ノフィラ・アワーナ――夜に会いましょう(4)
「しまった……教会だったの」
ルクノラムの信徒には近づくべからず、それがコルカ・ミラの民の習性だ。離れて久しいが故郷は故郷、クシネの価値観の基本はコルカ・ミラで作られた。無意識に服の襟を引っ張って口元を隠しつつ、いそいそとその場を離れる。
コルカ・ミラとルクノラムの間には、神話の時代より続く因縁がある。正確には互いの祖、コルコとルクノールの確執だ。
コルカ・ミラの礎を築いた魔女であるコルコは、ルクノールのことを、異端な魔法によって神の座を不当に占拠した邪悪な魔術師だとして、激しく対立していた。二派の魔法使いによる魔法戦争の末、コルコはルクノールの最愛の弟子――ルクノラム教の神話に言う第一使徒アルヴァイスを異界へと追放し、同じくルクノールの寵愛を受けた第二使徒エルジュの一門を討ち破った。邪神に最も近き二人の魔術師を制した、それがコルコ最大の功績であり、彼女が「聖女」として祭り上げられる主因である。
だからコルコの教えを守るコルカ・ミラの民は、決してルクノールを神とは認めない。不浄で邪悪なものだとし、教会の一切に近寄らず、その啓示受けた信徒たちを敵視して争い続けることを義務としている。例えば、コルカ・ミラの中にある使徒アルヴァイスが封じられた異界への門、これは現代でも過剰なほどに封印が施され、四六時中監視番が立ち、季節ごとにアルヴァイスに苦痛を与えるための儀式を執り行う。門の中が本当に異界へ通じているのか、誰も確かめたことがないというに。
もちろんルクノラム教側も同様、神に仇なす敵としてコルコの存在を挙げている。直接的な武力衝突は起こさないものの、ことあるごとにコルカ・ミラを糾弾してやまない。
クシネも、ルクノールの使徒たる魔術師たちの名を聞くと、自然と敵愾心を沸かせてしまう。ただ一般のコルカ・ミラ人とは異なり、過去の遺恨というよりは、一人の魔法使いとして神がかった技能を持っていた事実に対する、言うなれば向上心から来るものだ。
い つかは自分も伝説に語られる魔術師たちのように。小さな体に大きな野望を抱き、クシネは真夜中の広場を歩いていく。
と、足が止まった。はっとした顔で振り返る。視線の先には教会の玄関、そしてさらに奥の闇。ここからでは見えないが、礼拝堂には神ルクノールと使徒たちの像がまつられている。
「まさか……」
あの男は、コルカ・ミラにしばらく居て調査研究をしたと言った。そのくせ、持っている魔法の知識技術は――彼が作った魔法の雨避けケープは、コルカ・ミラの魔法体系とはまったく異なっていた。コルコのことを好きになろうとしたが無理だったと言った、それはつまり元々嫌いだったということだ。
ああも必死に正体を隠す理由は、彼が現世のいかなる魔法使いも及ばない深みに居る、神の――。
クシネはふるふると首を横に振った。そんなこと、有り得るはずなかろうに。そう、なんの証拠も無い憶測だ、おまけに口にするのがはばかられるほど突拍子が無い。
しかし、想像だ推測だと否定を重ねても、ひどい寒気がやまないのは、別に涼やかな夜風のせいだけでないだろう。
さて。クシネの想像通りならば、今頃葉揺亭には主たる男の高笑いでも響いているはずだ。
しかし現実にあるのは、待ち人が現れないことに焦れる男の姿であった。照明の絞られた薄闇に反響するのは、静かに湯が沸く音と物憂げな溜息のみ。
「……伝わらなかったかなあ。アメリアじゃあるまいし、ちゃんとわかってくれたと思ったんだけど。逆に深読みしたかな、あの手合いにはよくあることだが、でも、なあ。あれだけ偉そうに言っといて、まったく音沙汰なしってのも変だよなあ」
葉揺亭の主は肘をつき額を抱えた。燕尾のベストを脱ぎ白シャツ一枚になっている姿は、平素より一層砕けた印象を与える。どこぞの魔法娘が思い描いていたような神秘性や攻撃性など皆無だ。
マスターことサベオル=アルクスローザは、今宵の屋外で起こっていた一切に関知していない。「悪魔」を使役するなんてもってのほか、クシネを陥れるつもりはまったくなかった。小細工なしで正面から迎え入れるつもりで、ずっと座って待っていた。
呈茶の作業台に置かれた、ルクノラムの経典並に量がある文書の山を見やり、もう一度溜息を吐いた。
「話がしたいと願ったのはそっちじゃないか。だから準備したのに」
独りごちる声は拗ねたように。文書の山はノフィラ・トゥラ・アワーナの全文だ。一晩これで論ずるというつもりでは無かったが、しかし話の物種にはなるだろうと、自室から引っ張り出してきた。文書の隣には、茶を出す準備もしてある。小鉢に調合してあるハーブは、コルカ・ミラがある地域特有の植物だ。
客人たるクシネが対話を望んだから、ここまでお膳立てをした。どんな腹積もりかは知らないが、魔法使い相手ならば一対一である方が話しやすい。しかし昼間にその場を整えることは難しいから、夜に会いに来いと招いたのである。
なぜ公に魔法の知識を披露しないのか、なぜ昔話をしたくないのか。クシネが予測する通り、アメリア相手にすらどうしても隠しておきたい秘密がある――それは向こうも同じだとマスターは睨んでいるが――というのも理由の一つだ。が、すべてではない。
総括するならば、一重にアメリアの身を守るためとなる。
好奇心旺盛なアメリアは、興味を持ったことには一直線に突き進んでしまう。裏があるとか負の側面があるとか、そういったことは深く考えない、楽しいがすべてだ。活力に満ちたふるまいは好ましいものであるものの、間違った道を邁進し、命を危険にさらしてもらっては困る。自分の目が届く場所で起こる事案なら対処できるが、四六時中監視していられるはずもなし。
魔法の力に興味をかきたてられるのは人として自然な感情で、なおかつ上手く活かせば素晴らしいものであること、マスターは重々承知している。しかし同時に、使い方を誤ったり、魔の道への踏み込み方を少し間違えたりした時には、恐ろしく不幸な結果をもたらすこと、それも心の底より理解している。近視眼的なアメリアが興味一つで魔法の道へ入り込んだらどうなってしまうか、火を見るよりも明らかだ。
ゆえに、クシネのことを今一番危うい存在だと認識しているわけだ。あの娘は、際どい道をも恐れず歩いている。先の見えない夜の山をにこにこ顔で進んでいるようなもの、一歩誤れば闇の中に真っ逆さまなのに、知ってか知らずか危機感がまったくない。紛うことなき天才ゆえの傲慢だ。
別に本人が痛い目をみるだけなら構わない。そこへアメリアが何も知らずに、何も考えずに近づいていくから、非常に気に障るのだ。それとなく苦言を呈しても、やはりと言うべきか、アメリアは全然止まらない。
もしや自分が与り知らないところで、クシネがアメリアを陥れるために誘導しているのではないか。その点も含め、一度クシネとはじっくり対話をすべきだと感じた。それなのに。
「やられた。とんだ待ちぼうけじゃないか」
思わせぶりな態度を見せ、良いように弄ばれたか。今頃クシネは焦れる姿を想像して、腹を抱えて笑い転げているのではないか。想像して、マスターはある種の敗北感と共に頭を掻いたのだった。
一応、日が昇るまでは夜である。いかなる場合でも約束は反故にしたくない。だからマスターは、来ないだろうと思いつつも自室へは戻らずに過ごしていた。客人のための茶はもう自分のために淹れてしまって、せっかく引っ張り出したのだからと、ノフィラ・トゥラ・アワーナの文字列を読みふけっていた。孤独な時の過ごし方は心得ているから、特に苦ではない。
黙々と時は刻まれて、時計の針があと二周半もすれば朝告鶏が鳴くだろう、そんな頃に至った。その時、不意に店内に空気の流れが生まれた。扉が軋む音も響く。
驚いて顔を上げたマスターは、音の方を振り向いた。発生源は玄関ではなく、背後だったのだ。
見た先には、青い目を眩しそうに細める寝間着姿のアメリアが立っていた。驚き顔は向こうも同じ、そして彼女の方が先に口を開いた。
「……マスター、こんな時間に何やってるんですか」
「アメリアこそ、なんで」
「目が覚めちゃって。喉が渇いてたから、お水を飲もうとしたら……もう、びっくりさせないでください。幽霊が出たかと思いました」
つんとした言い草とは裏腹に、どこか楽しげな空気を醸している。非日常な光景に心が踊るのだろう。三つ編みを解いたウェーブがかかる髪をふわふわと揺らして、マスターの隣にぴたと寄り添う。
「マスターは。うわあ、もしかしてこれ読んでたんですか」
「昼間に話した、ノフィラ・トゥラ・アワーナの全文だよ」
「ええ……こんなに長いんですね」
「ああ。とても一昼夜では語りつくせない」
「そう思います」
と、紙の束に興味を向けているように演出しているが、実のところ、アメリアの目は脇にあるティーセットへ向いていた。カップに湛えられた青みがかった緑色の茶と、それを淹れたポットとの間で、忙しなく視線を反復させている。
どこかの誰かと違って腹の内がわかりやすい娘で結構だ、と、マスターは失笑した。
「そんなに飲みたいなら、はっきり言えばいいのに」
「えへへ……もらっていいですか」
「どうぞ。西方大陸に自生する銀河草と風車葵の茶だ。手持ちが少ないから、大事に味わってくれよ」
言いながら、まだわずかに中身の残るティーポットを手元へ引き寄せた。温んではいるものの、喉が渇いた身にはちょうど良いだろう。もとより渋みの少ないさっぱりとした茶だから、冷えたとて味わいが悪くなることもない。
アメリアがそそくさと出してきたカップに、マスターがポットを傾けて残りの茶を絞り出す。その最中に、アメリアはにんまりと笑った。
「マスター、私、あの後ちゃんと考えましたよ」
「ん? 何を……もしかして、ノフィラ・トゥラ・アワーナの解釈かい?」
アメリアははちきれんばかりの笑顔をそのままに頷いた。自分の椅子を引き出して座り、お茶の入った白いカップを両手で包み込みながら、真っすぐに主の目を見て語りだす。
「夜は暗くて怖いものだけど、そんなに怖がらないで進んで大丈夫ですよ。っていうことなんだと思います。コルコ様って、コルカ・ミラの神様なんですよね。だから、コルコ様が『夜も守っているから安心してください』って、みんなに勇気をつけるために書いたお話なんですよ。きっと」
マスターは眉目を上げた。割と筋が通っていて、なおかつアメリアらしい前向きな解釈。正直なところ期待以上、驚かされた。
「いい解釈だ。夜の闇は警戒こそすれ、背を向けて震えあがるほどに恐れるべきものではない、僕もそう思うよ」
肯定すれば、アメリアは嬉しそうに笑んでから、褒められた事への照れくささをごまかすようにカップを傾けた。
子供の良い所は褒めるべき。だが、しまった、とマスターは苦み走った呻きを漏らした。夜を無駄に恐れるなとは本音であるが、愛しのアメリアに関してはその限りではない。改めて釘を刺すべく、しかしやんわりと伝える。
「でもねアメリア、君はもう少し夜を怖がった方がいい。真っ暗な道を歩いていたら、何が出てくるかわからないじゃないか。怖い化け物に襲われたらどうするんだ」
「夜は外に出ないから大丈夫です」
「そうじゃなくって……。ほら、家の中でも、どんなことがあるかわからないだろうが」
「そんなことないですよ。ここはマスターが居るから安心ですもの、そうじゃないですか?」
天使の笑顔でそう言われてしまえば、もう何も言えなくなる。マスターは意味のない音を漏らしつつ口を閉ざした、
しかし、またもや筋が通っているではないか。葉揺亭の平穏を守るのは主たる自分の役目、違いない、その通りだ。
アメリアに襲い掛かる不届き者が居たら、身を挺して守るのが自分の役目だ。彼女の進む道が闇に閉ざされているのなら、自分が明るく照らしてやればいい。何かに誘い込まれて道を外れてしまったら、あらゆる手段を尽くして元の道へ連れ戻してやればいい。主としての義務であり、自ら望む形の生きがいでもある。
「期待に答えられるよう、努力させてもらおう」
マスターが不敵に笑むと、アメリアは満足気にうなずいた。
ノフィラ・アワーナ。約束した待ち人はついぞ現れなかったが、代わりに起こった偶然の邂逅は、ひどく甘やかで心地の良いものだった。こんなことがあるから、先の見えない夜でも歩くことをやめられないのだ。自分に限らず、誰しもが、きっと。
葉揺亭スペシャルメニュー
「ノフィラ・アワーナ」
魔法都市に伝わる詩文の題にあやかったブレンド・ティ。夜に見立てて濃いめにした紅茶に、フルーツの優しい甘味が引き立つ。
目を覚ます濃厚な味わいの茶は、夜通しの読書や談話のお供にも最適だ。
ビターな大人びた風味が苦手なお子様にはミルクを足して飲むことをご提案。
「西方のハーブ・ティ」
魔法自治都市コルカ・ミラがある西方大陸の中央平原で自生する野草を煎じた茶。
銀河草は濃緑の葉を地面にはびこらせた上に小さな白い花を無数に咲かせる姿に由来する名。
風車葵は文字通り風車状に花びらがつく青紫色の花である。
共に現地でハーブ・ティの材料として親しまれている。
草の匂いとすっきりしたブドウ系の酸味が微かにある。軽く爽やかな飲み口。水色にうっすらと青色が出るのが大きな特徴。




