月なき夜の眠らない町(7)
無秩序に伸びる細い道を進み、やがて道幅が広まった場所に至った。ここがスラムの中央地点だ。涼やかな風にまぎれて、すえた臭いが鼻をついた。
闇は深く足下すらおぼろげで、頼む明かりははるか遠くから届くかすかなものと、ほんの一部のあばら家から、至極わずかに漏れ出た蝋燭の灯火のみ。
光に照らされる代わりに、人間の視線を強く肌身に浴びている。鋭くもべったりとした警戒のまなざしがいくつもいくつも突き刺さって、同時に排他的な空気が醸成され、神経をざわつかせる。どこからか、否、どこからも。敵意のある視線は四方八方から無数に襲ってきている。
「……まあ、そこで見ているがいい」
神を代行する男は不敵に笑い、道のまん中に立った。
合わせたローブの胸に左手を入れ、最後の隠し種を取り出す。表出した拳の隙間から、ぼうっと薄明かりが漏れていた。
手のひらを上に向け、ゆっくりと指を開く。すると、まばゆい光の球がそこにあった。大きさや形状は学校に渡したキャンディとそう変わらない。しかし本質からして違う物とは外観から明らかだ。光に目を凝らしてみると、透明の薄硝子の中で白い炎が渦巻いているとわかる。当然、食べ物ではないし、ただの装飾品でもない。
これが何か? 物体としての定義は無い。これは「魔法」そのものが具象化したもの、強いて言うなら英知と力の結晶とするのが適切だろうか。このところ、どこかの喫茶店のマスターが精根つめて創っていた物の正体がこれだ。
ただし目標に対する完成度としては九割にしか及ばなかった。持てる知識と所持品を総動員し、あらゆる種の魔力を足して引いて掛けて割ってと計算したが、思い描いた理想通りに仕上げるには、時間と手にある材料とがいささか少なすぎた。
これが百点満点の完成品だったら、こうして空気に当てた瞬間、周囲に光が溢れるはずだったのだが。現実はこんな小さなまま。
しかし魔法の方式は単一ではない。彼が得意とするのはいわゆる魔法薬を煎じる技術、薬法だ。だが他の魔法の術式についても熟知しているし、「できない」と言った例もない。だから一つの方法で一割足りなかったなら、その一割は、別のやり方で補えば良いだけである。
黒衣の男は掌を上に構えたまま、すうっと目を閉じ静かな深呼吸をした。その後、再び開かれた眼には、銀河を映したかのように凄みのある光を灯していた。
真剣な面持ちでゆっくりと右手のワンドを振り上げる。必要な術式は既に杖の中へ織り込んである。後は必要最小限の魔力を送り込んで式を動かすのみ、失敗などしようがない。
――だが、このまま流してしまってはつまらないな。
ふっと思いついたのは、余裕がなせる業だった。姿は見えないが観客がたくさん居る、ならば一大演目の主演として、格好のつく口上を述べたいところ。
姿勢を保ったまましばし考えた。記憶の帳面をめくり、場にふさわしき言葉を探索する――ああ、これがいい。
そして口を開いた。張り上げられた声は、淀んだ空気にもよく通った。
「『光なき夜を恐れることは無い。真に恐れるべきは、心に巣食う暗き闇。全ての灯火を消そうとも、その心に宿る希望の光を消すことなかれ』。さあ、人の子よ。今宵は特別な夜だ。我が祝福を受け取るがいい!」
それは遠い昔のルクノールが述べたもの。宣告とともに、不夜祭に降りた神はワンドを足元に向けて振った。
銀杖の先端から、糸のように細い光線が伸び、音も無く地に吸い込まれる。そこ起点として幾何学模様の花が、七色の光でもって浮かび上がった。言うなれば、魔法陣だ。
続けざまにワンドを振り上げ、頭上に円を描く。その瞬間、手に据えていた魔法球が強烈な光を放ち始めた。
そこから腕を流れるように振り下ろし、杖の先端で光球を小突く。と、音もなく銀杖が砕け散り、きらめく霞みとなって空気中に舞った。
そして一呼吸の後、目に刺さる程にまばゆき柱が天を穿った。大地に描いた魔法陣から立ち昇る気は、やがてスラム街の上空にて一つの巨大球へと収束した。
どんな炎よりも明るい、どんな月光よりも眩しい、そんな恒星の球が、一瞬にして町の夜を昼へと塗り替えた。
窓から、扉から、物陰から、人の顔がいくつも覗く。崩壊寸前の家屋、襤褸を纏った姿、そんな荒れすさんだ町並みが煌々と照らし出される中、人の心には確かに火が灯った。それは彼らの目を見れば明らかであった。
はじめは恐れの強かったざわめきが、いつしか感激の歓声へと変貌していた。外へ飛び出し、騒ぎ、歓喜し、神に感謝を捧ぐ光景は、不夜祭に興ずる対岸の大衆となんら変わらない。
その情景を、彼は物陰へ隠れつつ満足気に眺めていた。
――祭りの夜というものは、本当に楽しいものだな。
西の空が異常なまでに明るい、まるで時が狂って太陽が昇ってきてしまったかのようだ。スラム街の異変は、時計塔広場からでも容易に察知できるものだった。
舞台の演目の合間にカラカラ鳥の茹でタマゴ串に舌鼓を打っていた少女たちも、もぐもぐと動かす口はそのままにして、怪訝な面持ちでスラム街の方角を眺めていた。
「火事……じゃないよね。赤くないし、煙もないし。どっちかって言うと光源石みたいな」
「スラム街でも最後の夜くらいはって、頑張って盛り上げているんでしょうか」
「いやあ、違うでしょ。あんな眩しさだよ。あそこの人たちには、ちょっと火を焚くくらいで精一杯なのに」
「ですよねぇ」
じゃあ一体なんだろう。黄身のねっとりしたタマゴを咀嚼しながら、アメリアは想像を巡らせていた。
人の熱に煽られて太陽が夜明けを急いだのか、あるいは天から星が降りてきたのか。それとも特大の光源石を貧民に贈った物好きが居るのだろうか。
こうだったらいいなと色々想像してみるものの、やはり一番現実的なのは、またアビリスタが引き起こした異変ではないかと。その見解はレインと、いや、周りの人々みなと一致したらしい。「またあいつらは」という声が各所から湧いている。
「まーた馬鹿が馬鹿やって、やんなっちゃうね。掲示板見てないのかな、怒られるじゃすまないよ」
「だけど昨日と違って素敵です。明るくて、平和だし」
「そうかな。向こうは大変なことになってるかもよ。明るい代わりに人が全員消されてしまった、とかさ」
「えーっ、そんな! どうしましょう、見に行ってみます?」
「……アメリアさ、昨日の今日でよく言えるね」
「そりゃ危ないことなら嫌ですけど、今度はおもしろいことかもしれないですし。それだと、行かないのはもったいないですし」
「私はやだよ。厄介ごとに巻き込まれたくないし。事件の様子見なんて、ああいう専門家の仕事だよ」
レインが木串の先端でつんつんと示したのは、血相を変えて飛んでいく治安隊の大群だ。もちろんヴィジラたちも同行している。
「あっ」
「どうしたの? 知り合いでも居た?」
「いっ、いえ……気のせいでした」
まさかそれがヴィジラだとは口が裂けても言えない。幸いにも、レインの追及はなかった。彼女はもう他のものに注意が向いていた。
「ねえ、あれ!」
串が時計塔の上空へ向いた。目を凝らすと、大きな杖にまたがった幼女が夜空を一直線に飛んでいた。ちらりとしか見えなかったが、人違いのしようがない。
「クシネちゃん!」
「やっぱりそうだよね」
クシネも西へ行った。それを地上の少女たちは口を開けて見送った。クシネは自分たちとは違う、魔法の専門家だから事件現場に押しかけても単なる野次馬とはならない。政府と協力するかどうかはわからないが。
果たしてノスカリアの治安局と異邦の天才魔女は、どちらがより優秀なのだろう。奇しくもどちら側もアメリアの知り合いだ、どちらを応援しようか困ってしまう。アメリアはそんな風に暢気な考えを浮かべていた。
それにしても、と疲れたため息を吐いたのはレインであった。
「……パレードさあ、ちゃんとできるのかなあ。今年は色々起こりすぎだよ」
「確かに、少し心配ですね。さらに何かあるかもしれないですし」
「うーん、でもまあ、今のところはスラムの方だけだし。こっちは大丈夫って信じるしかないよね」
「はい。きっと犯人もすぐに捕まりますよ。あんなにたくさんの人が行ったんですもの」
「そうだね」
レインの言葉の後半はあくびまじりだった。ああだこうだと言うものの、口ほどには心配していないのかもしれない。
それに広場の大半の人間も似たような考えをしているらしく、昨夜ほどの恐慌は起こらなかった。しばらくしても西の様子に変化がないことを見て取ると、ほとんどの人が興味をなくし、元の祭りの空気が戻って来た。これだけ警戒されている中で馬鹿をやらかしたんだ、あっという間にお縄についたのだろう、と。
ところが民衆の期待に外れ、治安当局は仕掛け人を暴くことができなかったのである。
現場で彼らが見つけたものは、荒れた街を上空から照らす正体不明の光球と、その下で踊り騒ぐ見たこともないほど明るい顔のスラムの住人たち、以上である。
あの光の球を出現させたのは誰だ、そいつはどこへ行った、どうやってやった。焦りいらだちながら治安隊はスラム中をたずね歩いた。しかしいやに興奮した人々から返って来た答えは、犯人を突き止める手掛かりとはまったくならないものばかり。なんと言っても大半が「ルクノール様が光を下さったのだ」というようなことを口走るものだから、治安隊はひたすら頭を抱えていた。一夜にしてスラム中の人間を信徒に引き込むための教会の作戦、そんな陰謀論すら引き出される始末である。
単純に不審者を探そうにも、治安局からしたらスラムの貧民は揃って不審で危険をはらんだ容貌に見えるかららちがあかない。政府の頼みのヴィジラも本来的な任務は異能との直接戦闘だから、そもそも標的が不明の状況では動きようがなかった。彼らにできたことは、野次馬に来たギルドのアビリスタが二次災害を引き起こさないよう牽制するくらいだった。
ただ、スラムの現場を間近で見た者の中には、極かすかな残り香から犯人を察した人物も居たのである。一人はヴィジラの中に、もう一人は人知れず上空から俯瞰する魔女だ。双方とも幻想の神ではなく今を生きる人としてある某氏の影を感じ、しかしどちらも無言を貫いた。魔女は早々に無表情で空を去り、ヴィジラは仮面の下でかすかに湿っぽい吐息をついた以外、忠実に責務を果たしたのである。
そうやってスラムの騒動は政府に泡を吹かせたものの、祭りの進行を妨げるには至らなかった。そして異能の力に翻弄された今年の不夜祭も、これ以上の波乱は訪れず、例年と等しい終幕へ進んで行った。明けない夜は無いし、昇らない陽は無いのである。
アメリアたちが待ち望んでいたパレードも、少しだけ開始時間が遅れたものの、予定通りの規模で開催された。
時計塔広場の舞台でセレモニーが行われた後、その場に集まった皆が松明を手にし、四方八方に伸びる大通り沿いに町を練り歩き、各所に構えられた灯火台へ火を分けて回る。こうして人が希望と共に灯した明かりは、天を覆う夜闇を振りかからんとする厄もろともに打ち退け、隠されていた月を空へ取り戻す、と言われている。
笛や太鼓をならす音楽隊と、神々や精霊に扮した者たちが先導する、老若男女入り乱れた大パレードは、広場を起点に西へ南へ、東へ北へとゆっくりと回る。西の大通りを進んだ時、ほとんどの人がスラム街の上空とへ目を引き寄せられた。パレードの時間になっても、件の光球は消えずに残っていたのだ。
「ねえアメリア、聞いた?」
「なにがですか?」
「あの光、ルクノール様が持って来たらしいよ」
「えぇえ!? そんな、神様が来てくれたってことですか!?」
「アハハハ、そんなわけないじゃん、ただの噂だよ。さっき聞こえて来たからさ」
「なんだ、噂ですか……びっくりした」
びっくりして取り落としそうになった松明を、もう一度きゅうと握りしめる。
だけど、噂だから嘘とは限らない。もしかしたら本当に神様がこっそりとノスカリアへ贈り物をくれたのかもしれない。そう思いながらアメリアは再度、白く輝く真夜中の太陽へ目をやった。
――もしそうだったら、やっぱり神様って、とっても優しいんですね。
その後、パレード隊が再び広場に戻って来たのは、日の出の時間を目の前にしてだった。
天上にて大きな時計の針が重厚な音をたてて時を刻む。一定の間隔で起こる響きを耳にしながら、着々と近づくその時を祝福せんと、人々は息も殺すような気持ちで東の空を見守っていた。広い町を歩き尽くした直後だと言うに、疲れた様子は全然なかった。
やがて、漆黒に包まれていた空が白んできた。黒は薄く青を混ぜた色を示すようになり、東へ向かうにつれて青から黄色へ色彩を変化させている。目覚ましく存在していた炎の光が相対的に穏やかになり、明るい風景の中へなじみ、徐々に目立たなくなっていく。
そして、陽が昇った。朝告鶏がけたたましく鳴いている声が風に乗って運ばれて来た。
刹那、広場は安堵と歓声に沸きあがった。共に迎えた朝の日差しを皆等しく浴びて、手に手をとって今日という日の訪れを祝福する。今年も月なき闇夜は無事に払われ、安寧が約束されたのだった。
葉揺亭の窓からも、すがすがしい光が差し込んでくる。マスターはカウンターの奥から窓の外を見やり、目を細めた。不夜祭は終わった、日常が戻ってくる、と。
火にかかった真鍮のポットが既に白い湯気を吐き出している。食器類はすべて綺麗に磨かれて、板の床にはほこり一つ落ちていない。玄関には営業中を示すプレートもかけ終わったし、自分の衣装、白いシャツに黒い燕尾のベストもばっちり整っている。不夜祭仕様でテーブルやカウンターに置いていたキャンドルホルダーも、今はどれも残っていない。順番に指差し点検し、よし、と小さくほほ笑んだ。普段通りの葉揺亭だ、いつ客がやって来ても問題ない。
そんな中、きいと軋んだ音を立てて静かに玄関が開いた。すわ一番客、と姿勢を正したが、違った。
「ああ、おかえりアメリア。お祭りは楽しかったかい?」
「はい、それはもう――」
くあ、と娘は大あくびをした。しまらない顔で店内を見渡して、やっぱり営業するんだと言わんばかりに肩を落とした。
マスター苦笑した。
「本業に差しさわりを出すうちは、一人前の大人と言えないな。アメリア、眠気覚ましに一杯飲むかい?」
「お願いします」
「じゃあ、そこに座って待っててよ」
アメリアは言われるままカウンター席に腰かけた。その振動で、三つ編みを束ねたリボンから白い塵がこぼれた。それは差し込む朝日の中でわずかにきらめいた後、床に落ちる前に光に溶けてなくなった。
マスターは紅茶缶から掬ったシネンスの茶葉を鉢に入れさらに細かく砕き、ついでにリフレッシュ効果のあるハーブをいくつかブレンドする。アメリアは好かないが、こういう時はミントがうってつけだ。舌が驚いて、眠気もすっきり覚めるから。
マスターが手早く茶を淹れている間、アメリアはカウンターに肘をつき、夢うつつなのんびりとした口調で、不夜祭三日目の思い出をつらつらと語っていた。聞き手は視線は手元のまま、耳だけで彼女の一言も漏らさないよう聞いていた。
「――それで、やっぱりマスターのお茶がおいしいなって思ったんですよ」
「それはありがとう」
「踊りもすごくきれいだったし、びっくりすることもたくさん起きて。私、マスターと一緒に見たかったです」
「そうか。ごめんね、叶えてやれなくて」
「あと、そうそう、マスター、今年は神様も、お祭りに来てたんですってー」
「へえ? それでどうしたの?」
そこで不意にアメリアの言葉が途絶えた。
不思議に思って、カップに湯通しする手を止め、顔をあげた。すると、カウンターとキスをして眠っているアメリアの姿が目に入った。
「……しょうがないなあ」
名を呼んで軽く揺さぶってみても、むにゃむにゃ言うだけで目を覚ます気配はない。それどころか、いっそう穏やかな寝息が聞こえてくる始末だ。苦い笑みがこぼれた。お茶は完成間近だったが、わずかに遅れをとってしまった。
マスターはポットを放置して客席側へ回り込むと、アメリアを椅子から横抱きにかかえあげた。そしてそのまま、彼女の自室がある二階へ向かう。
アメリアを抱いたまま肘と足とで器用にドアを開けて部屋に入ると、出会った頃よりちょびっとだけ大きくなった小さな体をゆっくりとベッドへ降ろした。靴を脱がせて、枕をかわせ、上掛けを肩までかけてやる。
「おやすみ、アメリア。良い夢を」
口元をほころばせたまま眠る少女は、一体どんな夢を見ているのだろうか。ああきっと、光に包まれた素敵な夢に違いない。
眼前にある穏やかな寝顔に笑みをひとつ手向けると、マスターは襟を正して身を翻した。まだいつもの開店時間よりは早い。だが、もうじきオーベルがやって来るはずだ。不夜祭明けは毎年そうである。
調子が違うのは、オーベルだけではないはずだ。眠気覚ましの一杯を求めて、あるいは祭りの気分を抜くために、いつもより早い時間から客足が伸びるだろう。
「今日は久しぶりに忙しくなりそうかな。アメリアもいつ起きるかわからないし」
店に戻って、気を引き締めるためにアメリアへ用意した茶を自分で消費する。飲み頃を少々逸した紅茶はやはり余計な雑味で濃くなりすぎていたが、今の気分を害するようなものではなかった。
やがて蔦の葉扉が外より開かれた。朝日に浮かぶ横幅のある影が、のっそりと店内へ歩んでくる。
「おう、マスター。お疲れさん」
「おはようオーベルさん。徹夜明けかい?」
「おうよ、当然だ! 不夜祭明けなんだぞ?」
「その割に元気そうでなによりだ。アメリアなんか、帰って来るなり夢の世界だっていうのに」
「おいおい、俺はアメリアちゃんと程度が一緒だってか。寝てなんて居られるかってんだ、観光客で宿屋は忙しいんだぜ。祭りの片づけもあるしよ――ああ、つうわけで、いつもよりうーんと濃く作ってくれ」
「了解」
マスターは肩を揺らした。もともと苦いコルブの茶をさらに濃く、だったらいっそ珈琲の方が向いているかもしれないと思ったが、口には出さなかった。下手に習慣を変えるのは調子を狂わせるもとである。
茶の準備をする間、オーベルがぼんやりと話し始めた。語気はどことなく浮ついていた。
「それにしてもよぉ、今年は大荒れだったぜぇ? 一昨日も広場らへんで大変だったらしいがよ、最終日は、今度は神が出たなんて噂だ! 確かにあの白い光はすごいもんだったが、いやあ、もう二度とこんな不夜祭ないだろうなあ。生きてる時にこんなことあるなんて、いやー幸せもんだぜ」
「そりゃよかったね」
「……あー、その様子じゃ、あんたは普通に寝てたんだろうな。もったいねえなあ、引きこもりはよぉ。ほんと、昨日の不夜祭を見てないのは、人生の大損だ」
「別にそうは思わないな。どうせ、どこかの誰かが、神様ごっこに興じただけだろう。ノスカリアではよくあることじゃないか? 魔法使い、いや、異能使いが騒動を起こすなんて」
「ん……まあ、それはそうだけどよお、スラムの連中と、あと教会の連中は、本物だって信じてるみたいだしよお。本気で犯人の手がかりなしらしいし、今回は本当に本物かもしれないって、みんな言ってるぞ」
「誰がなんと言おうと、僕は神だなんて信じないよ。それに『僕』には全然関係がないことだ」
ふふっとマスターは穏やかな笑みを浮かべた。
喋っている間に茶も仕上がっていた。さっとカップに注ぎ、オーベルへ出した。ついでに一言添えて。
「ほら、祭りは終わったんだ。神がどうだなんて世迷いごと……これでしっかり目を覚まして、いつもの日常に戻らないといけないよ。さあ、召し上がれ」
葉揺亭のマスターは影のないウインクで、一日のはじまりの客をもてなしたのだった。
葉揺亭 本日のスペシャルメニュー
「夜明けの目覚ましミックス」
通常より細かく砕かれたシネンスの茶葉に、リフレッシュ効果のあるハーブをブレンドした紅茶。
やや強めの渋みとスッとしたミントのフレーバーで脳をさえわたらせる。また、使うハーブの都合上ほのかにレモンの香りも含んでいる。
眠気覚ましだけでなく、祭りで浮かれた熱を冷ますにもうってつけだ。
ノスカリア 食べものダイアリー
「セルキ」
暑くなる前の時季に収穫される緑色で小さな球状の果菜。生食では青臭さが強いため、塩酢漬けにして食べるのが普通。
ゴリゴリと歯ごたえのある漬物。青臭くだいぶ塩辛いが、おかげで酒は進む。
「イルルコルルの串焼き」
大陸北東の樹海に暮らす深緑の民の料理。イルルコルルはヘビの一種で、胴太の見た目は巨大な足無しトカゲ。大きな牙を持つ。無毒。
鱗をはいで焼けば身のしまった白身魚のような風味で、深緑の民には美味なタンパク源として扱われている。
併せて食べられる深緑の民特製ソースは、森で採れる十数種類の食材をつぼにつめて自然発酵させたもの。とろみが強く甘辛い
「オルカン」
果汁が少なく繊維質、なおかつ小玉なオレンジの一種を、皮ごと飴がけにしたお菓子。
外側の飴は分厚いが、普通に舐め進めると苦いオレンジの皮に当たるため、思い切ってかじりつくのが正解だ。
「ラクボクの実」
ノスカリア西平原域に分布する低木に実る紫色の果実。リンゴ大で、中央に巨大な種が入っている。
果実は毒こそないものの、一つ一つ味が違うという特性を持つ。ただ大抵の場合は食べるに値しない味がするため、常食はされない。
いたずらや運試しなどのおふざけにどうぞ。
ちなみに種は非常に堅く、磨いて角を付ければ結構痛い投擲武器となる。古来から旅人に利用されてきた。




