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ノフィラ・アワーナ――夜に会いましょう(2)


 さて。識者同士は分かりあうものがあったようだが、一緒に聞いていたアメリアにはさっぱりわからない。自分を無視して置いてけぼり、少し寂しい。若干なごやかな空気になったから、ここぞとばかりに二人の会話に割って入る。


「あの、なんですか。その、うわんうわんした名前のは」

「『ノフィラ・トゥラ・アワーナ』。コルコが遺した物と伝えられる詩文の表題さ。ま、僕に聞くより、専門家に聞いた方がいいんじゃないかな」


 アメリアは大きく頷いて、クシネの方に向き直った。


 興味津々のまなざしを向けられると、幼い魔法屋はえっへんと声を交えた咳払いをし、得意気な顔で語り始めた。


「コルカ・ミラの始祖、コルコ様が書いたっていう文章なの。魔法の呪文と同じ言葉で書かれていて、すごく長い上にすっごく抽象的なの。抽象的なのはコルコ様の書き方のせいでもあるんだけど、そもそも魔法言語自体が一つの言葉でいろんな意味を持っているものなの。だから、同じ文章でも読む人によって色んな解釈ができるの。仲間と集まって自分の解釈を披露しあう、それが魔法使いの遊びの一種なの」


 語り部は張り切って解説したが、聞き手がちゃんと理解できたかと言えば怪しい。アメリアは終始目を泳がせており、ともすれば頭から湯気を吹き出しそうな気配すらかもしていた。


 ただ一つ。「魔法使いの遊び」という一節は心によく響いた。その段に至ると、途端に顔をほころばせたから周りから見ても明らかだった。こういう表情を見せると、アメリアの方がクシネより幼く見える。


 そしてアメリアは勢いのままにクシネに迫った。


「それ、おもしろそう! 私もやってみたいです、魔法使いの遊び」

「……アメリアのお姉ちゃんじゃ全然だめ……えっと、向いてないと思うの」

「ええっ!? どうしてですか、なんでですか!?」

「だって……」


 クシネはもごもごと口ごもり、視線と共に投げつけられるきらめきのつぶてから逃げるように顔を反らした。


 そんな客人に代わり、マスターが言葉を引き継いだ。湯の入ったケトルを焜炉に置いた後、抑えた笑い声と共に肩を揺らして、いたく楽しそうにしている。


「だって、君は物事を深く考えず、言葉を表面通りに受け取る性分だから。詩の意を多面的に解釈するには、一番向いていない性格だね」

「あっ、また馬鹿にしてますね!」

「そうでもないよ。僕は君のそういうところが好きなんだ、ずっとそのままの君で居てほしい」


 さらりと述べられるマスターの惚気はいつものこと。もはや慣れきってしまって、アメリアには通用しない。彼女は少しむっとした顔のまま、マスターにせがむ。


「深く考えてみたいので、教えてください」

「教えてって言われても……すごく長いし、君じゃ言葉がわからないじゃないか」

「マスターが翻訳してくれればいいです」

「それじゃあ意味がないよね。それをやる遊びなのにさ」


 マスターは呆れた。しかし、こう、と決めた時のアメリアの頑なさもよく理解している。今は紅茶の蒸らし中、なんだかんだとまとわりつかれている内に仕上がり時を逃すのは避けたいところ。


 仕方ない、表題だけだ。そう言い含めながら、マスターはなるべく元の語の広範な意味を含めて、単語ごとに訳して聞かせた。


「ノフィラは会うとか見るとか、もしくは挑むとか進むとか、とにかく何かに対するといった意味合いがある。トゥラには、必ず、みたいな強調の意が込められていたり、あるいは、そこへなどと場所を示すのに使う。文意次第でどうとでも取れる好例だ。アワーナは夜とか闇、恐怖を象徴的に表す単語だね」


 本来は単語の並びに前後の文脈が噛んでくることで意味が拡張されたり、逆に限定されたりするのだが、マスターはもうこれ以上の説明をしなかった。すでにアメリアの頭の中では言葉の蔓がこんがらがっている、それがありありと見えているから。


 戯れを述べている間に、紅茶の蒸らしが終わった。マスターがそちらの相手に転身したから、アメリアの苦情の矛先はクシネに向かう。


「もう難しいです。わけわかんないです」

「魔法言語は感覚的なものなの。知らないと全然わかんない……っていうか、魔法使いでもよくわからないで使ってる人が多いの。アメリアのお姉ちゃんがわかんなくてもしょうがないの、むしろわかったら怖いの」

「うー……」


 それでも白旗を振るのは嫌だったらしい。引き出しから筆記具を取り出すと、適当な紙にマスターの言ったことを思い出しつつ記し始めた。なるほど、語句を繋ぐパズルのようにすれば考えやすい。それでもまだ、アメリアの顔はむっつりとしたままだったが。


 いやに熱心な様子に苦笑をこぼしながら、マスターはでき上がった茶を客人に出す。用いられたのは、汎用的な白いティーセットだ。


「さあ、どうぞ。即興でつくったからメニューには載っていない品だ」


 クシネはぺこりと頭をさげると、さっそくポットを手に取った。カップの上で傾けると、曲線を描く注ぎ口から紅茶の滝が流れ出す。ただしそれは、紅より黒に近い色合いをしていた。


「濃い」

「夜の闇には及ばないけどね。目指してはみたよ」


 人差し指を立て、マスターはしたり顔でお得意の解説を加える。


「月星きらめく涼やかな夜、静かな光は清らかなれど、暗き闇に苦汁を味わうこともままあること。それでも人が夜に惹かれるのは、奥底に甘やかな魅力が潜んでいるから。今その一杯に名をつけよというのなら、ふさわしきはただ一つ。『ノフィラ・アワーナ』」


 クシネはこれでもかと大きく目を見張り、それから無邪気に手を叩いて見せた。


「お上手なの! さすがクシネが見込んだ店長さんなの!」

「それほどでも。言葉の代わりに紅茶で物を語れるのは、店主としての特権だからね」


 能書を垂れて会心の笑みを浮かべるマスターだが、さて肝心のお味の方はいかに。クシネは息を少し吹きかけてから口をつけた。


 見た目通りに濃くて苦みがやや強い茶だ。しかしそのおかげで、リンゴを筆頭にした果物のほのかな甘味が引きたてられている。一つまみのミントの主張は控えめで、飲み口が絶妙に引き締められる。総合するに少々大人びた口当たりだ。飲んでいるのが幼子だと考えるといささかミスマッチと言える。


 マスターはさりげなく銀のピッチャーを差し出した。中には室温に戻したミルクが入っている。


「結構苦いと思うかもしれない。飲みづらかったら使ってくれ。子供には良き夢を見せる、それが大人の義務だ」

「ううん、大丈夫なの! クシネはお茶のことはよくわからないけど、これはおいしいと思うの」


 にかっと笑った顔に嘘偽りはない。マスターは満足気に微笑んで、ピッチャーを引っ込めたのだった。


 一仕事終えた店主はおもむろに椅子に腰を下ろす。アメリアの方をちらと見れば、彼女は未だ紙面に向かってうんうん唸っていた。対象が何であれ、一心に努力する姿は見ていて好ましい。


 マスターは客席に向き直り、作業台に両腕をついて問いかける。


「それで、君の『ノフィラ・トゥラ・アワーナ』の解釈は?」

「むうぅ……店長さんとお話をしに来たのは、詩の解釈をするためじゃないの」

「そうか。残念だなあ、聞きたかったんだけど」


 言葉通りの感情が溢れる一言の後、意味深な笑みを浮かべた。


「僕に色々喋らせたいなら、ノフィラ・アワーナ、それが好ましい選択肢だよ」

「はう……なるほど、なの」


 クシネは得心がいった風に何度も首をゆっくり縦に振った。


 そして。ここでなぜかアメリアが悲鳴を上げた。二人して驚き、横を見やれば、彼女は焦り顔で口をぱくつかせていた。


「ちょ、ちょっと待ってください、私、一生懸命考えてますから! 答え言わないでください」


 心底悲しみが混ざる懇願だった。しかし、される側から見ると、彼女のそれは的外れとしか思えない。そりが合わない二人の気持ちが珍しく一致して、似たような呆れ顔を浮かべる。


「あーあ、やっぱりわかってないなあ」

「アメリアのお姉ちゃん、答えとかじゃないの! 詩の解釈は正解も不正解も無いものなの」


 そう、これはあくまでも独自の解釈を持ち寄って討議するもので、「ノフィラ・トゥラ・アワーナ」の読み方に「答え」など存在しないのだ。もしあるとしても、在り処は既にこの世に無い筆者コルコの心の中であり、今生の民が知る術はない。


 その辺りを心得ているクシネは、得意顔で店主に向き直ると、アメリアの頼みなど無視して自説を語り始めた。店主の真似をして人差し指を立てながら。


「ちなみに、クシネは魔法使いの心得だと思っているの。先の見えない魔法の道は夜の闇みたいなものだけど、頑張って究めていきなさいって――」

「ああっ、だから、言わないでくださいって!」


 声を遮るようにアメリアが叫ぶ。彼女は彼女で必死だ、とてつもなく必死に頑張っているのだ。しかし未だに謎かけの意図するところを理解できていない。


 クシネはがっくりとうなだれた。


「……別のお話するの」

「ああ。今はその方がいいね」


 全身から陽炎が立ちそうになっている店員を見て出てくるのは、ただただ苦笑いばかり。



 それからクシネはあたりさわりのない話――例えば、以前同道した旅芸人一座のこととか、客からの奇怪な注文品のこととか――を楽しそうに語って、ポットが空になると、来た時と同じ弾む足取りで帰っていった。


 葉揺亭に流れる空気は、いつも通り穏やかに。いや、違う。アメリアが、ああでもないこうでもないと、身振り手振りを交えて思考する騒々しさが残っている。


「わかった。『夜にみんなで挑戦しよう!』 でも……何を?」

「なんだ、まだやっているのか」

「だってえ、悔しいですもの。お二人で馬鹿にして」

「していないよ。僕は君のそういう純粋な性格が好きなんだから」


 ごまかしでも皮肉でもないのだが、アメリアは訝しげに目を細め、また紙面に向かってしまった。そんなに大きくない紙面は、色々と考え書き込まれたことで、ほぼ全面が黒に塗り替えられている。

インクの黒。ふと思い出したようにアメリアが呟いた。


「そういえばマスター、さっきの葉っぱのこと、クシネちゃんに聞けばよかったのに」


 奇妙な実験をしていたあれのことだ。一枚の葉で染まった液体がちょうどインクのような黒だった、だから思い出したのである。


「ああ、あれか。別にもういいよ。もともと引き出しの整理をしていただけだからね、駄目なら捨てて終わりさ」

「本当ですか? また変なお薬を作ろうとしてたんじゃないですか」

「残念、違うんだよね。だいたい僕はただの喫茶店のマスターだ、『また』なんて言われるほど頻繁に薬を煎じたりはしないよ」


 マスターはふっと口角を上げると、見せつけるように黒いベストを軽く引っ張って襟を正した。



 家々が作る日陰を歩きながら、クシネは思い出し笑いをする。ノフィラ・アワーナ。葉揺亭の主が創作したその名の紅茶はおいしかった。「紅茶で語る」と言った通り、込められた意図も確かに伝わって来た。人目が無いのを良しとして、独り言も遠慮せずこぼす。


「『ノフィラ・アワーナ』ですね。……ふふ、よくわかりました。ご丁寧にどうも」


 呟く声の調子は、平素のそれとは幾分違って幼子のものとはとても思えない。ただし聞いている者は誰も居ない。


 ノフィラ・アワーナ。あの店主はクシネに向けては確かにそう言った。


 ノフィラ・トゥラ・アワーナだったら。アメリアが悩まされていた通り、言葉の意味を様々に捉えることができる。だが真ん中の一語を抜いた場合は事情がまったく違うのだ。魔法言語の文法の都合により、示す意味は非常に限定的なものとなる。あの男はそれを知っていて、だからあえて言い換えたに違いない。


 ノフィラ・アワーナ。秘められた意図は。


「では……貴方のお望み通り。夜に会いましょう、なの」


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