ノフィラ・アワーナ――夜に会いましょう(3)
葉揺亭の店主という人物について、クシネ=オーフォイデスは密かに調査をしていた。しかし、あらゆる方向から探りを入れたのにも関わらず、望むような成果は一切得られなかった。
葉揺亭という喫茶店についてはそれなりに知られている。店員であるアメリアのことも知る人が多く、特別訪ね歩いたわけでもないのに、日ごろの生態が浮き彫りになる程だった。
しかし、店主個人の話となった途端、不自然な程に情報が出てこない。変わり者だ、知識人だ、優しい人だ、出不精だ、そんな接客中の表面的な感想ばかりで、彼の素性や経歴ほか詳細な個人情報を知る人は皆無だった。それもこちらの探りが足りない、知っていて隠している、というわけでもないという感触だった。果てにはアメリアですら、名前を知らないとのたまってくれたものだから、もはやお手上げ。調査メモの最後に「隠し事が得意」と記述して、クシネは市中における調査を終了させた。
叩いて何も出てこないならば白であるのか。いや、逆だ。徹底が過ぎて、逆に何かが裏にあると物語ってしまっている。クシネはそう感じていた。
そしてなにより己の魔女としての勘が、筆舌しがたい魔法使い特有の直感が訴える。あれは、己に比肩する魔法の使い手である、と。
直感したのは向こうも同じだろう。でもなくば、仮にも客商売をする人間が、初対面の相手へ寒々しいほどの警戒心をむき出しにはしまい。初めて葉揺亭を訪ねたあの日、あの男はナイフを研いでいた。粗相をしたらそのまま刺す、そんな荒々しい気が、人当たりのよい店主の仮面の下で蠢いていた。口で語らずとも気質で語ってしまう、魔法使いとは難儀な生き物なのだ。
恐怖は無かった、むしろ癪に触ってしかたがない。あそこまで知識も才もある人間が、なぜ魔法の道とは遠く外れ、場末の喫茶店の主になど収まっているのか。なぜ執拗に力を隠すのか。才能の無駄遣いだ、天への冒涜だ、まったくふざけた話である。
あの仮面を暴き、真相を確かめ、認めさせなければいけない。だから、今日は襲撃を仕掛けたのだ。誰にも知られたくない素性、それを大事にしているアメリアの前で暴露する。彼は一体どう対応するか。渋々ながら魔法使いであると認めるか、しどろもどろになりながら嘘を重ねるか。いずれにせよ、あの余裕綽々の態度を崩して優位に立てる。はずだった。
実際は、クシネが用意した追及の札が切られる前に、彼は自ら飄然と言ってのけた。
『つまり君は。この僕が、あの町でコルコの魔法を修めた魔術師だと、そう言いたいのかな?』
アメリアの前で認めた。勝った。思った直後に、彼はそれを自らきっぱり否定した。その瞬間、一枚上手を行かれたと悟った。
自ら天才と誇る知能をこけにされたようで、思い出すとまたむかっ腹が立ってくる。宿の窓より夜空を見上げ、クシネは苦々しく吐き捨てた。
「まったく、どういう脳味噌をしていたら、あんな切り抜け方をとっさに思いつくんですかねえ。本当に嫌な人だこと」
魔術師であることを否定した。少なくともアメリアは、そう表面通りに理解したであろう。自分の主人は普通の人だ、彼女は今頃安心してすやすやと眠っているはずである。あの男の術中にはまって。
しかし、それは真ではない。あの男が「違う」と言ったのは、「あの町でコルコの魔法を修めた」という部分だけ。でなくば、わざわざそんな一節を付け加える必要がない。嘘を一切つかずに真相を隠す、見事にしてやられたわけだ。
ところが。あの男はそんなことをしておきながらクシネを招いたのである。ノフィラ・アワーナ――夜に会いましょうと。アメリアには絶対に通じない、魔法使いにしか理解しえぬ方法で伝えて来た。意図は容易に察せられる。解せるかどうかは別として。
よくよく思い返してみると、彼が「ノフィラ・アワーナ」と題する紅茶を作り始めたのは、クシネが切り込むより先だった。ということは、詰問があろうがなかろうが、始めから夜会へ誘導するつもりだったのではないだろうか。
クシネは夜の町に向かって息をこぼした。強固な守りを強引に攻めたてるはずだったのに、いつの間にか虎口に誘い込まれている。はてさて何を企んでいるのか、夜会によって向こうにどんな得があるというのか、動機が見えないのがうすら寒い。
「でも……せっかくのご招待をお断りするのは、無粋ですからねえ」
クシネは大きな杖を掴みあげた。西方にて霊樹と扱われる大木から造りだした自慢の杖は、単なる道具を越えてもはや体の一部、そう言ってもいいほどに使いこなされて手になじむ。
そのまま宿の一室にて杖を掲げ、呪文を唱える。静かに広げた詠唱は、体の周りの光を操作し、外見を透明に見せかける術だ。誰かさんと違って、魔法の使用を秘匿するつもりはない。ただノスカリアのような大きな都市では、政府の異能犯罪取締専任官たるヴィジラの監視の目が光っており、うかうかしていると罪人扱いされかねない。絡まれたら非常に面倒であるから、人目を忍ぶに越したことはないのだ。
己の全身、そして手にした杖が完全に魔法のヴェールで覆われたのを確認すると、クシネは窓を開け放って、そこから外に手を伸ばし、杖を横に寝かせて宙に浮かべた。空中でゆっくりと上下に揺れる杖は、長さも太さも小さな体でまたがるのにちょうど良い。
クシネは窓から身を乗り出し、空飛ぶ杖に跳び乗った。
――さあ、いざ葉揺亭へ。
念じると共に放たれた矢のごとく杖が飛び、夜間飛行が始まった。
紅い月の光で町全体が不気味な色に染まっていた。怯えるように寝静まる夜の町を眼下に、クシネは悠々と飛んでいく。
人によってはあの月を忌避するが、クシネはそのような感情を抱いたことがない。月が強く紅い夜はむしろ魔法の調子が良いぐらい、またがる杖も滑らかに動き、空を飛んでいると心がうきうきと躍ってくる。
高揚したクシネは、広場上空にて意味なく時計塔の周りを巡った後、さらに高みへと昇った。塔の先端の高度まで至れば、ノスカリアの町並みも握りしめられそうになった。どんな人間の手も届かない高みに自分は居る、人外の境地にたどり着き、支配者として君臨しているようだ。
葉揺亭を遥かに見下して、クシネはにたりと笑んだ。涼やかな風と裏腹に、心は熱くてたまらない。
このまま一気に降下して、蔦の葉描かれた玄関を蹴破って乗り込んだら、あの男のすまし顔もはがれるだろう。絶対の自信に支えられた足下を崩してやれたら、ああ、快感に違いない。
看板をしまって店主の装いを脱いだあの男は、果たしてどんな顔をしているのか。言葉を虚飾する必要が無くなったら、その口は一体何を語るのか。次第によっては、強硬な手をも辞さないつもりだ。
「ノフィラ・トゥラ・アワーナ、ですもの」
くすくすと一人笑った。魔の道は恐ろしいもの、しかし恐れることなく貪欲に突き進め。それが天才魔女の絶対の理念だ。
では、いざ。クシネは杖先を下方に向けた。興奮あまって鼓動が高鳴り胸が苦しい。抑えるために一度月を仰いで呼吸を整える。
しかし。その瞬間、小さな魔女は凍り付いた。
見やった先の紅い月、それを背負った黒い影。距離は遠いが、確かに何者かが居る。この空に在れるのは自分だけと慢心していたから、それ自体予想だにしない光景だ。
おまけに月影に浮かぶ黒闇は、明らかに人間の風貌をしていなかった。蝙蝠のような翼を背に広げ、尻からはしなやかな尾が伸びている。四肢は細く長く、かつ鋭利な爪が指先で存在を主張する。長い髪が風にも重力にも逆らってたゆたっている様は、この世の常識に値しない存在だと証立てし、非常な不気味さを放っている。その影を何と形容するなら、俗に言う悪魔そのもの。
「噂には、確かに、聞いたけど……」
全身から嫌な汗がほとばしる。町の人々と話す中で時折耳にした噂、ノスカリアには恐ろしい悪魔が住んでいて、紅い月夜に獲物を探して飛び回る、と。皆から聞くには、眉唾だ、どうせアビリスタだ、などという失笑までがセットであって、たいして気にも留めていなかったが、しかし、これは。クシネが今まで見た誰よりも強く禍々しい魔力を、空に浮かぶ何某かは持っている。引きつった笑みすらも、もう枯れて出てこない。
最大の問題は。かの悪魔よりこちらへ、明白な敵意が向けられている事実だ。
凄絶な気迫に肌を刺され、ひりひりと神経がうずく。計り知れない魔力に恐怖する。鼓動は最高潮、息は何もしてないのに切れ上がる。こんなことは始めてだ。
自慢の透明術も効いて居ないのか、悪魔の視線はクシネの双眸を真っ直ぐ確実に貫いている。影に浮かぶ鋭く冷たい目が、あざ笑うようにぎらりと光ったように感じた。
それから悪魔は見せつけるようにゆっくりと翼をはためかせ、ぐっと身を屈めると、宙を蹴ってこちらへ飛び――クシネが見たのは、そこまでだ。
なりふり構わず逃げ出した。回れ右して、下へ下へ下へ、人間のあるべき地の上へ、一目散に。焦るあまりコントロールを失い、時計塔にぶつかりそうになったのを辛うじてかわし、しかし勢い余って横転する。そのまま地面に転がり込み、建物の壁にぶつかると、ようやく逃亡劇は止んだ。
生きて触れた冷たい石畳の感触に喜ぶ間すらも持たず、クシネは杖をひっつかんで跳ね起きた。まずは自分が五体満足であることを確認する。怪我は青あざと擦り傷のみ、透明術も解けてはいない。
クシネは杖を両手で握りしめたまま、頭の上を見た。誰も付いて来ていない。
恐る恐る月の方を見ても、不穏な影は一切ない。それどころか凄絶な気配も嘘のように消えてしまった。一瞬の夢幻を見ただけだったように、今は平和な夜空が一面に広がっているのみ。
安堵の息と共に体にこもっていた力が抜け、壁にもたれかかるには飽き足らず、そのままずるずると地面にへたり込んだ。
「ほんと……勘弁してほしいの……」
まだ魔法の道は半ば、こんなところで、しかもあんな得体の知れないものによって潰えさせられてたまるものか。幼い声は言外にそう語っていた。
それにしても、だ。あの狂気にも等しい禍々しい気、並の者ではない。ノスカリアには強力な魔力を持つアビリスタが多数いるものの、とてもそうした人間が変化した部類の存在には思えなかった。第一、町の人間が正体であれば、今まで気づかなかったのがおかしい。魔法屋として商売する都合上、有力な異能者ギルドの者たちとも頻繁に顔を合わせてきたのだから。
あれはこの世の生物ではない。どこか別の時空――コルカ・ミラには異界についての伝承が残っているし、各地で『時忘れの箱庭』と呼ばれる現象があるあたり、存在を信じていいだろう――からやって来たものだ。クシネは確信していた。
別に異世界人だろうがなんだろうが、それ自体はどうでもよい、好き勝手存在していてくれて構わない。しかし、偶然現れたものとしては、いささかタイミングが良すぎではないだろうか。おまけに、明らかにクシネ個人を狙っていたのである。まるで誰かに使役されているかのようではないか。
そんなことをされる筋合いには、一つだけしか心当たりがない。うっすらと微笑みを浮かべた黒ベストの男の顔が、クシネの脳にくっきりと浮かんだ。寒々とした漆黒の目が、幻影となりてこちらを射抜く。
「……店長さん、なんてお方でしょう。あなたの力量と本性は、よぉくわかりました、なの」
夜に会いに来いと言ったのはこのため。目障りな魔女に向かって仕組んだ罠だったのである。優しい店主の仮面を脱いだ後ならば、人の命を奪うような残酷なこともやってみせる、そんな無言での宣戦布告だ。あの男は今も自分の陣地にこもり、掌の上で踊り転げる様をあざ笑っていることだろう。察しをつけたクシネは、ただただ不快感に顔を歪ませていた。
悪魔に追撃をさせなかったのは、慈悲のつもりだったのか。今夜は警告だ、もう二度と踏み込んでくれるな。あの男の声が夜風に混ざって聴こえる気がする。
「これですごすごと引き下がるぐらいなら、魔法使いなんてとっくにやめていますの。……いつか必ず、お話いただきますから」
魔法を究める道は険しく困難だ、だが貪欲にひた走るべし。クシネを才女たらしめる信念は、命の危機にあっても折れることがなかった。
とりあえず今宵は退いてこうと思ったところで、ふと、クシネは自分が背を預けていた建物を顧みた。広場に面する中で、最も洗練された造形で存在感を放つ建造物。ルクノラムの教会である。聖堂は夜間の礼拝をも受け入れるから、扉は大きく開け放たれている。




