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めくるめく幻想の世界(1)

 葉揺亭の主は基本的に外へ出ない。本人いわく「お日様の下に出られない体質」で、そんな風だから買い物やなんかは店員であるアメリアの仕事だ。今日も日が高い最中に店を離れ、果物の買い出しに行ってきた。バスケットを手に提げて、スキップしながら店に戻る。自分がいない間に誰かお客さんは来ているだろうか。


 蔦の葉のレリーフが印象的な葉揺亭の玄関を開ける。その向こうに待っていたのは、しんと静まりかえった空間であった。


 いや、静かだからとて人が居ないわけではない。むしろ閑古鳥が鳴くことが多い店としては、御の字を掲げたいぐらいに人が居る方であった。入ってすぐ右手にある窓辺のテーブルで、ノスカリア一の大商会の会長秘書であるジェニーが、山ほどの書類を広げて黙々と仕事に打ち込んでいる。そして店を横断するカウンター席には、アメリアと同じ年頃の少年アーフェンが、すっかり常連風を吹かして座っており、彼の対面にはマスターも居る。計三人だ。


 それでいて誰も一言も喋らないから静かなのである。離れたところに居るジェニーはともかく、カウンターの男二人はすぐ目の前にいるというのに、お互い相手に目もくれず、自分の手元に視線を落としている。なにかというと、読書だ。それぞれ熱心に本を読んでいる。


 傍から見れば同じ場所に居るのに、本人たちしか見えない壁で別の世界に分けられているかのよう。そんな様子が少しおかしくて、アメリアは思わず吹き出していた。小さな声で、静寂を壊さない音量で。


 だがマスターは耳ざとい。ぴくりと反応し、顔をあげた。


「なんだい、アメリア。帰ってくるなり急に笑いだして」

「だって、二人して真面目な顔で本を読んでるんですもの。せっかく目の前に居るのにお喋りもしないで。なんだかもったいないなあ、って思ったんです。読書なんて、一人でもできるのに」


 指摘された当人たち同士は、至極不思議そうに顔を見合わせた。そんなに変な事をしているだろうか、いやそんな事ない、と目で話し合っている。


 アメリアに対しての釈明はアーフェンが行った。すました笑顔を浮かべている。


「確かにアメリアさんの言う通り、読書は一人でできますが、ここに居るととても落ち着いて読めますからうってつけなのですよ。ギルドでは、うるさいのがいるせいで集中できなくて」

「でも、別にここじゃなくてもどこでもできるじゃないですか。外のベンチでも、自分の家でも、一人になれますよ?」

「そうですけど……気分の問題ですよ。本を通じて非日常の世界へ飛び出すのには、自分がいる場所の空気も大事なのです。両者の空気が馴染む事こそが、別世界への道を開くための鍵、とでも言いましょうか」


 気取った風に語りあげると、アーフェンはいやに格好をつけた所作で紅茶の入ったカップを手に取り、口につけた。今日の紅茶はシモンという名の種類で、独特の埃あるいは煙と形容される香りが特徴だ。情緒ある空間で、上質で特別な紅茶を嗜みつつ読書にふける。ああ、絵に描いたように素晴らしい一時だ、とアーフェンは恍惚としていた。


 アメリアは、わからないなあ、という顔で首を傾げた。向こうとこちらの間には、やっぱり目に見えない壁があるんじゃないかと噛みしめた。


 理解できない物はさておき、買い物かごの中の戦利品を片づけよう。果物をしまう冷蔵庫はカウンターの内側、作業台の足元だ。ちょうどその前にぶら下がっていたマスターの足をつつき、横へ退けさせる。


 魔法の宝石が冷やす箱の中でてきぱきと手を動かしながら、アメリアは近くに居るついでに、くらいの気持ちで聞いてみた。


「マスターも同じですか? お客さんの前で本を読むのは、気分の問題ですか?」

「んー、と今は、彼のご注文の品ができるまでの待ち時間を潰している所だね。まあ、気分と言ったらそうかな。これ、早く読んじゃいたいから、隙間時間も有効活用しないと」

「待ち時間ってなんですか?」


 アーフェンは既に紅茶を飲んでいるけれど。アメリアが顔を上げると、マスターが魔法火の焜炉を指さしているのが目に入った。


 片づけ終わって立ち上がりざまにその方を見ると、なるほど、小さなミルクパンが弱い火にかかっていた。中ではほんのりと茶色がかった乳白色の液体が、目に見えるか見えないかの湯気を静かに立ち昇らせている。見ていると、ふわっとミルクの匂いが鼻に届いた気がして、思わず顔を蕩けさせた。


 ミルクで紅茶を煮出しているのである。細い火でじっくり仕掛け、鍋を噴かせないようにゆっくりと茶を抽出する。注文してから作るため、長い待ち時間ができて当然で、その間に他の事でも、その間に別の紅茶でも、となるのにも納得がいく。


 ところで、とマスターが目を本に向けたまま口を開いた。


「アメリア、君もどうだい?」

「もちろん私も飲みたいですよ」

「そっちじゃなくて、読書の方だよ。字が読めないわけでもないのだしさ。読むなら適当に一冊持ってくるけど」

「嫌ですよう。マスターの持ってる本は、難しいのばっかりですもの」


 アメリアはぶんぶんと手を振って拒否感を示した。亭主はよく本を読む男で、私室には古今東西あらゆる書物が積まれているし、営業中も暇があればいつも手に本を持っている。時々隣から覗いてみたりするが、ちんぷんかんぷんだ。お決まりのように内容が小難しいし堅苦しいし、そもそも、アメリアの知らない言語の本を読んでいる場合が多い。今だって、見たことのない文字が並んでいると遠目でわかる。


 マスターに本を借りるぐらいなら、まだアーフェンに紹介してもらったほうがましだ。口にはしないで、一人でうんうんと頷く。が、そう思ったのはアメリアだけではなかったらしい。


「じゃあ、彼に良い本を教えてもらえばいい。僕よりは君に近いだろう。歳とか、考え方とか、知識量とか、色々」


 アーフェンは再び本の世界に没入し始めていたところだったが、名前を呼ばれて顔を上げた。虚をつかれた表情をしていて、会話もまるで聞いていなかったようだ。なんだか申し訳ない、とアメリアは思った。これでは聞かないで終わるわけにもいかない。


「あの、アーフェンさんは何を読んでいるんですか?」


 自分の得意分野へ話題が転じると途端に饒舌になる人間は一定数いるものだ。このアーフェン=グラスランドなる少年も、まさにその類だった。居丈高に椅子に座り直すと、得意げな口調で語りだす。


「今はティモー=トリスムの『波風紀行』です。すごく有名な紀行文なのですが、ご存じありませんか? 書物を読もうと志せば、誰もが一度は手に取るほどのものですよ。子供向けに抄訳されたものも存在しますし、知らないとはもったいないですね」

「え、えっと……どういうお話なんですか」

「そうですね。一言で言うなれば、偉大なる冒険者が記した船旅の記録です。ああでも、ただの日記と一緒にしてもらっては困りますよ。そもそも、このティモーという男は、世界で初めて帆船で――」


 アメリアは顔を引きつらせて、アーフェンがまくしたてる内容をただの雑音として受け流し始めた。


 興味なさ気な聞く手の表情を無視して喋り続ける、こうなってしまった人をまともに相手するのはとてもとても面倒くさい。ただ、アメリアはこの手合いへの対処法を心得ていた。なぜならば、一番身近にいる存在がまさに典型例だから。


 とりあえず、一番簡単な方法を取る。一方的に喋らせないように割り込んで質問をして、少しずつ自分の興味の方へ話を引きこむのだ。


「それで、結局その本はおもしろいんですか?」

「ええ、とても! 読めば読むほど、旅に出たくなります。何回読んでも飽きません」

「どんな旅なんですか?」

「例えば……まあ、有名な一節なんですけどね。『潮風に吹かれ帆船の上で見る海原は、何と素晴らしきことか。母なる海の波間に揺られて、雄大なる自然の風景に抱かれる旅路とは、かくも贅沢なものか。波間から顔を出す海竜の威風堂々たる様は、航海を見守る守護神のごときものであった』とか」


 はう、とアメリアは目を見張った。海、船、竜。単語を並べるだけでも、確かに興味をそそられる情景だ。海を見た経験がないから余計に、憧憬として心をくすぐってくる。


 関心を引けたことにアーフェンは頬を緩ませて、さらに調子よく語る。


「今の一節で『海竜』という単語が出てきたのですが、おもしろいことに、ティモーは具体的な姿をどこにも記述していないんですよ。するとどうでしょう? 我々読んだ立場の者は、一体どんな生き物か想像する。そして想像した後は、正解を知りたいと思う。そう、旅に出たくなるとはこういうことなのですよ。この読み手を行動に駆り立てるほどの力があるからこそ、ティモーの紀行文は誉めそやされるのでしょうね」

「はあ……」

「さあ、アメリアさん。今度はあなたの番です。『海竜』とは、一体どんな姿だと思いますか?」


 少年らしい快活な笑顔でアーフェンは投げかけた。


 一応、素直に想像してみようではないか。海竜とはどんなものか。竜と冠する以上、巨体で、鱗があって、鋭い牙や爪を持つに違いない。童話や空想劇、あるいは詩人のサーガや講談など、アメリアが耳にする物語で描写される竜とはそういうものだ。もちろん実物など見たことがない。もしノスカリア近辺にそんな巨大な怪物現れたら、歴史に残る大事件になるだろう。


 そして話に聞く竜にはもう一つ、翼が生えていて空を飛ぶという大きな特徴がある。だが、海中に住まう海竜には翼があるのだろうか。空を駆る必要が無いのだから、翼が無くてもいい、むしろあると邪魔なのではないか。


 だが、翼が無い竜を想像すると、その辺で見かけるトカゲが大きくなっただけの物になってしまった。威風堂々、守護神、そんな言葉とは縁遠い。


 逆に神様っぽいなにかという方向から攻めてみよう。この世の神、ルクノールがどういう姿をしているかというと、人型で、真っ黒の長衣を着ていて――


 ぱたん、という空想の世界を閉じる音が響いた。


 はっとして隣を見ると、ちょうどマスターが立ち上がる瞬間だった。待っていた物ができたらしい。暇つぶしの読書談義はおしまいだ。


 焜炉にかかっている小鍋を覗くと、さっきはまだ白かったミルクが、しっかりとした紅茶色に染まっている。ミルクの成分が固まった分厚い膜が表面に張っていた。会心の出来なのだろうか、マスターがにんまりと口角を上げた。


 これをおいしく飲むためには、膜や茶葉を濾さなければいけない。安全第一なら、口の広いザルとボウルなんかでやるのが良いが、器用さに自信があるならその必要はない。マスターはティーカップを湯通しして温め、手にした柄付きの茶こしを上にかざした。


 と、その時。ジェニーからもここぞとばかりに声がかかる。


「マスター。私もおかわりの珈琲をもらっていいかしら?」

「ああ、わかった。……じゃあ、こっちはアメリアに任せるよ。できるね?」

「任せてください」


 胸を張ってマスターから茶こしを受け取った。やる事は簡単、こぼさないように鍋の中身をカップに注ぐだけ。ちょっとばかり的が小さめだけれども、慎重にやれば大丈夫だ。隣から聞こえる珈琲豆を挽く音は意識しないように、アメリアは手元にすべての注意を向けた。少しずつ、ちょろちょろと注いでいく。


「……あっ!」


 上に張った膜が邪魔をして思ったようにミルクティが流れず、狙いを外れた方向に行ってしまった。とっさに鍋の傾きを逆にしたことで大惨事は免れたものの、カップの縁から外側に、みっともない茶色の線が何本も流れてしまっている。


 アメリアはひやりと青くなった顔を上げた。苦笑しているアーフェンと目が合う。これは彼に出すものだったのに。


「ごめんなさい、やり直します。量には余裕がありますから」

「いいえ構いませんよ。中身がおかしなことになったわけではありませんし」


 優しい言葉に赤面しながら、慌ててクロスを水で濡らし汚れを拭き取った。そして、ソーサーに乗せて、カウンターの向こうに渡す。


「……本当にすいません」

「気にしないでください。誰にでも失敗はありますよ」

「そうだよ、アメリア。ああ、鍋に残っているのは適当なポットにでも濾しておいて。そのままにしておくと、どんどん渋くなっちゃうからね」


 マスターが紅茶を煮出す時は、いつも多めに作るようにしている。煮詰まり方はその時その時で微妙に変わるから、ぴったりを狙いすぎると量が足りなくなる危険があるし、一度作るのに時間がかかるものだから、客にもう一杯と頼まれる事例を思えば、最初からまとめて作っておいた方が良いことばかりだ。余ったら余ったで、アメリアが喜んで消費するから問題なし。


 よし、今度こそ綺麗にやろう。そう思って、アメリアは食器棚を見上げた。色々な形のティーポットが並べられている。その中から、一番口が大きいものを一生懸命見繕う。的が大きければ、外す確率も低くなるから。


 一方でマスターは、ジェニーに出す珈琲の抽出を終えたところだった。いつもなら、これをテーブル席に持っていくのはアメリアの役目。しかし彼女は今、選んだポットとにらめっこしながら集中力をすり減らしているところだ。邪魔はできないから、マスター自ら出向く。


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