祝福をもたらす神名の茶(1)
朝日きらめく青空の下に、アメリアの上機嫌な鼻歌が流れていた。片手には藤編みのバスケットが楽しげに揺れている。
今日は時計塔広場にて大市が開かれる、そこへ買い出しに向かっている最中だ。ワンピースのポケットに入っているマスター手縫いの財布には、金銀銅貨が目一杯詰まっている。それなのに、ちっとも重さを感じない。
はやる気持ちが足にも影響して、あっという間に広場へたどり着いた。
ノスカリアの時計塔広場は平素より人々の憩いの場としてにぎわっているが、今日の活気はまた段違い。さまざまな露店が広い空間にずらりと並び、そこかしこから呼び込みの声があがっているし、もちろん買い手の人だかりもあちこちにできている。
アメリアも市の波へと飛び込んだ。人の間を縫うように、露店をあちこち覗いて周る。一応、見たいものは決まっている。お茶の葉とか果物とか、あるいは香草や薬草など、要するに葉揺亭の商材として使えるものを探すのだ。マスターからも「売っていたら欲しいものリスト」なるメモを預かっているから、基本はそれを買って回ればいい。
それに加えてマスターからは、気になるものがあればなんでも買って来れば良い、と言われている。
「色々なことに好奇心を持つのはいいことだからね」
そんな風に言われるのは、なにも今日に限ったことではない。だから、アメリアは遠慮をしない。十分すぎるほどのお金も持たせてもらった。気になる物、欲しい物、漠然とだが良い感じの物を見つけ次第、買う、買う、買う。
あっという間にバスケットが重たくなった。マスターからの注文品もおおよそ揃い、成果は上々だ。
しかし、財布はまだ空になっていない。だから次の楽しみを探して、アメリアはきょろきょろとあたりに目をやりつつ、市の中を歩き続けていた。
次に足を止めたのは、山野草の並んだ店の前だった。この類の露店は既にいくつも見たが、まったく同じ品ぞろえのところは無いから飽きない。
古絨毯を敷いた上に、かごや木箱が並ぶ。陳列されているのは、真っ赤な実を連ねる蔓や、毛玉のような白い花、黒に斑点のある星空で染めたような木の葉など。生花もあるし、乾燥させた草の瓶詰なんかも置いている。それらの草花がどういうものなのか、アメリアには知識がほとんどない。でも、珍奇な植物たちは見ているだけで面白い。
アメリアが青い目を忙しく行き来させていると、店の男から声がかけられた。
「お嬢さん、『降誕祭』の準備は済んだかい? うちで扱っているルクノ・フロラはとびきり大輪だよ! どうだい?」
アメリアはぴくりと眉目を上げて反応した。店主の男はにこやかな顔で、古い樽を利用したバケツを指示していた。たくさんの青空色の切り花が水にさしてある。六枚の花弁を持っていて、対角線を繋ぐ様に一本の白い線が入っているのが特徴的だ。ルクノ・フロラと呼ばれるこの花は、鮮やかな見た目と花が傷みにくいことから、この時季よく花瓶に飾られている。
だが、ルクノ・フロラにはそれ以上の役割がある。アメリアはぱちんと手を打った。
「そうです、降誕祭! 確かに、そろそろ準備しないと」
降誕祭とは、この世界イオニアンの神「ルクノール」が創世の後、人々の前に降臨したことを祝す祭の事である。元来はこの神を崇めるルクノラム教の宗教行事であった。しかし神ルクノール自体は、かの宗教以外の神話伝説や民間伝承なででも非常に広くイオニアンの最高神として語られている。よって敬虔な教徒であるか否かに関わらず、降誕祭は年中行事として民衆に広く親しまれているのだ。特にここ交易都市ノスカリアでは商売っ気も相乗するため、毎年大々的なお祭りムードとなる。
アメリアも信仰心が特別にあるわけではない。が、日常の中で神様頼みをするくらいだし、お祝いはしっかりやりたい、日頃の感謝の意味を込めてやるべきだと、思っている。本当はそれ以上に、お祭りなんて楽しくて仕方がない行事を無視していられるか、との気持ちが強いが、さておき。
ルクノラム教の信徒たちは、来たる神聖な日にかけて厳粛な儀式めいた取組をする。だが一般の人々はそんな大層畏まった事はせず、極一部を真似するだけだ。慣習はいくつかあるものの、最も簡単なのが、神の御名を宿した花であるルクノ・フロラを玄関先に吊るして、ルクノールの加護を招き入れる、というものである。
我主役たりと咲き誇る青い花を前にして、アメリアはうきうきと目を輝かせていた。
「――と言うことで、今年もちゃあんとやりますよ、降誕祭!」
葉揺亭に戻るなり、アメリアは満杯のかごをマスターに押し付けて、自分はルクノ・フロラの切り花のだけを抱えて取り出し、ブーケに仕立てはじめた。ご機嫌この上ない様子。珈琲の香りが漂う店内の空気に、小さな鼻歌が溶けこんでいく。
一方で、湿ったため息も空気の中に混じった。発生源はマスターだった。
「君はよくもこんなくだらない事に対し熱心になれるな、毎年、毎年」
呆れか不満か、とかくいい印象は無い声音だった。アメリアはマスターをきっと見て、ぶうと口も尖らせた。
「いいじゃないですか! ちゃんとお祝いすれば、神様に守ってもらえるんですから」
「そんな花を吊るしてか? それになんの意味があるんだ」
「お祭りの決まりですから。こうしなければ上手くいかないんですよ、きっと、たぶん」
「儀式の一部より派生したと考えれば、意味のある行動とも言えよう。しかし、ここまで簡素で形骸化された式だ、自己満足以上の価値があるとはとても――」
「もうっ、またマスターはわざと難しく言って! お花を飾れば神様が来る、たったそれだけのことじゃないですか。私にもできちゃう、とっても簡単な事です。誰も損はしないですし、うるさく言う必要なんて無いじゃないですか」
「いや、まあ、うん。損得の問題なら君の言う通りだろうけど」
「ほらぁ!」
勝ち誇ったようにアメリアは胸を張って、ぷいとそっぽを向いた。先ほどより一層愉快な様子で、青い花の茎を束ねる事に集中している。束ねるのに使うリボンはよく映える赤にしようか、それとも上品な白にしようか。試しにかけてみては、解いて、またかけて、迷う迷う。
小さな背中越しにマスターがそれを見ていた。さっきからずっと何か言いたげに立っている。アメリアが無視を決め込んでいるから、何も言わないだけで。
そんな光景はカウンターの内で繰り広げられるもの。しかし葉揺亭は小さな店、二人のやりとりは客席に筒抜けだ。
現在、客が一人居る。窓側の席に、ジェニーが。いつものように書類仕事をしていたのだが、不意にその手が震えて止まった。ついでにペンを持つのと逆側の手で、おかしそうに歪められた口を覆い隠す。
結局、我慢はできなかったらしい。ジェニーは笑い声を含ませながら、マスターへ目を向けた。
「マスター、気に入らないからって、そこまでツンツンしなくたっていいじゃないの。なんでも信じる事が大事よ。心から信じている人の所へは、本当に神様だって来てくれるかもしれないわ」
「いいや、それは無い。信じて裏切られるよりも、最初から信じない方がましだ。世間に神として語られるルクノール、そんなもの、誰かが勝手に創り上げた願望の象徴だ。現実にそぐわない、期待をかけるだけ愚か。僕はそう思うよ」
「あらやだ、ずいぶん辛辣ね。そこまでルクノール様を否定するなんて……マスターはもしかして異教徒なの?」
ルクノールが最高神との共通認識があるとはいえ、世界は広いのだ、地域によってはまったく異なる神を崇めている。当該の民であれば、異教の神の祝祭を批判しても当然だ。
が、マスターは即刻首を横に振って、その可能性を否定した。腕を組み、さらに態度を固くしてきっぱり言い切る。
「どんな教えだって同じだ。僕は神だなんて信じていない。誰がなんのために花を飾ろうが、悲痛な声で三日三晩祭壇で祝詞を上げようが、そんな事は心底どうでもいい。……いや、どうでもよくはないな。こうやって気分が荒れるから、積極的に勘弁願いたいさ」
歯に衣着せぬ物言いに、女性たちはそろって顔をしかめた。特にアメリアの食ってかかりようは激しい。台をぺちぺち両手で叩いて苛立ちをぶつけながら、丸い目を一生懸命尖らせて、仁王立ちする主へ抗議する。
「だけどマスター、そう言いますけど、よくルクノール様たちのお話を聞かせてくれるじゃないですか。神様について書いた本も読んでいました。本当は、すごく信じているんじゃないんですか? マスターの嘘つき」
「僕は嘘をつかない。そして君の言うものは信仰などではない。あくまでも記録、歴史の一部として神話や伝説を語るのみだ。あえて君の言い分に乗るならば、僕は他の神々も同様に愛している事になる。各地の土着神、精霊信仰、北方神話――人々から崇め奉られる存在には、必ず、興味深い歴史や物語がつきものだ。虚ろなる神を祭り上げる些末な騒ぎに乗る暇があれば、彼らに学ぶ方が有意義さ」
「むー……マスター、何を言ってるか全然わかんない。つまんないマスター、嫌いです」
ぐさっ。そんな音が立っている男の心臓から響いたような。実際に、マスターは青くなっている。大好きなアメリアに嫌われる、それは神罰よりもよほど辛い、最大の弱みだ。
ちくちくと痛む胸を抑えている主にはもう目もくれず、アメリアはぷんと頬を膨らましたまま、青色の花束を持ってジェニーのもとへと行ってしまった。書類の広がるテーブルを挟んだ向かいに飛びこんで、人懐っこい笑みを惜しげなく披露した。
「あの。ジェニーさんのところでも、降誕祭はやるんですか?」
「ええ、もちろん。うちの会長、お祭りごとが大好きだもの」
「私と一緒ですね!」
「そうね。会長のおかげで、商会の事務所っていつもすごい事になっているのよ。アメリアちゃんに見せてあげたいわ」
「どんな風なんですか?」
「今だとルクノラムの降誕祭はもちろん、南の地域に土着の商売の守護神バール・ハンドレをお招きするって大きな神台を作っているわ。でもそれがある部屋は、元々壁に東国の女神の絵が飾ってあるの。もちろん今も飾りっぱなし」
「うっわぁ、お部屋に神様ぎゅうぎゅう詰めですね。大変」
「フフッ、そのうち喧嘩し始めるかも。女神たちが『私の方が綺麗なの!』とか言っちゃって」
「えー? きっと仲良しですよ、すごく偉い神様ですもの。みんなでご飯を食べたり、歌ったり、踊ったり」
古今東西の神々が広間に閉じ込められたら、という図を二人はてんで勝手に想像する。ひたすら愉快で滑稽な、あるいは幻想的で神々しい光景を。お互いに自由な空想を披露しては笑っていた。
一方、カウンターに居る男は。胸を押さえて深呼吸をし、どうにかショック状態から立ち直る。そこへ窓辺から嫌でも聞こえて来る神様談義。ちらと見たらアメリアもジェニーも楽しそうで、羨ましい。
だが、茶々を入れないように意識した。なまじ知識があるのが仇になる。下手に彼女らの幻想を破壊して、また「つまらない、だから嫌い」とアメリアに叩き斬られたら、今度こそ立ち直れないかもしれない。
マスターはアメリアが持って帰ってきたバスケットを掴んだ。ルクノ・フロラが退いた下には、茶の材料となりうるあらゆる物品がぎゅう詰めになっている。これらは乾燥させるなり、細かく刻むなり、不要な部分を捨てるなり、色々と処理が必要だ。さっそく仕事に取り掛かろう、雑念を払うにはちょうど良い。
マスターが黙々と作業を続けて、しばらく。
今彼が手にしているのは長く連なるツルイチゴだ。小指の爪ほどの大きさの実は非常に潰れやすいため、多大な集中力が要求される。赤黒い実を蔓から外し、そっと小皿の上に置いて、その繰り返しだ。
ふっと外の音声を耳が拾う。すると、いつの間にか女性陣の話題が変わっていた。
「でも、なんでこのお花は神様の名前なんでしょうか。降誕祭に使うから、神様の名前をつけたんですかね」
アメリアは青い花束を見つめ、小首を傾げている。
少女のなにげない疑問に対する答え、ジェニーはきちんと持ちあわせていた。優しい笑顔で、すぐに教える。
「ルクノ・フロラは枯れてもなかなか色褪せないって知っているかしら? その事が、永遠を象徴しているって考えられたの。そこから永遠にこの世界を見守る神ルクノール様と関連づけられて、神様のお名前をもらったのよ」
「ふわあ、そうだったんですね!」
アメリアは目を輝かせて、花束を愛おしげに胸に抱いた。
さて、会話を聞いていたマスターは、いよいよ知識人の性がうずきどうしようもなくなっていた。隣人の無知を聞いては黙っていられるものか。
そう雑念に身を引かれた途端、指先のツルイチゴが一粒潰れてしまった。
「あっ」
マスターは小さくため息をつく。仕方ない。駄目になったイチゴをさっと口へ入れて処分する。それを飲み込んでから、マスターはわざとらしい咳払いを一つした。すると、ジェニーとアメリアが同時に振り返った。
店主は努めて穏やかな微笑みを浮かべ語った。もう一つ、努めてつまらなくない言い方を心がけて。
「それだけじゃあないよ。ルクノールなる存在がこの世界に顕現した瞬間、青空に閃光が走ったのさ。青空を割るように、白い光が。そもそも降誕の日の事は『閃光の日』と古来は記し……いや、この話は要らないな。とにかく、その花に入った白い線を、光が走った青空に見立てているんだよ。降誕祭では花を束ねて逆さ吊りにするだろう? それがまさに見立てだ。玄関に当時の空を再現することで神をその場に降ろす、と」
「へぇ、そうなのね。そこまでは知らなかったわ」
「さすがマスター、物知りですね!」
続く称賛の声、なにより過剰なまでに己を慕うアメリアが戻って来た事実が気持ちよい。マスターは内心で、天を割らんかの勢いで勝利の拳を突き上げていた。
さて、マスターも人間である。おだてられれば調子に乗るし、もう一泡吹かせてやろうと思いもする。
「ねえアメリア。よかったら、その花を一輪くれないか?」
「いいですけど……急にどうしたんですか」
「ちょっとね。葉揺亭流の降誕祭の儀式をやってみようかと」
「あら? さっきまであんなに鬱陶しがっていたのに?」
「ま、いいじゃないか」
肩をすくめると、ジェニーが呆れた顔を見せた。銀縁眼鏡の向こうにある目が、単純ね、と語っている。マスターはそれには気づかなかった事にした。
アメリアから一本の花が手渡される。空色に凛々しく咲き誇るそれは、見た目はまあ美しいと言えよう。
鼻の近くに花を寄せる。花弁が鼻先をくすぐるほどの至近距離、しかし、なんの香りもしない。――知っていた。
ルクノ・フロラは蜜や花粉もほとんど持っていない。いっそ口に含んで咀嚼しても、不気味な程に味がしない。染物に使うような色水も作れないし、神の名を冠しているからとて何かしら不思議な力を持っているわけでもない。
そんなものをどう喫茶に利用するか。考えるまでもない、立派な見かけを活用させてもらうだけだ。




