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永久(とこしえ)の魔術師(1)

 昼前の葉揺亭、客が帰った後の片付けをしながら、アメリアが苦笑いと共に呟いた。


「なんだか、とってもよく喋る人でしたね」

「職業柄だろうね」


 その客とは旅の吟遊詩人であった。およそ時計の針が二回りする間、せっかくの茶もそこそこに、ひたすら語るに精を出していた。各地の伝承やら英雄譚やら、あるいは持ち歩く楽器の解説やら、このノスカリアで感じた事の独白まで。いつ息継ぎをしているのか心配な、逆に喋り続けていないと死んでしまうのかと思わせられる様だった。


 最初は楽しく聞いていたアメリアだったが、後半は飽き飽きして愛想笑いを浮かべるだけ。もっともマスターが終始表情豊かに聞き手の役を果たしていたから、客人はまったく気に留めていなかったようだ。


 アメリアが下げて来たポットは空になっていなかった。もったいないなと思いつつ、中身をシンクに捨てる。そうしながら、困ったような顔でマスターを見た。


「私もお喋りは好きですけど……こんな風に、お茶を無視してまではできないです」

「そうかな。喋っていて気持ちよくなると、つい周りが見えなくなってしまうものさ。よくある事だよ。時には余計な事まで話し過ぎてしまったりしてね」


 あっ、とアメリアは苦い声を漏らした。よく喋る男、マスターだって同じだ。


「そうですよ。マスターだって、すごいなあって思ってます」

「誉め言葉だと受け取っていいのかな?」

「は、はい、もちろん。どうやったら、あんなに長い時間お喋りし続けられるんですか?」


 するとマスターはにっこりと笑った。


「話し相手が居るってだけで幸せだからね」

「……そんな単純な事ですか?」

「ああ。体験したかったら、一度、誰とも会話せず日々を過ごしてみるといい。いつまで持つかどうか」

「そんなの、二日も耐えられないです!」


 想像するだけで恐ろしい。嬉しいことも悲しいことも誰にも言えず、一人ぼっちでずっと過ごすだなんて。アメリアの顔から血の気が失せた。


 それを見ても、店主は鷹揚に構えたまま、しみじみとした情感を込めて口を開く。


「そうだろう? 人間って、そういうものなのさ。いくら強い力を持っていようと、才知に溺れ孤高を気取っても、他人と一切の関わりを持たずに居るのは不可能だ。そんな悠久の孤独に耐えられるものがいるとしたら、それはもう――」


 人間じゃないよ。そんなマスターの語尾は扉が開く音に紛れて沈んだ。


 来訪の徒に視線をやれば、それは小さな影だった。体よりも長い杖を肩に担いで、その先端に体格に似合わない大きな袋をぶらぶらと下げている。


 その場でぴょんと跳ねて存在をアピールしつつ、彼女は天真爛漫な声をあげる。


「こんにちは、なのーっ!」

「クシネちゃん!」


 クシネ=オーフォイデス、旅する魔法屋の少女だ。ひょんなことから知り合って、アメリアは非常に親しくしていた。クシネの底抜けに明るい人柄も、幼いのに博識な一面も、見ていて不思議で楽しい魔法を扱うのも好きだった。


 ただ、マスターは良い顔をしない。クシネの名を出せば露骨に拒絶の気を放つし、今だって、客へ向ける最低限の笑顔は作っているが、それだけだ。普段はとめどなく開く口が微動だにしていない。

 

 あからさまな態度だったが、クシネは気にかけていない。大きな荷物を背負って店の中へ歩んでくる。


 歓迎するべくアメリアはカウンターから飛び出した。にっと歯を出したクシネの笑顔が眩しい。アメリアもつられて頬を緩めた。


「あのね、今日は二人にごあいさつに来たの!」

「あいさつ?」

「そ。クシネ、そろそろノスカリアを離れるの。アメリアのお姉ちゃんには、とっても仲良くしてもらったから、お礼に来たの!」


 アメリアの心に稲妻が走った。ますます慌てて駆け寄ると、心を繋ぎとめるように小さな手を強く握った。


「ま、待ってくださいよ、そんな寂しいこと言わないで、もっと居ればいいじゃないですか。ほら、前にもいい町だって言ってたし」

「確かにいい町なの。うん、こんなに色々楽しいものがある町、他に無いかもしれないの。でもね、クシネは、ちょぉっと居づらくなっちゃったの」


 彼女はアメリアの手をふりほどき、体ごと西の方角を向いた。宙を見る目はどこか遠く、再び開かれた口は静かであった。


「この前のお祭りの夜。どこかの誰かさんが神様のふりをしたせいで、教会の人たちが上へ下への大騒ぎなの。そうすると、ほら、コルカ・ミラはルクノラムと仲が悪いから――」

「そんなの気にしたら駄目ですよ! 大昔の話じゃないですか。クシネちゃんには関係ないですし、悪口なんて無視すればいいんです! 誰かにひどいこと言われたら、私も一緒に怒ってあげます!」


 アメリアが語気荒く言うと、クシネはくるりと振り向いた。


「いいのいいの。もともと一か所に留まるつもりはないから、ちょうどいい機会になったってだけなの」

「そんな……でも……」

「そもそも、アメリアのお姉ちゃんにどうこうできる問題じゃないの。……それにしても、一体どこのお馬鹿さんの仕業だったんですかねえ、あれは。どんな涼やかな顔であんな大それた事をしでかしたのか、犯人の顔を見てみたいものですよ、なの」


 いたいけな笑顔はそのままに、ちら、とクシネがマスターに視線をやった。腕を組んで黙していた店主は、素知らぬ顔で首を傾げたのみだった。


 クシネは担いでいた杖を床へ降ろすと、くくりつけた袋に手を突っ込んだ。ごそごそと中を探り、お目当ての物をつかむと、ぺかっと顔を輝かせて勢いよくアメリアへと突き出した。


「はい、アメリアのお姉ちゃんへの贈り物なの!」


 小さな両手が布の包みを支えている。凹凸のあり方から、布越しでも中身がティーカップだと一目瞭然だった。


 受けとりざまに包みを解けば、予想した通りのものが現れた。半球形に取っ手が付いた、白い陶器のティーカップ。色も形も基本的かつ万能なタイプだ。逆にありふれていておもしろみがないとも言える。


 しかし、クシネは得意げに胸を張っていた。


「それであっつあつのお茶を飲むといいの! 絶対にびっくりできるから、なの!」


 アメリアは目をぱちくりさせ、もう一度カップをじっくり見た。しかし、どう見ても何の変哲もない白いカップだ。さては魔法屋の言うこと、目には見えない不思議な力でもあるのだろうか。そうに違いない。たとえば飲んだ茶の味が七色に変わるとか、あるいは砂糖なしでも甘くなるとか。


 いずれにせよ大切にしなければ。物がなんであれ、かけがえのない友人からの贈り物なのだから。


「ありがとう、クシネちゃん」


 感情の赴くまま、アメリアはクシネを抱きしめた。照れくさそうに漏れ出た音がアメリアの胸の奥にくぐもって響いた。



 せっかくだから一杯、とクシネはカウンターの椅子に飛び乗った。これが最後の機会かもしれないから、と後に続いた言葉を、アメリアは聞かないふりをして流した。友だちだからいつかまた会える、そう信じたかった。


 カウンターに頬杖をついてにこにこするクシネを目の前にしても、マスターは特別な態度は見せず、穏やかなまなざしで応対した。


「じゃあ記念は何にしようか」

「おまかせするの。でも、ずっと思い出に残るようなのがいいの。永遠に、なの!」

「わかった。……そうだ、アメリアも、さっそく使ってみるかい?」

「はい!」


 ぱあっと顔を輝かせて、アメリアはクシネの隣の席に跳びあがった。愛おしげに両手で包み込んでいたカップを、カウンター越しで丁寧に手渡した。マスターはカップの持ち手を取りくるくると回して一通り眺めて、それから呈茶へ取りかかった。


 喫茶店らしい静かで、穏やかな時間が訪れた。店内に流れるのは女子二人のとりとめのない談笑の響き。これからどこへ行くのか、とか、ノスカリアで何が楽しかった、とか。街角にあるような、なんでもない会話劇が繰り広げられていた。


 マスターは少し手の込んだ茶を用意しており、いつも以上に黙々と作業へ集中していた。カウンターを挟んだだけの距離だ、話し声が聞こえていないはずがないのだが、何が聞こえても表情を変えることはなかった。


 ただ、一度だけ、カップを温めるために白湯を差した時に、小さく眉尻を上げた瞬間があった。それからふと微笑みクシネをちらと見たのだが、あいにく彼女たちはお喋りに夢中で気づかなかった。


 やがて二組のティーセットが主の手により供された。片方はクシネに、片方はアメリアに。クシネの物は花柄のセットを用いたから、万が一にも取り違えられはしない。


 注文を完全にマスターに任せると、どんな代物がお出ましになるか予想ができない。まずはクシネがポットを手に取る、それをアメリアも興味津々に眺めていた。


 静かにポットを傾ける。口から流れ出て来たのは、やけに赤みの強い紅茶であった。少々酸っぱさをはらんだ香りも立ちのぼり、湯気の熱と共に鼻を刺激する。


 その途端、クシネの顔がにわかに淀んだ。


 今回ばかりはアメリアでもなんとなくわかった。――これは普通のお茶ではない。目には見えない不思議な気配が、湯気と共に漂っているのだ。色でもない匂いでもない、第六の感覚が異質さを訴えていた。


「これは……」

「『聖女の紅茶』とコルカ・ミラの民は言うんだったかな」

「なんですか、それ。そういう茶葉があるんですか?」

「コルコの伝説に出て来るお茶なんだ。あの町だと子供向けの物語に使われているよね。別名として『魔法の雫』と記載されることもある」


 マスターは勉強を教える親のような顔をして、その怪しげな飲み物のいきさつを示した。


「コルカ・ミラの魔法体系を現すのに『四色八類』という概念がある。この世界の事象を構成する要素を、四つの色に分類したものだ。赤は炎、黄は大気、青は水で、緑は大地。そして四色の魔力を持つものを調合し煎じたものを、コルコは理を飲みこみ世界を知ることとして愛していたのさ」

「ふうん。まるで、コルコ様に会った事があるように語るのですねえ」


 くすくすとクシネが笑った。調子よく喋っていたマスターが、ふいに火を消したように口を閉じ、とぼけたように肩をすくめてみせた。


 さて、アメリアにとってマスターの講釈は簡単に理解できる話ではなかった。うーうー唸って考えて、どうにか噛み砕いて飲み込むと、びしっと人差し指を立ててマスターに確認した。


「つまり! 魔法の力がぎゅうっと詰まったお茶、なんですね!」

「一言でまとめるなら」

「だったら、そんなの私が飲んでも大丈夫なんですか?」

「だめに決まっている。魔法に耐性が無い体が受け入れるには、少々刺激が強すぎるから」

「じゃあ、これ――」

「だから君に出したのは、見立てだけの普通のお茶さ。だけど、ちゃんと四色の材料は使ってあるよ」


 にいっと会心の笑みを浮かべ、マスターは予め用意してあった小皿をアメリアの前へ置いた。赤いツルイチゴの実に、黄色は小さな皺皮レモン。水車草の青い花びらと、緑色の草原ハッカ。なるほど四色そろっていて、どれも普段から葉揺亭のブレンドティやハーブティで扱っている材料だ。


 ああ、これなら安心して飲める。アメリアは嬉しそうに頷いた。ただし、ハッカはあまり好きではないのだけれど。そんな本音は、空気を読んで心の中に押しとどめた。


 気になるのは味だ。善は急げとばかりに、アメリアは温かいカップに茶を注いだ。勢いよく溢れて来たのは濃褐色の見慣れた紅茶だった。


 一杯に注いでしまったとしても熱々で飲めやしない、だから半分ほどで一度手を止めた。吹き冷ましがてらに香りを嗅ごうとして、カップを持って顔へ近づけた。


 と、その時。アメリアの眼前で紅茶の水面が盛り上がり、ぱしゃんと音を立てて何かが跳ね飛んだ。鼻先に熱い飛沫がかかり、驚いてカップを遠ざける。


 目を真ん丸にして、のけ反った格好のままカップを見つめる。液面がゆらゆら揺れているのはアメリアが動いたはずみによるものだろう。しかし、それとは別で壁面に紅茶のしぶきが飛んで残っていた。


 それ以上に顕著な変化が一つ。先ほどまでは真っ白だったカップの外側に、青い線がぐるりと一周しているではないか。しかも紅茶を注いだ高さにぴたりと一致して。


 口を半開きにさせたまま目を凝らしていると、その線は透明度を増すようにして消え去った。慌てて指でこすったりしても、もう何も起こらない。ただの真っ白のカップに戻っていた。


 アメリアは慌ててクシネを見た。しかし、贈り主はしたり顔を浮かべているのみで何も話してくれない。


 もう一度紅茶を注げば何か起こるだろうか。アメリアはどきどきと胸を鳴らしながら、まなざしは真剣にしてカップを見つめたまま、ゆっくりとポットを傾けた。


 紅茶が静かに水位を上げていく。その間に、しかし、何も起こらなかった。


 さっきより多く、カップの八分目まで注いだところで手を止めた。すると表面が落ち着いた瞬間に、ぼうっとカップの表面に線が浮き出てきた。さっきとは違い、今度は黄色だ。


 アメリアの眼光が突き刺さる中、またもひとりでに液面が揺らめいて、ぱしゃんと小さな飛沫と共に何かが飛び出した。


 小鳥だ。親指サイズの紅茶色の小鳥が一羽、カップの縁を飛び越えてアメリアの眼の前をくるくる旋回する。そして地で羽を休めるため静かに舞い降りると、紅茶の原へと吸い込まれていった。


 アメリアは興奮に頬を染め、このカップの贈り主、いや、作り手だろう魔法屋へ向き直った。


「これ、魔法のカップだったんですね!」

「当たりなの! ちなみに、さっきの青は魚なの。他にもたくさんあるけれど、それは次のお楽しみなの!」


 まるでおもちゃ箱のように、楽しい物がたくさん詰まっているらしい。何かあるとは思っていたが、ここまで愉快な変化が起こるとは思わなかった。


 が、すると気になるのはマスターの顔色である。クシネが作った魔法道具だとわかったら、取りあげられてしまうかもしれない。アメリアはおずおずと主の様子を見た。


 杞憂だった。予想に反し、マスターは朗らかに笑っていた。


「大事にしなよ、アメリア。いいものだからね」

「はい! もちろんです」


 ありがとう、そうクシネにもう一度言ってから、アメリアはようやく紅茶を飲んだ。草原ハッカの爽やかな風が吹く、すっきりとした味わいだった。 


 一方、クシネも自分の茶に手を付けている。ふうふうと息を吹きかけながら、なかなか早いペースで干していった。


「お気に召したかな」

「もちろんなの! とってもおいしいの!」


 魔法都市に語られる偉大な聖女の祝福を受けた茶、果たしてそれがどんな味わいなのか、魔法使いではないアメリアに知る術は無かった。


 ちらちらとアメリアの好奇の視線が向く中、クシネは息をつきながらカップを置いた。目を伏せ、さらにもう一度深く息を吐く。


「お二人とも」


 その声にアメリアの肌が粟立った。抑揚の無い響きは、いつもの幼子らしいものと全然違う。思わずカップを取り落としそうになって、慌てて指に力を入れる。


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