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旅の魔法屋(2)

「さて、何のエードにしようか。無難なのはレモンかオレンジ。イチゴ系のものも出せるし、別に単一じゃなくても――」

「わかんないから店長さんにお任せするの! とにかくおいしいのをお願いするの!」

「そうか。じゃあ、苦手なものはあるかい?」

「クシネ、なんでも食べるの。好き嫌いのない、いい子なのー」

「それは確かにいい事だな。それなら……ああ、パシラディヤはどうかな?」


 その途端、クシネがびっくりして息を詰まらせ、目を白黒させた。


「なっ……てっ、店長さん、パシラディヤ知ってるの!? それじゃ……うん、ぜひそれでお願いします、なの!」

「わかった。裏にあるから取ってくるよ」


 マスターはふっと微笑むと、黒い燕尾を翻して奥の空間へと消えていった。


「パシラディヤって何ですか?」


 アメリアがクシネに尋ねた。今までに聞いた試しが無い名前の果物だ。


 クシネはふふんと得意気な顔をして、幼子に言って聞かせるように胸を張り説いた。


「パシラディヤは西方大陸の密林でよくとれる果物なの。地元の人には割と普通に食べられてるの。でも……店長さん、どこでそれを? こっちじゃ普通手に入らないの」

「そうですよね。だって、あんなにたくさんのお店が出る朝市でも見たこと無いし……あっ」


 カウンターの内にあるドアが開いた。マスターが戻って来たのだ。左手で小ぶりの紫色の果実を三玉抱えている。やはりノスカリアではお目にかかった事がない果物だった。


「マスター。そんなものどこに持ってたんですか」

「実は部屋で育てているんだよ。適切に剪定をしてやれば、そこまで大きくならないからね」


 いわく、密林では際限なく葉を茂らせる植物であるが、小さな株を鉢植えにして自室に運びこみ、こまめに剪定して大きくなりすぎないように育てていた、と。


 ――マスターのお部屋じゃあ、木がちょっとかわいそう。


 アメリアは一度だけ立ち入ったマスターの私室を思い起こした。書物や怪しい雑貨、それらを収める棚や引き出しで埋め尽くされた、壁や床すらまともに見えない非常に窮屈な部屋だった。植物を見た記憶はないが、それはつまり、山積みにされた本の中に埋もれてしまっているわけではないか。剪定なんてしようがしまいが、まともに育たなさそうである。


「アメリア、オレンジを絞っておいてよ」

「あっ、はい!」


 マスターの声かけで現実に戻ってくる。お喋りや空想がアメリアの仕事というわけではなく、本来の役目はマスターの補佐である。慌てて手を洗い、スクイーザーというお皿からレモンの玉が飛び出したような形をした道具を取りだし、マスターが半分に切ってくれていたオレンジを引き受けた。


 傍らでマスターはパシラディヤの頭をナイフで切り落としていた。研いだばかりの刃は絶好調、抵抗なくするりと切れ、断面も滑らかで美しい。完璧な研ぎ上がりだ、と心中で自画自賛する。


 さて、パシラディヤの断面を見る。紫で少し固めの外皮があって、中には黄色い果肉が入っている。熟した果肉は軽く溶けたようになっていて、やや大きめの種も無数に混ざっている。


 マスターは茶こしを取り出すと、縦長のグラスの上へ被せるように置いた。そこへパシラディヤの果肉を種ごとスプーンでかきだした。濃黄色の果汁が、ぽたりぽたりとグラスに落ちていく。さらに果肉をスプーンで擦るように押してやれば、瑞々しい果肉からどんどん汁が溢れて来る。小ぶりの割に果汁は意外とたくさんとれた。


「マスター、できましたよ」

「よし、もらおう。こっちも終わった」


 アメリアのスクイーザーに溜まったオレンジの果汁を、濾し器の上から注ぎ込む。橙色の果汁がパシラディヤの果汁と入り混じった。合わせた量はグラスの三分の一ほど。


 片づけておいてくれ、と残りかすのたまった茶こしを手渡し、マスターは最後の仕上げに取り掛かる。砂糖を煮詰めて作ったシロップを溶かし、冷蔵庫で冷やしてあった鉱泉水を注ぐ。山奥の水源で採取された、澄み切っていて飲み口が軽いと感じられる特別な水だ。


「――はい、おまたせ」

「ありがとう、なの!」


 クシネは両手を伸ばしてグラスを受け取った。大事に握り口元へ持って行き、ごくごくと喉を鳴らす。


「おいしいの! でも、グラスはもっと背が低い方が飲みやすいの」

「はは……善処するよ」


 思わぬ指摘にマスターは肩をすくめた。



 それからそれから、クシネは実によく喋った。生まれ育った魔法都市の話、旅の途中で出会った色々――芸人一座との珍道中や、夜にならない湖での不思議な体験や、砂糖が湧き出す地底湖を発見した話。どれもこれもおもしろおかしい話ばかりで、特にノスカリアの外に出た経験が無いアメリアには非常に魅力的な物語だった。


 また、自身の来歴ももったいぶらずに教えてくれた。魔法都市コルカ・ミラで生まれ、物心つく頃には自然に魔法を使い、八つを数える頃には町の指導者に匹敵する凄腕魔女になった。使う魔法もあらゆる分野に渡っていて、魔法都市が産んだ奇跡の天才少女と讃えられた。売り物である魔法の道具も、ほとんどが自分で一から設計して、旅をしながらに作ったものである。


 話し込んでいる内に、外の景色が橙色に染まり始める。窓辺のハープが奏でる音楽は、いつの間にか寂しげな音を交えた調子になっていた。


 はふ、とクシネが一つあくびをした。


「クシネ、ちょっと眠くなって来ちゃったの。そろそろお宿に帰るの!」

「そうなの。残念」

「アメリアのお姉ちゃん、そんな顔しないでほしいの。クシネ、また来るの!」


 ニコニコと笑いながら、クシネは隣の席に移動して来ていたアメリアの手を取り、両手で強く握りしめた。


 それから、カウンターの中で静かに座って下を向いているマスターへも振り向く。


「今度は、店長さんとも、もーっとお話しがしたいの」


 えへっ、と首を傾げてみせる。毒気のない笑顔が眩しい。


 マスターは一度顔を見ると、ふっと微笑んで、すぐに手元に目線を戻してしまった。今度は帳簿をつけている所だったのだ。日が暮れれば葉揺亭も営業終了であるから。


「……じゃあ、お邪魔したの!」


 クシネは一息に椅子を飛び降りると、隣にあった大荷物を背負って、楽しそうな足取りで夕焼けに染まりつつある町へと消えていった。



 空になったグラスはすでに乾きつつあり、夕日色の汚れが底に側面にこびりついていた。得も言われぬ寂寥感を感じながら、アメリアはそれをしっかり洗って片づけた。


 ――今度は背の低いグラスを用意しなきゃね。


 クシネはまた来ると言っていたから。新しく友だちが出来た晴れやかさも共にあった。


「……アメリア」

「はい? そういえば、今日はマスターずいぶんと静かでしたね」

「君たち二人で十分楽しそうだったから、わざわざ僕が茶々入れる必要ないだろう。それより、これ食べるかい?」


 これ、とは先の残りのパシラディヤである。結局一玉で済ませてしまって、そのまま余っていたのだ。


 アメリアの答えも聞かない内に、マスターは既にナイフを入れていた。やや縦長の球を半分にして、片割れを銀のスプーンと一緒に渡してきた。皮を器に見立て、黄色い果肉の部分を種ごとすくって食べる物のようだ。


 どんな味かと言うと。少し酸味があるが甘い、ただし柑橘類ともまた違って、言葉で表現するなら「こってり」したような味わいだった。種は容易に噛み潰せる硬さ。さくさくとした食感が意外と癖になる。


「おいしいですね。……というか、マスター、あのごちゃごちゃしたお部屋で植物を育ててるんですか?」

「おや、僕が鉢植えをいじってちゃおかしいかい?」

「そうじゃなくて、マスターのお部屋じゃあ木が少しかわいそうだと思ったんです。もっと明るい場所に持って来たらどうですか? 私だってお水くらいはあげますよ?」


 アメリアはスプーンをくわえながらふふっと笑った。マスターは返事もせず、黙々とパシラディヤを食べているのみだった。


 あっという間に食べ終わる。おいしかったけど、特に底部の皮が分厚いせいで見た目より食べられる部分が少なく物足りない。そんな思いを抱きながら、アメリアは残った皮をくず入れに捨てた。


 その時不意に、マスターが小さく呟いた。


「嘘だな」

「ええっ!? ちゃんとお世話しますって! ひどいです、マスター」


 アメリアは腰に手を当てて怒ってみせる。が、マスターは眉をひそめて怪訝な顔をしていた。なんの話だ、と言わんばかりに。


「あれ? 水やりの事じゃないんですか。鉢植えの」

「あっ、ああ……うん、違うよ。それはどうぞご自由にやってくれ。そうじゃなくて……さっきの子だ」


 マスターは窓の向こうを見やった。しかし彼の黒い目の焦点は、もっと遠くにあるようだ。


「コルカ・ミラの民にとってパシラディヤは禁断の果物。口にすることあたわず、掟に厳しいかの町の事だ、背けば裁きは免れない」

「どうしてですか?」

「パシラディヤ、その中でもある系統は、時空に関わる力を含んでいるんだ。コルカ・ミラは時空に関する魔法研究は固く禁じている。聖女コルコ――あの町における神様のような人だ。彼女は魔法により時空に干渉することを忌避し、世界の(ことわり)に従った魔法研究に懸けた。その理念は、現代のコルカ・ミラにも受け継がれている。……あと、純粋にコルコが嫌った食べ物でもあるな。ま、禁忌の正体なんて、往々にしてそんなものだ」

「は、はあ……」


 相変わらず勢いよく語るマスターだが、早い話、コルカ・ミラの住人ならパシラディヤは食べてはいけない、犯罪になる。それが言いたいのだとアメリアは了解した。


 だったらクシネは。平気でエードを飲んでいたし、そもそもマスターが確認した時にも何も言わなかった。むしろ「ぜひ」と。


「あの子は嘘をついている」


 マスターは繰り返す。険しい顔をして、まるでクシネのことを危険人物だと言わんばかりの論調だ。


 アメリアは軽い苛立ちを覚え、口を尖らせた。


「でも、クシネちゃんは全然いい子でしたよ。それに私たちの大事なお客様じゃないですか。町の法がなんですか、今その町に居るわけじゃないんですから、そんなの関係ないですよ。おいしいものは隠れてでも食べたいし。マスターだって、こっそり魔法のお茶を淹れたりしてるじゃないですか。あれだって、治安局の人に怒られてもおかしくないですよ」

「……まあ、そうだね。彼女が自分の責任の下で禁忌を犯している分には、僕たちがどうこう言うものでもないな。ごめん、アメリア。少し気になっただけなんだ。うん、僕が気にし過ぎなだけだ」


 マスターは笑った。笑顔を作っていた。だが、黒い目は静かな闇を湛えていた。それと視線が出会った瞬間、アメリアはどきりと心臓が震えあがった気がした。


 しかし一瞬で過ぎ去る。マスターの瞳には活き活きとした光が戻り、何事も無かったかのように口を開く。いつもの優しく、穏やかな声だ。聞いていて安心する。


「じゃあ、アメリア。本当に鉢植えの世話をしてくれるんだよね?」

「やりますよ。お店に植物があるのも素敵じゃないですか」

「そんなに言うなら任せてみようかな。さっそく持って来るよ」


 店主は果物の皮をくず入れに投げ捨て、ドアの向こうに消えていった。


「鉢植え、どこへ置こうかしら。水やりがしやすいところで、植物だし、お日様の光も必要よね。ふふっ、ハープと一緒だわ。小さい鉢だったら並べられるかしら」


 実のなる木だから小さいはずがないだろうけど、と思いつつ、アメリアは窓辺に目をやった。夕日を浴びてオレンジ色に光るハープが、寂しく演奏を続けている。静かでゆったりとした繊細な音曲の向こうには、もうすぐ訪れる夜の足音が感じられた。


「フルーツ・エード」

果物の果汁に砂糖を煮詰めたシロップを加えて甘味を足し、冷蔵庫で冷やした鉱水で割った冷たい飲み物。

乾いた喉を潤おすにちょうどいい。果肉も加えるか否かはお好みで。

好みや季節によって果物のバリエーションは色々。砂糖のシロップの代わりに糖蜜類をくわえても、風味が出て乙。

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