閑かな日の話(2)
椅子に座ってお茶が入るのを待つ。マスターが選んだのは硝子のポットだったから、抽出の進み具合がよく見える。先ほど引き出しから発掘した花と一緒にグリナスの茶葉も少し入れられている。理由を聞いたら、花だけではあまりに薄味すぎるから、とのこと。グリナスも比較的味が強くない茶であるからお互いの個性を打ち消さず、相性は悪くないそうだ。
じっくり時間をかけて蒸らす。透明なポットの中で茶葉が開いて行く様を見つめながら、アメリアがふっと尋ねた。
「ねぇマスター。お茶同士の相性っていうのは、どうやったらわかるんですか? これなんて、普段は全然使わない材料なのに」
「僕だって最初は手探りだよ。まずは色々試してみて、自分なりに良いと思った組み合わせを頭の中に蓄積していく。そうするとその内、初めて見る物でも、大体こんな風にすればいいかなって予想がつくようになる。ま、この花はグリナスの農園の子に聞いた素材だから、まずい組み合わせじゃないって思ったんだけどね。試した事はないから、実際には失敗作かもしれない」
「マスターでも失敗するんですね」
「そりゃそうさ。僕だって一応は人の子だ。できない事はあるし、君みたいに何もわからない時代だってあったさ」
その言葉にアメリアは目を丸くした。
「マスターにも子供の頃があったんですね」
「当たり前だろう。まさかこの姿で生まれて来たとでも思っていたのか?」
「だって、全然想像がつかなくて。マスターが子供の頃って、どんな子だったんですか? すごく聞きたいです」
マスターは自分の過去を好きこのんでつぶさに語るような人種ではない。だから小さな頃の話など、この機会を逃したら一生聞けないかもしれない。
アメリアの期待に対するマスターは、軽く眉をひそめた。ポットに目配せしても、まだ少し時間がかかる状態がすぐに変わるわけでもなし。外は雨が降り続いていて、話を中断する誰かが来てくれる様子もなし。ますます難しい顔になり、渋い唸り声を漏らす。
「うーん、どうだったかなあ……ずっと昔の事だから、あまり覚えていないな。だが、少なくとも君みたいないい子ではなかったよ。ひねくれていて、親不孝で、師に反抗するような真似をして、禁を破り……まあ、端的に言って悪童だった。でも悪いばかりでなく、褒められた部分もいくつかあった」
「なんですか?」
「挑戦心さ。未知への探求、限界を越えるための試行。僕は今でもその精神を大切にしている」
たとえばこの花の緑茶のように。初めて扱う物だと尻込みする必要はないし、失敗を恐れる必要もない。なんでも実際にやってみるべし、その後で得られるものの方が、うだうだと迷い悩んで消費するものより大きい。
「――だから、アメリア、君も気になったら、なんでも自由に試してみてくれて構わないんだよ? この花だって、僕の提案なんて待たずに、勝手に飲んでみればよかったのにさ。その方が君も見ているだけより楽しいだろう? まずい事になるなら止めるし」
「えっ、でも……だって、マスターの材料って貴重なものが色々あるみたいですし、私が勝手に触って無駄にはできません」
「構わないよ。君が学び取るものがあるのなら、そこに無駄なんて何もない。素材も、場所も、時間も、自由にしてくれ。ただし、手に余る危険を侵すのは無しだけどね。あの引き出しの物を触るとか、ね」
あの、と指示したのは、食器棚の特別な鍵がかけられた引き出し。そこにあるのは、マスター秘蔵の魔法の力を持った素材だ。素人が下手に触ると痛い目を見るとをアメリアは身をもって知っているから、もう二度と開けようと思っていない。もっとも、鍵を開けられるのがそもそもマスターだけなのだが。
アメリアはどっちつかずな気持ちにたゆたっていた。自分でお茶を創作してみたいという感情は当然ある。マスターから正式に許可が出たのだからやればいい。しかし、やはり、作業台を埋め尽くさんとする数多の物を見ていると気後れしてしまう。平常で使う紅茶の茶葉だけでも違いがよくわからないでいるくらいなのに、こんなにたくさんの物を扱いきれるわけがない。第一、紅茶を淹れる基本の基本しかちゃんと習ったことがないのだし――。
「さあ、お喋りしている間にできたよ」
その声にアメリアははっとした。ぽつねんと置かれていたポットを見る。
極薄い緑色の茶液の中に桃色の花が浮かんでいる。瓶の中では干されてしぼんでいたが、湯によって水気を取り戻し、硝子のポットの中で見事な花を開かせていた。幾重にも重なる淡紅色の花弁、これが自然の中で活き活きと咲き誇る姿は、色もより鮮やかでさぞ美しいだろう。
仕上がった茶をカップに分け注ぐ。蒸気とグリナスの青臭い香りの中に、かすかな花の香りが漂った。普段使いする花の素材としてはローズやカモマイルがあるが、それらに比べるとずっと主張が弱い。
マスターは、おまけだと言って、カップの中にも一つ瓶から取り出した花を落とした。水気を含むことで緩やかに花が開く。
見た目はとてもかわいらしくなったが、さて味は。口に含めば香りは多少強まって感じられた。しかし、それでも儚いもの。わっと咲いてあっという間に散り行く、そんな花の生命そのものを体現したかのよう。端的にかつ良い風に言えば、上品な香り、と。
アメリアには、今まであまり味わったことが無い類で、どうにも評価がしづらかった。好きか嫌いかと問われても、どちらでもないと答えるだろう。しかし、茶液に浮かぶ花の美しさには、直接の味以上に心へ染み入るものを感じた。
「おいしいかい?」
「正直薄くてよくわかんないです。でも、お花が綺麗ですからかね。それだけで、なんだかおいしい気がするんですよ」
「そうか、それはよかったよ」
マスターは嬉しそうに笑った。
「うん、きっとこれはそういう物なんだろうな。季節を味わうもの、あの娘もそう言ってたし」
「あのこ?」
「この花の茶を僕に教えてくれた、茶園の素敵なお嬢さんさ。並ぶ木々の満開に咲き誇る花を眺めながら、自然の優美さを舌でも感じる。いや、心で味わうと言った方が良いのかもしれないね」
「花が咲いているところを見たことがあるんですか?」
「遠い昔に一度だけね」
亭主は遠くを見るようにカップに浮かぶ花を見た。きっと彼の眼には、空の下で咲き誇る花の幻影が浮かんでいるのだろう。
そして、次に台上に展開された数多の品々を眺め渡した。ふっと口元を緩めて、ぽつりと語り掛ける。
「ねえアメリア。僕がどうしてこんなに色々な物をため込んでいるのか、察しはついたかい?」
アメリアは頷いた。広げた時ならきっと答えられなかった。物が多すぎる、普段から整理整頓して欲しいと不満に思ったくらいだ。しかし、マスターと一緒に確認しながら手入れをして感ずるものがあり、今ならはっきり質問に答えられる。
「思い出、でしょうか」
「おおよそ正解だ。もちろん僕自身の記憶もあるし、そうでないものもある。どちらにしてもね、こうして手元に置いておけば、僕はこの小さな世界にこもりながら、広いイオニアンを旅することができるんだ。精神で巡る想像の旅路へ、いつでもどこまでも、ね」
マスターは屈託のない笑みを浮かべた。
「楽しいだろう? 一つのお茶の向こうに広がる世界へ想いを巡らすのは」
「……はい!」
それが心で味わうという行為だ。思いながらもう一度お茶を飲むと、アメリアの心の中にも満天の花が咲いた。行った事も聞いた事ももない異国の地に咲く儚き花の姿が、確かに見える気がする。顔を綻ばせてマスターに伝えると、彼も笑った。感動を共有するのもまた、茶話の楽しみだ。
「……さて! ひと休みしたし、片づけを再開しようか。いつまでも広げておいても仕方ないしね。心の旅に行くのは、ゆとりがある時に取りだして眺めるくらいの頻度でちょうど良い。大事なのは現実世界のあれこれだ」
「はい!」
まだまだ素材はいろいろある。奇怪な形の木の実や、真っ黒に干からびていて正体不明の怪しい物体。あるいは、ただの木の枝にしか見えない物。いざ目を向けるとそれぞれに気を取られる。
「マスター、この枝はなんですか?」
「それはアスートっていう木だ。えーと……西方大陸だな。あっちの高山にしかないんだけど、何がおもしろいって、枝の断面が星形ってところだ」
「ああっ、ほんとですね! 変わってる」
「『高地人』っていう種族が居るんだけど、彼らはこれを精霊の宿る木だとして祭りに使うんだ。その祭りというのが――」
葉揺亭に眠っていた数多の物語。それを一つ一つ紐解き、情景へ思いを馳せる。だから早く片付けようという割には作業が進まない。が、今日は雨だから許されるだろう。清閑なゆとりをもたらす恵みの雨だ。
そんな中、不意にマスターが色めいて呟いた。
「ああ、楽しみだよ。これだけ色々見た君が、将来どんなお茶をふるまってくれるのかどうか」
「えぇ!? もう私がやるのは決まってるんですか?」
「だって、やりたいだろう? いつまでも僕のお手伝いばかりじゃ飽きてしまうだろうし」
「そうですけど……」
「気後れしなくたって大丈夫さ。君の素敵な感性なら、世界に二つとない素敵なものができる。僕なんかよりも、ずっと美しい心の持ち主なんだから」
そうマスターは太鼓判を押してくれるが、果たして本当に自分にできるのだろうか。実際、もう葉揺亭に数年いてこの程度である。何年たっても、一生をかけても、マスターのようになれる気がしない。
けれども、やってみたいのは事実である。マスターのように喫茶店を切り盛りできるようになりたい。かねてよりその思いは心の隅にはあった。
アメリアは上目がちにマスターを見て、答えた。
「……見ていて、教えてくれますよね? あの、マスターがお暇でしたら、でいいですから」
「僕の時間なんて飽きる程にあるんだ、君が好きなだけ、好きなように使えばいいよ。僕は努力する子は大好きだ」
マスターはアメリアの頭をなでた。不安を払って、勇気づけるように。そこには確かに力があって、アメリアの心はぽうと温かくなった。花の咲いた気持ちで、頑張ります、と頷ける。
こんな風にして、雨に包まれた閑かな日がゆるやかに過ぎていく。何気ない日常の一幕だ。
だがいつか、あれが人生にとって大きな転換点だったと語れる日が来るかもしれない。懐古も後悔も、やってみての結果が出てからしかできないのだから。
葉揺亭 本日のスペシャルメニュー
「チェリー花の緑茶」
一部地域で愛される薄紅色の花を浮かばせたグリナスのお茶。
やさしく香る花の香りは、儚さを伴う気品を感じさせる。風流を味わう一品。




