喫茶店という世界(2)
人にぎわうノスカリアの街を南へ。アメリアは一人、胸中に渦巻く想いを吐きながら歩く。石畳を打つリズムはひどい焦燥にかられていた。
「だって、お客さん来てくれなくなったら寂しいし、葉揺亭なくなっちゃったら悲しいし、困るし」
葉揺亭がどのような資金繰りをしているか、アメリアは詳しく知らされていないが、マスターを見る限り今のところ危機迫った様子は無い。しかしお金が無限にあるはずはないから、赤字続きになればいつか必ず立ち行かなくなる時が来る。そんな当たり前のこと、少し考えればわかる。
もし葉揺亭が閉店したら。ぞっとする。アメリアにとっては、あの小さな店がすべてだ。仕事も家も探さないといけなくなる。
だが自分以上にマスターの方が困った事態になるはずだ。日頃から外に出られないと言っているような人物、身銭を得る手段は限られように。
「マスターだって、マスターじゃなくなっちゃうじゃないですか。私だけの心配じゃないのに……マスターの馬鹿っ」
店主よりよほど経営に真摯な店員は、頬を膨らませて敵地へひた走る。
目標のそれは、時計塔広場より南の大通りを下ってすぐにあった。人の密度が違うから、遠目でも一目瞭然だった。
「ほんとう……すごい」
オーベルがあれだけ騒ぎ立てていた理由もわかる。店構えを見るからして、ノスカリアでのし上がってやろうという意気込みが現れていた。建物の大きさは葉揺亭の倍以上、屋根には巨大な看板が掲げられ、道行く人に強く自己主張をしている。白木の外観も店を明るく彩り、とかく存在感が強い。
建物のつくりで特に印象深いのは間口だ。玄関どころか壁すら一切なく、とても開放的だ。おかげで店の様子は外からでもよくわかる。
ちょうど昼時なのもあり、客の入りが尋常でない。店内にところ狭しとテーブルが置かれ、あげく外の道までせり出すように席が作ってある。目だけでぱっとは数えきれない程の席数を設けているのに、それが現状ほぼ埋まっている。葉揺亭の小さくて閑散としている空間に慣れた身では、見ているだけでめまいがしてくるほどの威容だった。
まだ中に入っていないのに、すっかり気圧されてしまった。だが、ここまで来て逃げ帰るわけにはいかない。アメリアは深呼吸して、きっと凛々しい顔を作ると、一生懸命胸を張って敵地へと潜入した。
「いらっしゃいませ!」
店員の女たちによる快活な輪唱が響いた。耳だけでなく目に見ても、皆にこやかな顔をしていて気持ちが良い。たくさんの光源石のランプが照らす明るい世界を、彼女たちがさらに華々しく彩っている。
一歩入ったところで周りを見回していると、一人の店員がすかさず近寄って来た。他より少し年配で、身のこなしも優雅で風格がある。店員のリーダーみたいなものかもしれない。それにしても、店の顔にふさわしい大変な美人だ。おまけに胸も大きい。ここにあって葉揺亭にないもの、考えながら、アメリアは思わず自分の胸に手をやった。こちらはほぼ何も無い、まったいらだ。
「いらっしゃい。お嬢ちゃんひとり? それなら一番端が空いているから、どうぞ」
人好きのする笑顔と柔らかい声音で案内されたのは、カウンターの席。アメリアはその席に座った。
布張りの椅子の座り心地自体は特に良くも悪くもない。が、少し狭い。隣の人との距離が近すぎて、談笑しながら食事をしている男の肘がこちらの腕を時々掠めていく。目算するには、葉揺亭で六席が作ってあるスペースに八席を無理矢理詰め込んだ風だ。たくさんの客をさばかなければいけないこの状況、仕方ないのかもしれないが、しかし、少々居心地が悪い。アメリアはむずむずとして、何度も姿勢を正した。
わずかな後、さっきとは別の若い店員がメニューと水を持ってきた。はじめに水が出てくるのは、ノスカリアの飯屋ではよくあるサービスだ。街道の町ゆえ水の補給を求める旅人が多い、そんな町の事情に起因しているもので、昔からの風習だとも言い換えられる。なお、葉揺亭では実施していない。お茶の前に水が出てきたら、それでお腹がいっぱいになってしまうじゃないか、とはマスターの談。
無駄に急いで来たから喉が渇いていた所だ。アメリアは喜んでひんやりとしたグラスを傾けた。
そしてメニューを開く。厚紙を三つ折りにした形式で、見開きのみならず折り返しの部分にも色々書き連ねられている。びっしり具合は、先ほどアメリアが提案したものといい勝負だ。
まず目を通すのはやはり茶のメニューだ。
そこでアメリアは己の目を疑った。期待していたより、ずっと少ない。単純な数で葉揺亭の半分に届かず、種類についても、シネンスやらアセムやらデジーランなどなど、葉揺亭どころか、ノスカリアの店屋で普通に売っているものばかりだ。
ともすれば、「世界の名茶が飲める」という触れ込みは、ブレンド・ティの類を指し示しているだけなのかもしれない。これらは「西方のベリー・ブレンド」やら「東方の緑茶ブレンド」などと、各大陸の名を冠して用意されている。もっとも、それも全六種しかないから、決して豊富とは言えないのだが。
とにかく数の少なさが気になる。メニューを全部見渡しても、果実のエードや酒なんかは別にあるが、茶はこれっきり。聞いた話が勘違いだったのか、それとも茶以外の飲み物も充実しているから良いという理屈なのか。アメリアはううんと首を傾げた。
いや待てよ、と思い立つ。葉揺亭でもメニューにすべての茶を書いているわけではなく、載っていないが出せるものがたくさんあるではないか。むしろ、マスターが客の希望を聞いてその場でブレンドし始めるから、無限にあると言ってもいいくらい。もしかしたら、ここもそういう方式でやっているのかもしれない。それだ、とアメリアは自分を納得させた。
そこへ、注文を取りに最初に案内してくれた年配の店員がやってきた。この人は穏やかな物腰だから話しやすい。アメリアは思い切ってたずねてみた。
「あの、ここに書いてないようなお茶とかもあります?」
「えっと……書いてあるのから選んで欲しいかな」
「あっ、そうですか……そう、なんですね」
「えーまあ、そうねぇ、おすすめはやっぱりデジーランかしら。紅茶が好きな人はみんなこれが一番って言うわ」
「じゃあ、それでお願いします」
拍子抜けした勢いで言ってしまったが、すぐに後悔した。ここで葉揺亭にある紅茶を頼むのはもったいない。デジーランがおいしいことなどアメリアはとっくに知っている。「繊細で豊かな香りの紅茶だ。それに、産地や採取の時季で見違えるほどに味わいを変えるのも魅力的だよね」などと饒舌に語るマスターの言が、頭の中で鮮明に再生された。
だから追加で「西方のベリー・ブレンド」なる一品も頼む。すると、店員が怪訝な顔をした。
「お茶二杯?」
「あっ、じゃあ、あと、『本日のお昼の焼き立てパン』も」
「……はい、かしこまりました」
不思議そうな顔をして美人店員は去っていった。
もしや茶を一人で二種類も頼むのは変な行為なのだろうか。急に恥ずかしくなって、アメリアは顔を赤くした。恥ずかしさがあまり、周りの目までも妙に気になってくる。
しかし、しかしだ。自分は茶を飲みに来たのだから、飲み比べをしたっていいじゃないか。葉揺亭でもアーフェンあたりが時々やっているが、マスターは別に何も言わないし、自分も不思議に思ったことはない。むしろ大歓迎だ。だから自分の注文の仕方も、決して不審な行為ではない、堂々としていて大丈夫だ。アメリアはそう強く考える事で、しぼみそうになった心を持ち直した。
第一、今日は経営の参考に来たのである。しょぼくれていないで、出不精なマスターの代わりにしっかりと相手を観察して帰らなければ。気合いを入れ直すためにふうっと息を吐き、ぴっと背筋を伸ばした。
飲み物を作る場所はカウンターの向こう側、葉揺亭と同じだ。アメリアより年上の若い女性が一人で作業をしているが、店内の繁忙っぷりからは少々浮いたのんびりとした所作である。忙しくて殺気立っているような光景は見たくないから、ちょうどよい雰囲気だ。
料理を作る厨房は奥に別であるらしい。カウンター内の壁に料理を受け渡す窓が開いていて、調理をしている姿がわずかに見える。それだけでも、壁で隔てた向こう側が異様な熱気に包まれている現状が十分すぎるほど見て取れた。
うーん、とアメリアは唸った。もし料理を葉揺亭で行うなら、調理設備を用意したり、導線を整えたりなど、抜本的な改築が必要そうである。
それに加えて、人手もたくさんいる。テーブルを用意し注文を聞き、飲み物を作っては出し、料理を作っては出し、お客さんが帰ったら片づけて次の客が入れるようにする。この店のようにテーブルを満席にし続けるとしたら、とても二人きりで回せる仕事量ではなくなる。マスターにも指摘されたことだが、こうして実際目にするとそれがよくわかる。改築も店員の雇用も、どうにかして店主の重い腰を上げさせない限り、無理な話だ。
そんな風に頬杖をついて思い悩むアメリアは、先ほどから、どうにもちくちくとした引っかかりを感じていた。いや、それは店の改善云々にではない。こちらへ向けられる視線に、だ。
飲み物を担当していた女と、先ほどアメリアの注文を聞いて行った店員とが、ひそひそと話しながら横目で盗み見るようにこちらをうかがっている。アメリアが目を向けると、二人は揃いも揃って慌てて目を逸らし、話してなどいない風の素振りを見せる。
「やな感じ」
自分も店のことを隅々までじろじろ見回していたから、あまり強くは言えないが。それでも気分が悪いのは事実だ。
背後一帯から湧き起る他人の食事の音を聞きながら、そぞろな心で待つことしばらく。
ようやくアメリアの注文した品々がやってきた。三度となるあの年配の店員が、トレイに乗せて運んできた。
「はい、『デジーラン』と『西方のベリー・ブレンド』、それと『本日のパン』です」
「ありがとうございます」
「ねえ、あなたもしかして崖の下の喫茶店の子?」
「え、あっ、そう、そうですが……なんでしょうか」
「ふふっ。そう縮こまらなくていいのに。ごゆっくりどうぞ」
店員は笑って去っていった。優しかったその顔は、アメリアの気のせいかもしれないが、いやに優越感に満ちたものに見えた。これがまた、アメリアの心をちくりと突く。
――ええい、気にするものか。
アメリアは軽く頭を振って悪いものを振り払った。敵情視察だとばれたからとて、別に委縮する必要なんてない。第一「崖の下の喫茶店の子」だなんて認知されているのは、向こうが先に葉揺亭を黙って調べに来たからに決まっている。規模は負けていても、ノスカリアに先にあった喫茶店は葉揺亭なのだから、本当はこっちが先輩面してやってもいいくらいじゃあないか。
気を取り直して、ひとまずアメリアは食事に移った。目の前にはカップに入った二種類の紅茶と、皿に乗ったきつね色のパン。パンは花のつぼみのような形をしていて、上にとろけて焼き色のついたチーズがかかっている。実においしそうで、アメリアは生唾を飲み込んだ。
しかし、ここは紅茶の味から試してみなければいけない。なぜならば、アメリアは喫「茶」専門店からの刺客、茶が第一にあるべきだ。
誇りに近いものを胸に掲げながら、アメリアはまず、自分の店に無いベリー・ブレンドの紅茶を手に取った。そういえば、この店はポットで出してくれるわけじゃないんだな、と思いながら。
「あっ、おいしい」
甘酸っぱいベリー類の香りが強く、これがとてもアメリア好みだった。それでいて、匂いに紅茶の味が負けてしまうこともない。全体としてはすっきりとした味わいで非常に飲みやすく、舌のどこかで青葉の面影ある味が見え隠れするのも、少し目新しさを感じた。
これはなかなか。比べる対象としては、マスターの作ってくれるイチゴたっぷりの甘いフルーツ・ティ。あれが大好きなのだが、もちろんひいき目もある。それを考慮すると、かなりいい勝負だ。茶を推す店というのは嘘ではなかったらしい、少し見直した。
しかし。アメリアが視線を向けた先のカウンターの中では、先ほどと同じ二人が、やっぱりこちらを見ながらクスクスと笑い合っている。
――本当に嫌な感じ。
今さっき抱いた賞賛の心がみるみるしぼんでいった。
その後味が響いたのかもしれないが、次に口にしたデジーランは、マスターに圧倒的な軍配が上がった。おいしいはおいしいのだが、何かが足りなくて寂しい感じがしたのだ。




