貴き家の料理人(1)
アメリアは鼻歌混じりに縫い物をしていた。コースターを作っている。近頃、葉揺亭では氷を入れた冷たい飲み物をしばしば出すようになった。その中で目にするのが、グラスが結露して卓上に水たまりができる光景。だからグラスの下に敷くものがあるといいな、と思った次第だ。
今、店内にはひとりっきり。マスターは「何かあったら呼んでくれ」とだけ告げ、自分の部屋へこもってしまった。休むという風ではなかったから、誰にも邪魔されないところで本を読んでいるか、あるいはそのために蔵書の塔を崩しているのかもしれない。過日見た部屋の惨状は今でも覚えている、あれではすぐに望む物を取りだすことができないだろう。
ともあれ店主は珍しく席を外している。居ないのをいいことに、アメリアは彼の特等席に陣取っていた。別に自分がいつも使う椅子や客席でも手仕事はできるが、やはり、気分が違う。自分がマスターのように器用になった気すらする。
コースターの需要は季節柄いまが盛りだろう。だからと言って、どうしても今日中に作らなければならない物でもない。だから丁寧にゆっくりと針を差す。気持ちを込めて、また、自分が怪我をしないために。
だが、いくら気を付けていても、うっかりは起こることなのだ。布を持っていた親指にちくりと痛みが走り、アメリアはぴゃっと手を引っ込めた。親指を目の前に持ってくると、見ているそばから赤い血が玉のように溢れてきた。
――やっちゃった。
アメリアは指をくわえて血を舐め取りつつ、傷口あたりを軽く圧迫した。とりあえず血が垂れ落ちないようになったところで、指を口から離す。痛みはほとんど無いし、一見では針の先でついた傷がどこにあるかわからないが、じっと見ていると赤い点がじんわりと浮き上がってくる。このまま作業を続けて、気づかないうちに血を撒き散らしてはいけない、作りかけのコースターも駄目になってしまう。ガーゼかなにかを巻いて処置した方が良さそうだ。
アメリアは、ふうと息をつきながら立ち上がった。その流れで、視線が窓の外を捉えた。
「あら、馬車? ……ああっ!?」
手元の作業へ夢中になっていて今の今まで気が付かなかったが、店の前に馬車が停まっていた。道の横幅いっぱいになる大きな二頭引きの幌馬車、こんな物で乗り付けて来る客は一人だけ知っている。客ではあるが、アメリアの、いや、葉揺亭の天敵だ。彼女の粘っこい高笑いが既に聞こえる気すらする。
しまった隠れないと、その前にマスターを呼ばないと、と慌てふためくが時すでに遅し。次の瞬間には、玄関が静かに開け放たれた。
「ああ、ご機嫌いかがかしら? マスター!」
堅苦しい黒の礼装をした従者が扉を押さえる隣から、フリルのドレスに身を包んだ娘が声高らかに宣言して登場した。大量のアクセサリーは葉揺亭の淡い灯りでもぎらぎらと輝きを放ち、彼女が身動きする度に甘ったるい香りが強く立って葉揺亭の空気を染め替えていく。個を全身で主張する彼女の名はソムニ=クロチェア、ノスカリアの元首の家の息女、すなわち名家のお嬢様だ。それが何をどうしてか、しがない喫茶店のマスターへ恋心を抱いており、ゆえにたちが悪い客なのである。
逃げそびれてしまったアメリアは、ただただ引きつった笑みを浮かべて客に向いて「いらっしゃいませ」と。
そして亭主の姿が無いのに気づくと、ソムニの方も、アメリアに対して軽蔑と嫉妬の眼差しを向ける。
「あらぁ、今日はあなただけですの? わたくしの愛しのマスターをどこへやったのかしら?」
その言い草にかちんと来た。マスターはあなたなんかのものじゃない、と言いそうになったが、すんでのところで飲みこんだ。いかなる相手だろうと客人だ、全てを受け入れるのが葉揺亭の流儀だ。マスターの顔を汚すわけにはいかない。
「奥に居ますので! 呼んできますね!」
こわばった笑顔できつく言い放つと、回れ右して店主のもとへと急ぐ。何かあったら呼べの「何」にこの上なくふさわしい事件が起こったのだから、呼び出しも遠慮なくできる。廊下を挟んでほぼ真向かいがマスターの私室、そのドアを割れんかの勢いで叩く。
「……アメリア、もう少し静かに呼んでよ」
そう言いながらドアの隙間から顔が覗くなり、アメリアはマスターの腕を取って引きずり出した。戸惑う主に状況をまくしたてて説明するが、その中にはソムニに対する私情も大分織り込まれていた。現状を把握したマスターは苦笑しつつアメリアの手をほどき、足を颯爽と店へ向かわせる。扉をくぐった時には、客を迎えるための心地の良い笑顔が張り付いていた。
ところが。来客の様子を自分の目で確認するなり、マスターの面が揺らいで驚きの色が浮かんだ。それは後ろにくっついていたアメリアも同様であった。
待っていたのはソムニだけでない、もう一人居た。いつの間に登場したのだろうか、体格の良い男が、彼女から一歩引いた場所に立っている。玄関を開けていた者とは別で、清潔な白い服を着ている。ソムニとは親子以上の年の差があるが、彼が父親でない事は確かだ。ノスカリア地方元首は超がつく有名人、葉揺亭の二人もおぼろげながら顔を知っている。
そして、彼らの足元には大きな入れ物があった。蓋の無い四角い箱の中には、更に半分の大きさの別の箱と、布に包まれた何かがまとめられていた。
どなたでしょうか。そう問いたくて仕方がなかったが、ソムニの黄色い歓声が上がる方が先であった。
「ああ、マスター! お会いしとうございましたわ!」
「やあ、ソムニ嬢、ご機嫌うるわしゅう。は、いいとして……えーと、お隣の殿方は?」
「シエンツ、と言いますの。わたくしの家の料理長ですわ」
胸を張るソムニの横で、料理人の男が深々と頭を垂れた。なるほど、白い衣装はコックコートだ。
よく見ると、彼の足元には大きな箱が置かれていた。蓋が無い四角い木箱で、側面に持ち手の穴が開けられている。中は半分程が別の箱で占められていて、残り半分のスペースに布包みが納まっている。どちらも外見からは正体を推し測ることはできない。
これはどういう趣向だろうか、まったく読めない。マスターが面食らっていると、すかさずソムニが詰め寄ってきた。
「ねえマスター、わたくし、かねてよりシエンツのお菓子とあなたのお茶を同時に楽しみたいと思っておりましたの」
「そうかい」
「それなのに、あなたってば、ちいっともわたくしのもとに来て下さらないのですもの。しょうがないので、シエンツに出向いてもらいましたわ。本当は、クロチェア家の外にはお見せしたくないのですけれど――」
そう言い淀みながら、ソムニはアメリアに一瞥くれた。下等なものを見る目だ、快く思う人間はいない。アメリアの眉間の皺が深くなる。
火花が散りそうな視線の交錯をマスターが体で遮った。穏やかにほほ笑みながら、優しくソムニに語りかける。
「それなら僕も見ない方がいいね。じゃあ、お茶だけご用意して裏に下がるから、心ゆくまで楽しんでいってくれ」
「もう、どうしてそうなるのかしら!? マスターは我が家の一員で――」
「要するに、今日だけ特別に見せてくれると言うことかい? 嬉しいなあ」
「ま、まあ、そういうことで構いませんわ! マスターはわたくしの特別の方ですもの! ただ――」
「アメリア、今日は幸運だぞ! クロチェア家専属の料理人だなんて、もう二度と会えないかもしれない。楽しみだなあ、どんなものが飛び出すだろうか」
「そ、そうですね……」
マスターは高揚した様子で終始一方的にまくしたてた。本気なのか演技なのか、どちらかはわからないが、とにかくソムニが余計なことを言う隙は一切なしである。結局、彼女は勢いに押し切られてしまったらしい。少しだけ不満そうに口をつぐむと、黙して控えていたシエンツの名を呼んだ。
は、と短い返答の後、貫禄のある料理人が前に出た。静かに、しかし堂々と歩む姿には、熟達者特有の気配が滲んでいる。
「少し場所と火をお借りしてもよろしいでしょうか? とはいえ大方は終わらせてきましたので、後は一つ仕上げるのみですが」
「構わないよ。皿とかは必要かい?」
「いえ。必要な道具や食器類はすべて持参しております。……では、少しの間、失礼いたします」
シエンツは足元にあった大きな木箱を抱えて、カウンターの中へと入ってきた。
まずはシンクでささっと手を洗ってから、持ち込んだ荷を解きはじめる。布包みは複数が重ねられていた。一番上に入っていた大きな包みを解くと、現れた物は四角いラタン製の蓋つき容器であった。これは中を開けることなく作業台の片隅に置かれる。
ラタンを取りだした下に道具類が納められていた。とびきり小さなミルクパン、フォーク一本、長くて太い金属の棒が二本、円筒形の缶、そして薄い銀の板。シエンツは手早く一つ一つ取り出して、手元に並べた。そして箱の中に残っているのは箱だけになったが、それは今のところ用無しらしく、そのままにして作業台に向かって立った。
シエンツが最初に手に取ったのは缶だ。蓋を取って見えた中身は砂糖、それもかなり上質な物だ。真っ白にきらめく結晶をすべてミルクパンへと入れる。量はカップ半量分も無い。そこにスプーン一掬い程の水を加え、焜炉へと向かう。
「おや、アビラストーンの炉をお使いですか」
「好みでないかな」
「いえ、当家でも使用しております。石の魔力切れさえ気を使えば手軽に火力が安定しますので、妙な主義が無いのであれば、一般的な暖炉よりむしろ好ましいと思いますよ」
つい言葉が口をついたのは、単に珍しいと感じたため。アビラストーンの道具は魔力を供給すれば半永久的に使用できるが、基本的に高価であり、大物の設置や修繕には専門知識が無いと対応できない事も相まって、一般大衆に広く普及しているとは言い難いのが現状なのだ。
シエンツは感心めかして表情を緩めつつ、元々乗っていたケトルを横に退けて鍋を火にかけた。
鍋の事は横目で見つつ、次の作業に移る。持って来た銀の板の上へ、二本の棒を平行に置いた。間の幅は子供の拳が一つ分ほどだ。
そうしている間に鍋が沸く音を立て始める。容積が少ないから加熱もあっという間なのだ。シエンツは木べらを取り、未だ溶けきっていない砂糖を混ぜ始める。真剣なまなざしだ。
そんな料理長の姿を一番楽しそうに見ていたのは、他の誰でもなくマスターだった。邪魔にならないよう遠巻きだが、背伸びをして鍋を覗きこんだり、置いてあるラタンの蓋をこっそり開けて中を盗み見たり、子供のように忙しない。それこそ邪魔だと叱られてもおかしくないが、ここ一番の集中をしている最中、外野の動きは目に入っていなかったらしい。
そして、不意にシエンツが動いた。ミルクパンをさっと火からおろし、しかし中は木べらで軽めに混ぜ続ける。ややして、誰にともなく頷いて手を止めた。なにぞ上手くいったようだ。
ミルクパンを左手に、右手は木べらからフォークへ持ち変える。フォークの先端を熱された砂糖液へ突っ込み、勢いよく掬い上げた。腕を目一杯伸ばして振り上げ、同時に宙で円を書く様に動かす。すると、砂糖の糸が空中に舞った。まるで光の筋が実体化しているようだ。
宙に紡がれた甘い白糸は、重力に従って下へと落ちていく。着地点は先ほど設置した板の上、金属棒の間が中心だ。なるほど、二本の棒に橋渡しするよう糸がかかる。なおかつ繰り返される工程で細い糸が複雑に絡み、徐々に雲のような塊へと成長していく。
ははあ、とマスターが感心の唸り声を上げた。
「一種の砂糖菓子ですか」
「はい。もっとも今回は飾りに使うだけですが。壊れやすく、また溶けやすいので、お出しする直前にしか作れないのですよ」
「装飾としての調理か。いいなあ。繊細な美しさが、高貴さを醸すということですね」
「料理は見栄えも必要だというのが、自分の考えですので」
と言った後、口と共に動かし続けていた手を止めた。長く連なるように編まれた砂糖の雲は、おおよそ三塊程に分かれている。シエンツはまたも頷くと、鍋を端に寄せ次の作業を始めた。
ようやく持ち込んできた箱の中に残された、もう一つの箱の出番である。これは移動用の保冷箱であったらしく、四方とも頑丈な壁でできており見た目の割に内の容積が小さかった。そして開かれた蓋の上には、冷気を放つ青色の石が輝いていた。
保冷箱の中には四つの瓶が入っていた。三つは同じ大きさで、一つだけが他より二回りほど小さい。シエンツはそれらをすべて台の上に並べて見せた。一番小さな瓶の中身は、赤く透明感があるジャムだった。
同じ形の三つの瓶は、中に入っているのはどれも似た質感のもの。
「……ミルクがベースのクリーム、かな?」
「そうですね。自分が製菓を教わった時には『クリマ』と習いましたので、そう呼ばせていただきますが」
「それはおそらく地域の訛りだね」
「ですね」
シエンツの言うクリマは、三瓶とも明らかに種類が違う。一つだけが黄色で後は両方とも白色、そして白はそれぞれ硬さが違う。片方は空気を含んでふわっとしている。
瓶は蓋を取って並べるだけして、シエンツはラタンの入れものへと手を伸ばした。その中にあったのは、小ぶりの長方形に切られたパイ生地だった。指の太さほどの分厚い物で、空気の層を何段にも織り交ぜているのが見てとれる。それが複数枚あった。
まずは三枚のパイ生地を銀板上に置き、黄色がかったクリマを塗る。厚すぎず、しかし生地が透けて見えるようなことも無い。その上に白く軽いのクリマを塗り重ね、新しいパイ生地を乗せて挟む。そのパイ生地の上にも硬めのクリマを塗り広げ、さらに黄色のクリマを重ね――と、次々と材料を重ねていく。三つを同時に進めていく手早さに丁寧さも両立している。
そしてそれぞれに四枚目のパイ生地を重ねたところで完成だ。最後にふちからはみ出したクリマやジャムをナイフで落とし、完全に整った直方体に仕上げる。そんなシエンツの表情は達成感に満ちていた。
最後は盛り付け、できあがった菓子を皿へ移す。ここでシエンツは菓子を横倒しにした。層状になった断面が上を向く形だ。
「あれ、倒しちゃうのか」
「どうせ食べる時にこうなさるでしょうから。今回はこの上にさらに飾りをつける兼ね合いもあります。高さも出ますし、あまり問題はないかと」
「なるほどね。色々考えられているなあ」
確かに、固いパイ生地の上からナイフとフォークを突き立てれば、せっかくきれいに重ねられた中身がつぶれて出て来るか、パイ生地が飛び散るかの未来が見える。想像するだに美しくない。
シエンツは宣告通り、先に作った飴細工を上に乗せた。壊れやすいからそっと、しかし手早く。無事に飴の雲を飾ると、さらに、小瓶に入っていたベリーのジャムを皿へあしらった。まるで花が舞っているかのような意匠だ。
そして、全員の目に届く位置に皿を動かした。
「パイと三種のクリマの多層仕立てでございます」
「シエンツ、お見事ですわ! どうです、マスター。素晴らしいでしょう? わたくしの家にふさわしい、最高の料理長ですわ」
「ああ、本当に。さすがだ」
「お褒め頂き光栄です」
シエンツは丁寧に礼をした。立場ゆえか堅苦しくしているものの、口角は確かに緩んでいた。




