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暑い季節に涼やかな味を(2)

 覗き見た薄暗い店内には、噂に聞いた通り机がたくさん並んでいる。うきうきとした顔つきで、アメリアは残り一口だったドラードをひょいと口に放り込んだ。ついでに指についたイチゴのジャムもぺろりとすべて舐めとって、堂々と店の中へと足を踏み入れた。口が動いたままだったのはご愛嬌。


 島状に並ぶ机に展示されているのは、例えば木彫りの置物に、繊細な白磁の器。隣の販売台には色鮮やかな布製品に、奇妙な枝ぶりの植木鉢など。他にも色々と興味は尽きないが、とりあえず目的を果たそう。


 店内をぐるりと見渡す。だが、探している相手はいない。そもそも販売をしている机の数と、人間の数が全然合わず、店番をしている商人がほぼ居ない状況だ。というのも、商品を陳列している間、四六時中来店待ちをしている必要がない仕組みになっているから。不在にしている時に取引が発生した場合、待機している建物の貸付人が金銭と物品の授受を代行する。ちなみに手数料などで少し余分なお金はかかるが、出店側には放っておいても物が売れるという非常に大きなメリットがある。


 そうやって出店者不在にしている机を見てまわると、見覚えのある柄の大きな布が被せられたものを発見した。隙間から覗く商品にも同じく見覚えがある。そして、布の上に置かれた亜麻紙の切れ端に書いたメモで確信する。


『クシネの魔法屋、ちょっとお出かけ中。危ないから勝手に見ないでね』


 ――見つけた!


 アメリアは思わず手拍子を一つ打った。ここで待っていれば必ず会える。いつになるかはわからないが。


 さて、事情を知らない人間からすれば、アメリアは普通に買い物に来た客でしかない。魔法屋の机をしげしげと眺める姿に気づいて、隅で暇そうにしていた店の貸付人が大きな声で教えてくれた。


「そこの子なら、ラスバーナの店に行くって言ってたぞ。勉強してくるって言ってな。いつ戻って来るかはわかんねえから、買い物ならしばらく後に出直した方がいいぞ」

「ラスバーナの……どのお店かわかりますか? すぐに会いたいんですけど」

「あれだ、アビリスタ向けの店だ。カエデ小道で曲がって、つきあたりの三階建て!」

「あっ、ああ! わかりました! ありがとうございます!」


 ラスバーナ商会が運営する異能者向け店舗では、ギルドに属して依頼に応じ東奔西走獅子奮迅するアビリスタたちに重宝する便利道具を売っている。そのため特殊な、あるいは物騒な品々が多く、あまり一般市民が行く事はない。アメリアもそんな一般市民、初めて足を運ぶことになる。


 善は急げとばかりにアメリアは駆けだした。今の彼女に、異能への恐れなどまったくない。



 やがて。息を切らせたアメリアは、膝に手を当て身をかがめ、首を上に伸ばして三階建ての建物を見あげていた。勇んできたはいいものの、いざ目の前まで来ると場違いさをありありと見せつけられて怯んでいた。ほら、今も一人中へ入っていく。顔に何本も傷跡がある、素手で石でも砕けそうな屈強な男だ。あんな人に睨まれたら怖くて動けない。


 アメリアは舌を出した。いつかはわからないが絶対に戻るのだから、あの店で大人しく待っていればよかった。今日はなんだか後悔ばかりだ。


 どうしようかなと入り口を眺めていると、店のドアが静かに開いた。出て来たのは、アメリアよりもずっと小さな子だった。なんだか、しょんぼりとしているようだが――


「クシネちゃん?」


 うなだれていたクシネはびくりと肩を跳ねさせ顔をあげる。アメリアと目が合った途端、纏っていた雲が一気に吹き飛んだ。


「アメリアのお姉ちゃん!? すっごい、偶然なの! どうしてこんな場所に居るの?」

「実は私、クシネちゃんのこと探してたんですよう」

「ほへ!? どうしてなの!?」

「実は――」


 昨夕のマスターとの会話から、今に至るまでの物語を聞かせる。もちろんティーザのことは伏せて、だ。誰にも言うな、その約束は破れない。「魔法なら氷が作れるって聞いたから。魔法使いと言えばクシネちゃんでしょ」と省略して伝える。


 呆けたように話を聞いていたクシネだったが、果たして、返事は。


「そんなの、クシネにかかればお安い御用なの! さっそく行くの!」


 ぴょんと跳ねて、アメリアの手を握り取る。そのままクシネは急に走り出した。


 引っ張られた方はたたらを踏んだ。だが、遅れないようにちゃんと付いていく。元々歩幅はアメリアの方が大きいのだから簡単だ。


 だが、おかしい。向かっている方向は南西、葉揺亭の方角とは違う。その理由を問うたら、クシネは当然だと言う風に答えた。


「お宿に行くのっ! クシネは杖が欲しいの」


 いわく、優秀な魔法使いには杖が欠かせないのだと。魔法使いの事情はまったく知らないから、アメリアはそういうものなのだと素直に納得した。もしやティーザが「得意でない」と言ったのは、杖を持っていないからなのだろうか。そんな憶測もおまけに。




 ベッドと小さな机があるだけの、古く簡素な旅人向けの宿。それがクシネの仮の住処だった。だが、すっかり彼女色に染まっていて、部屋中に奇妙な形や不思議な模様の物品が拡げられている。


 杖はベッドの上に放り出されていた。樹木の太い枝を彫ったごつごつした形状で、上端はぐるぐると巻いている。その渦の中央には綺麗な空色の宝石が輝いており、洒落気がある。だが十歳そこそこの幼子が持つには不釣合いだと思った。理由は大きさ。小さな手に似つかわしくない太さがあり、身長よりも杖の方が長いときた。重くないのだろうか、とアメリアは不安げに見守っていた。


 だが、クシネは軽々と杖を持ち上げると、見せつけるように天高く掲げて見せた。彼女が手にした瞬間、宝石がきらきらと煌めきだしたから不思議だ。魔法の準備完了、ということなのだろうか。


「じゃあ、さっそくお店に行きましょう」


 アメリアが部屋を出ようとしたが、クシネは黙ったままだ。むうと目を細めて、口も真一文字に結んでいる。


 どうしたのだ。アメリアが再度声をかけると、幼き魔法使いは控えめな声で、しかし諭すように告げた。


「アメリアのお姉ちゃん。悪いけど、ここで魔法を唱えたいの。たぶん、お姉ちゃんのお店でやると、店長さんに怒られちゃうの。絶対まずいの」

「え? いえ、たぶん大丈夫だと思いますよ。マスター、そういう偏見はないですから」

「クシネが大丈夫じゃないの。あの店長さん、怒ったらすごぉーっくッ、怖そうなの。クシネ、怖い思いはしたくないの」


 だん、と杖で床を打った。ぐっと唇を噛みしめて、じっとアメリアを見つめてくる。決して冗談を言っているつもりではないらしい。


 ――マスターが怖い?


 一体クシネは何をもってそう思ったのだろうか。会ったのは一度きり、その間特に変な事はなく、マスターもいつも通り穏やかな振る舞いをしていた。確かに普段が優しい人ほど、怒ると落差で怖いと言えなくもないが……。しかし腐っても客商売、お客に対して理不尽に怒鳴りつけたり、癇癪を起して暴力を振るったり、そういうことは万が一にもあり得ない。身内であるアメリアにも、そんな真似は一切しないのだし。


 とは言え、こうまで嫌がられてしまえば無理に引っ張っていく事もできない。機嫌を損ねられて魔法を使ってもらえず氷が手に入らない、そうなってしまったら本末転倒だ。


 なぜ葉揺亭でやってほしいのかと言えば、理由は一つ、外が暑くて持って帰る間に溶けてしまうといけないからだ。だからまあ、溶ける前に頑張って走って運べばいい。ええい、しょうがない、と、アメリアが折れてクシネの機嫌を取った。


 にっと笑った小さな魔女は、心機一転ひょうひょうと動き出し、ベッドの上に一枚の大きな布を広げた。紺色の地に白い糸で紋様が刺繍されている。魔法の布なのかは不明だが、見た目だけでも美しい飾り布になる品だ。


「じゃあ、私、お水を汲んできましょうか?」

「ううん、いらないの!」

「へ?」


 アメリアはぽかんと口を開けた。てっきり水を凍らせる魔法を使うのだとばかり思っていたのだが。


 クシネは今から行うことを得意気に説明してくれた。氷の素にするのは、空気中に漂う目に見えない水分。これを集めて固めて氷の塊を創り出す。そんなことができるのか。いや、できてしまうから魔法だ。


 えっへんと咳払いをした後、クシネは杖の先を飾り布へ向けた。そして静かな詠唱を始める。あどけなき娘の口から唱えられるとは思えぬほど、荘厳な響きだった。


 それは未知の言語だ。異邦の言の葉でつづられる麗句だ。呪いのごとく人をひきつけてやまない文言だ。意味は解さずとも、耳にするだけで幻想の中へと引き込まれる心地がする。


 声として音として染み渡った綿密なる魔法の式は、世界の理にはたらきかける。霧より細かく漂う水たちが一所に集められ、その熱を奪われ、冷たき結晶を築きゆく。


 アメリアはただただ見守るしかできなかった。魂を籠に囚われたように立ち尽くしている。


 ――なあに。なにこれは。


 彼女はすっかり魔に魅入られていた。己の鼓動の音が大きく聞こえる。


 まるで極寒の大地に立っているような肌寒さだ。空気の温度までもが凍てついているのか。幻惑的な音が脳内で幾重にも反響し、不協和音を奏でる。心臓の音がそれに重なって警鐘のごとく鳴り響く。うるさい、寒い、うるさい。心の中で唱えていないと、すうっと意識を手放しそうになる。


 自分がどこにいるかも覚束ない、現と幻の間をふわふわとさまよっていた。まるで夢に落ちる寸前のように。


 ――ああ、だめ、こんなところで寝ちゃだめよ、私。


 揺れ歪む感覚をかき集め耳に投じる。すると、いつの間にか音が止んでいることに気づいた。あれっ、と一度思えば、体を支配していた夢遊感も一気に吹き飛んだ。


 窓からそよ風が吹き込む部屋の中、クシネは清々したという風に佇んでいる。


「ふぃー。終わったの。どう?」


 彼女は後ろ手に組んでアメリアを見上げる。床に平行する大きな杖がのびやかな拍で揺れていた。


 ベッドの上に、先ほどまでどこにもなかった氷塊が。アメリアが慌てて近づけた頭とほとんど変わらない大きさだ。触らずとも冷気が肌に伝わってくる。


「すっ、すごい! すごい! ああ、冷たくて……気持ちいい……」

「そんなことしてないで、急いで持っていったほうがいいの! 溶けちゃうの!」

「そっ、そうですよね! ありがとう、クシネちゃん」


 なるほど、話している間にも氷は徐々に水へ還りつつあった。角ばっていた面が丸みを帯びはじめている。


 アメリアは慌てて氷を抱えようとした。が、持てるはずがない。直接触り続けるには冷たすぎる。肌を刺す冷気を我慢したとしても、表面が滑るから、素手で葉揺亭まで無事に運ぶのはとてつもなく難しい。


「こんなの、どうやって持っていこうかしら……」


 まったくもって想定外。だって、なんらかの容器の中に入れた水を凍らせるとばかり思っていた。


 途方に暮れるアメリアを見ながら、クシネは意味深に笑っていた。ぴょんと一飛びして躍り出ると、明るく元気たっぷりの口調で話し始める。


「お姉ちゃん。実はね、その下に敷いた布はね、クシネのとっておきの商品なの! 水を通さない魔法の布、こういうときに便利便利! なの!」

「へぇ、確かに水が全然染み込んでないですね。不思議」

「そうそう。だからね、そのまま布に包めば持って帰るのも簡単なの。お姉ちゃんはクシネのお友達だから、特別にとぉーってもお安くしておくの!」


 アメリアは呆けた顔でクシネを見る。そうしている間に、小さな商売人は、床に投げ出されていた小さな箱を杖で引き寄せた。これみよがしに開いた中には銀貨銅貨がそれぞれ並べて収められている。露天商がよく使う釣銭入れだ。そうして自信満面の顔のまま、アメリアの返答を待っている。


 ――やられた!


 クシネの狙いに気づいたアメリアは、敗北感と称賛とを同時に叫んだ。この齢で行商をしながら飄然と生き抜いているだけある、さすがのやり手だ。


 儲けに対するこのしたたかさは、どこぞのマスターにも少しは見習ってもらいたいものだ。と、完全なる趣味人たる己の主人にとばっちりの火を投げつけながら、アメリアは自分の財布を取りだしたのだった。


「うふふ、今日もありがとうなの! 店長さんにもよろしくね、なのー」


 ぶんぶんと腕を振ってご機嫌なクシネに見送られながら、アメリアは仮設の魔法屋を後にした。腕の中には、紺青の魔法の布に包まれた大氷塊。得た物は重いが、逆に軽くなった財布という物もある。


 しかし、念願の氷を手に入れたのだから、対価と考えれば安い。先日のハープの分も含めて、今後しばらく買い食いを止めればいい話だ。自分で決めて氷を取ったのだから、それは我慢できる。やってみせる。


 後は冷たい紅茶をマスターに作ってもらうだけ。アメリアは急ぎ足で葉揺亭に向かう。マスター、一体どんな顔するだろうか。驚くだろう、はしゃぐだろう。期待はどんどん大きく膨らんでいく。幸せの絶頂だ。



 しかし。夢と希望がたくさん詰まった歓喜の泡は、葉揺亭に帰り着くなり一気にはじけ散った。


 葉揺亭に客が居なかったのは幸か不幸か。今いるのは店主とアメリアだけ、カウンターの中で向かい合って椅子に座っている。少女は足をぴたりとくっつけ、膝の上に手を重ね、肩を落としやや俯いて。これはマスターからお叱りを受ける時のお決まりの姿勢だ。


 ――そんなに悪い事をしたかしら……。


 不当な説教だ、と感じつつも顔をあげられない。先ほどまで天上に昇るほど高揚していた気分はどこにもなく、今は深海へ突き落されたような気持だ。


 すべての元凶は例の氷塊だ。今は解かれた魔法の布の上で少し溶けた姿をさらしている。なおかつ、現在進行形で水に還りつつある。


 時間を少しだけ遡ろう。一人で店番をしていたマスターのもとに、アメリアが意気揚々と戻って来た。ぱたぱたと店先を走り、玄関を開けるが早いか大きな声で色々まくしたてるのが早いか、そんな勢いで飛び込んで来た。外で何かいいことがあった時は大体いつもこんな風。元気でよいことだ、と苦笑しながら、アメリアを迎え入れた。


 だが、彼女のちょっとした冒険譚の内容をよく聞けば。非常におもしろくない話。早々に顔に影が差した。


 そして得意気に怪しい布包みを開封した瞬間が我慢の限界だった。マスターはぴしりと指を突き立て、「そこに座れ」とアメリアに命じた。それが言った本人も自覚するほど冷ややかで厳しい口調だったから、少女をかちこちに凍り付かせる魔法の呪文になったのだった。


 現在。マスターは背筋を伸ばしてアメリアを見据えている。かっしりと腕を組みつつ、顔にはいつものような優しい微笑みを浮かべて。だが、目がまったく笑っていない。


「アメリア」


 優しくかけられる声はいっそ悪魔のささやきのようで、アメリアは大きく身震いした。おそるおそる顔を上げる。マスターの漆黒の目に色は無い。ただただ、無間の闇が己をひどく咎めるだけ。


 しどろもどろになりながら、アメリアは精一杯の弁明をした。正当で酌量のある理由とは思えず、完全にわがままからの言い訳だと自分でもわかっていたのだが、一応。


「どうしても氷が欲しかったんですよ! あ、あとこの布も便利なんですぅ! ほらっ、全然水が通らないから、いろんな目的に使えて――」

「それはわかっている。予想はつくが、出所を知りたい。……あの魔法屋だな?」


 含蓄のある詰問。絶対の主から放たれたその前で嘘偽りを述べる事が可能だろうか。少なくとも、人生経験の短い少女には無理な話だった。アメリアは小さく頷いた。


 やっぱりな、とマスターは呟いた。平にない棘のある声で、アメリアの心にちくりと刺さった。


 この前もそうだった。マスターはクシネのこととなると妙に気難しくなる。何がそんなに気に入らないのか知らないが、らしくない表情や物言いが増える。アメリアはそんなマスターが少々気に入らない。


 そうだ、クシネは言ってくれたじゃないか、「お友達」だって。友人なら、ここはかばってやるべきだろう。アメリアは腹をくくってマスターに言い返す。


「でっ、でもクシネちゃんは優しい子なんです! 今日だって、お店でやるとマスターが怒るからって気を使ってくれて――」

「ああ、その通りだね。間違いなく叩き出していたし、二度とここへ立ち入らせなかっただろう」

「そんな……どうしてですか……」


 もはや風前の灯火の声。それにも店主は表情を緩める事なく、漆黒の瞳で険しく少女を見据えたままだった。あるいは、その先に居る魔法屋を睨んでいるのか。


 ただ表情とは一線を画す丁寧な口調で、マスターはアメリアの質問に答える。


「君にもわかるように端的に言うなら、魔法の詠唱は周囲に影響を及ぼしやすいからだ。近くで聞いていてどうだった? 胸がどきどきしなかったか? まるで夢の中に引きずり込まれるような、そして魂を抜かれるような、そんな感覚にならなかったかい?」

「なんでわかったんですか」

「一般的な反応だからだよ。他者からの魔力の干渉に免疫が無い身に強い力を受けると、心身が耐えられずに異常を示す。特に過敏に反応する場合、まさに君に起こったような事だが、そのまま続ければ昏倒するまで達しただろうね。まったく、非常によろしくない」


 ただし、意識を飛ばす自体は防衛反応として正常な働きだから心配しなくてもいい。色を失い目を丸くしているアメリアに向け、マスターは付け加えた。


「魔の道を究める魔術師とは常人にはない技を持つ者、尊敬し親愛を抱くに足る存在である。しかし同時に、誰も逆らえない強大な力の持ち主として畏れ怯むべき存在でもある。この白黒つかない危うさは、優れた才を持つ魔術師ほど顕著に表れる」

「クシネちゃんが危険な魔法使いだって言うんですか……?」

「本人の心がどうであれ、そうなり得ると言うだけの話さ。事実、君は体調を悪くしたんだろうに。別にあの子はそんなつもりはなかっただろうけれども」

「だけど……」

「僕はね、ただ君やこの店を守りたいだけだ」


 マスターは浅い溜息と共に固く結んでいた腕を一旦解き、手のひら同士を絡ませるように組み替えた。


「魔法とはこの世の理に働きかけ変化を起こす力だ。目には見えずとも、空間に流れている魔力の一つすら、調和と均整の大事な部品である。ゆえにたった一つの呪文が、何かの弾みで天変地異を引き起こすことも十分あり得る。例えばさ、アメリア。魔法の干渉が起こって葉揺亭が砂になって消えてしまったら、それでも君は氷が得られたと喜ぶ事ができるかい?」


 マスターは一切の冗談の無い顔をしていた。真摯な瞳に捉えられたアメリアは、ふるふると首を横に振った。


 確かにマスターの気持ちは理解した。葉揺亭を守りたい、当然だ。アメリアにとっても大事な職場で家なのだから、そこは同じ気持ちである。しかし全部納得したかは別の話。むしろ魔法に対する知識も免疫も無いのだから、すべてを理解して飲みこめと言う方が無理だ。もやもやとしたものを抱え、アメリアは俯いたままだった。


 忘れられた氷がどんどん姿を変え、一回りも二回りも小さくなっていた。溶けた水が、作業台を侵食するように広がっていく。


 と、その時。マスターがさっと立ち上がり、これまでとは一転、気力に満ち溢れた張りのある声で言った。


「さて、と。冷たい紅茶だったね」

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