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喫茶店という世界(3)

 お茶を一通り味見したところで、お次はパンだ。ちょうど昼食時、おいしそうな料理の匂いが漂う中にずっといたから、アメリアのお腹もぺこぺこである。偵察のことは一時頭から遠ざけ、食欲に正直にまだ温かいパンへかぶりついた。


 外はかりっと、中はふわっと。申し分のないおいしいパンだ。加えて中からとろっと溶けたチーズが出てきた、これがたまらない。その中に散りばめられた、赤っぽい色あいの、ぱりっとした食感で、馬蹄のように曲がっている何かの食材がとても強い旨みをもっているのだが、アメリアにはその正体がわからなかった。ノスカリアでは珍しい食材なのだろうと思う。


 アメリアは夢中でパンを平らげた。口の中が渇くから、時々水を飲みながら。頼んだお茶でないのは、甘い香りがパンにあわなそうだったのと、熱い茶より水の方が潤いをもたらすのに向いていたから。がつがつといきたい時には、お茶を吹いて冷ます時間すらもったいない。


 だから残りの紅茶はパンを食べきってからゆっくり楽しもう。そう思っていたのだが、一つ問題が生じた。


「んー、温くなっちゃった。ポットで出してもらえるように頼めばよかった」


 カップに出した紅茶は意外とすぐに冷めてしまう。ゆっくり飲むならポットから少しずつ注ぎながら飲むべきだが、完全に失念していた。より詳しく言うなら、葉揺亭の様式が身にしみついており、紅茶はポットで出てくるのが当たり前だと思っていた。よくよく考えてみると、食堂なんかで茶を頼めばカップに入って出てくる。


 まあ、過ぎたことは仕方ない。アメリアはぬるくなり渋みの際立ち始めた茶を、ちびちびと口に入れた。


 そんな最中、アメリアの隣の男が席を立った。なんでもない動作だったのだが、席の間が狭いせいでやたらと気にかかった。


 隣の男が連れと共に帰っていくのを横目で見ていると、彼らが去るのを待っていたかのような素早い反応速度で店員が近寄ってきて、空いた皿を重ねて下げた。と思えばすぐに皿を置いて戻って来て、こんどは持ってきたクロスでカウンターをささっと拭き、そのまま次の客を招き入れた。空いた席はこうやってあっという間に埋まるのだ。


 新しく横幅のある男が座るのを見ながら、アメリアはぽけっとしていた。なんともまあ素早い身のこなしだった。喫茶店の店員として、ここの人たちの方が一枚も二枚も上手な気がしてきて、心中穏やかでなくなる。これは店の抜本的改善だけでなく、自分の鍛錬も――


「このお皿、引いちゃっていいかしら」

「はっ、ハイ、大丈夫です」


 考え事をしている中にかけられた声、慌てた返事の声は裏返ってしまった。店員はそれに特別な反応は示すことなく、パンを食べ終わった皿を持つと、早足で去っていった。


――えーと、色々考えていたけどなんだったっけ。


 気を取り直すようにアメリアはベリー・ブレンドの茶をすすり、もう一度初めから考え直す。


 と、今度は後ろから大爆笑が轟き、びくんと肩をすくめることになった。驚いて振りかえれば、中央のテーブルの団体客が、机をばんばん叩き、足をばたばた踏み鳴らしの大騒動だ。誰も彼も顔が真っ赤、どうやら昼間から酒を飲んで酔っぱらっているらしい。


 振り向きついでにそのまま客席を広く見渡してみた。そして、気づいた。お茶を飲んでいる人が異様に少ない。時間帯が昼の食事時であるせいかもしれないが、それにしたってどのテーブルにも料理の皿ばかりだ。中には菓子を食べている人だっているのに、紅茶のカップがある卓は非常に少なく見える。


 アメリアは違和感を覚えた。ここは、茶が売りの喫茶店ではなかったのだろうか。どうしてみんなお茶を飲まないのか。確かに食事もおいしい、でも、紅茶が本命で、そう言うだけあってしっかりおいしいのに。不思議でしかたがない。


 もやもやとしたものを抱きつつ、アメリアはベリー・ブレンドの紅茶に舌鼓を打った。ちょっと渋みは立ってきているものの飲みやすい温度だったから、ついごくごくと干してしまった。空になったカップを置きながら、甘い香りの余韻を楽しむ。


 さあ、色々と材料は揃って来たから、今度こそ真剣に考えてみよう。葉揺亭がこの人気店に負けないようにするには、どんな手段があるか――


「お水お注ぎしますね」

「はっ、はい!」


 二重の意味で水を差され、アメリアの思考は中断した。グラスに水が注がれるのを黙って見つめている、その間は思考がぴたと静止する。


 おまけに、店員は空いたカップも黙って持っていってしまった。空だったのだからよいのだが、食器が無くなってしまうとなんとなく寂しい気持ちだ。


 最後に残されたデジーランのカップを砦として、アメリアは再度、ひとり作戦会議を始めた。


 が、やはり気が散ってしかたがない。とかく客の声が賑やかでそちらに意識を持っていかれるし、動き回る店員が視界の端に映ると、その忙しなさに心が引きずられる。店中に漂う料理の匂いも、じっくり考え事をする今となっては邪魔にしかならなかった。


 葉揺亭を変えるには。それに対して何も良い案が浮かばないまま、紅茶のみが減っていく。すっかり冷めて鋭い渋みが出てきはじめた、もうあんまりおいしくない。


 今のうちに飲み干してしまった方がいい。わかっているけれども、アメリアはわざと一口分を残したままにした。空にしてしまえば、またすぐに取っていかれてしまうだろうから。こんなに混雑した店内で何もないテーブルを前に、堂々とくつろいで見せる図太さはさすがになかった。


 カップをおいて、頬杖をつきぼんやりと思う。マスターだったら、この店に来たらなんと思うだろうか。そうだ、一度彼になりきって考えてみるのはどうだろう。名案だ、とアメリアは思った。マスターがするように足を組み、カウンターに肩肘を付いて。散らかった心を穏やかに静め――。


 駄目だった。案が悪かったのではない。また店員が背後にやって来たと気づいてしまい、思考を中断させざるを得なかった。


 声をかけられたところで振り返る。今までとはまた別の店員だった。にこやかにほほえむ顔は人好きのする気持ちのいいものなのだが、どことなく不自然でもあった。


「お客様、メニューをお持ちしましょうか?」

「……へ?」

「もし何か追加でご注文がありましたら」

「ええ!? いえ、ありませんよ」

「……そうですか、失礼しました」


 店員の貼りつけたような笑みがにわかに曇ったのを、アメリアは見逃さなかった。あげく、彼女は去り際にカップを一瞥していった。


「……やだなあ」


 本音が口をついて出た。店側の気持ちはわかるが、ああも露骨に注文を催促されては嫌な気持ちになる。


――いけないいけない、気が散っちゃってる。


 アメリアは一生懸命ぼーっとしようとした。一度雑念を何もかも綺麗にして、今度こそ考え事に集中するために。


 しかし。視線が気になる。じとっとしたまなざしが、一本二本ではなくもっとたくさん、アメリアに向かって注がれている。これをまったく無視して居られるほど無神経ではない。


 落ち着かない心を紛らわすため、最後の一口をさらに細かく分けたちょびっとの紅茶でアメリアは口を濡らした。ああ、もうすっかり渋い。きゅうと眉間に皺が寄る。


 そんなアメリアの目の前に、隣の男の肘が出てきた。向こうははみ出していると気づいていないらしい。カウンターが狭いからしかたないだろうが、気にさわる。


 ――いいや、とにかく考え事に集中。気にしない、気にしない。


 だが、そうやって無心になろうとするほど、店内の騒々しさが、料理の匂いが、店員の目線が存在感を増し、アメリアの心は――。




 一人の客も居ない喫茶店に、蔦の葉扉が開く音が静かに響いた。ゆっくりと、どこかくたびれたような音色だった。その音に、カウンターの内で瞑想に浸っていた店主は顔を上げた。


 やって来たのは客ではなく、アメリアだ。出ていった時の勢いはどこに置いてきたのか、疲れたを超えて擦れたような顔をしている。少女らしい快活さがどこにもない。


 マスターは努めて普段通りの声音で言った。


「やあアメリア。ずいぶん早いお帰りだったね。それで、敵情視察の感想は?」

「おいしかったです。でも、なんか……好きじゃないです」


 ふてくされたように言いながら、アメリアはカウンターに歩み寄り、なぜか客席側に座った。


 マスターは片眉を上げた。妙な行動である。アメリアは座ってうなだれたきり、何も言わないし。


 しかし、カウンター越しに対面するならば、そこで望まれるものはただ一つだ。マスターは無言のまま、とりあえずシネンスの紅茶を一煎仕立てて、客にするのとなんら変わらぬよう、白いポットとカップとストレイナーとをセットにしてアメリアに出した。


 アメリアも何も言わずにポットから紅茶を注いで、静かに飲んで。それから、頬杖をついてぼんやりとする。彼女の青い目は何も無い宙を眺めていた。


 無の空間。そう断言して過言ではない静寂に葉揺亭は包まれた。


 そのまましばらく時が流れ、そして、アメリアが不意に大声を出した。 


「やっぱり違う!」


 きんきんとした声が空気を割いた。マスターが面食らって思わず耳に手をやる。


 アメリアはそんな主人に向かって、心の中に溜まっていた鬱憤をまとめた言葉を思いの限りぶつけた。


「駄目ですよ、あんなの! せっかくお茶がおいしいのに、みんなご飯ばっかりで。だいたい、お茶が自慢って聞いてたのに、全然少ないんですもの! メニューに書いてあるだけで全部、ですって。信じられない!」

「いや、それは僕の方が特殊というか、異常な側でさ……それが普通だよ。責めるんじゃない」

「でも、それだけじゃないです。ポットじゃないからすぐに冷めちゃって、ゆっくり飲めないし。考え事したくっても、うるさいし狭いから全然落ち着けないし。ぼーっとしてたら、嫌な感じでじろじろ見られるし! マスターだったら、お客さんが何をしてても、寝てる人にだって文句を言わないのに。……おかしいです、間違ってます! 最低です!」


 目をいからせてわめきたてるアメリアを前に、店主は困ったような溜息を隠さなかった。


「やれやれ……極端から極端に走るなあ、君は。見る前はあんなに絶賛してたのにさあ」

「だって! 変ですもん、あんなの。あんなお店に――ムギュ!」


 止まらない暴言を見かねて、マスターはカウンター越しに手を伸ばし、アメリアの頭を押さえつけた。そしてそのまま、わしゃわしゃと金色の頭を撫でまわす。


「うん、言いたい事はよくわかった。君の感想としては聞くよ。でもね、その頭ごなしの否定を他者へ押し付けないように。向こうには向こうのやり方、考え方があるんだよ」

「でもう……」

「そうだなあ。ただ足を休め喉を潤おすだけならば、椅子と場所さえあれば十分だ。ただ舌と腹を満たすなら、重視されるのは味と量、それを押さえておけば問題ない。別にのんびりなんてしなくていい、会話に勤しむ暇なんてなくていい、求めるべきは素早さ、そして効率だ。ああ、この忙しないノスカリアで商いをするには実に理にかなっている。オーベルさんが喚くのもよくわかった」


 根っからのノスカリア人であるオーベルには、新店の商売にかける情熱と確かな手腕がより肌身に感じられたのだろう。いかに空間をうまく使い、いかに効率よく席を回転させ、いかに広く客を集め儲けるか、そこに心血を注いでいる。だからこそ、葉揺亭が潰されないかと危機感を抱いた。至極当然の流れである。なおかつノスカリアの商売人としてしのぎを削るなら、おそらく向こうのようなやり方が正しいのだ。


 傍から見ておかしい、異世界じみた運営をしているのはこちらだ、マスターは重々理解していた。それでも譲れない物がある。


 アメリアが空回りながら店のことに真摯になっていた間、マスターとて何も考えていなかったわけではない。葉揺亭をどうするか。自分がこの喫茶店の主として、どんな世界を創っていきたいのか。考えて、結論を出した。結局は初心の再確認になってしまったのだけれども。


「アメリア。僕はね、葉揺亭には、ただがむしゃらに飲食をするためだけの場所にはなって欲しくないんだ。僕の大事なこの場所を、そんな風に乱暴に扱われたら、とても寂しいから」


 食べるだけ、飲むだけ、それだけではない。喫茶店には人が居るし、外から切り取られ、主の心を反映して演出される特別な世界がある。そのすべてをひっくるめ、やっと一つの店になるのだ。マスターはそう信じていた。大事なのは全体の調和、食べ物ばかりが取りざたされ、己が心を注ぐ他のものがないがしろにされるような事態は望まない。


 目と目を合わせて伝えられた思いは、すんなりとアメリアの心の中に納まったらしい。


「私も、そんなの嫌です」


 彼女の答えは力強かった。



 それから十日が経った。


 葉揺亭は何も変わらなかった。客は少なく、マスターとアメリアとで和気藹々としている時間の方が長いぐらいだが、これが平常だから問題ない。アメリアが書いた例のメニュー帳もとっくにごみとして燃やしてしまった。


 そして、欠かせず毎朝やってくるオーベルも、それが日課になってしまったとばかりに、件の新しい喫茶店のことを大声で教えてくれる。別に聞いてもいないのに、だ。


「おいおい、昨日もあっちの店は大繁盛だったぜ。うちのかかあも夕方に行って、ささっと菓子食って来たって言うしよ。まったく、すげえもんだよ。いよいよまずいんじゃねえの、ここもよ」


 不安を煽るように言われても、アメリアはもうなんとも思わなかった。


 しかし、これが毎日続いているものだから、ついつい意地悪もしたくなってしまう。アメリアは後ろ手に組んで、茶化すような口調で言った。


「でも、オーベルさんは葉揺亭に来てくれるんですもんね。お茶を飲むのなら、そちらのお店でもできるじゃないですか。わざわざお家から遠いここまで来なくたって、そっちの方が近くて楽なのに。うーん、オーベルさんは、よっぽど葉揺亭のことが大好きなんですねえ」


 うふふといたずらっぽく笑うアメリア。


 うっ、とオーベルは息を詰まらせた。わざとらしい咳払いをして、少し視線を泳がせる。うろたえる様子を、アメリアもマスターもにやついて鑑賞していた。


 やがてオーベルは開き直って胸を張った。


「おう、そうだよ! 大好きだよ! あー、だからなんだ。俺は、この店が無くなってもらっちゃ困るんだよ! わかったかこんにゃろ! 俺は、朝はここが一番好きなんだよ!」


 言ってから照れくさくなったのだろう、オーベルは二人より視線を外し、いそいそとコルブの紅茶が入ったカップに手を伸ばした。


 この通り、今のままの葉揺亭を好いてくれる人が居る。メニューの量や質だけではない、この店の持つ世界そのものを求めてやってきてくれる人が居る。だから、このままでいい。それが、葉揺亭だ。


 だからオーベルの答えは何より嬉しいものだった。葉揺亭の二人はカウンターの中で顔を合わせ、幸せそうに笑い合ったのであった。


ノスカリア・食べものダイアリー

「西方のベリー・ブレンド」

新規開店の喫茶店「ウィナーズ・ウィンド」で飲める舶来の紅茶。

西方大陸で生産された紅茶をベースに野イチゴやクワノミ、フランボワーズの乾燥品をブレンド。

また野イチゴの葉が茶葉に混ぜてあるのも特徴である。


「チーズと小エビのパン」

喫茶店「ウィナーズ・ウィンド」の日替わりパンの一つ。

チーズと乾燥小エビを具にして焼き上げた出来たてパン。温かいうちに食べるべし。

小エビは大陸北岸の漁村で水揚げされるもの、保存食として干されたものを独自ルートで取り寄せている。内陸のノスカリアでは一般的な食材でない。

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