絆の生まれる場所(1)
藤編みの買い物かごを手にさげて、少女は息を弾ませて帰路を走っている。急いでいるのは生ものを持っているから、ではなく、早く届けたい情報を頭の中に抱えているから。嗜好品販売店『陸の船』からの重い報せ、間違えて伝えないよう心の中で何度も繰り返しながら、アメリアは蔦の葉扉へと勢いよく駆け込んだ。
そして葉揺亭に入るなり店内を確認することもせず、大事に抱えていたものを一息に音声として投げ出した。
「マスター、マスター、大変大変! 『カメラナ』の産地が大洪水で、しばらく手に入らないかも……って、あれ? ティーザさん?」
「あいつなら奥に居るぞ」
カウンターの前に青髪の青年が暇そうに腕を組んで立っていた。彼の言う通り、店主の姿はこの場に無い。
拍子抜けだ。アメリアははぁと息を吐くと、かごの中身を片すのにとりかかる。情報だけではなく、頼まれていた本来の買い物成果も持ち帰って来た。作業台の下へしゃがみこみ、小さな冷蔵庫を開けて、せかせかと手を動かす。ついてに口も。
「ティーザさん、今日は先生のお仕事はお休みなんですか?」
「いや。少しあいつに借りたいものがあってな」
なるほど、ティーザからの頼みごととなれば、マスターが店をほっぽりだして引っ込んでいるのも頷ける。
そして思い起こされたのが、いつかの夜見た、上から下まで物で溢れて窮屈になっているマスターの私室の光景だ。さっきの待ちくたびれた風なティーザの様子と重ねて、アメリアはふふっと笑った。
「そんなの、探すのに、ううーんと時間がかかりますよ。だってマスターのお部屋って、お店と違ってすごく散らかってますもの。本当、普段のマスターから想像つかないくらいに」
冷蔵庫の中に向いたまま、アメリアは楽し気な声を次々と連ねる。
「あれじゃあ、どこに何があるか全然わからないですから。きっと今ごろ埃まみれですよ。そのうち真っ白けで帰ってきます」
「はあ」
「いくらなんでも本が多すぎるんですよ。棚はどれもぎゅうぎゅうで、床にまで積んであって整理できてないし。あんなに持ってても、読み切れないと思うんですけど」
「……なあ、アメリア。ちょっと」
「え? どうかしました?」
「失礼だなぁ、アメリア。ちゃんと全部読んでいるに決まっているだろ。僕を誰だと思っているんだ」
「うわぁい!? マスター!?」
声に驚きへたり込む。知らない間に背後に店主が佇んでいた。埃ひとつない清潔な燕尾の黒ベストを纏っている。いつからそこに居たのだろうか、どこから聞いていたのだろうか。アメリアはただ引きつった笑みを浮かべ、マスターを見あげた。
マスターは口を山型に曲げていた。が、すぐに口角を上げると、アメリアの後ろを通り過ぎて客席側へ向かった。両手で重そうに抱えている物がある。綿を圧縮した生地に包まれた板状の何か、あれがティーザの借りたい物なのだろう。
依頼主の隣に立ち客席のカウンターへ白い包みを置くと、マスターは優しく秘められた包みをほどく。そして柔らかい衣の下から現れたのは、透明の水晶の板であった。ちょうど窓硝子ほどの厚さ、白いかすりが所々に散っているものの、ほぼ完全に透明と言っていい。
水晶板は重ねて三十枚ほどはある。マスターは一番上の一枚を取り上げ自分の顔の前に立てて、カウンターを挟んで立っているアメリアへと見せた。四角の板ごしの顔は、何も隔てる物がない状態と同じに見える。店の窓硝子よりずっと歪みが無い。
はあ、とアメリアが惚れ惚れとした息を漏らした。
「きれい。硝子ですか? それとも水晶ですか?」
「いや、光源石だよ」
「えっ。じゃあ、光るんですか? こんなに薄っぺらいのに?」
「もちろん、ちゃんと魔力を与えてやれば。それにしたって、ここまで透明の光源石はなかなか無いよ。しかも、こんなに薄く加工してあるなんて、特に希少さ」
「自慢ですか?」
「うん」
店主は屈託なく笑った。
そして、今度はティーザの方をかえりみる。透明の板は掲げたまま、にこにこ顔も崩さない。
「駆動機構はないけれど、その辺はどうにかできるよね」
「問題ない。……悪いな、急に」
「いいや、君のお願いならいつでも歓迎だ。それにしても、不夜祭までまだ二十日近くあるってのに、こんなに慌てちゃってさ。らしくないなあ」
光源石と聞いた時点でアメリアもなんとなく察していたが、不夜祭に使う物だったようだ。ティーザが教員を務める例のスラムの学校を飾りつけるのだろう。
不夜祭は、イオニアンの空から完全に月が消える時季に、三日間に渡って行われるノスカリアの祭りだ。もとは夜を明るくして魔除け獣避けと旅人の安全祈願が目的だったらしい。今ではとにかく夜通し明かりを絶やさず、そして眠らず過ごすことが慣習となっている。もともと酒場など夜の生活もそれなりにある町だが、不夜祭期間中の賑やかさは平素の比ではない。
硬い顔をして祭りがそんなに楽しみなのか。そう茶化すように、店主は真面目顔の旧知の背中をはたいた。
ところが、からかわれた当人はただただ浮かない顔をしたまま、ため息をまじえて事情を呟いた。
「明日からミスクに行かなきゃならなくなった。俺がこうして動けるのは、今日だけなんだ」
ミスクとは、ノスカリアより北にある、南方大陸の政治中枢となる都市の名である。ノスカリアと並ぶ大陸の二大都市だ、行き来がしやすいよう街道の整備は格段に進んでいるし、乗り合いの長距離馬車も定期的に運行されているほど安全な道のりだ。別の都市とはいえ、街道を急ぎ目で進めば五日とかからず到着するだろう。それも一般的な手段に限った場合で、異能者ギルドで然るべきアビリスタの力を借りれば、半分以下で進むことも可能だ。
ティーザが実際に現地で用があるのは数日のこと。終わり次第すぐに向こうを発てば、不夜祭の日の朝には十分戻ってこられる日程らしい。
そう、戻っては来られる。なのだが。
「朝か。じゃあ君は学校には顔を出せないわけだ」
「ああ」
「ええ? どうしてですか?」
「『先生』だけが彼の仕事だったらいいけどね」
「あっ、そっか。お祭りの日、治安局の人は忙しいですよね」
ノスカリアの平和を守る政府の治安維持局の一員、それがティーザ=ディヴィジョンのもう一つの顔だ。
世が浮かれに浮かれる祭りの日、治安局に所属する人間だけはその波に呑まれてはならない。夜のお祭り騒ぎに乗じた犯罪へ目を光らせねばならないからだ。盗み、喧嘩、その他もろもろ、気の緩みから悪意なく事件を起こす者も発生する。大陸きっての大祭となれば各地からの賓客も多い、警備に普段以上の人手と計画性が求められる。
治安局が最も神経を尖らせているのが、羽目を外したアビリスタが暴れることだ。ちょっとした悪ふざけはもう恒例行事、複数の怪我人が出た年もある。やらかした当人たちは、祭りらしい見世物のつもりだ、と言い訳するものの、浮かれ過ぎてうっかり大災厄を起こされてはたまらない。異能を制圧する専任官であるヴィジラだけでは足りないと、治安局が総動員で三昼夜の厳しい警戒にあたる。
ということで、ティーザも不夜祭期間は朝から治安の仕事に駆り出される。本人としては街全体よりスラムの学校のことが気にかかるのだが。
ノスカリアの街中が様々な趣向の光に包まれるにも関わらず、西の三角地帯、スラムだけは闇が降りたまま。それが例年のこと。生きるのにすら必死な貧者にとっては、一晩中火を灯すための金や物資が惜しい。
スラムにおいて唯一、他人のために明かりを灯すのが、公共の場たる学校なのである。かすかな光を求めてスラムの子供たちが集う時に、彼らを優しく抱く大人の腕がどれだけあるか。多ければ多いほどいいに決まっている。
当日その場に居られないのなら、せめて、今の時点で自分にできることはないか。思いついたのが、子供たちを喜ばせる、とびきり明るい光を用意することであった。スラムの外の人もが羨むような、とびきり上等な光を。
他の誰にもできないことを息吐くようにやってみせる、ティーザは幸いにもそういう人物を知っていた。だから葉揺亭にやって来た。そして相談を受けたマスターは、二つ返事で客の望むものを提供したのであった。
美しく透き通った結晶の板を元通り丁寧に包む。そうしながらマスターは目を細めて肩を揺らした。
「いつの間にか人気者になっちゃってさ。できが良すぎるのも困りものだね、数多の引く手に答えないといけなくて。でも――」
言葉を途切れさせ、布の端を固く縛る。そのまま真摯な眼差しでティーザの顔を見据えた。
「君は体も心も一つしかない。それなのに色々と抱えすぎだ。一つくらい投げ出してしまいなよ。でないと、潰れるぞ」
「……大丈夫だ。俺の好きでやっているのだから」
「そうか。なら、いい。……ああ、例の薬の方だが、日没までにアメリアに届けさせる。今日は夕暮れまで学校にいるんだよね?」
「居るが……自分で取りに来るさ。じゃあ、これは借りていくぞ」
ティーザは希望の光が詰まった包みを抱え、凛々しい足取りで葉揺亭を去った。
閉まる扉に消える彼の姿を見送ったアメリアは、不安そうに胸に手をあて店主を仰いだ。
「ねえマスター、薬って、ティーザさん病気なんですか? それならお仕事を休んで、お医者様のところに――」
「いや、病気というわけじゃないんだ。薬にしたって、どっちかと言えば栄養剤みたいなものさ」
「本当ですか?」
「僕は嘘はつかない。それに……あの子の不調は精神的なものに依るところが大きい。体質も少し特殊だし、普通の薬師では手に負えないだろうよ」
マスターは肩をすくめ、カウンターの中へ戻ってくる。燕尾を翻した時に彼がぽつりと低くつぶやいた言葉を、アメリアは聞き逃さなかった。
「あの子にも薬法を教えておけばよかったな。今から……いや、もうそんな時間は残っていないか」
アメリアは顔を曇らせた。時間が無い、マスターに限ってそんなはずはない。だって、いつだって暇そうにしているではないか。普通の意味で時間が無いわけじゃない、それならどういう意味かと考えると……すっと血の気が引く。確かに、引きこもりであまり健康的ではないと思っていた。それにしたってそんな!
恐ろしい想像に取り憑かれ、だが肯定されることが恐ろしくて聞き出せずいる間に、マスターは戸棚へ向かってしまう。手をかけたのは、秘密の素材が詰まった魔法の引き出しだ。さっと開いて、あれやこれやと小瓶を取り出し並べ始める。
見るからに怪しげな品々を見て、アメリアは少したじろいだ。普通のお茶の材料を眺めるのは大好きだ、でも例の引き出しは別、触りたくないし近づくのもごめん、マスターがいじっているのを見るだけでも身構えてしまう。雷に打たれないよう、いつでも逃げ出せるように。
「それにしても、さ」
マスターが目線は手元にやったまま、アメリアへと声をかけた。飄々としたいつもの声音で、深刻な不調を抱えているとは感じられない。
「不夜祭ってのは、みんなそこまで魂を注ぐほど熱を入れるものなのかい?」
「あたり前ですよ! 一年に一回の、ノスカリアで一番大きなお祭りなんですよ? 全力で楽しむに決まってます、みんなで盛り上げるんです」
「ふーん、そうか」
「マスターは今年も参加しないんですか?」
「ちゃんと参加するよ。夜通し明かりをつけておくさ」
「そうじゃなくって……」
不夜祭ならではの夜の町の景色、祭りならではの屋台や催し物、外に出ないと体験できないものも色々あるのに。アメリアは口を曲げて手をきゅっと握った。いつもなら出不精なマスターのことだからしょうがない、と溜息ひとつで流してしまうだろう。しかし、さっきの発言が尾を引いている。果たして、マスターに来年の不夜祭を迎える時間は残っているのだろうか?
「あのう、マスター」
――今年は一緒に思い出をつくりに行きませんか? 思い切って言おうとしたのに、同時に店の玄関が開いたために、喉の奥から出てこず止まってしまった。ごくりと空気を飲みつつ、アメリアは来店客を迎える笑顔をつくった。
「いらっしゃいませ! あっ、レインさん!」
長い黒髪が艶やかに輝くシルエット。続けて聞き慣れた晴れやかな声が、こんにちは、と爽やかな言葉を紡いだ。
「やあレイン、この時間に来るのは久しぶりだね」
「うん。前から作ってたのが、やっとできたから」
レインは人形の製作を行う人形師だ、どれほど作り込むかは客からのリクエストにもよるが、例えば精巧かつ大型なものだと一体を仕上げるのに何十日とかける場合もある。今回もさぞ難儀な注文だったのだろう。マスターは察して「お疲れさま」と声をかけた。
それにしても、今日のレインはことさら明るい風をまとっていた。若草色の布を被せたバスケットを両手で提げカウンターの席へ向かう、その足取りはとても軽く妙に慌ただしい。仕事からの解放感というよりは、なんだか浮かれているようだ。アメリアから見ても、いつもと違うと感じられるほどに。
「レインさん、何かいいことありました?」
「えっ、どうして?」
「なんだかとっても楽しそうですから」
「あー……ちょっとね」
レインは少し照れくさそうに笑った。
「ついさっき、そこですごくかっこいい人に会って。まるで絵に描いたみたいに綺麗な人で、私、ちょっとときめいちゃった」
「さっきってことは、もしかして、青い髪の毛をこの辺で束ねた――」
「よくわかったね。じゃあここのお客さんだったんだ。うんうん、わかるなぁ」
「わかるって、どういうことですか?」
「似合うなあってこと。ああいう人が優雅にお茶を飲んでるのって、すっごい画になるじゃない。なんていうかほら、お城の王子様みたいな感じで……ちょっと、二人して笑わないでよ!」
アメリアは首を下に折って口元を押さえているし、マスターはと言えば、台上に突っ伏して抑えきれない笑い声を漏らしている。正しい正しくないに関わらず、知り合いに突飛なイメージを重ねられると笑えてしまうのは人の性か。
二人の様子にレインはあらぬ勘違いをしたのか、顔を真っ赤にして、
「べ、別に恋とかそんなんじゃないからね!」
と口を尖らせた。それがますます二人の失笑を買ったわけだが。




