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おしゃべりカラスの末路(1)

 朝と呼ぶにも早すぎる薄明の時間だ。多くの町人がそうであるように、葉揺亭も眠りから覚めていない。まだ一番の湯も沸かし始めたところだし、目隠しのカーテンは閉じたままだし、店名のプレートも出していなければ、そもそも玄関の鍵も開けていない。


 そんな中で入り口の扉がガチャガチャとやられた。完全に油断していたマスターは音に驚き、振り返りざまにたじろいだ。


 警戒して身構えながら、玄関へ目を尖らせる。人の気配はまだある、扉にのしかかる様にどんよりとした気が漂って来る。


 ――オーベルさんじゃないな。


 朝一番の客は宿屋のオーベル、それが葉揺亭の毎日の決まり事である。日常が非日常へと変わる時、そこにあるのは招かれざる客か、それとも。


 マスターは足音を殺して玄関へ向かった。まだ扉の向こうで来訪者は居座っている、もたれているような衣擦れの音が聞こえた。


 葉揺亭の玄関が外開きなのは、良からぬ客を跳ね返したい亭主の気持ちが表れたもの。音を立てないよう開錠し、思い切り体重をかけて扉を、押す!


「痛ってぇッ!」


 そんな男の叫び声とゴンと鈍い音。直後、扉が軽くなり、そこに居た人の姿が見えるようになった。真っ黒なコートを着たぼさぼさの茶髪の青年が、背中を押さえ前屈みにうずくまっている。


「……なんだ、ヴィクターか」

「ひっでぇな! いきなり開けるなよ!」

「それくらいの打ち身、君にはよくある事だろう?」

「仕事中じゃあないんでね。油断してる時は別だ別」

「そのまま返すよ。まだ営業中じゃないのは見ればわかるだろう、脅かしてくれるなよ」


 マスターは不満と安堵が混じった息をつくと、入って来いと指で誘い、自分は先にカウンターへ戻った。


 ヴィクターは重たげに腰をあげると、店内へと入って来る。いつも気だるそうにしているが、今日は殊更だ。こめかみを押さえながらカウンター席まで歩いてくる。血色も悪いし、目の下に隈ができている。さっき頭を打ってたんこぶが、という話ではなさそうだ。


「ずいぶん調子が悪そうだな」

「酒場で潰された。気づいたら朝で、ほとんど追い出された」

「……ああ、そう。どうりで酒臭いし煙臭い。またアメリアに文句言われるぞ」

「どうでもいいから水くれよ、頭が痛くてたまらん」


 ヴィクターはカウンターに突っ伏す。マスターが呆れた一瞥をくれても微動だにしない。


 マスターはしかたない奴だと息を吐きながらも、彼の望み通り、グラスになみなみと新鮮な水を用意した。寄ったついでに焜炉を操作して、湯を沸かす火も強める。


 無言でグラスをヴィクターの頭の先へ置く。たん、とよく響いた音に反応して、ヴィクターはいつも以上にぼんやりとした面を上げた。一度二度と瞬きをしてから、まるで砂漠でオアシスを見つけたように水へかぶりついた。喉を鳴らして半分くらい飲んだ後、グラスを置いて、そのまま頭をカウンターへ投げ出した。目は固く閉じられ、眉間には皺が寄っている。


「うちを宿がわりに使ってくれるなよ」

「じゃなけりゃ、来ないさ」


 マスターは呆れた息をつきながら、材料のストックがある引き出しを漁った。少し奥から小箱を見つけ出す。この中身は、最近めっきり使わなくなった黄金草の根の粉末である。これは遠い地の「珈琲」なる飲み物の代用品として、ノスカリア近隣では親しまれている。風味は豆で淹れる本物に似こそすれ別の物、同じ珈琲の名で並べると劣ってしまうが、胃腑への優しさは黄金草に長があるのだ。酒で荒れた体に入れる飲み物として、これはちょうどいい。


 火力を強めたおかげで湯も沸いた。いまだ死んだように重い頭を転がしているヴィクターを尻目に、淡々と作業を進めていく。ティーポットに黄金草の粉とおまけの薬草を入れ、カップ一杯分の熱湯を注ぐ。紅茶と同じ加減で適当に蒸らした後は、目の細かいネルで濾してからカップヘ注ぐ。使うカップは食器棚の一番上から下ろした、ヴィクターの私品のそれだ。


 そして静かに湯気たつカップを、わざと音を立ててヴィクターの頭の傍へ置いた。


「……どうも」


 くぐもった声の後、突っ伏した頭が重たげに持ち上がった。ヴィクターはぼうっとカップを見つめた後、何と聞くわけでもなく、また何の疑いも無く、濃い褐色の液体を口にした。が、飲み下した直後、舌を出して顔をしかめた。


「にっが」


 なんだこれ、と目で訴えている。それにマスターは肩をすくめた。


「お腹に優しい黄金草の珈琲に、シネイラって言う名の酒毒を抜く薬草を少々。目が覚めるだろう?」

「……ふうん」


 興味が無いとばかりの適当な相槌を打ち、ヴィクターは改めて薬なのか嗜好品なのかよくわからない液体をすすった。確かに苦みで目は覚めるが、好きな味でもない。とは言え、出立前に恒例であおる例の一杯よりは、まだ口に入れるものらしい味ではある。


 マスターは真鍮のポットへ使った分の水を差し、もう一度火へかける。そうしながらヴィクターへ問いかけた。


「そんなに調子を崩すほど呑んだくれるとは、よほど良い儲け話でもあったのか?」

「逆だ逆、なーんもない。暇なんだ。巷じゃ『悪魔』狩りが流行りだが、化け物狩りってのは性に合わんくてねぇ」

「『悪魔』狩り」


 マスターが手を止めてヴィクターを顧みた。視線がかち合うと、ヴィクターは顔の横でひらりと片手を振り漏らした。


「前からあるだろ、ノスカリアには悪魔が潜んでいるって噂。あれに政府が賞金を懸けた。嘘か真かわからんが、たまたま中央から来ていた役人の女が『悪魔』に殺されたらしい」

「その話なら知っているよ。休み明け早々に、オーベルさんが興奮して教えてくれたから」


 握りしめてくしゃくしゃになった新聞を突きつけられた少し前の朝を思い出し、マスターは苦笑いをこぼした。


 しかしすぐに真面目な顔をつくり、ヴィクターに向けた。


「ヴィクター。その話、くれぐれもアメリアの前でしてくれるな」

「……まさか、あんたが噛んでるのか?」

「まったくの別件で、その政府のお嬢さん方と関わる当事者がうちの客に居てね。彼自身はさほど病まないだろうが、アメリアは気にするだろう。顔も見た相手がすぐ後に、というのは。仮に綺麗な死に方だったとしてもだ」

「少し過保護じゃないか? 町に出てりゃ、嫌でも耳に入るくらい熱い話題だぜ?」

「僕の目の前であの子に悲しい思いをさせたくない。それだけの事だ」


 ヴィクターが呆れた風な吐息を漏らした。しかし反論はしなかった。


「顔を見たってのが気になったんだが、政府の奴らがここに来たのか?」

「ああ。二人、情報収集に。彼女たちが扱っている事件の中に確かにあったよ、紅い月夜の悪魔の噂」

「おいおい、まさか本気でやばいもんが町に潜んでいるって?」

「どうだろうね。ああ、一応弁明すると、僕は止めたよ。くだらない噂を信じるな、仮に本当だったとしても、関われば自分の生命に危険があるからやめておけ、ってね。取り合ってもらえず残念だ」

「そりゃ向こうはそれが仕事だからな。中枢の組織には明るくないが、ヴィジラの元締めみたいな物なんだろ?」

「ああ。異能の起こした事件の捜査をしているって言っていた」


 思い出しながら、やれやれとマスターは息をついた。ご機嫌な話ではない、自然と顔も曇る。そして真正面からヴィクターを捉えて告げた。


「ねえヴィクター。これは僕の考えだけれど、この件にはあまり首を突っ込まない方がいいと思うよ。いくら賞金を積まれたとしても、ね」

「心配いらんさ。化け物退治は俺の仕事の範疇じゃあないし、頼まれたところで自分が勝てないような奴は相手にしません。どこかの誰かさんみたいに意味もなく長生きするつもりはないが、かと言って間抜けにおっちぬつもりもないからな」

「賢い判断だ」


 マスターは頬をゆるめ、長話を打ち切り時計を確認した。そろそろカーテンを開けて、玄関にプレートを出し、開店といかなければ。


 その時、玄関が開いた。ヴィクターは大きな動作で振り向く一方、マスターは目だけを動かして相手を確認する。朝日に浮かぶ恰幅の良いシルエット、オーベルのお出ましだ。マスターは手に取ったばかりのプレートを手放して、食器棚へ足を進めた。


「おっす、マスター! 大変な――おおっ!? 珍しい、先客か!」

「ういっす、お邪魔してますわ」

「あっ、いつだかの兄ちゃんか! いやー、えらい久し振りじゃないか!」

「むしろ覚えてたんっすか、半年以上前だってのに」

「あんな奇天烈でクソまずい茶のこと忘れるかってよ! なあ、マスター」


 マスターは食器棚から下ろしたティーセットを両手に、困ったような笑顔をオーベルへ向けた。それからすぐにいつもの紅茶の準備へ取りかかる。いつものでいいかい、ああいいよ。そんなやりとりすら、最近では省略される仲になっていた。


 オーベルはヴィクターの隣の椅子に腰を降ろす。よいしょ、と漏れた掛け声が心なしいつもより興奮している。それと手に握り閉めた新聞。普段は一部だけのところ、今日は二部、それぞれ別の物を持っている。全体の厚みが無く、印刷も荒くてかすれが多い。そして持って来た本人は広げて読もうとせず、マスターの様子をうかがいながら、そわそわして待っている。


 それらが意味するところは。マスターはあえて気づかないようにして紅茶を完成させると、普段通り茶葉を抜いた紅茶のポットと、すぐ飲めるよう注いであるカップとをオーベルのもとへ出し、そこで初めて気づいたように話しかけた。


「あれ、オーベルさん。その新聞、また号外か」

「おうよ! しかも別ネタだぜ! えらいこっちゃだ、まったく!」

「それはそれは。今日はどんな話なんだ?」


 マスターは自分の椅子を引いて座り、にこやかに話を聞く姿勢を取った。オーベルは葉揺亭へ新鮮な情報を提供することに使命感を持っている節があり、特に大きな話題がある時は、まるで子供のようにうきうきと駆け込んでくる。それだけ気合いの入ったことならば、聞く側も作業しながらではなく、きちんと向かい合わなければ。


 さて、ノスカリアの新聞は一社につき週に一度か二度刊行され、一週十日間の毎日、いずれかの社の定期刊行物がある状態だ。しかしとびきりの情報があると、各社が競うように号外を発刊する。その場合は、だいたい内容が同じなのだが。


 この数週ほど、号外の発刊頻度は尋常でない。版を組み替えて部数を刷る、決して楽ではないのにだ。慌てて生産しているせいだろう、各社の紙質もどんどん荒くなっていき、中には植字をする職人が過労で倒れて休刊している社まである始末。


 そうまでして騒ぐ内容とは何か。三週前は不夜祭と神の話で各社持ち切りで、その次は大陸南部の内紛が中枢政府の陰謀だとかいう胡散臭い話が浮上して、その後は件の「悪魔」騒動を取り上げていた。はてさて今日は一体どうくるだろう。


「聞いて驚くなよ、あのラスバーナ商会が、とうとう派手にお家騒動おっぱじめるかもしれんってよ!」


 マスターは眉をひそめた。オーベルが鼻息荒く突き出して来た新聞を受け取り、自分の目で確認する。


 事実よりも噂話と憶測の方が多い、とんだゴシップ記事だ。ざっと紙面を見通したマスターの抱いた感想はそんなものだった。ノスカリアの経済を牛耳るラスバーナ商会のお家騒動勃発、そう題目で述べる割に、確たる事実なのは、長らく家を離れていた三男がノスカリアに戻って来たという点のみ。他は会長の過去の発言や、かつて事故死した長男を含めた四人の子供の経歴や彼らにまつわる噂を取り上げて、あたかも兄妹で骨肉の争いが繰り広げられようとしている風に読み手の印象を誘導している。


 マスターは冷めた吐息をつくと、新聞を畳んで、一応ヴィクターに「読むか?」とたずねてみた。すると彼は興味ないとばかりに手を開いたから、新聞はそのままオーベルへ返した。

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