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安息の葉陰(2)

 ティーザからにじみ出るぎらついた気が、マスターの肌をちくちく刺していた。もし今タイミングよく誰かが来店すれば空気は一掃されるだろうが、さすがに店主にばかり都合よくはいかなかった。


 マスターは悩まし気に目を伏せた。――誰にも悟られないよう、誰にも追われないよう、痕跡はひとつも残さないようにしたはずなのだが。さすがに互いを知りすぎている間柄では、状況証拠からたどれてしまうか。


 長く息を吐き、ゆっくりと目を開けた。それから過日の夜のごとく、真に迫った不敵な笑みを浮かべ、ティーザの冷徹な目を直視した。


「おまえに悟られることは諦めがつくが……あえて聞こう、だったらどうする? 法の番人としての役目を果たすべく、私を今この場で捕えるか? 世を騒がせた罪深き魔術師として世間に引きずり出し、罪を償わせるか?」

「お前が望むのなら、仕方なく」


 返答の小声は落胆と歯がゆさを併せ持つものだった。伏せ気味の青い目は、悲しげな気配に染まっている。だから亭主としては逆に安心するところだった。


「その言い方なら、首をはねられる心配はしなくてよさそうかな」


 喉で笑う音と共にいつも通り発した軽口は、ティーザをおおいに煽り立てた。ぎり、と彼は歯噛みして、目をとがらせ身を乗り出した。


「甘いぞ。お前が思っているより、ずっと大騒ぎになっている。ノスカリアだけじゃない、話はもう海を越えている。『神』が降りて来たと教会の本山にも伝わっているし、もちろん、政府にも同じように。もし中枢から出張って来られたら……もう俺ではかばいきれないぞ」

「いいよ、かばってなんてくれなくて。それは君の責務の逆じゃあないか。自分の事は自分でなんとかするし、今回こそ詰んでしまったら、とうとう贖罪の時が来たのだと腹をくくるだけだ」


 軽妙なほほ笑みと共にうそぶいた言葉は、決して冗談のつもりはない。もとより覚悟はある。あまり他者には言えない来歴を持つ者が表舞台に立つべきではない、どこで因縁の仇に繋がるかわからないから。そんな単純な展開に考えが及ばないはずはなく、わかった上で光を灯しに行くと決めたのだ。


 もちろん身元がばれないよう細心の注意を払い、打てるは手を尽くした。方法も時間も行程も、そして、もしもの時の対処も色々考えてある。そう、色々と、だ。紆余曲折があった最終的な結果として、自分が地上から去る次第に至った場合は。もちろんそれも想定してある。


「その時は……アメリアを頼むよ。私の事はいいから。あの子に危害が及ばないよう守ってやってくれ、おまえになら任せられる」


 依願にティーザの我慢が切れた。両手でカウンターを激しく打ち付け、眉間に深い谷間を作り、噛みつかんかの勢いで食ってかかる。激情をそのまま垂れ流して吠え掛かる、彼にしては珍しい。


「そんなこと言うくらいなら、だったら、なんであんなことをした! どうして、身を危険にさらす真似をするんだ! なんでお前は、いつもそうやって……」

「察しているんだろう、素直に受け止めてくれよ。なあ、ティルツァ」

「っ……! その名を、呼ばないでくれ……」


 恨みがましい顔で悲痛な抗議をぶつられても、亭主はうっすら笑んで受け流すのみだった。ティルツァ、その名は「彼女」が自分の手元にいた昔に呼んでいた名なのだ。


 自分の舌が紡いだ音に懐かしさを感じ、しばし浸る。夢心地と言うのだろうか、葉揺亭の景色にあの頃の思い出の幻影が浮かんでくるような。その心地のままで語られるのは、嘘偽りのない本音だ。


「おまえがどう思うか知らないが、私にとっては、今も昔もおまえはおまえで変わらないんだ。アメリアと同じだ、かわいくってたまらないし、この手で守るべき一人だ。おまえがあれだけ憂いていたのに、知らぬ顔をしていられるものか」

「卑怯だ、おまえは、そうやって……!」


 ティーザは唇を噛みしめ額を抱えた。やり場のない感情が荒い息として口の端から漏れている。


 マスターは少しだけ後悔した。卑怯と言われることに今さらなんの感情も覚えないが、しかし、今のは恩着せがましかった。紛れもない本音でも、向こうからすれば責任を押し付けられたようなもの。それに、お互いが親愛の情を素直にやり取りしあえる性質であるなら、そもそも今とはまったく違う世界に生きていただろう。


 店主はこめかみを手でおさえながら咄嗟に思いをめぐらせて、自分本位な別の理由を探す。


「いや、もちろんお祭りだったからさ。私も楽しいことは人並みに好きなのだよ。私が私のためにやった、そういうことだ。そういうことにしておけ」


 もちろん嘘ではなく、重要さは数段下がるものの確かに動機の一つである。そして嘘になるかどうかは聞き手に委ねられる。


 ティーザは目線を下にして黙したまま、半ば忘れられていたティーカップを取った。一口、二口と飲み下してから、彼はさりげなく小さな声で呟いた。


「……嬉しかった。おまえが、気にかけてくれて」

「そう。だったらなにより」

「ありがとう」

「どういたしまして」


 マスターは裏の無い笑顔で応えた。


 感情の嵐がひとしきり過ぎ去り、葉揺亭はいつもながらの穏やかな世界に戻った。店内が静かだと、外の音も響いて聞こえる。おまけにマスターもティーザも常人より鋭い聴覚を持っていた。だから、手前の十字路のあたりに居て、こちらへ向かってくる最中の少女の声が、言葉の端々まではっきりと聞き取れた。


「『さあ、今こそ反撃の時っ! みな、私に付いてこい!』」


 聞き慣れた声で再生された物騒な言葉、直後にあがった間抜けな叫び声は、きっと彼女の中では威勢のいい鬨の声だったに違いない。要するに、演劇に感化された少女による、下手な芝居だ。


 マスターは吹き出した。まったくアメリアの純真さには頭が下がる。これからしばらくは演劇ごっこに付き合わされる覚悟も要りそうだ。


 さて、困ったのはティーザである。一番初めの悩み事に立ち戻りみるみる顔を曇らせた。


 こちらは少しアメリアを見習うべきかもしれない。マスターはそう思いながらも口に出さず、代わりにひとつ冗談じみた助言をした。


「そんなに嫌なら、寝たふりでもしていなよ。後は僕がどうにかするさ」


 ティーザははっとした顔を一瞬見せると、すぐさま机上に腕を置いて突っ伏した。その反応の素早いこと、提案したマスターが呆気に取られて立ち尽くす羽目になった。


 困ったものだ、こういうことは素直に聞く癖に。そんな悪態が喉から出かかったが、その前に玄関が楽しげに開いた音で遮られた。


「ただいまマスター! あっ、ティーザさん、いらっしゃいませ!」


 アメリアのはつらつとした声が響き渡った。今日の装いは彼女自身で「よそ行きです」と定めるもの、レースとリボンとフリルでふわふわとした水色ワンピースだ。甘い雰囲気のデザインが、愛嬌を平素の倍増しに引きたてている。


 はじめは尋常でなく喜んだ顔だったが、しかし、すぐにきょとんとして首を傾げた。ティーザがあいさつに反応しないのを変に思ったのだ。


 そっと小走りで近寄って、右から左から伏せられた顔を覗きこむ。ついには肩を叩こうと手を持ち上げる。そこでマスターから制止が入った。


「アメリア、構わないであげて。すごく疲れているみたいだから」

「はあい。……聞きたいこと一杯あったのに」


 すぐ横であげられた落胆の声にも、ティーザは身じろぎひとつしなかった。


「聞きたい事ってなんだい?」

「んー……マスターには内緒です!」


 アメリアはもう一度ティーザの横顔を覗きこんで、ふふっと笑みをこぼした。


「お疲れさまです。おやすみなさい」


 そして、ちょっとやそっとじゃ起きなさそうだと判断したらしく、アメリアは足音も声も普段通りにして、鼻歌混じりのはね跳ぶ足取りでカウンターの中へと歩んだ。おまけにまだ彼女の演劇は終わっていなかったらしく、一生懸命つくった声音で、覚えてきたセリフをそらんじる。


「『ああ、エランド! どうして裏切ってしまったの! なぜ私は貴方を斬らねばならないの!』」


 悲嘆をありありと込めた声――とアメリア自身は思っているだろう――で高らかに語り上げた。気分にあわせて、音量もさらに盛り上がる。そしてキャアと悲鳴に等しい歓声を自分であげた。他ごとをしていても驚いて振り返るような、そんな音量だった。


 マスターはちらとティーザの様子をうかがった。彼は徹底して反応を返さない。無視してくれと無言で語っている、そう判断してマスターは近寄ってくるアメリアへ向き直った。


「お芝居はとっても楽しめたみたいだね」

「はい! 主人公がもうとってもかっこいい騎士様で! 女の人だったんですけど、でも、男の人よりもずっときりっとしてて、騎士と言うより王子様みたいで……ああ、かっこよかったあ」

「だったら、題材はシェリ=シンテシスかな。さっきの台詞でもそうだろうと思ったんだけど」

「そうです! あれだけでわかったんですか」

「彼女は有名だから。僕もよく知っている」


 マスターは得意気にウインクした。


 はるか古のイオニアンに存在した亡国の女騎士シェリ=シンテシス。白銀の甲冑に身を包み、その心に宿すは不屈の魂。若き娘でありながら、吐く気の強さは天下の男を委縮させるほど。愛しき者に裏切られ死地に独り立たされても、なお威風をたなびかせ王国のため戦い続ける。概略ではこんな人物である。数多くの逸話が残され、イオニアンの古典や伝承とふれあえば必ず聞く名だ。


 マスターは私室に山のような量の書物を抱えている。では読書によって知識があったから、すぐに主題が誰か結びついたのかというと、それが全部の理由ではない。もっと強い印象を持って心に留まる理由がある。マスターは柔らかい表情で、なおも伏しているティーザをみやった。


「不屈の魂、強く気高き心、己を貫く精神。シェリは、あの子の憧れの人なんだよ」

「まあ! そうなんですね」


 マスターは頷いた。だから今のような性格の「彼」になったのだとも知っているが、それは秘密の話である。


 アメリアはお茶をする前に服を着替えてくると言い、自分の部屋へと階段を駆けあがっていった。どうやら昨日つくりたてのヌガーを食べた時に、うっかり器をひっくり返して服を汚したのを思い出したらしい。今着ているよそ行きの上等な服で同じ失敗をしたら、今度は自分が悲劇のヒロインになってしまう。珍しく素早い判断だった。



 二人きりになった空間で、マスターはにやけながらティーザに声をかけた。彼はまだ腕に頭を預けたままだったが。


「知らない間にずいぶんと演技がうまくなったなあ。シェリの名が出て来た時に黙っていられないと思ったのだけれど」


 アメリアの稚拙な芝居に比べると、こちらはとんだ名役者。さすが日頃常に裏表の顔を使い分けているだけある――と、マスターは思っていたのだが。


「……驚いた」


 寝たふり、ではなく本当に眠ってしまっている。なんと声をかけても起きないし、おまけに覗きこんだ寝顔は、これまで見たこともないくらい穏やかなものだった。


 あまりに珍しいものを見て、マスターはしばらく呆けていた。目を丸々とさせ、思わず指で頬をかき。しかしやがて、母親のような優しい笑みを浮かべた。


 疲労がたまっている上に心が緩めば、続けて眠気がやってくるのは世の道理だ。なにを不思議がることか、彼も一人の人なのだ。葉揺亭が常の居場所でなくても、それと同じくらい心休まる場だというのなら、いくらでも好きなやり方で羽を休めていけばよい。


 なおかつ、それが喫茶店の主として望んだ光景でもある。


 人間、ひたすら我慢するのが美徳だ、なんてことはない。聴いてほしい、助けてほしい、喜怒哀楽を受け止めてほしい。誰に限らずそんな願いを聞き届け、一時でも人に安らぎを与えられたとき亭主の心は満たされる。目の前で救いを求めて手を伸ばされたら、それに応えることが自身にとっての救いだと感じるのだ。


 そしてもう一つ。葉揺亭はノスカリア屈指のきめ細やかなサービスを誇る、と自負している。眠れる客人には、風邪などひかぬよう肩より上掛けでもかけてやろう。なにかに包まるというのは、不思議と安心できるものであるし。


「さーて、大人用のブランケットは、すぐ出せる場所にあっただろうか」


 マスターはどこか楽しげに肩を回しながら、店の奥へと歩いて行った。

葉揺亭 本日のスペシャルメニュー

「亭主特製・栄養満点ハーブティ」

元気がない、疲れが取れない、忙しくて休めない、食欲もない。

そんな人にはハーブティがおすすめ。おいしく、体にも優しく、疲労をいたわってくれる。

ただし効能を求めて多種多様のハーブを混ぜるほど味や香りは不均一になってしまう。そこは慈愛の心で補おう。


「アメリアお手製ヌガー」

ありあわせのナッツが散らされた葉揺亭の看板娘の手作りおやつ。趣味の品。

砂糖と蜂蜜をじっくり煮詰めて冷やし固め、とにかく甘い、ひたすら甘い……はずなのだが、この日のヌガーはちょっぴり苦く焦げの味がする。そこは、はにかみ笑顔で補おう。


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