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ノフィラ・アワーナ――夜に会いましょう(1)

 外に出てお昼ごはんを食べて、天気がいいから少し町を散歩して。気分よくスキップしながら葉揺亭へ戻って来たアメリアは、薄暗い屋内にて一人俯く店主を見るなり笑顔を消し飛ばした。


 カウンターの中で作業台に向かって、眉間に深くしわを寄せ、顔を真にこわばらせている。こうなると黒い燕尾が変に威圧感を持ち、背中からどす黒いオーラが立ち昇りそうな怪しい雰囲気が漂う。率直に言って近寄りがたいし、「ただいま」の一声すらもかけづらい。


 とはいえ小さな店だ、見て見ぬふりをして過ごすことなどできようか。いっそ無視して居室へ引っ込むにも、彼の後ろを通らなくてはいけないのだ。


「……あの、マスター? 戻りましたよ、私」

「ん? ああ、アメリア、おかえり。渋い顔してどうしたのさ」

「どうしたの、はこっちの台詞です。今度は何やってるんですか、怖いですよ」

「いや、たいしたことじゃないよ。気にしないで」


 マスターは一瞬のみ顔を上げて笑顔を見せると、またすぐに下を向いてしまった。


 たまに奇行を見せる店主ではあるが、ここまでそっけないのは一際奇妙である。アメリアは怪訝な面持ちのまま、カウンターに回り込んだ。


 マスターがにらめっこしているのは、傍目から見るに普通のティーカップであった。しかし、これが普通のカップだったら睨み合うことはあるまい。何かあるはず。


 さらに観察を深める。まず脇に置かれた小鍋、縁に小ぶりのレードルが引っかかっている。そして少し離れたところに並べられた小瓶詰めの乾燥物たち。それぞれ瓶の形状も中身もばらばらで、四種類ほどが取りだされているが、いずれも通常の営業で使っている物ではない。


 この小瓶は。アメリアは眉間の皺を一層深くして、食器棚の左上にある引き出しに目をやった。金銀のつまみが付いたそこは、マスター秘蔵の魔法の材料が隠される場所である。以前に開けて中を見た時には、似たような硝子の小瓶が一面に並べられていた。あの引き出しに関しては、悪い思い出の方が強い。落雷に遭ったり、不老不死だとうそぶく毒薬を店主が作っていたり。思い出せば出すほどに苦い感覚が込み上げてくる。


 何をやっているのか察した。またも危険物を調合しているのであれば、主のする事とはいえど看過できない。再度同じことを問う口調は少しきつくなる。


「……マスター、何をやってるんですか」

「この前の続きで材料を整理がてら、ちょっとね」


 ひらひらと手を振ってアメリアの詰問をかわす。そのまま体で視線を遮るようにしてカップを手に取ると、そのままシンクへ向かう。さっと中身を捨てて大量の水ですすいでいるのは、もしや、悪事の証拠を隠すため。


 そうやすやすと逃れさせまい、証拠を掴まなくては。アメリアはマスターに先んじて、置かれたままになっていた小鍋に手を伸ばし、有無を言わせず取り上げた。そして手元でよく観察する。


 意外や意外、妙な感じはしなかった。茶色がかっていて、薄く煮出した紅茶だと言われたら納得してしまいそうだ。ただし茶葉の代わりに、薔薇の蔓や木の皮、それから石のような物体がいくつも沈んでいるから、とても飲んでみたいとは思えない。


「やっぱり変なものじゃないですか」


 さてマスターは。観念した顔つきでアメリアの隣に立つと、すすいだばかりのカップに小鍋の液体を一掬いした。


 そして、作業台にあった中から一番広口の小瓶より中身を取り出す。木の葉だ。見た目だけはローレルに近いが、葉脈に赤みがさしていて毒々しい印象である。


「おかしいんだよ。煮汁にこいつを落とすと、真っ白になるはずなんだけど」


 解説しながら、マスターは葉をカップの中に浮かべる。すると、みるみるうちに液体の方が変容した。言った通り、色が変わった。ただし。


「白じゃなくて、真っ黒ですよ?」

「だからおかしいんだって。なんで真逆になるんだよ」

「知らないですよう!」


 マスターのふてくされた言い草が、まるで自分に八つ当たりされたかのように聞こえて、つい苛立ちを露わにする。同じく拗ねた口調でアメリアは切り返した。

 

「魔法のことなら魔法屋さんにでも聞いてください。なんなら今からクシネちゃんを呼んで来ますよ?」


 旅の魔法屋の少女、クシネ。マスターが彼女をおもしろく思っていないことは百も承知だ。しかし、専門家に頼るのは正論だと思うし、それ以上に嫌な気分にされたことへの仕返しとして、あえて名前を出したのである。


 効果覿面というべきか、マスターの元々不機嫌だった顔つきが、さらに割り増しで歪んだ。


「ねえアメリア。ここの素材の事は秘密だと言わなかったっけ? 軽々しく外に向かって言うんじゃないよ。万が一にも広まって、良くも悪くも騒がれたら嫌なんだ」

「はあい」


 わざとらしく気の無い返事をする。そこまで秘密にしたいなら、自分の部屋でこっそりやるとかすればいいのに、と文句の一つも言いたくなる。本当は、こうやって見せびらかして構ってほしいのではないか。


 それに秘密もなにも、今さらという感じは否めない。論破の鍵を手に入れたと言わんばかりに、アメリアは得意気に笑んだ。


「クシネちゃんだって賢いんですから、とっくに気づいてますよ。マスターが魔法に詳しいって」

「それだって君が喋ったからだ」

「う……」


 言われてみればそうだった。マスターのまったく正しい苦情に対してアメリアが出来たのは、はにかんだ笑みを浮かべてごまかすことだけ。


 やれやれとマスターは深いため息を吐いた。インクのような黒い液の入ったカップを手に取り揺らしながら、低調にぼやく。


「嫌だな。あまり名前を出すと……呼んでしまうんだよね。言葉には力があるし、魔術師ってものは、普通の人間と違う感覚を持っているものだからさ」


 主の物憂げな呟きの後、二人分の視線が窓の外へ向いた。そのタイミングをはかったかのように、どこから飛んできた木の葉が左から右へと見きれていった。



 店主の勘はよく当たる。予感めいてから後、時計が一つ数えた頃に彼女はやってきた。


「お暇だから、来ちゃったの!」


 ぴょこぴょこと跳ねるような足取りで店内を進み、カウンターの席に跳び上がる。そんな魔法屋クシネの様子は、道端で能天気に遊び回る幼子たちと大差ない。これで凄腕の魔女だと言うから恐れ入る。


 予め構えて居られたのが幸いしたか、マスターは平素の柔らかい物腰を保っていた。隣でアメリアが物言いたげにしているのには、視線を送ることで口をつぐませる。粋な言葉選びで言及できるのならば何を話そうと構わないが、アメリアのような一直線な娘にそれを求めるのは少々難易度が高い。


 問題はカウンター越しに対面する幼女である。葉揺亭のマスターは、「マスター」ではない自分を詮索されることを好まない。クシネがそこに興味を持っていることは察しがついているし、だからこそ癪にさわる。拒否感の強さは、それこそアメリアですら気づくほどで、自分でも良くないとは思っているが、もはや隠しきれないでいる。


 クシネからは、山型に細めた目でにこやかな熱視線が注がれている。一般人にはなんでもない笑顔だが、マスターには挑発的なものに感じられた。


「なんだい? あんまり見つめられると、照れるな」

「うふふ。今日は店長さんもお暇そうだから、クシネとおしゃべりしてくれるはず、なの!」

「そうだね。僕も人と話すのは嫌いじゃない。でも……」


 マスターは負けじと不敵な笑みを浮かべた。


「そこに座ったのならば、先に注文を聞かなければいけないな。もちろん、何も無しってことはないだろうね?」

「あたりまえなの、それくらいの礼儀はわかってるの。何にするかは、店長さんにお任せなの」


 おまかせ、つまり提供する茶の一切を委ねられるのは、マスターとして最も喜ばしいことである。一流の茶師として信頼されている証左であり、なおかつ腕の見せ所でもあるからだ。お客個々人の好みや特徴、その日の気分や体調に合わせて、なおかつ季節や気温天候や祭事の有無などを世間一般の環境にも考慮して、その日その時にふさわしい一品をつくりだすべし。たとえ個人的にいけ好かない相手でも、客である以上は一切の手抜かりをしない。


 即興で茶を調製する時は考えながらに手を動かすから、普段と違って手運びに迷いが生まれる。紅茶缶を手にして、戻し、別の物を取り。茶葉を掬いとるにも量を考えながら。二種類の茶葉を混ぜて、乾燥させた果物も加えて。アメリアが大人しく隣で見守る中、呈茶の行程はゆっくりと進んでいく。


 待ちきれないようにクシネが口を開いた。


「最初に来た時、店長さんはコルカ・ミラに住んでたって聞いたの。クシネ、ちゃんと覚えてるの」

「住んではいない、一時滞在していただけだ。『居たことがある』ってのには変わりないだろう?」

「普通の人は一時でも居ないの。あの町は純粋な魔法使いの町、出入りも厳重に管理されているし、観光気分でほいほいと立ち寄れる場所じゃないの。そんな町に一時でも居た店長さんは、絶対に、普通の人じゃないの!」


 クシネが愉しそうに笑う声に、マスターの手が止まった。一呼吸置いた後、持っていた乾燥リンゴの瓶を置く。音には不快さが加味されて、やたら大きな音が鳴った。言われた内容がどうこう以前に、茶と真剣に向き合っている最中に邪魔をされるのが嫌いなのだ。


 マスターの視線がクシネのそれとかち合った。彼女からは挑発的な色が一層増しているが、店主は穏やかな笑みを保ったままだ。


「つまり君は。この僕が、あの町でコルコの魔法を修めた魔術師だと、そう言いたいのかな?」

「うふ、その通りなの」


 外野のアメリアが驚き、ひゅうと音を立てて息を吸う。直後、生唾を飲み込む音も静かな店内に響いた。


 クシネは勝ち誇ったような顔をしている。一方でマスターは、柔らかい表情を崩さぬまま、二度、三度と瞬きし、それから毅然と言葉を返した。


「違うよ。僕がコルカ・ミラでしたことは、個人的な興味に基づく単なる調査研究だ。あそこで生粋の住民たちに混じり杖を振るった事なんて、一度も無い」

「研究? まさか。なんのために?」

「だから単なる興味だって。世界各地の文化風俗に触れたり、古い話を見聞きしたりするのが好きなんだ、僕は。昔からの伝統を守る閉鎖的な町だなんて、研究対象にうってつけだろう?」

「それだけ? 本当に?」

「他は、そうだな、少しはコルコの人となりを理解する腹積もりもあったが……駄目だった、やっぱり彼女のことは好きになれない。悪いね、ご期待に沿えなくって」


 マスターはおどけたように肩をすくめた。台上にある瓶から干して砕いたミントの葉を一つまみし、調合中の茶葉に加える。ようやく完成だ。最後に茶葉を軽く混ぜ合わせつつ、のんびりとした口調で言葉を続けた。


「期待通りの答えになるかわからないけど、後は『ノフィラ・トゥラ・アワーナ』の解釈に勤しんだってのは挙げられるかな」

「おや。懐かしい言葉」


 クシネが眉目を上げた。今度は店主がにやりと笑む番だった。

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