げると、懐中時計を見た後、マントを翻して早足でどこかへ去ってしまった。


 一人で放りだされると、一気に緊張の波が押し寄せて来た。他の使用人たちは各自忙しそうにしていて、ちらちら視線を寄越しこそすれ、構ってくれる雰囲気ではない。


 茶会は昼過ぎから始まる。それまでの自由時間は、庭園をぐるりと見て回るとか、邸宅を見学するとか――クロチェア公はそんなつもりで言ったのかもしれないが、それどころではない。


 今日は仕事に来たのだ。自分の役目を果たすための準備が要る。ここは葉揺亭とは別世界、道具一つとっても使い勝手が全然違うだろうし、茶葉の状態だってどんなものかわからない。全部事前に確認しなければ。そこはマスターからもうるさいくらいに念を押された。


 それともう一つ知りたいこと、今日の茶会に用意される軽食や菓子がどんなものか。これもマスターの受け売りだ。食べ物と紅茶の間には相性の良し悪しがある、出て来る料理を見て可能な限り茶の方を合わせてやること、それも茶師の大事な務めだ、と。


 アメリアはきょろきょろとあたりを見渡して、一番近くに居た、ちょうどテーブルのセッティングを終えた男性に近寄って声をかけた。


「あの、すいません。道具や茶葉とか、事前に触っておきたいんですけど、いいですか」

「もう並べてあるので、勝手に見てくださいよ」

「それと料理の種類も!」

「はあ……じゃあ、厨房へご案内します」


 まったく気乗りがしていない応対だ、葉揺亭でこんな接客をしたらマスターに叱られるだろう。忙しいにしても、もう少し隠して欲しい。


 だが、アメリアは気づいてしまった。冷めているのはこの男だけではない。すれ違う使用人たちがみな、厳しい視線や奇異なものに対する嘲笑めいた視線を向けて来る。そしてアメリアが意識を向ければ、さっと目を逸らす。歩き去った背中に、部外者を軽蔑する囁き声が聞こえてくるような、そんな気すらした。


 アメリアは氷を飲んだような心地になった。くっと唇を噛んで、頭を覗かせた嫌な思い出を押し戻した。そっと胸のブローチに手をやる。


 ――大丈夫よ、今の私は一人じゃないから。


 呪文を唱えて不安を無理矢理振り払い、屋敷へと足を進めた。



 案内されて磨き清められた廊下を歩いて行く。館内は凛と空気が引き締まっていて、歩いているだけでも肩に力が入る。


 しかし、厨房が近づくと途端に騒々しい音が響き始めた。同時に空気が香りに彩られてくる。甘い匂いや香ばしい匂い、火や水や、色々混ざっていて得体が知れない。音と匂いのもとは前方で扉が開け放たれている部屋。


「あそこが厨房ですので。絶対に、絶対に、邪魔はしないでくださいね。絶対にですよ」


 案内の男はきつく言うと、踵を返して広場へ戻っていった。返事をする間も無かった。


 ――邪魔なんてしないのに、失礼しちゃう。


 アメリアは腹の中で思いながら、一人で厨房へと向かった。


 その時。


「なァーにぃを、やっとるかあァーッ!」


 厨房から怒号が響いた。耳だけで恐ろしい剣幕の男が想起され、アメリアは反射的に身をすくめて足を止めた。緊張とは別の理由で心臓がばくばくと叫んでいる。


 ――でも、今の、シエンツさんだったような……。


 葉揺亭で二度会っている彼の顔とさっきの怒声がまったく結びつかないが、しかし声は同じだった。


 アメリアは呼吸を整えてから静かに足を進めると、そうっと厨房を覗いた。


 厨房は殺気立っていた。ノスカリアの街の食べ物屋に比べるととんでもなく広い厨房なのに、十数人があわただしく仕事をしていてひどく窮屈だ。混沌とした音と匂いの渦はさっきよりも強く力を持って襲いかかって来て、ついたじろいでしまうほど。


 なるほど、これは邪魔できないし、邪魔してはいけない。忙しなさが広場の会場の比ではない。うかつに足を踏み入れようものなら、料理長シエンツの怒号が飛んで来るだろう。彼自身、手元で小麦粉の生地をこねながら、首だけ後ろに捻って他の者へ指導を飛ばしている。口調はきついし、声も他の騒音に負けないくらい大きい。顔はアメリアから見えない角度だが、鬼か悪魔かの恐ろしい形相だと想像がつく。


 そんな料理長が不意にこちらを振り返った。ぎらぎらと力のこもった目と、怯えた少女の目とがぶつかった。


 と、シエンツの険しい顔はスイッチを切り替えたようにほころんだ。それはアメリアの知っているシエンツで、少し安心した。


「これはこれはアメリア殿ッ! 今日は何卒よろしくお願いします!」

「はい! あっ、あのっ、シエンツさん! 今日のお料理の種類を、教えてもらえませんか!?」

「おおっ、そうですな! そこに貼ってあるので……――リィイイガァアン! 火が強いと何度言ったらわかるかッ! 焦げを客人にお出しする気かァッ!」


 会話の途中でも容赦なく落とされた雷に、巨大なオーブンの前に居た若者とアメリアとが同時に縮み上がった。


 叱られた若い料理人がおどおどと火を調節しているのを見て、アメリアはしみじみ思った。自分が出会ったのが、葉揺亭のマスターその人で良かった、と。マスターは失敗してもこんな風に怒鳴らない。もしも事あるごとに怒鳴りつけて来るような怖い人だったら、きっと居場所は――。


「ああ失礼した、アメリア殿! レシピがまとめて貼ってあるので、自分で見て行ってくれんか。申し訳ないが、手が離せないのだ!」

「は、はい! そうします、ありがとうございます!」


 アメリアはシエンツにお辞儀をすると、小さな声で「おじゃまします」とあいさつをしながら、こそこそと厨房へ入った。


 示された入口近くのボードに、紙に書いたレシピが掲示されていた。板を埋め尽くすそれは、軽食や菓子や少なくとも二十種類はある。蒸し鶏の水レタス巻き、白身魚と南方イモのパイ包み、ミルクのジェリー青空仕立て――名前を見ているだけでもうきうきする。食べる側なら幸せだっただろうに。


 アメリアはよだれを飲み込みながら、レシピを見て完成の味を想像する。そして一生懸命どんなお茶が合うか考える。果物の飾り盛りがあるし、菓子も果物を使ったものが多い、そうすると紅茶にまで果物を使ったらしつこいだろうか。香草入りのパンに繊細な風味の紅茶は合わないかもしれない、だとしたら何が良いか。もしマスターだったらどんな講釈を垂れそうか、などと。


 しかし考えると頭が疲れる、そして頭が疲れるとお腹が空く。ただでさえおいしそうな香りが充満している空間だ、そこでレシピだけ見せられるのは、もはや拷問にも近い。脳に食欲がはびこって、集中力があっという間に散ってしまった。


 そんな折に肩を叩かれた。何かやらかしたかと、肩をすくめながら振り返れば、そこには先ほど叱りつけられていた若い料理人が立っていた。手に小皿を持って、おずおずと会釈をしてくる。


「あのう、料理長がこれをあなたにって。そのう、俺が焦がしたやつなんですけど……えっと、今日お出しする『炙り燻製肉と熱帯野菜のパニーノ』です。はい」


 そう言って皿をアメリアに渡し、彼はそそくさと仕事に戻っていった。

 

 その料理の名前は確かにレシピ集にある。長円型のパンに具材が挟んで、食べやすい四等分に切られている。焦がした部分をそぎ落とした形跡があって見かけは不格好だ。


 アメリアはシエンツを見やった。目が合うなり「遠慮するな」と口を動かすのが見えた。だから、心置きなく差し入れをいただいた。


 失敗作と言うものの、味は申し分なかった。かりっとしたパン自体が上等なものだし、挟まれた具材、燻製肉は脂が溶け出る程にじっくり炙られて旨みが引き出され、塩気がみずみずしい野菜と見事に調和している。この野菜がノスカリアでお目にかかったことがない物でもあり、赤い果菜のスライスと緑の葉物という組み合わせが目に鮮やかで、食欲をそそった。


 アメリアはあっという間に四切れを平らげてしまった。幸せだった、元気も出た。今だけ状況を忘れられた。


「おいしかったです! ありがとうございました!」


 その時アメリアは、クロチェア家にやって来てから初めて素の笑顔を見せていた。 



 料理の確認を終えたアメリアは、茶会の会場へと戻っていた。次は自分の方の準備だ。


 即席のカウンターに入って細かい部分まで調べる。アメリアのまなざしはいつになく真剣で、この時ばかりは周囲に気を引かれることもない。


 さすがこの地の元首の家だ、食器や茶道具は麗しい物ぞろいだった。いささか装飾過多なきらいもあるが、どれもよく手入れされていて傷もなくぴかぴかで、大型の銀ポットに至っては反射光が目に刺さる程だ。


 側面に繊細な装飾がつけられたティーカップを手に取り、アメリアは二重の意味が込められた溜息を吐いた。これでお茶を飲んだらさぞおいしいだろう、しかし呈茶をする側としては緊張する、慎重に扱わないとあっという間に壊れてしまいそうだから。アメリアは生唾を飲み込みながら、そっとカップを元に戻した。


 続いて茶葉。ずらりと並ぶ派手な紅茶缶は十そこそこで、葉揺亭の所有数よりずっと少ない。また、手書きで茶葉の名前もメモしてある。デジーラン、アセム、カメラナ、グリナス――そんな葉揺亭でもお馴染みの顔ぶれが見て取れる。しかし。


「ウラッジロットに……イブニア?」


 まるで聞いた事が無い、そんな名前がいくつもある。よっぽど珍しいものなのだろうか。いや、違う。アメリアは思い直して、片端から見知らぬ名の紅茶缶を開けた。


「ブレンドしてあるんだ……」


 明らかに複数種の茶葉が混ぜてあるもの、ハーブや果実が散らしてあるもの、それから紅茶なしのブレンドハーブティと。つまり自家製レシピの茶に凝った名前を付けているのだ。それ自体はマスターもやることだが、問題は、こんな風にラベルされると何が混ぜられているのかわからない点。これではせっかく予習した知識も、マスターの作ってくれたメモも役に立たない。


 こうなっては、手間がかかっても一度すべて試飲してみるしかない。必要最小限の水を銀色のケトルに汲むと、燃え盛る薪オーブンの焜炉に乗せる。


 しかし、湯が沸くまでがもどかしい。時間にゆとりはあるものの、無限ではないのだ。


「……これを作った人を探した方が早いかも」


 マスターのように、調合した本人ならレシピも味も出す場面のイメージまで把握しているはず。善は急げと辺りを見回し、近くに居た使用人の女性――なるべく歳が近くて優しそうな顔つきの相手を選んだ――に声をかけた。普段のクロチェア家で紅茶を扱っている人を紹介して欲しい、茶葉の詳しい中身を知りたいのだ、と。


 すると相手は困ったように首をかしげた。


「案内するのはいいですけど、でも、ジアノさんきっと何も話してくれないから無駄ですよ。お茶の名前だって、旦那様に言われたから嫌々書いて用意したって」

「ど、どうしてですか?」

「『そんなすごい茶師が来るっていうなら、適当に置いとくだけで何でもわかるんだろう』とかなんとか。役目を取られて嫉妬しているみたいで。まあ、しょうがないですよ」


 使用人の女は皮肉っぽく笑うと、忙しい忙しいと言いながら去っていった。


 はあ、とアメリアは肩を落とした。見るだけでなんでもお見通し、確かにマスターならやってのけるかもしれないが、それはマスターが規格外だからできることで、普通は無理だ。向こうもわかっていて意地悪をされている。


 歓迎してくれるのは知っている顔だけ。他の圧倒的多数は誰も彼も敵だらけで、話すらもできないなんて。また不安が弾けそうになる。


「……ジェニーさん、早く来てくださいよう」


 火にかかったポットを見つめながら、縋るように呼ばわる。ジェニーなら悩みも愚痴も全部笑って聞いてくれて頼れる味方になってくれる、彼女が来るまでもう少しの辛抱だ。

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