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めくるめく幻想の世界(2)

 銀のトレイにカップを乗せ、黒いベストの燕尾を翻し、すたすたと客席へ。通りかかりにちらっと横目で真剣勝負をする少女を見て、内心苦笑した。あんなに力を入れて手を震わせていてはだめだなあ、もっと自然体じゃないと、などと。


「はい、ジェニー、おまたせ」

「ありがとう。……さっき、ティモーの話をしていたわね」

「ああ。僕じゃなくて、彼がね。今ちょうど読んでいるんだって」


 マスターはカウンターの方へ目線をやった。話題にされていることにアーフェン自身も気づいていたらしく、ちょうど振り返る。ジェニーと目を合わせると、彼は軽く会釈をした。どちらも常連ではあるが、顔を合わせるのは初めてなのである。


 ジェニーは、若いのに読書家なのね、と褒めるところから入って話しかけた。


「ティモーの手記なら、『密林百日』もおもしろいわよ」

「もちろん読みましたよ。『暗きから明るきに飛び出したとき、私の目の前に現れたのは、荘厳なる神殿だった。いつの時代の何を崇める場とは知れぬが、しかし、神が住まうにふさわしい。私は逸る足を抑え、神の領域に踏み込もうとした。しかし――』」

「『蜃気楼のように消えてしまった』。……夢の跡に残っていたのは、マトニカの花畑だったかしら?」

「カエルラです。『私を惑わすかのように、カエルラの花の海は金色の煙を噴き上げていた』」

「えらいわね、そんな細かいところまできちんと出てくるなんて。よく読んでいる証拠だわ」

「自然に頭に入ってくるんですよ。私がすごいのではなく、そうさせるティモーの文がすごいのです。印象に残るとは、そういう現象で然るべきではないでしょうか?」

「フフッ、そうね」


 本に書かれているのはただの文字だった。だが、脳に焼き付くのは文字が湧き起こす色彩を豊かな情景だ。そして頭に浮かんだだけの実体なき風景を共有し、感動を分かち合う相手がいると、ますますその幻想世界は愛しきものとして心に刻まれる。


 お互い読書家として、語り合える相手がいるのが楽しくてたまらない。カウンターとテーブルで距離があるにも関わらず、楽しそうに語らうアーフェンとジェニー。


 その姿を、アメリアはカウンターの中から呆けたように見ていた。さっきまであった壁が、あの二人の間からは感じられない。自分と向こうの二人の間にはある。見ていることしかできない。


 客人同士で盛り上がっているのなら、自分の出る幕はない、と、静かに定位置へマスターが帰ってきた。そして着座するなり読書を再開した。記号じみた細かい文字が並ぶ紙面と睨み合いながら、時々口角をあげてみたり、眉間に皺を寄せてみたり。また本の世界へ入り込んでいく。


 さすがにこの狭い店で一人取り残されたら寂しい。アメリアはマスターの背中にはりつくようにして、語りかけてみた。


「あのう、マスターは何を読んでいるんですか? さっきから楽しそう、ですけど」

「ん」

「いえ、表紙を見せられたって、書いてある文字が読めないです」


 自分のまったく知らない字だ。他所の大陸の言葉か、下手すれば古代文字の可能性だってある。マスターは本当になんでも知っているし賢いから、暗号すらも読めたって不思議じゃないと思う。


 アメリアの指摘に対してマスターは肩をすくめると、今度は異言語そのままで文字を音読した。語尾が上がる音の響きが印象に残る。が、見てわからぬものを耳で聞いたところで、理解できるはずがない。またそうやってからかってくるんだから、とアメリアは目を尖らせた。


「私にわかる言葉で言ってください」


 そう詰め寄ると、マスターは仕方ないとばかりに肩を落とした。そしてどことなく嫌そうに、ぼそりと一言呟く。


「『ルクノール幻想奇譚』」


 その途端、客席側から二人分の息を詰まらせる音が聞こえた。質問した当のアメリアは、むしろ二人の反応にぽかんとしている。なにがそんなに驚くほどのことだったのか、さっぱりわけがわからない。神話や伝承の本なんて、マスターはいつも読んでいる。アメリアは異様な反応を見せる二人の客と、ほら見たことかと苦い顔をしているマスターとを、交互に忙しなく眺めた。


 矢も楯もたまらず、ジェニーが仕事を放棄してカウンター席まで飛んできた。勢い余って銀縁の眼鏡がずれてしまったが、もはやそれすら気にならないらしい。


 また、ミルクティでむせ込んでいたアーフェンが、呼吸を整えきらないままに心からの叫びをあげた。


「き、貴重書じゃないですか! 超一級品の! 幻の! しかも、もしかして、原本だったりするんじゃないですよね!?」

「いや、これも写本だよ。所々文章が飛んでいるしさ。さすがに正本はもう地上のどこにも残ってないんじゃないかな……」

「どっちにしたってお宝よ、古代語でしょ、それ。状態も良さそうだし。もう、今すぐ譲ってほしいくらい! ……駄目、よね?」

「勘弁してくれ。僕だって友人から借りている身なんだから。大事にしないと」


 アメリアはすぐ隣の熱気をぼーっと見ていた。とにかく神様に関係があるすごい本らしい。それくらいしか理解できないから、どうにも一緒になって騒げない。


 すっかり興奮しきっているアーフェンとジェニーは、マスターが露骨に鬱陶しそうな顔をしていても、追及の手を緩めようとしなかった。


「出所は聞いたの? まさか盗品とかじゃないでしょうね。そんなの、重大事件よ。人類全てに対する冒涜だわ」

「妙な嫌疑をかけないでやってくれ、いい子なんだから。古物屋で偶然見つけたらしい。二束三文の値段がつけられて、埃をかぶっていたって、驚いていたよ」

「そんなぞんざいに扱われていい代物じゃないでしょうに! 教会の聖典の元になったとも言われる、有名な幻の書物なんですよ!?」

「書物なんて、文字が読めなければただの紙束でしかないからね。がらくたに紛れていようとおかしくないさ。燃料にされなかっただけいい方だ」


 本当にそうだ、と、傍で聞いていたアメリアがぶんぶんと首を振って同意した。何も知らない目で見ると、古くかび臭いただの紙束でしかない。もし自分が倉庫で見つけたのだったら、ぱらぱら見て読めなくてつまらないことを確認したあと、薪と一緒にくべて燃やしてしまっていただろう。


「珍しいのはわかったんですけど、それでその本、おもしろいんですか?」

「まあね。むしろ感心する。よくこれだけの逸話を綺麗にまとめたものだよ。写本にしろ、写すだけでも一苦労だっただろうに……ほら、これとかね」


 そう言って、マスターは今読んでいた所からページをさかのぼる。開いて皆に見せたページには、一面を埋め尽くすように緻密な柄の紋様が描かれていた。おお、と、どよめきが上がった。アメリアも、これには感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。


 紋様を構成する最小の要素は、細い線で密に描かれた曲線と直線だ。点から起こる直線は、枝葉のように分れ、花を咲かすがごとく弧を描き、四角い箱に納められ。あるいは流れる川のように幾本もの曲線が集合し、果てには渦を描いて終点となる。まるで筆の運び一つ一つに、深い物語が込められているよう。そんな線が無数に集まり、大きな模様を描いている。禍々しさと神々しさを併せ持ち、しかし直感的には美しさを感じるように均整がとれている。かつ端の方はぼかされ、まだ広がりを持つ雰囲気を醸している。写すのも大変だろうというマスターの言には、心の底から同意せざるを得ない。


 果たしてこれはなんなのか。お偉いさんの紋章か、絨毯に編まれた図柄か、あるいは誰かの絵画なのか。――どれも違う。そう否定すると、マスターは目を細めて、感慨深く語り始める。


「これは、一種の魔法陣なんだ」


 宝物を愛でるように、紋様の描かれた頁を指でなぞる。


「巷で神と呼ばれるルクノールなる人物が、昔時、己が一番弟子アルヴァイスに与えたもの。まあ、俗に言うと宿題みたいなものだ。自分に近づきたいのならこの術式を解け、って具合に。ついぞ解く事はできなかったようだが――」

「待って待って! なんか色々すごいこと言ってるけど……ほんとなの?」

「ああ。実際にそう書かれてもいる。もっと言うなら、この図版の引用元がアルヴァイスの手記だってさ。『我問う。物を見ずして全てを知るには、いかにすべきか。師、心で見よと答えるのみ。そして複雑怪奇な式を提示す』。うん、こんな堅苦しい調子だ」

「ちょ、ちょっと待ってください。それが本当なら、その紋様さえ解読すれば、神になれるって話……ですよね?」

「なりたいのか」

「そういうわけじゃないですけど。でも、理屈だとそうですよね」

「……まあ、歴史に名を残すくらいはできるんじゃないかな。史上最も聡いと讃えられた男に解けなかった術式を導き、神と呼ばれる存在の理解者となるわけなのだから。万が一にもできたらの話だけどね」


 からからとマスターは笑っていた。そんなこと何があってもできるはずがない、そう確信しているように。


 だがジェニーは真剣なまなざしで例の陣を見つめている。口元に手を当てて、小さく呟いた。


従弟(おとうと)に見せてみようかしら。あいつならもしかしたら……」

「やる気かい? ただ、これ、そもそも端の方が欠けているんだよ。だから難しいだろうね。書写の間違いも考えられるし」

「元々ぼやけたものってわけじゃないんですか」

「そうだ。この写本を作った人か、底本からあったのかはわからないけれど、欠落ありって注が入っている。それに、魔術に使われる術式を書き表すのなら、円形か角形の枠で収めるのが規則なんだ。じゃないと、どこからが式なのかわかりやしないから」

「もう、マスター本当に色々詳しいわね。普通は魔法の規則なんて知らないわよ」

「伊達に本ばかり読んで引きこもっていませんから」


 マスターがにやりと笑んで片目をつむる。同時に楽しそうな笑い声が響いた。


 なおも、知者たちは独特な世界を展開して盛り上がっている。神ルクノールと使徒アルヴァイスについての見識、教会についての意見、古文書や貴重書の扱いに関する議論、など。


 ただ一人、アメリアだけがひどい疎外感を感じていた。マスターは言わずもがな、ジェニーやアーフェンだって、自分に比べれば遥か高みにいる。先ほどから頭上を飛び交う高度な単語にはついていけない。


 ――つまんないの。


 アメリアは一人仏頂面で、先ほど取り分けたミルクティを手に取った。時間が経って少し冷めてしまったが、陶器のポットは意外と保温力が高いから、まだおいしく飲める温度である。カップを取り出して、少し注いで、砂糖をちょっぴり溶かしたら、一息に飲み干した。


「今日もおいしい」


 普通に淹れた紅茶にミルクを足すより、煮出しの紅茶はずっと濃厚な味わいだ。大好きなお茶である。思わず笑みがこぼれるし、実際に感想が口からこぼれでた。


 しかし、誰も構ってくれない。いつもならマスターが茶々を入れてくる、それを少し期待していたのに。はあ、とアメリアは溜息をはいた。


 拒絶感すら覚える難解な言葉の渦から離れ、アメリアは窓辺のテーブル席に向かった。玄関を入って両側にある内、空席になっている方である。


 誰か他の人が来てくれやしないかと窓の外をみやるが、そうそううまい話はない。太陽にさんさんと照らされる道があるだけだ。


 ――つまんないの。


 そのままぐでんとテーブルに身を投げ出した。ひんやりとした板が心地よく、つい目を閉じた。このままだと眠ってしまいそうだ。


 一応営業中で仕事中、居眠りはよくない。だから対策として、アメリアは考えごとを始めた。もしも一人でどこかに行くのなら、どこへ行きたいか。何を見てみたいか。


「……海、いいなぁ」


 青くて、広くて、綺麗だと。話は散々聞かされるし、絵なら見たことがある。だからわりと簡単に想像がつく。そして想像力を強く働かせれば、自分が海辺を散歩している風景も浮かんできた。今、頬を寄せているのが板のテーブルでなく、波寄せる砂浜であるのだ。想像すれば本当にそうである気がして楽しくなってきて、アメリアは目を閉じたまま、くつくつと笑った。


 穏やかな空気で居心地の良い喫茶店。そこは異世界へ旅立つのに最高な場所である。落ち着いた心で書物をめくりながら、あるいは、目を閉じ自分の内面と向き合いながら。めくるめく幻想の世界へ。

葉揺亭 本日のメニュー

「煮出しのミルクティ」

茶葉をたっぷりのミルクでじっくり煮出した、濃厚なミルクティ。加熱された乳からでる自然な甘みが特徴。

ミルクに負けない濃いめの茶葉を使うと良い。葉揺亭では「アセム」の葉を仕様。

また最初に湯で茶葉を開かせるのもポイント。この時の湯量とミルク量の比率で、飲み口が軽めにも重めにもなる。

難点は調理に時間がかかる事。ゆったりと待つ時間を楽しめる日にご注文を。

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