ノスカリア雨景(2)
「しっ、知らない? あんなに仲がよろしいのに!?」
「ええ。だって、マスターってあんまり自分の話はしないですし、どうせ聞いたって教えてくれないし。もう何年も一緒に居るから、今さら聞くのも変ですし。そう、最初から『マスター』だったから、名前だって知らないですよ」
「……それ、さすがにおかしいの。流してちゃダメだと思うの」
クシネは怪訝な顔を隠さなかった。
一方でアメリアは、同じことを半年近く前にも言われた、と思い起こしていた。あの時の話し相手は親友のレインであった。一つ屋根の下で暮らす家族であるのに名前も知らないなんて変だ、そう驚かれた。
確かに自分でもおかしいかなと思う。しかし、誰に話すにもマスター呼びで通ってしまうし、今更名前を知ったところで呼び方を変えられるとも思えない。つまり、わざわざ知る必要性がないのだ。
強いて聞く理由を作るなら、好奇心。しかし素性に関することは、直に聞いても教えてくれやしない。上手くはぐらかされ、話を変えられ、霧をかけたようにぼかされる。日常会話の節々に落ちていた断片をあれこれつなぎ合わせ、マスターは過去に色々経験してきたすごい人という程度の認識は持っている。なおかつ、それだけでアメリアには十分であった。
それに薄々思うのだ。無理矢理吐かせないと教えてくれないようなことなんて、わざわざ知ろうとしない方がいい、と。失礼にあたる。
アメリアはぼんやりと外の風景を眺めた。雨のヴェールの向こうには喜んで尋ねよう。だが、重く閉ざされた暗幕をこじ開けるほど不躾にはなりたくない。葉揺亭の主には、今の心優しく穏やかな笑顔がよく似合うのだから。
「はい、お待ち!」
テーブルにお待ちかねの料理がやってきた。
まずはカテット。ふっくらと厚みのある大きな円盤型をしている。添えられている真っ赤なピピンの実を上に乗せ、フォークの背で潰す。しわが寄るほどによく熟した果肉はどろりと崩れ、天然のソースになる。全面に塗り拡げたら、後はナイフで適当に切って食べるのみ。外はぱりぱりとしているが、中はしっとりと柔らかい。熱々のカテットを口の中で転がしながら咀嚼すると、ピピンのソースの独特の旨みと溶け合う。
クシネも満足気だ。と言っても、同じようにイモを焼いた料理は故郷にもあるそうで、絶賛していたのはピピンの実だった。かすかに酸っぱいが、後を引く程に濃厚なうまみの爆弾。それはノスカリア近辺でしか得られないらしい。
へぇ、とアメリアは相槌を打つ。所変われば食卓も変わるのだろう、ぜひ他所の景色も見てみたいものだ。目の前の放浪者が羨ましい。
「そういえば、クシネちゃん、結構長くこの町にいるんですね。旅の魔法屋って言ってたから、すぐに次に行ってしまうのかと思ったけれど」
「ここが大きい町だからなの。いろんなものが手に入るし、調べたいこともいーっぱいなの! ずっと住んじゃってもいいくらい。もう、この町におうちがあるアメリアのお姉ちゃんが羨ましいの」
「そうですかねえ。私は、他の町にも行ってみたいと思うのに」
「幸せは近くにありすぎると気づけないもの、なの」
自分で自分に頷きながら、クシネはミートパイに手を伸ばした。大人の男の手のひら大のそれを掴むと、豪快にかぶりつく。ざくりと音がしてパイ生地がこぼれた。中に詰められた餡が熱かったのだろう、彼女は顔を引きつらせて、はふはふと忙しなく口を動かす。一息に飲みこんだ後、慌てて水を流し込んだ。
「大丈夫ですか」
「平気なの……。でも、普通はこんなに熱くないの……」
「作る人によりけりですからねぇ――熱っつい!」
警戒してそっとかじったのに。染み出た肉汁の温度は予想以上に高く、椅子をがたがた言わせて飛びのいた。
食事を進めながら何気ない雑談に花が咲く。こうなると雨はいいものだ、室内でぼんやり過ごしていても誰にも咎められない。店の奥からも賑々しい笑い声が響いている。
ごくりと喉を鳴らしてクシネが言った。
「今度、おっきなお祭りがあるって聞くの」
「ああ! 不夜祭ですね」
「そうそう。お店が出せるっていうから、クシネも頑張っちゃうの! 少なくともそれまではノスカリアに居ようと思うの」
不夜祭。二つ月がどちらも空に顔を見せなくなる季節に、闇夜の恐怖を払うべく執り行われる三日間の祭典だ。ノスカリアの街中が光に包まれ、闇を恐れることも無く夜を謳歌し、人々は歌い、踊り、飲み、話し、眠らぬ日を過ごす。祭りを盛り立てるべく広場には出店が立ち並び、時計塔は輝かしい舞台と化す。まだ二十日以上も先ではあるが、力を入れる者はとっくに準備を始めている時期だ。
「今年も楽しみです。町中がきらきらしてて綺麗なんですよ」
「うんうん、楽しみなの。クシネ、お祭り好きなの!」
「あら、じゃあコルカ・ミラにも楽しいお祭りがあったんですか?」
「んー……あるにはあったけど……楽しくはないの」
クシネは遠い目をして語る。魔法自治都市コルカ・ミラの祭りは言わば宗教行事のようなものがほとんどで、自由闊達に騒ぐことは許されず、静粛に伝統の式典を進めたり、しきたり通りに行動したり、大切なのかもしれないがとにかく窮屈だった、と。
「コルコ様への忠誠心を示すためだって断食したり、アルヴァイスの封印を強めるためだって変な踊りを一晩中させられたり、他にも他にも、楽しい楽しくない以前に、無意味な気がしてならなかったの」
「あらら……。なんかそんなこと聞いちゃってごめんなさい」
「いいのいいの。こうやってつまらないお祭りを知ってるから、お外のお祭りをうーんと楽しめるの!」
にぱっとクシネは歯を出して笑った。
「そう言うアメリアのお姉ちゃんは、お祭りでお店を出さないの?」
「うちは、マスターがそういうの乗らないですからねぇ」
「えーっ。店長さんなんかほっといて、お姉ちゃん一人でやっちゃえばいいの。そうなったらクシネもお手伝いするの!」
アメリアは目をぱちくりさせた。自分が主体で店を出す、そんなの考えたためしがなかった。だって葉揺亭の主はマスターで、マスターじゃないとお店の営業判断をできないから。それに、まだお客さんに出してお金をもらう紅茶を作った事がないのだし、店をやる以前の話だ。
しかしどうだろう、葉揺亭の名を背負わなければいいのだろうか。売り出すものも別に紅茶じゃなくて、例えば葉揺亭のオーブンで焼いた菓子なんかだったらどうだろうか。それなら誰にも迷惑をかけられずお店を開ける? そうかもしれないし、そうでないかもしれない。マスターはやっていいよと言ってくれるだろうか、なんとなく駄目な気がする。
ううんとアメリアはうめいた。なかなか思考がまとまらない。
そんな時に、何か小さな生き物が石畳の上を走って行くのが視界の端に映った。一瞬で意識がそちらへとられる。両手で持ち上げられそうな小動物だったが、あれはなんだ。見慣れない姿だ。しかしはっきり姿を確認する暇なく、正体不明の生物は雨景色を切り取ったスクリーンの外へ行ってしまった。
一足遅れて、今度は片手の指で数えられる人間たちが現れた。揃いも揃って濡れねずみだ。つばの広い帽子を被っている者もいるが、気休め程度にしかなっていない。だが、本人たちは重く濡れた体を気にしていない様子。これまたあっという間に、小動物を追いかけて視界から捌けていった。
「……なんだったのかしら。変なの」
「ワーツグーム……こっちの言葉に直すと、『水走り針モグラ』って生き物なの。雨になると土から出て来るの。森に住んでいるんだけど、街道を伝ってきちゃったんだと思うの。あれが町に居るとおうちの壁や柱を針で傷つけたり、人や馬の足に刺さったりするから危ないの」
「へえ。だからあの人たちは捕まえようとしてたんですかね」
「そうかもしれないけど、でもきっと、あの針がお薬になるって方が理由だと思うの。粉にして飲むと、熱があっという間に引くの!」
「なるほど。不思議な生き物がいるものですね」
ノスカリアの東には大きな森林が広がっている、不思議モグラはそこから来たのだろう。その森自体についてもアメリアは実際に見たことはない。珍奇な魚が住まい水晶の花が咲くという泉や、人に劣らぬ知能を持つ魔獣の存在、あるいは鬱蒼と茂る木立の奥でひっそりと暮らす民族のこと。あらゆる話は知っているが、すべて伝え聞くばかり。
きっと目に楽しい風景が広がっているのだろう。だがそこに続く街道は、今は雨の幕に隠されている。森で採取されただろう野イチゴの飲み物を口にして、思いを馳せるのが関の山だ。
中身がわずかとなったグラスを傾けつつ、アメリアはなんとなく時計を見やった。そして息を詰まらせる。
――これじゃ、さすがにのんびりしすぎたわ。
長時間の道草を逐一怒るような店主ではないが、あまりさぼっていると自分自身が穏やかではない。アメリアは代金をテーブルの上に置きながら、そそくさと席を立った。
「ごめんなさい、私、そろそろ行きますね! お店、休みじゃないんです」
「あらら、わかったの! 気を付けて帰るの。残りはちゃんとクシネが食べておくから大丈夫なの!」
クシネは残っていた最後のミートパイに手を伸ばし、空いている右手をひらひらと振った。
アメリアは手を振り返してから、青空のケープを纏って鈍色の雲の下に躍り出た。
雨雫が音階を刻む石畳の上。ばしゃり、と一際大きく水が跳ねた。玉のごとき雫を受けながら、一人の少女が駆けて行く。はぁはぁと息を切らしてはいるが、雨に気落ちした様子はない。
後ろから、ざぶざぶと波を立てて車輪が迫ってきた。幌のついた荷馬車だ。たてがみから水をしたたらせた大きな馬と、それを操る暗い顔の人間とが、ゆっくりとアメリアを追い越していく。
向かいからも人間が一人で走って来る。びしょ濡れで体にまとわりつく衣服は重そうだが、本人の足取りは意外や軽い。既視感を覚えてよく見れば、先ほど妙な動物を追っていた集団に居た人だった。
「あっ、いいな、お嬢ちゃん。全然濡れないんだ!」
すれ違いざまに声をかけられた。長い髪をべったりと張り付けながら笑顔を浮かべていた。だからアメリアも、得意気なスマイルを返した。
雨を弾けるのは選ばれた人間だけ。それは確かにそうだが、魔法のケープを被った少女たちに限られるものではなし。遠目にこじゃれた傘を差して歩く人影を見つけた。
おや珍しい、とアメリアは思った。装飾品的趣向もある携行の傘は、もっぱら貴婦人が太陽の光を遮る時に差すものだ。美しい刺繍や繊細な色彩が加えられた布地で雨を防ごうなどと言う発想は無い、濡れて傷む、あるいは汚れてしまったら台無しだから。
加えて骨が重くかさばるため、持ち歩く際にはかなり邪魔となる。それでいて結構高価なため、一般庶民と旅人にはまるで縁がない。つまり雨傘を使うとしたらどこかの貴人だ。自分で持ち歩くのではなく、そのために人を使えるような立場の。
実際に見える影も二人組である。きりっとした黒い後姿の男が、隣を歩く女性のために傘を差している。一つの屋根の下に収まる主と従者、絵画のような光景だ。
しかし、そんな貴い身分の人が、降りしきる雨の中わざわざ出歩く理由はなんだろう。雨の向こうに見えた彼女たちに、アメリアの好奇心はくすぐられる。どうしても外せない大事な用事があるのだろうか。それとも、自分みたいに非日常的な散歩をしているのだろうか。曲がり角を消えていく姿に、少女の空想は尽きなかった。
振り続ける雨は止むところを知らない、むしろ強まっているようだ。そんなノスカリアの暗い雨景に、ブロンドの少女は明るく映える。
静かな街並にアメリアは思いを馳せていた。みんなは何をしているのかしら、暇をして家の中に引きこもっているのかしら。雨は嫌いなのかしら。
――私は結構嫌いじゃないわ、雨の日は。昔は大嫌いだったけど。
アメリアはそう思って肩を揺らした。今は知っている、雨の向こうにいつもと違う町があって、いつもと違う素敵なことが起こりうることを。そして時には、人生を変えるとてつもなく大きな出来事に遭遇することを。だからこそ自分は今ここに居る。
――早くマスターに会いたい。
ケープの裾をきゅっと握って、アメリアは帰路を急ぐ。もう間もなく帰りつく。今、最後の交差点を曲がったところだ。
もう一つある、雨の日が嫌いじゃない理由。葉揺亭に客足が途絶え、マスターと二人っきりの家族みたいな時間が過ごせるから、だから雨の日は結構好きだ。温かいお茶を淹れて迎えてくれる人が居る限り。
「ただいま、マスター! 雨の町、色々おもしろかったですよ。お話聞いてください」
ノスカリア・食べものダイアリー
「カテット」
イモを千切りにして円盤状に焼き固めた、ノスカリアの代表的な料理。ソースの代わりにピピンという赤い実を潰して塗り、食べる。
同じく千切りの野菜やチーズ、燻製肉などを混ぜ込んだり、後から上に乗せたりするアレンジも多数ある。
多めの油で揚げ焼にするとカリカリ感が増しなお美味。
「ミートパイ」
粗びき肉と香味野菜のみじん切りを炒めて、パイ生地で包んで焼いた料理。多くの場合は作り置きがしてあり、食べる前に温めて提供される。
ノスカリア地域で最も大衆向けの肉は鳥類である。そのため一般の食事処でお安く提供されているのは鳥のミートパイだ。
「野イチゴ水」
ノスカリアから東南方面に広がる大森林地帯においては、四季を通じて何らかのイチゴ類が見られる。
その果汁を水で薄めたものは昔から愛飲されている。特に暑い時期は喉を潤すお供として好まれる。
もちろん季節により収穫できる種が違うため、風味は微妙に変わってくる




