祝福をもたらす神名の茶(2)
マスターはすらりとした指で、青い花をちぎり切った。たやすく手に落ちた永遠の象徴は、ひとまず台上によけて置く。ついでに葉も摘み取って並べる。葉も花と同じ用途だ。
さて肝心の紅茶だ。こちらもまったく難しい事はしない。細かいシネンスの茶葉に、レモンを乾燥させたものをみじん切りにして配合する。いつも店で出しているレモン・ティそのままだ。提供の時は客の好み次第で生のレモンのスライスか絞った果汁を添えるが、今日はマスター判断で添えない。
普段と違うのは、硝子のポットを使った点である。硝子は陶磁器に比べると保温性に劣るし、やや破損しやすい。だが中が透けて見える無二の長所があり、今回のような見た目を重視したい時の器によく用いる。
湯を注いだ硝子ポットの内で、茶葉たちが踊るのが見通せた。透明だった水が徐々に茶色く染め上げられていくのも同様に。
抽出が終わった頃合いを見計らって、マスターはポットの世界に手を入れた。銀の匙で一かき、それで立ち上がった弱い渦が、さっと水色を均一化させる。ふわと嗅覚をくすぐる香りも立った。
このままで十分おいしいレモン・ティだ。ここにもう一工夫、いや、主役を加える。マスターは脇に避けてあった葉と花とをそっと水面に浮かべた。相対的に大きな空色の花はポット上部の空間を覆い尽くす。紅茶の海上にかかる、青い空と一線の光のように。熱が加わってもほとんど萎れない。
創造し終わった小さな世界に蓋をして、念のため味を確認する。
――よし。まったくいつも通りのレモン・ティだ、安心して人に出せる。
「さあ、できたよ」
マスターは手ずから客人のいる卓へと茶器一式を運んだ。女性陣の注目の中、熱いポットとガラスのカップが供される。カップはもちろん二つ、どちらも曇りなく透き通っており、窓越しの光にきらきらと輝いていた。
テーブルに置かれたポットの中には、葉揺亭の主が築いた世界がある。細かい茶葉が躍る水に、上に広がる深緑の葉、そして圧倒的な存在感を放つ天蓋の花。
顔を近づけて眺めている二人を前に、マスターは人差し指を立て得意気に講釈した。
「これが僕なりの閃光の日の見立てだ。イオニアンの大地と森林、そこに暮らす人間や動物は茶葉とレモンとで。そして、天を覆う青空に走る光の一閃」
「なんと言うか、すごいわね。こんなのを即席で思いつくなんて、マスターって、お茶に関してだけは神様並みの技量よね」
「それは、お褒めの言葉ありがとう、と言っておけばいいのかな」
マスターは苦笑して肩をすくめた。
一方、アメリアは。青い目をぱっちりと開いて、飾り入りの茶を眺めている。黙って、ずっと。
何かおかしなことでもあるのだろうか、と、大人二人が怪訝な様子で顔を見合わせた。ちょうどその時に、少し落胆したような息が漏れ聞こえる。
「これ、お茶が青くなるわけじゃないんですね」
「そうなんだよね。伊達に永遠に色褪せないと言われるだけあるよ、ちっとも色が出て来やしない」
「ううん、あんまりおもしろくないですね。神様だったら、もっと、わあっ! ってなってもいいのに」
「『わあっ』って?」
「こう、なんかすごい感じです。ぶあっ、とか、キラキラキラっとか、ウワーッって神様っぽい感じの」
「えーと……まあ、うん、そうだね。じゃあ、そろそろお味の方へ」
果たしてアメリアが持つルクノールのイメージはどんなものか。気になりもするが、今は置いておくべきである。あの表現力でそんな話を始めさせたら、理解するまでにお茶が冷めてしまうだろう。
マスターはしなやかな腕を伸ばしてポットを手にした。ストレイナー越しにカップへ茶を注ぐ。アメリアも指摘した通り、普通の琥珀色の紅茶だ。
二人分を取るとちょうど空になり、ポットには茶葉の出がらしだけ残っている。そこから青さ衰えぬルクノ・フロラを取り出して、二枚ある白線の入った花弁を摘み取ると、それぞれのカップの上に浮かべてやった。
「食べられないんだけどね。あると多少は気分が違うだろう」
そして、どうぞ召し上がれ、と促した。
待ちきれないという勢いで飛びかかるアメリアと、優雅にしずしずと口をつけるジェニー。二人は共にしばらく味と香りを賞味して、それから同時に感想を口にした。
「マスター、これ、すごくおいしいです! 元気が出る味っていうか、ああ、そう、神様のすごい力のお茶って感じです!」
「花から何か出ているのかしら。味に深みがあるし……入っているのは本当にレモンだけ? なんだかいろんな果物の味がするような気がするわ」
「えっ、と。まあ、気に入ってもらえたのなら、なによりだ。けど……」
消えゆく語尾と共にマスターの笑顔は引きつった。中身は普通のレモン・ティだし、花は一切合切なんの力も持っていない。味がいつもと同じであるとは直前にしっかり確かめた。それなのにアメリアもジェニーも、違う違うと大はしゃぎしている。おかしなだ、本当に。
茶の味を変えたのは、さしずめ彼女たちの思い込みの力だろう。そうとしか考えられない。信じる心とはかくなるものなのか、とマスターは呆れ半分で感心していた。
そうこうしている内に、アメリアとジェニーは今度は「神様の食事はどんなものか」という題目で空想劇を繰り広げ始めた。
楽しげに語らい合う彼女らに、ルクノ・フロラの事を告げるか告げまいか。マスターは悩んだあげく、そっとしておく事に決めた。客人が気分よく過ごせるのなら亭主として本望。それが自分のしたことが招いた結末ならばなおさら、この手で壊すのは無粋である。
マスターは長い燕尾を翻し、自分の業務に戻る。早くツルイチゴの処理を終わらせないと。アメリアが好奇心の向くままに入手してきた物は山ほどある、腐ったり劣化したりする前に全部を検めて、適切な処理をしてやらなければ。
マスターは再び、茶の素材と向き合い自分の世界に没入していった。
各人それぞれの時が流れる葉揺亭。神の名前が付けられた花のブーケは忘れられたようにカウンターの上に転がっていた。褪せる事のない美しい空をその身に宿し、神の訪れを待っているかのように。
ジェニーが帰ってから。アメリアはマスターが小言を再開する前に、手仕事に集中している隙をついてルクノ・フロラのブーケを玄関先に吊るしにいった。
もっとも、マスターは横目できちんと見ていたのだが。何もも言わなかったのは、アメリアの機嫌がすこぶる良いため。それは自分のためにも良い事である。下手して本日二度目の「嫌いです」を刺されれば、立ち直れない。
それに玄関先にあれば、外に出ない自分が見る事は二度とない。視界に入らなければ、意識に触れて来なければ、存在しないも同じでどうでもよくなる。
見えなくなったのを好機として、マスターは意識的にルクノ・フロラのことを記憶の彼方へ追いやった。これで来年まで心の安寧は保たれる。
保たれる……はずだったのだが。
七日後の降誕祭当日。昼下がりの葉揺亭のカウンター内には、ルクノ・フロラが山盛りになっていた。それに囲まれるマスターは、客前にも関わらずうんざりとした顔を隠さないで居る。
一体何が起こったのか。
はじめの異変は、身内の二人の女性に青花浮かべたレモン・ティを振る舞ってから二日後の朝だった。
宿屋のオーベルが日課を過ごしているところへ、見つけぬ黒衣の男が飛び込んで来たのである。あの黒い長衣は、ルクノラム教の宗教衣だ。マスターがそう認識するより先に、男は目をぎらつかせて叫んだ。
「ここに、神の加護を賜る、奇跡の茶があると聞いた。それを、わたしにも恵んでくれ!」
マスターは珍しく言葉を失した。
最初はこの男の妄想かと思った。神を狂信するあまりあらゆる事を神にこじつけてしまうとか、昨夜見た夢を神託と勘違いして走って来たとか。それならば、丁重にお断りしてお帰り頂きおしまいだ。
だが、そうやって腰を低くして応対しようとしたその時。また別のルクノラム教徒が飛び込んできた。今度は二人組だった。しかし、開口一番に言ったことは最初の男と同じ、神の茶を所望する、と。
まさかと思って窓の外へ目をやると、後にも続々と黒衣の人々が押しかけて来る光景があった。
明らかに異常だ。誰かの妄想などではなく現実に、かつ自分の知らない所で、葉揺亭に何かが起こっている。オーベルと二人、困惑に溢れた視線を交わした。何をやらかした? わからない。と。
一体何事か、叫ばれる言葉を紐解き考える。神、茶、加護――あっ。と、マスターはすべてを察し目を白黒させた。小さな店を埋め尽くす教徒たちが求めているのは、ルクノ・フロラを使った降誕の日を見立てるレモン・ティだ。
問題は、内輪で一度つくってみせただけの茶の存在が、なぜ彼らに知られたかであるが。
――やってくれたな、ジェニー。
見当は簡単につく。ジェニーはノスカリア随一の大商会が会長秘書、人との付き合いの広さは半端でない。気の利いた時候の挨拶をする感覚で、身内に、あるいは商談相手に、ルクノ・フロラを浮かべた紅茶の事を喋って歩いたのだろう。ともすれば、嘘にならない程度に脚色をしたかもしれない。
そうしてジェニーがまき散らかした種が、さらに人づてに広まって、ルクノラム教徒のもとへ波及した。そこからは信徒同士の横のつながりを伝って噂が爆発的にはびこった。そして、葉揺亭への押しかけに至る。
マスターは心の中で舌打ちし、想像の中で咲き広がる青い花をがむしゃらに毟り散らした。
普段なら、客の要望には最大限応じるのが葉揺亭である。たとえどれほどおもしろくない類の人種だったとしても、だ。しかし、今回ばかりは受け入れかねた。マスターの信仰心の問題ではなく、現実的な話として。
第一に、あの紅茶には信徒たちが求めているような奇跡の力などない。聞いていた話と違うなどと文句をつけられると困る。
第二に、硝子のポットは数を用意していない。店を埋め尽くす黒衣の人間に足りない。見た目がすべての茶を陶器で出しても無意味だとマスターは思う。
第三に、材料が無い。葉揺亭のルクノ・フロラは玄関先に吊るしてあるだけで全部だ。
この内わかりやすいのは三だろう。だからマスターは正直に「材料がないんだ」と信徒たちに伝え、お引き取りを願った。聞かされた側も、それなら仕方ないという空気を醸した。
ところがどっこい。葉揺亭には女神が住んでいたのである。その名は、アメリア。
「じゃあマスター、私がルクノ・フロラを買ってきます! 西通りのお花屋さんにもあるので、すぐに行って来れます! ちょっとだけ待っててもらってください!」
えっ、と思った時には遅かった。アメリアは朝着たばかりのエプロンを脱ぎ捨て、店を飛び出して行ったのである。捕まえようと咄嗟に伸ばしたマスターの手は、むなしく宙をかくだけだった。
信者たちも盛り上がってしまっている。一度諦めた希望が見えた、感激あまって店の中で祝詞をあげて聖歌を合唱し始める始末。そうこうしている間にも、また新しい黒服が入って来る。
もはやお手上げ。マスターは抵抗を諦めて、怒涛に流されるがままを選んだのだった。
そしてさらに五日が経ち、現在に至る。この期間にどれだけ例の紅茶を出したかわからない。正直、飽きた。
アメリアもアメリアで、葉揺亭史上一番の客入りに興奮してしまい、まるで手が付けられなかった。頼んでもいないのに買い物に走り回り、次から次へとルクノ・フロラの花束を店内に持ち帰って来る。商店に出回っているだけでは飽き足らず、マスターに黙ってハンターにまで注文をかけて、かの老翁が天然ものの花を一抱え持って来てくれた事まであった。
『お前さんも大変だのう、色々と』
人でごった返す中でハンターにかけられた憐憫の言葉が、孤軍奮闘するマスターの心にどれだけ染みたか。
「――僕としたことが、うっかり泣きそうになったよ。本当にもう、久しぶりに心が折れそうになった。神がなんだ、奇跡がどうだ……いい加減にしてくれよ、まったく」
マスターが頬杖をついて向かいに座る相手に愚痴を吐く。仕上げにふうっと溜息まで。とても接客する顔つきでない、いじけ面だ。
対面に居て聞き相手となっていた客、ヴィクターは、腹を抱えて笑い転げた。彼の外套もルクノラム教徒と同じく黒いが、まったく別の質。マスター同様、神たるルクノールに対する信心はかけらも持ち合わせていない。
「そりゃまあ、大変だったなぁ。よりにもよってあんたが宗教行事に乗っかるとは、こりゃどういうことだと思ったら……いやー、びっくりした! アッハッハ!」
ニヤニヤした顔のまま、ヴィクターは右手にしていた堅パンをカップの紅茶に浸した。そうして柔らかくして、かじる。港町で買った海藻入りの堅パンだ、少しばかり生臭い。口の中を洗うべく、続けて紅茶を飲む。
そこまですると、ヴィクターの笑気は少しなりを潜めた。
「だが、なんだ。降誕祭当日のくせに今は静か過ぎないか。……何か仕組んだのか?」
「いいや、午前中は結構ひどかったよ。熱心な教徒は、今は色々と忙しいんだろう。教会に行ったり、儀式の準備をしたり」
「ふうん。そういうもんか」
「そういうものだ。そうじゃなくても構うものか。僕の店から矛先が逸れてくれたならなんでもいい」
伸びをしながら発せられたマスターの本音に、ヴィクターは再び失笑したのだった。
「じゃあ、なんか甘いもの焼いてんのは、鬱陶しい奴らから解放されたお祝い、ってとこか」
そう、今日の葉揺亭にはやたら甘い匂いが漂っている。花の甘さとはまるで違う、もっと直接的な糖分の、しかも火が入って香ばしくなった匂いだ。何も知らない人が嗅いでも、菓子を作っているのだろうと察しがつく。
ただ、葉揺亭のメニューに菓子はない。菓子どころか、食べ物一切を扱っていないのだ。これは、茶のおいしさを単独で味わって欲しいマスターのスタンスである。代わりに客が食べ物を持ち込むことは自由にしているが。
葉揺亭で菓子を焼くのは、おおよそマスターがアメリアにせがまれた時か、せがまれなくても食べさせてやりたい時か。とかく店の運営とは関係ない理由である。
では、今日の場合は。てっきりめでたい事由があるのかと思いきや、マスターは表情を明確に濁らせた。
「アメリアが言い張るんだ、今日は焼菓子も必要だって」
「はい?」
「だから、降誕祭に焼菓子が要るんだって」
「なんで?」
「知らないよ、けれど大層張り切ってた。アメリアなりに理由はあるらしい、降誕祭当日には絶対に欠かせないって」
「あぁー……結局、祭りの呪縛からは逃れられんってか」
「そう。まあ、アメリアの希望ならしかたないよ。あんなに楽しそうにしてたんだ。アメリアがどうしてもやりたいなら、僕は何も言わない、好きなようにやったらいいさ」
「あんたはアメリアちゃんには、ほんっとに甘いよな」
降誕祭にかこつけて大騒ぎする点は、ルクノラムの教徒たちとまったく同じなのに、だ。ヴィクターは生温かい目でマスターを見つめながら、また紅茶をすすった。
そして、ふっと思った。葉揺亭には、自分とマスターの二人だけ。
「そのアメリアちゃんは一体どこ行ったんだ? 火をつけてほっぽっとくのは感心しないがねぇ」
「オーブンは僕が見ているから。焼き上がりまでは置いておくだけだし、まだまだ時間がかかるから、この間に部屋の掃除を――」
説明しかけたマスターの声を遮るように、階段を降りるけたたましい足音が壁の向こうより響いた。
間髪入れず、カウンターの内にある扉がバアンと開け放たれた。はあはあと興奮気味に息を切らせて、アメリアが立っている。
「騒々しいよ」
マスターが静かに苦言を呈したが、アメリアには聞こえていない様子。漂う甘い香りをくんくんと嗅ぎながら、魔法火の焜炉の下に備わっているオーブンの手前まで躍り出て、ひょいとしゃがみこむ。そのまま取っ手を握った。
「もう焼けましたよね! これだけいい匂いがするんですもの!」
「いやいやいや、まだだよ。僕まだ呼んでいない。いい頃合いがわからないから教えてくれって、君が言ったんじゃあないか。ほら、時計を見なさい。目安の時間は伝えてあるだろう、まだそれにもなっていない」
「……でも、ちょっとくらいなら早くても」
「アメリア、焦りは禁物だよ。失敗したら最初からやり直しだ、時を急いて時を損じては意味がない」
マスターは言い窘めた。それでもまだアメリアが逡巡するから、さらにもう一度繰り返した。それでようやくアメリアは名残惜しげながら取っ手を放した。焼きあがるまではまだまだ、シネンスの紅茶を入れて一服するくらいはある。
空気が落ち着いたところで、存在を主張するようにヴィクターが声を発した。
「で、アメリアちゃん、一体なにを作っているのかな?」
その途端、アメリアは驚いたように背筋をぴんと伸ばした。やはりと言うべきか、客が来ていることには気づいていなかったようだ。しゅんとしていた表情を一転させ、アメリアは作業台に両手をつきカウンターに身を乗り出した。
「フルーツ・ケイクです! レインさんに教わりました」
「へえ、そう……誰?」
「お友だちです。すごいんですよ、お料理もお裁縫も、なんでもできちゃうんですもの」
アメリアが指を折りながら、親友の好きな部分を挙げ数える。器用で、優しくて、頼りになって、明るくて――延々と、かつ得意気に語られる自慢話。ヴィクターは嫌な顔一つせず聞いた。本命の話は、ちっとも出てこないけれども。




