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烈しい風の女たち(2)

 引き出しに手をかけた時、マスターはちらとテーブル席に居るオーベルの様子を伺った。彼は意味深に口角を上げながらカウンターを観察していた。今この場に居る三人で魔法茶の経緯を知っているのはオーベルだけ。秘密を吹聴されたら困ると思ったが、どうやらそのつもりはないらしい。心配事が一つ減った。


 しかし、マスターの視線は、半開にした引き出しへは戻らなかった。


「……おや?」


 見ているのはテーブル席の向こう、窓の外にある景色。そこにさっきまで無かった馬車が居るのだ。あれは、ソムニがいつも乗り付けて来る馬車だ。彼女の家の紋章が入っているし、そもそもあんな立派な馬車で来る客なんて一人しかいないから、見間違えようがない。


 この発見はちょうど到着したタイミングだったらしい。間もなく葉揺亭の玄関が開けられ、人間が三人ばたばたと入って来た。揃いの服を着たソムニの家の使用人たちだ。いつもより人数が多いし、初めて見る顔ばかりである。


 使用人たちの内、一番歳嵩の男性が息を切らせながらソムニへ話しかける。


「ソムニ様、一人で飛び出されては困ります!」

「しょうがないでしょう、わたくしの婚約者が待っていたんですもの」

「とにかくお戻りください。奥様……お母様もお探しでしたよ。この後、アダンテの家にも招かれているのでしょう? もう時間がありません、今すぐ出ないと」

「んもう、うるさいですわねぇ。嫌ですわ、せっかくマスターがお茶を用意してくださるのに、騒々しくって。だいたいアダンテなんて大した貴族じゃないでしょう? いくらでも待たせておけばよいのですわ」


 ソムニは使用人を見ることすらせず、後ろ手にしっしと払いのけた。


 使用人たちは沈黙し困った顔を晒している。雇われている立場なのだ、強く出られるはずがない。しかし彼女を野放しにして問題が発生した場合は目付け役としての責任が降り掛かるのだから、捨て置くわけにもいかない。特に今回の場合は会合の約束があるため、大問題になるとわかりきっている。


 三人の使用人たちは揃って、助けを求めるように喫茶店のマスターへと視線を投げた。ソムニのお気に入りであるこの人が言えば。家とは関係のないこの人が無礼を働くなら。そんな打算が明け透けだ。


 ――僕が従者だったなら、無理矢理担いででも連れ帰る所だけどな。色々な意味で恥を晒さないためにね。


 思いこそすれ口には出さない。わずかな間のやり取りではわからないような、もっと複雑な事情があるのかもしれないし。第一、望まれてもいないのに他人の家の内情へ物申すのは、下衆の勘繰りの他ならない。 

 それと、なるべく早く大人しくお帰りいただきたいのはこちらも同じ気持ちなのだ。だから使用人たちへ助け舟を出す。あくまでも自分のために。


 マスターは何も取り出さないまま引き出しを閉めると、改めてソムニへと向き直った。彼女の好む、優しい笑顔を浮かべている。


「ねえソムニ嬢。僕の考えを聞いてくれるかい」

「あら、なんですの? なんでも聞きますわよ」

「僕はね、約束を守れない人間ほど、醜く卑しいものはないと思うんだ。平気な顔で人を待たせるなんて最悪だし、心底軽蔑すべき精神構造だ。僕はそう考えるんだけど、ソムニ嬢、君はどう思う?」


 次の瞬間には、ソムニが椅子から飛び降りて床に立っていた。


「ちょっと、何をぼさっとしているの! 馬車を出す準備をしなさい! 早く! 遅刻してしまうでしょう!?」


 付き人たちを睨みつけながら、自分はドレスの裾を踏まないようにたくし上げて足早に出て行く。振り返ったのは一度だけ、玄関を抜ける間際。


「マスター、必ずはお薬飲んで下さいまし。近いうちに味の感想も聞きに参りますわ。それでは、今日はごめんあそばせ」


 パチンとウインク一つ残して、ソムニは玄関扉を閉めた。


 ここでようやく動き出した付き人たちが、あわあわと令嬢の後を追って行く。三人ともがマスターに対して頭を下げたり、心底申し訳なさそうな顔をしていたりした。


 間もなく、窓の向こうにて馬車が動き出すのが見えた。瞬く間に加速して、馬のいななき一つ残して消えていった。


 葉揺亭には嵐の後の静けさが訪れた。誰ともなく漏らしたため息が、静謐な平穏の中にしみじみと響き渡る。避難していた男たちもそろそろと元の席へ戻ってきた。


 ひどかった、と誰もが抱いた感想を率直に口に出したのはオーベルだった。


「俺も職業柄いろんな奴に会うし、高台に住む連中が町で高慢効かせてるのも見てきたがよ、いやぁ、あそこまでひどいのは初めてだわ。どこのお嬢様か知らんが、親の教育がなってないぜ」

「親、ねぇ」


 言おうか言うまいか。逡巡しながら、中途半端に用意した硝子のポットを片付けるために手をかける。


 すると、先にアーフェンがおずおずと口を割った。


「あの、私の記憶が確かなら、あの方はクロチェア公の御息女ではありませんか? 以前、公聴会の時にお見かけした事があります」

「そうだよ、クロチェア家の御令嬢さ」


 がたんとカウンターの上にグラスが倒れた。絶句したオーベルが取り落としたのである。幸い割れなかったが、残っていた珈琲と氷の溶け水とがカウンターの上に流れ広がる。


 マスターはまったく動揺せず、クロスを手に取り客席側へ回り込んだ。そして慣れた手つきで溢れた液体を拭き取る。一連の作業の間も、オーベルはこの世の終わりを告げられたように放心状態で固まっていた。


 ある意味、この世の終わりとの受け取り方は間違っていないのだが。


 クロチェア家は古くから続く貴族の家系で、かつては公国の君主として、現代ではノスカリアの地方元首として、代々政治を取り仕切ってきた。現当主も名門の名に恥じない確かな政治手腕を持ち、民衆の声にも広く耳を傾けようとする姿勢からも並ならぬ人望を獲得し、ノスカリアの元首として信任されている。だから、その娘がまるで傲慢が服を着て歩いているようなものだと知れては。


「いやー……あれが次の代ってのは……いやいや、お先真っ暗だな、ノスカリアも」

「別に彼女が跡取りになるわけじゃない。兄が居るという話じゃないか」

「どうだかよ。兄妹なんて似たり寄ったりじゃねぇの? ……ん、待てよ」


 オーベルは悪い笑みを浮かべて、カウンターに戻りかけていたマスターを見た。


「おまえさんがあの嬢ちゃんのご希望通り、クロチェアの家に婿入りすればよ――」

「お断りだ。僕は我が強い女性は好かないし、そもそも政治に関わるなんてまっぴらだ。それに……」


 マスターは店の奥へ続く扉へ目線をやった。指先ほどの隙間が開いており、その向こうでは青い目がぱちくりとしている。


「それに、こんなにかわいい娘を一人残して出て行くなんて、そんなことできるものか。ね、アメリア」

「……もう隠れてなくていいですか」

「うん。嵐は行ってしまったよ」


 ほっと息をつきながら、アメリアが店へ戻ってきた。だが、顔色は明るくない。むむと睨んでいるのは、放置された惚れ薬の小瓶である。扉の向こうに隠れていただけで、店内の話はばっちり聞いていた。ソムニが甲高い声で騒ぐから、聞きたくなくても勝手に聞こえてきたとも言える。


「マスター、そんな変なお薬なんて飲まないですよね」

「当たり前だ。心配してくれたのかい? 大丈夫だよアメリア、仮に不慮の事故で口にしたとしても、君を想う心がこんな物に曇らされるなんてありやしない」

「わかってます、わかってますけど、クシネちゃんの魔法のお薬ですし、本当にすごい力があるかもしれないじゃないですか」

「そんなもの、この僕に通じるものか。向こうは結局子供なんだから」

「でもクシネちゃんは天才魔女ですし」

「僕だって天才だ」


 お互いがお互いむっとして睨み合っている。マスターは自尊心から、アメリアは年下の友人を擁護するために、意地を張り合っているのである。


「あの、すいませんマスター」


 アーフェンから遠慮がちな声がかかった。それでマスターははっとして、人好きする店主の笑顔を作り直した。


「アーフェン君、すまない、みっともないところをお見せしたね」

「いえ割と見慣れました。……そろそろ紅茶の注文をいいですか?」

「ああ。今日は何にする?」

「オレンジとミントの紅茶を。茶葉の方はお任せします、相性の良いものを」

「へえ、君がミントとは珍しい」

「実は、さっきから香水の匂いがどうも鼻について仕方がなくて。ミントのような強く爽やかな物でないと、ちょっと気分が……」


 アーフェンが座っているのはソムニが居たまさにその場所。間近に迫られていたマスターはとっくに感覚が麻痺していたが、離れた席から移ってきた身には、未だに甘ったるい残り香が強烈に感じられる状態だった。紅茶の繊細な香りを嗅ぎ分けられる感覚の持ち主なら、なおのこと耐え難い。


 マスターは苦笑しながら了解の意を示すと、さっそく紅茶の支度に入った。茶葉はシネンスで濃い目に。オレンジの輪切りを二枚と、ミントは少しサービスして多めに。


「あっ、じゃあ玄関も開けてきますね。少しでも風が入った方がいいでしょうから」


 アメリアが気をきかせて玄関へ向かう。アーフェンは「ありがとうございます」と礼を言いながら、顔を綻ばせて見守っていた。


「ところでマスター、その惚れ薬はどうするつもりですか?」

「欲しいならあげるけど、悪用はするなよ」

「いぃ、いや別に……使いたいというわけじゃないですよ。相手も居ないですし」

「そうか。じゃあ処分だ。こんなものに頼って作らせるのもどうかと思うが、素直に作る方も作る方だ。そして、怪しい代物とわかっていて使う奴だって同じく愚か者だ。君は見込み通り聡い、良かったよ」


 マスターの声音に嫌味っぽさは無かった。素直な感想である。


 惚れ薬の小瓶は紅茶の蒸らし中に掴みあげ、シンクへ行って、水と共に排水口へ流してしまった。強い魔法薬でも、大河の一滴になってしまえば影響は微々たるもの。ましてノスカリアの水道は、上下水共にアビラストーンの力による浄化機能が備わっている。魔力での浄化だから、魔法的な汚染には殊更有効だ。十中八九偽物の魔法薬だと思ってはいるが、念のために最善手での処分をする。


 最後に瓶を綺麗にすすいで後始末は終わり。そのタイミングを見計らって、オーベルから追加の注文が入った。物はアーフェンと同じということで、追加でオレンジを切ったり茶葉を計ったりする。


 紅茶はどうしても飲み頃になるまで待ち時間が発生する。その間の過ごし方は色々あるが、おおよそ歓談になることが多い。今日は店員アメリアだけでなく、客同士も顔見知りであるから、なおの事賑やかなお喋りだ。


「マスターは我が強い女は好かんというが、俺も同感だね」

「ふふっ、オーベルさんはよく奥さんに叱られたー、って言って来ますものね。奥さん、強い人なんですね」

「おおもう強烈も強烈よ! いいか少年、おめえさんは結婚相手はよーく選べよ。特に異能者ギルドなんざ、周りに居るのなんざ肝の入った女ばっかりだろ」

「ええ、ほんとにもう、怖い方ばっかりですよ……ええ、ええ!」


 アーフェンは口をとがらせて腕を組み、うんうんと頷いている。思えば初めて葉揺亭に飛び込んで来た時にも、めちゃくちゃ気の強い女性に絡まれたものである。現所属のギルドに入ってからも、色々と積もるものがあるらしい。年端もいかない少年とは思えない苦労人感が表情に出ている。


 そして真面目な顔でアメリアを見て言葉を漏らす。


「私も、女性はアメリアさんくらいおしとやかな方がいいと思います、本当に」

「えへへ、ありがとうございます。――あっ、マスター、すいません」


 作業台に手を付いていたアメリアが横にはける。そこはアーフェンの対面の場所で、カウンター越しに紅茶を出すならここからでないと手が届かない。


 マスターは先に完成したオレンジミント・ティをアーフェンの前に渡す。熱々のティーポット、湯通しして温かいティーカップ、ソーサーに乗ったティースプーンにはミントの生葉が添えてあり、茶葉を濾すためのストレイナーも忘れずにつける。


 商品一式を提供し終わったところで、マスターは極自然に会話へと混ざってくる。作業に集中していても、店の中のあれこれは全部把握しているのだ。


「アメリアっておしとやかかなあ。ちょっと違う気もするけど」

「もうっ、すぐそういうこと言う! もー!」


 ぷんと頬を膨らませて、ぽこぽことマスターの背中を叩く。じゃれついているようなものだが、マスターはおおげさに痛がってみせた。


「あぁ痛い痛い、やっぱり僕たちの周りには強烈な女性しかいないみたいだ。本当に怖いねぇ」

「ま、まあ。歴史に名が残る女性も大抵強烈な方ですし、そこは別にいいのではないですか。例えば伝説の魔女コルコとか、七つ国統一の女王メルローとか。反逆の使徒エスドアも、ある意味烈女と言ってよいですし。そうですよアメリアさん、別に烈風のような激しい気性だって言われても、全然悪い評価ではありませんよ」

「わー、褒めてくれてありがとうございます。マスターと違って優しいですね」


 アメリアが屈託ない笑顔をアーフェンに手向けた。純真な笑顔に、少年も気恥ずかしそうな笑みを返した。


 ここで良い話のまま終わらせないのが、ひねくれ者と名高い葉揺亭のマスターだ。腕組みして誰に聞かせるわけでもなく、しかし誰もに聞こえる声でしれっと呟く。


「コルコにメルローにエスドアだって。視点を変えれば、まあ、要するにルクノラムの教会にだけど、悪女としてめちゃくちゃ嫌われている者ばかりじゃないか」

「そ、それは……ある意味ではそうですけど」


 単なる揚げ足取りだとわかっているけれども、なまじ知識があるせいで否定できない。アーフェンは得も言われぬしょっぱさを感じた。


 そして梯子を外されたアメリアはまた目を尖らせる。きいっと噛みつく先はマスターである。


「もーっ、マスターの馬鹿っ! 誰が嫌われ者ですかっ、もうっ!」

「別に君のことなんて言ってないし、僕は世間一般の事実を述べただけ」


 ゆさゆさと揺さぶられながら、マスターはのんびりと語った。


「風は悪いものじゃない。暴風烈風は迷惑だけど、そよ風ならむしろ心地がよくて歓迎だ。毎日凪いでいる方が不自然だし、面白みもないだろう。だから僕はアメリアが居てくれて本当に嬉しいよ」

「今さら褒めたって遅いですぅ」

「はいはい。わかったから手を離しておくれ。オーベルさんの紅茶がそろそろ仕上がる」


 そう言われてしまえば従うより他ない、お客さんに迷惑がかかる振る舞いは禁止だ。


 オーベルの紅茶はポットのままでは提供しない。蒸らし終わった後マスター手ずから茶葉を濾して、カップに注いだ状態で手渡す。ポットに残っている分は、おかわりの合図があったら出すしきたりだ。


 いつも通りにカップに注いだ紅茶を出されたわけだが、オーベルは何やら神妙な顔をしていた。


「オーベルさん、どうかしたかい?」

「いや、ちょっとな……。気の強いやつよりも、おまえさんみたいなねちっこくて面倒な奴の方が、結婚相手として避けるべきもんだろうなって思ってな」


 顔を合わせながら苦笑い。それを見て、聞いて、マスターは飄々と肩を揺らした。


「ああ、違いない。僕も心の底からそう思うよ」

葉揺亭 本日のメニュー


「オレンジミントの紅茶」

軽めの口当たりの紅茶にオレンジの甘酸っぱさとミントの清涼感を織り交ぜた、爽やかな味わいの一杯。

暑い季節にはアイスティとして味わうのもおすすめ。氷と共にオレンジの輪切りとミントの生葉が浮かぶグラスは見た目にも華やかだ。

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