烈しい風の女たち(1)
好天の昼下がり。日向を歩く人たちが汗ばむ陽気に上着を脱ぎ捨て、太陽の熱にやられた体を休めに日陰に飛び込む、そんな日だった。
「アメリア、そろそろカーテンを開けてもいいんじゃないかな」
「はーい」
葉揺亭の窓は東向き。日差しの強いこの季節、午前中はレースのカーテンを閉めて外からの熱射を和らげる。でないと、窓際のテーブル席は使えないまでに熱されてしまうのだ。客に快適な時間を過ごしてもらうための工夫だ。
現在店内には二人の客が居る。一人は宿屋のオーベル。昼ごろにふらりとやってきて、もうずいぶん長いことカウンターにてだべっているが、まだ帰る気配はない。今日飲んでいる冷たい珈琲――冷たい紅茶を作るのと同じ要領で作ったものだ――は、もう二本目のグラスが空になりかけている。ぼやく言葉の節々から察するに、どうやら細君に怒られて家に居づらいらしい。
もう一人の客はアーフェンだ。こちらはたった今やって来たばかりで、まだ注文も通していない。これみよがしに栞を挟んだ分厚い本をカウンターに置き、マスターと挨拶代わりの軽い世間話をしている最中だった。
「外は暑くなかったかい?」
「日向だとそれなりですね。でも、中央諸島ではこれぐらいが平常なので、私としては全然――」
「ぴいぃっ!?」
会話を遮ったのはアメリアの変な叫び声だった。直後、カーテンも閉め切らぬままにカウンターへ走って来て、そのまま奥の廊下へと慌ただしく消えた。ぽかんとしている男性三名が居る空間に、ドアが閉まる音が間の抜けたように響いた。
一体なんなんだ。訝しんだマスターが、アメリアのもとへ行こうとする。しかし踵を返す直前、窓の外を横切るものが目に入った。
「ああ……なるほどね」
直後、葉揺亭の玄関がダァンと勢いよく開け放たれた。眩しい日向を背にして立っているのは、リボンやフリルを山ほどあしらったドレスを着た娘だ。アクセサリーもてんこ盛り、化粧も派手で、姿かたちだけでも暑苦しい。そんな彼女は、マスターと目が合うなり、
「ごきげんよう、麗しのマスター!」
と声高らかに叫んだ。眩しい笑顔と言えば聞こえはいいが、その実妙な熱がむんむんと満ちた暑苦しいもの。彼女が入店してきただけで、室温がぐんと上がった気がする。
彼女の名はソムニ=クロチェア。某名家の令嬢であるが、かつて冷やかしで葉揺亭に訪れた際マスターに一目惚れして以来、半定期的にこうやって襲来、もとい来店するようになった。大人しいとは真逆の、暴風のような性格をしており、葉揺亭にとって数少ない来店が嬉しくない客の一人でもある。特にアメリアに対してのあたりが強く、ゆえにか弱き店員は、ソムニが来るなり店から退避する羽目になる。
毎回馬車に乗って現れるから玄関が開けられるまでのわずか間に心構えぐらいはできるのだが、今日は完全に不意をつかれた。いつもなら社交辞令の挨拶を返すマスターだったが、今日は不自然に引きつった笑顔で迎えるしかできなかった。
微妙な態度を取られても、ソムニ自身は気にしていない様子。と言うよりは、おかしいことに気が付いていない。ずかずかと入って来ながら向けられる関心は、もっぱらカウンター席に並ぶ先客たちにあるがために。
マスターは以前にあった嫌な件を思い出した。今日と同じようにカウンターに居た若い夫婦の先客へ、ソムニが傲慢に退出を迫ったことがある。いわく、マスターの真ん前という一等地は自分のためにあるもの、そこを不法に占領するとは何事だ、と。世話係をはべらせ豪華な馬車で乗りつけるような身分の者に迫られれば、内容の正当性に関わらず、萎縮して従ってしまうのが一般市民の性。マスターが取りなす間もなく夫婦は逃げるように去ってしまった。それ以来、店にやって来たことはない。
あの時と同じことになってしまうのか。一瞬不安がよぎり、警戒心もあらわにした。
だが、ソムニの関心は因縁をつけるためとは別種だった。二人のすぐ後ろまで来て立ち止まると、その場でアーフェンのことをじろじろと眺める。オーベルのことは眼中にないようだ。頭から足先まで値踏みするようにする目つきは、どちらかというと好意的な興味に彩られていた。
本意がどうであれ、舐めるように見られるのは決して気持ちの良いものではない。アーフェンは椅子の上で怯むように身をよじり、眉をひそめた。
「な、なんですか……どうかしましたか」
「あなた、どちらの家の方かしら?」
「家!? わ、私はあの、その……べ、別に……」
「あらぁ。結構綺麗なお顔ですし、そこらの野蛮な男子と違って知的ですし、それなりにお洒落にも気を使っているようですし。わたくしほどじゃないにせよ、相当に良い血筋の方なのだと思ったのですが、わたくしの勘違いかしら?」
きゅるんと身をくねらせ、色目を使う。要するに、男性として気に入ったのである。
放たれる甘ったるい声に、アーフェンは完全に腰を引かせていた。迫りくる怪物から少しでも遠ざかろうとするあまり、椅子から転げ落ちそうになっている。返す言葉も出ないほど混乱しているとは、ぐるぐると泳ぎ回る目を見れば明らかだ。
マスターの個人的感情としては、ソムニが別の男に惚れて自分から矛先を逸らしてくれるなら、それはもう万々歳で祝杯をあげる程に喜ばしい話だった。しかし、いくら自分の心労が軽くなるといえど、自分の客に負担がのしかかるのは本懐でない。しかも目の前で起こるならば、なおさら。
だからマスターは助け船を出した。ぱんぱんと大きく手を叩き、ソムニの注意を自分に向かせる。彼女の好みそうな流し目になるよう、身体と顔の向きを絶妙に調整するまでやってみせた。
「こらこら、ソムニ嬢。そのようなことを言うんじゃない。家柄で人は決まらないだろう? じゃなかったら、君が僕に入れ込む由もないはずだ。ねえ、ソムニ嬢?」
「んもう、それはマスターがわたくしの特別な存在だからですわ! やだぁ、まさか嫉妬したのですか、マスター。わたくしの心にはあなたしかおりませんのに。わざわざ言わせないでくださいまし」
「はいはい」
あからさまに適当な受け流しでもソムニは十分ご満悦の様子だ。作戦は成功である。
ソムニはふふんと得意気に鼻を鳴らし、再度アーフェンに向き直った。
「まあ、あなたは良いですわ。合格ですわ」
「な、何がですか……?」
「わたくしたちの近くに居る資格に決まっていますでしょう? わたくし、小汚い下賤な人間をはべらす趣味はありませんからね。ああ、でも、わたくしたちの邪魔をしたら許しませんわよ」
どんな奇天烈怪奇な物語よりも理解不能な怪物が目の前に現れた。そんな当惑しきった表情でアーフェンはソムニを見ていた。
「あっ、じゃ、じゃあ……邪魔しないように、あっち行きますね! ええ、そうしますとも! どうぞここ座って下さい!」
声をひっくり返しながら本を掴んで逃げた。向かった先は窓辺のテーブル席。暖かい陽が入ってくるにも関わらず、彼は吹雪の中に居るように自分を抱いて震えていた。
そんなアーフェンにオーベルも黙って追従した。同じテーブル席に行き、こちらはどっかりと椅子に座るなりにやにやとカウンターを見てくる。蚊帳の外にされた、それは裏を返せば他人事として余裕綽々に眺めていられる位置についたとも言える。今日は特別上演される色恋絡みの喜劇を観賞する、そんなわくわくする感覚だ。
普段なら、見世物じゃないぞと小言の一つでも放つマスターであるが、今はもうそんな気を回す余裕がなかった。むせかえるほど強い薔薇の匂いが鼻腔を越えて脳に突き刺さっている。ソムニがつけている香水の匂いだ。暑いから、汗の臭いがしてはいけないから、と、いつもより念入りに身につけたのだろう。心がけは間違っていないが、やり過ぎだ。
目の前に居られるだけで頭がくらくらする。なるべく早く穏便にお帰り願いたい。そんな本音は丁寧に慈愛に満ちた瀟洒な店主の顔に包み、マスターはソムニに接する。
「ねえソムニ嬢……今日は、一体どんな用なんだい? わざわざ走ってくるぐらいだ、何か特別な用事があったんじゃないのか?」
「ああ、さすがですわマスター! わたくしの心までお見通しなのですね。それほど愛されているなんて――」
「うん、君の気持ちはもうわかった。だから、早く本題を教えてくれないか」
「もうっ、せっかちさんですわねぇ。でもぉ、それだけ言うならしかたありませんわね」
うふふと気味の悪い笑みを浮かべると、ソムニはずっと手の中に握っていたものをカウンターの上に置いた。彼女の片手にすっぽり収まる硝子の小瓶である。コルクで栓がされていて、中は濁った緑色の液体で満たされている。
「これをマスターに飲んでいただけるよう持って来たのですわ!」
「へぇ。一体どういうお茶なんだい?」
「お茶? いいえ、違いますわ。もっといいものですわよ」
「……え?」
「ほ、れ、ぐ、す、り。惚れ薬ですわ、マスター! これを飲めば、もうわたくしのこと以外を考える必要がなくなるのですわよ。魔法屋に言いつけて作らせましたの」
「魔法屋!?」
「ええ。大変生意気な小娘ですが、腕前は本物でしたわ。だからこの薬も、とーっても良く効きますわよ。マスターに近づいてくる虫けらも多いでしょう? これで二度とそういうものに煩わせられなくなり、わたくしのことだけが眼中にあるようになる……ああ、とても気楽に、幸福に生きられますわ! ですからほら、遠慮なく召し上がって」
瓶の栓を抜いて、ずいと身ごと差し出してくる。ほとんどカウンターの上にまたがっている姿勢だ。
マスターは努めて嫌悪感を顔に出さないようにした。喫茶店を始めてから色々とあったが、顔を作る辛さは今日が一番かもしれない。ここまで四方八方あの手この手で心を引っかいてくるなんて。
一生懸命平静を取り繕いながら、とりあえず無言で薬瓶を受け取る。そうでもしないとソムニは引っ込みやしないと容易に予想がついた。案の定、瓶さえ渡せば満足したようで、さっと椅子に元通り座り直した。カウンターに両肘を立てて顎を乗せ、うふふと鼻にかかった笑い声をあげている。ひとまず大人しくはなった。
さて、問題の惚れ薬だ。軽く鼻に近づけてみるといやに甘ったるい匂いを感じた。ソムニの香水とはまた違う、百合か何かの濃い花の匂いに、焦がした砂糖を一かけら落としたような匂いだ。調和のとれた良いものとは言い難い。しかし変な物が混ぜられている感じでもない。
――さすがにあの魔法屋でも、本物を出してはこないか。
魔法屋の少女クシネ。改めてソムニに言われずとも、彼女の腕前が確かなことは既に知っている。作ろうと思えば、本当に願望通りの効能がある惚れ薬も作れてしまうだろう。やるかどうかは彼女の分別と気分次第だ。
ゆえに、この惚れ薬は偽物の可能性が高い。マスターはそう睨んだ。
異能だ魔法だといったものを厭う人間は多い。そんな世相の中で、誰を対象にでも使える強力な魔法薬をホイと気軽に出すのはリスクが高すぎる。しかも今回は惚れ薬と来た。色恋沙汰が大事件の引き金になるなんて、実話空想を問わず、古来よりありがちな展開である。売った薬が原因で世の中を広く騒がせる事態になれば、今回は簡単に足がつくために、まず間違いなく製造販売者が責任を負わされる。天才と自称するほど賢しい魔法屋なら、それくらい先を読んでいて当然だ。
そして偽物と言い切れるもう一つの理由は、ソムニとクシネという取り合わせにある。ソムニのことだ、さぞ高圧的に薬を作れと迫っただろう。一方のクシネもプライドが高い娘である。いくら大金を積まれたとして、自分を貶められては、従順に仕事をするなんてありえないだろう。拒否しても引かないしつこさに業を煮やし、適当にそれっぽく調合をしたただの色水を、いかにもな瓶に詰めて高額で売りつけるくらいやっても不思議ではない。どうせ素人には魔法薬の真贋などわかりやしないのだから。
しかしまあ、暴風と突風が邂逅したようなもの、想像するだに恐ろしい組み合わせだ。
――現場がここでなくてよかった。
濁った瓶をねめつけながら、マスターは心底安堵していた。
「マスター。それは眺める物ではなくて、飲む物ですわよ」
ソムニが少しむっとしながら声をかけてきた。頬杖も崩し、いらだたし気に爪でカウンターを引っかいている。
「悪いね、ソムニ嬢。これは今は頂けないな」
「んまっ!? なぜですこと? このわたくしからの贈り物なのですわよ!?」
「これは少々匂いが強すぎる。口に入れたら、しばらく鼻も舌も効かなくなるだろう。紅茶の香りは繊細だからね、ここが効かなくなったらおしまいだ」
マスターは演技がかった苦笑いを浮かべ、自分の鼻を指さした。
「そんなことありませんわ、マスター。どうなってもあなたは素敵ですわよ」
「だめだ。僕はいつでも最高の状態でお茶を味わってもらいたいと思っている。もちろん君にもだ、ソムニ嬢。君にこれから出すお茶が変な味になっていたら……ああ、そんな申し訳のないことは僕にはできない」
大げさな身振り手振りをつけて悲嘆にくれて見せる。心にもない嘘を言っているわけでない、少々誇張をしているだけ。だから心はまったく痛まない。
ソムニはむすっとしていた。しかし、マスターが心底自分を気づかってくれているのだと解釈し、一応は納得して大人しく引き下がった。ただ、後で必ず飲むようにとの念押しは忘れなかったが。
マスターは満面の笑みで瓶を手放すと、早速ソムニのために茶を用意しようと宣言し、食器棚の方へと振り向いた。
が、ポットを手に取る前に、さも今思いついたように手を叩くと、もう一度客席の方へ身を翻した。そして人差し指をぴっと立て、真剣な顔でソムニへ語りかけた。
「そうだ、ソムニ嬢。一つ忠告だ。君はもう少し自分の立場を考えた方がいい。うかつに怪しい物へ手を出せば、君の大事にしている家名に傷がつきかねない。父君にも多大なご迷惑をかけるだろう。気をつけなさい」
「あらぁ、マスター、そこまで心配してくださるの? わたくしなら大丈夫ですわ」
ソムニはカウンターに両腕をつき、胸を張ってくつくつと笑った。
「あの魔法屋の小娘がわたくしに手を出して見なさい、お父様がヴィジラを動かして、すぐにこてんぱんにしてくれますわ。手を出した事を後悔するのは向こうですわよ」
ヴィジラとは、政府治安局においてアビリスタを取り締まる専任官の名称だ。目には目を歯には歯を、そして異能には異能を。ヴィジラは総じて強大な異能の力を持っており、その力にて犯罪者を制圧するのが仕事である。だからソムニが言う通り、いざヴィジラが動けば、あのクシネでも弁解の余地なく咎人として囚われるか、最悪死罪となるだろう。
――別に僕はそんな事を問題視しているわけじゃないんだけどな。
色々と思うところはあるが、この娘に何を言っても無駄なのだ。自分中心でしか物事を捉えられない。今も「マスターが心配してくれた」という部分だけを反芻し、自分は愛されていると夢想して恍惚としているばかり。よく話を聞いていれば、指摘した問題の本質がどこにあるのかわかるはずなのだが。
会話にならないのならどうしようもない。ただ粛々と喫茶店のマスターとして仕事をするだけである。ソムニに出す飲み物は常に決まっている。彼女のリクエストに応えて作った、青い夢色の特製ハーブティだ。
マスターは改めて食器棚へ向かった。使うティーセットは透明な硝子でできたもの。そして茶の材料は、特別な鍵のかかった引き出しに入っている物を使う。そう、普通ではない、魔法の力を持った材料だ。あちらが魔法の惚れ薬なら、こちらは魔法の反惚れ薬で対抗するまで。




