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魔性の月夜に見たものは(2)

「なにっ!?」


 不老不死、それは数多の幸福な人間が願う夢。オーベルも例外ではなかった。興味ゼロから一転、店主にぎらぎらとした眼差しを向ける。もはや興味を越えて、危うい欲望の域だ。


 マスターは苦笑した。


「『かも』だよ?」

「でも十分だい! 可能性があるなら、賭けてみるのが男ってもんよ!」

「まったく……」


 やれやれとばかりに顔を作ったマスターが肩をすくめた。しかし、こうなるとはわかっていた。願望を叶える奇跡に等しい秘術、それを前にして目の色を変えないで居られる人間の方が少ないだろう。だからこそ、己の力を公にしないのである。


 ちらりとアメリアに視線を向ければ、彼女もまたキラキラとした目で、あれほどに怪しんでいた薬を見つめている。


 羨望のまなざしを浴びながら、マスターは溜息と共に目を伏せた。欲望に正直なのはよい。ただ、なんの困難なく欲を満たせると思ったら大間違いだ。


 マスターは妖しげなほほえみと共に目を開いた。蠱惑的な闇を孕む黒い瞳は、二人の常識人を交互に見つめ語りかける。


「ただし味の事までは考えていない。『薬』だもの、どんなに苦く辛いものだとしても、効果があれば十分だから。それともう一つ、服用により強い依存性が出る可能性もある。脳裏をよぎる心地よい幻覚、妄想、高揚感……一度はまれば泥沼だ。魔人の力を手にしたがゆえの誇大で空虚な思考は、いずれは人の心を滅ぼすだろう。そうなっても魔の薬の力で体は生きながらえる。心なくしてうごめく肉体、そうなり果てても人間と呼べるのか。死体が歩いているのと何が違うのだろうか」


 酔いしれるような口調は、まるで美しい歌声のように調子よく流れた。だがそれとは裏腹に、マスターからは見えざる重圧が放たれていた。その凄みが、聞いている側の背中に冷たく走る。恐ろしく邪悪なものが目の前にあるかのような、そんな錯覚を覚えた。


 本日数度目となる凍結した空気の中で、マスターは一呼吸を置いた。その静かな吐息と共に、威圧感は霧散する。呆然と固まっているオーベルに語りかける頃には、すっかりいつもの穏やかな店主の顔に戻っていた。


「さて、じゃあオーベルさん。お望みの通り一番に試してみてよ、この悪魔の薬」


 オーベルは無言のまま、これでもかという勢いで首を横にひねった。


「おやそうかい? だったらアメリア、どうぞ」

「いやっ、ちょ、ちょっとそれは……無理です」


 半分ほどべそをかきながら、手を大きく振って拒絶を示した。


 真紅の薬が入った硝子のカップ持ったまま、マスターはむうと唸った。


「なんだよ、あんなに期待していたじゃあないか」

「そりゃあんだけ脅されればその気なくなるわ。悪魔のようなヤツだな、まったくよお」

「褒め言葉と受け取っておくよ。喜んでもらえなかったのは残念だが、まあ、いい。退くのもまた勇気だ」


 マスターはふっと笑った。


 そして、自分は何のためらいもなく硝子のカップに口をつけ、一息に紅い血色の魔法薬を飲み下した。二人の観衆からぎょっとした声が上がる。


 俯き気味でじっと目を閉じ静かに待機するマスター。その様子は固唾を飲んで見守られていた。一体何が起こるのか、自ら実験台になった亭主が、眼前で狂気に堕ちたらどうすればよいのだ、見ている側ははらはらしてたまらない。


 だが、冷静に考えてみる。そもそも薬の調合を考えたのは、他でもない被験者自身。ならば、意外と大丈夫なのではないか。さっきのあれはまたもや冗談、あるいは、薬を独り占めするための策略か。


 そう空気が緩みかけた中で、マスターがかっと目を開いた。


「……っ、ダメだ、これ」


 掠れた声で言ってからの身のこなしは早かった。持っていたカップを乱暴に作業台に叩きつけ、自分は一目散にシンクへと向かう。ノスカリアの整備された水道は、栓をひねるだけで水を供給してくれる。


 マスターは勢いよく流れ出る澄んだ水を手で受け止め、何度も何度も執拗に口をすすいだ。ついでに喉の奥へもこれでもかというくらい流し込み、胃腑も綺麗な水で清める。


 見ている方が気持ち悪くなるくらい大量の水を飲んだ後、マスターはようやく落ち着いたように顔を上げた。と、思いきや、それは一瞬。今度は深く、シンクの中に頭を突っ込む。流れ出る水が黒髪を濡らした。


 じゃばじゃばと流れる水音に混じって、激しくむせ込みえづく音が聞こえた。実際に吐き戻すまでは行っていないようだが、かなり苦しそうである。それこそ喉に赤カラシが引っ掛かった時のように。


 しばらくして、マスターは水栓をひねった。水が止まると同時に上げられた顔は、いつもより老けこんで見えた。


 その場で力なく床に崩れ落ち、重い体を引きずるようにして背後の棚に背を持たせる。びしょ濡れの髪を拭こうとしないから、シャツの襟首まで濡れてくる。それも気に掛ける余裕がないようだ。


「参った……」


 惨状の末はただ一言、ぼそりと呟くのみ。


 観客からは引き気味の白い眼が向く。それと共に、当然ながら非難の声が上がった。


「そんなのなら作るな、飲むな! 自分で作ったんならわかるだろ!」

「考えても、実際に試したことはなかったもの。あー……気持ち悪い。胃が焼ける」


 刺さるような視線から逃れるためか、マスターは伏せた顔を腕で隠した。


 この醜態にはさすがのアメリアもご立腹。みっともなくうずくまる主人の前に立ち、ぎゅっと手を握ってぷるぷると震えながら説教する。


「もう! そんな危ないものを他人に飲ませようとしないでください! マスターの馬鹿っ! 私たちがほんとに飲んでたら、どうするんですか!」


 マスターは腕の下からちらりと顔を覗かせると、無駄な弁明を熱く語った。


「いや、こんなはずじゃなかったんだよ。試した事が無いとは言っても、薬法は僕の一番の得意分野だ、理論にも手順にも間違いがない、それで失敗なんて……何か、材料自体がおかしくなって……うっ!」


 背を折りながらげほげほと咳き込む。重く湿った音で、かなりの重体だと思わせる。が、助ける者はいなかった。散々人をからかい振り回し、無闇に恐怖させた罰である。


 アメリアが毅然とした態度で、台上に残された真鍮のポットに手にかけた。何か言いたげのマスターには目もくれず、中身をすべてシンクに流して捨てる。悪魔の血は銀色のシンクをにわかに禍々しく染めた。が、間髪入れずに清浄な水で洗い流されたのだった。


 嘘みたいな悪魔の姿、伝説の魔人、不老不死を謳う毒薬。そんな単語を繋いで物思いにふけっていたオーベルがぼそりと呟いた。


「なあアメリアちゃん。俺、もう胡散臭いもんは端から信じねえことにするわ。付き合うだけ無駄ってか、疲れるわ」

「それがいいと思います。真面目が一番です」


 それきり悪魔の話は終わり。オーベルは茶を飲み切ったら早々に帰宅した。宿屋の仕事が色々ある、いつまでもお喋りに(うつつ)を抜かしているわけにはいかないのだ。




 それから昼が過ぎた頃にはマスターも回復していた。濡れた髪はすっかり乾き、シャツも着替え、しゃきっとした姿勢でカウンターに陣取っている。もっとも、ぶつくさ言いながら紙に向かってぐしゃぐしゃと何ぞを書き綴っているあたり、まだ失敗が尾を引いているようだが。


 そんな折に、ふと思い出したようにマスターが言った。


「そういえば、そろそろ役所にも行かないといけないな。このところ何だか色々と騒がしいから、すっかり忘れていたよ」


 ノスカリアで商いをする者は、年に一度役所へ届けを出し、営業継続許可をもらわなければならない。昔から商業を柱に発展してきた町だけあって、余程の事がない限り許可は下りるものだから、気楽に行けばいい。もし役所に出向くのを忘れていたとしても、政府の方から調査員がやってきて手続きをする事になる。ただその場合、営業の実態について詳しい調査が入ったり、税だ出張費だと余分に金をとられたり、色々と厄介が生じる。だから自分から行くに越した事はない。


 ところで、マスターが不要不急の外出をしないのは周知のことである。と言うわけで、この「行かなきゃいけない」との呟きは、アメリアに行ってこいと指示していると同義だ。アメリア自身もよくわかっていて、返事をする間もなくエプロンを脱ぎ、外出の準備に入った。



 ノスカリアの行政を司る役所は、広場から北の高台へ伸びる大通りに面している。付近で一番大きく立派な建物で、政府の紋章が描かれた旗が掲げられているから、初めて来た人でも一目でそれとわかる。


 門の両脇に立つ警備の人に頭をさげながら中へ入り、エントランスに居る案内係の女性に用件を伝えて担当の部室へ案内してもらい、そこで手続きを進める。アメリアが持参した昨年の許可証を新しいものに交換してもらい、役所でも記録をつけてもらい、最後にちょっとばかりの営業許可更新料を支払って、それでおしまい。お茶を淹れて一服するような時間もないほどあっという間に用事が済んだ。


「何かお困りの事はありませんか?」


 最後にそんな質問があったが、特に無いと答えておいた。マスターが変な物を作って人に飲まそうとするんです、というような話を相談する場ではないとはわかっている。


 役所を後にしたアメリアは、そのまま北通りを南下して広場へ向かっていた。店が忙しいわけじゃないから、少しくらい寄り道をしてもいいだろう。もっとも、特に目的があるわけでもないけれど。


 すると、反対方向から見知った人が向かってくるではないか。長いスカートをせかせかと揺らして急ぎ足、両手で大きな鞄をぶらさげている。さらりと長い黒髪は太陽の光を受けて艶やかにきらめき、花を模した細やかな細工の髪飾りがそこに彩を加える。そんな装いをしたアメリアと同じ年頃の少女。人形師のレイン=リオネッタだ。この前折れた腕はだいぶ治ったらしく、しっかり鞄を掴んでいて、包帯もほとんど取れている。


「レインさーん!」


 手を振りながら大きな声で呼べば、向こうもこちらに気づいた。その場で立ち止まり、駆け寄るアメリアをにっこりと笑って迎える。


「どうしたの? こんな場所で奇遇だね」

「ちょっとお役所に用事があった帰りです。レインさんは、お仕事中ですか?」

「そうだよー。赤ちゃんが生まれた家から魔よけの人形の注文を受けててさ、これから届けに行くんだ」

「魔よけ、ですか」

「そう。身代わりって言った方がいいのかな。小さい子供のところに目に見えない(わざわい)が忍び寄って来た時、人形が代わりに不幸を受けてくれるように、っておまじないみたいなもの。結構多いんだよ、こういう使い方」

「へえぇ……そんなおまじないもあるんですね」

「ま、私の人形自体が魔物みたいになっちゃったんだから、あんまり説得力がないけどね」


 レインはあっけらかんと笑って肩をすくめた。紅月季はじめにあった事件、あの時は心身ともにダメージを負ったものの、今では笑い話にできる。もう大丈夫だ、アメリアはそう安堵すると同時に、強い人だと感心もした。


――そうだ。


「ねえレインさん。レインさんは、悪魔の存在を信じますか?」

「悪魔ぁ? どうしたの急に。何かの宗教?」


 アメリアは、昼前にオーベルから聞いたことをレインに話した。夜に悪魔が飛び回っているのを見た人がいる。とっても恐ろしい姿で見ただけで命を奪われる。こうやって普通に歩いていても悪魔がぬっと影から現れて襲ってくるかもしれない。一部マスターから言われたことを織りまぜたせいで、新しい怪談みたいになってしまったが、そこは大きな問題ではない。気になるのはレインがどう判断するか、だ。魔よけが云々というくらいの彼女なら、悪魔の存在にも肯定的で、かつ、なんらかの対処法を知っているかもしれない。そうでなくとも、自分が感じた恐怖感を共有してくれないだろうか。


 はじめレインは眉をひそめて真面目に聞いていた。が、途中でそれは呆れに変わり、アメリアがおどろおどろしく話すほど表情が緩み、最後は失笑にまで至る。そして感想はと言えば、


「まさかぁ。夜鷹とかを見間違えたか、どっかの迷惑なアビリスタの仕業でしょ。そうやって人を怖がらせて楽しんでいるんだよ」


 と。アメリアはむうと唸るしかなかった。


「だいたいさあ、アビリスタ自体を悪魔って言う人もいるわけだし。こっちとしちゃいい迷惑だけど」

「そんなものなんですか?」

「うん。政府からしてそうだからね」


 レインはげんなりと言ってから、不意に姿勢と顔つきをきりっと正した。人形劇で男の役を演じる時に醸す空気感で、声も低く威厳のある風に作って言った。


「『人ならざる力を持つものは人にあらず。人の世にて守られるべきにあらず。人の法にあてはめるべきにあらず』」


 はきはきとしているが声量は小さかった。通りかかりの人に配慮した結果だろう。すぐ隣に居るアメリアだけに十分聞こえる音量だった。


 ただ、音として聞こえるのと、言っていることの意味がわかるかどうかは別問題だ。アメリアは疑問符を浮かべて首をかしげていた。


「要するに、アビリスタは人間じゃないから、何されても文句言うんじゃないよ、ってこと。だから私もおおっぴらに言わないんだ」


 奥歯に物が挟まったような顔をしていたアメリアを見て、レインが注釈を入れた。こうやって丁寧に説明されればわかる。アビリスタが法規の上で差別されるのはなんとなく知っていた、けれど、改めてこう聞くととんでもない話ではないか。そう、ぷりぷり怒りたくもなった。


 だがアメリアが答える前に、レインは歩き出そうとしていた。


「ごめんアメリア、約束の時間に遅れちゃうからそろそろ行くよ。お話はまた今度にしよう」

「あっ、はい。お邪魔してごめんなさい」

「そうだ。悪魔のこと怖いなら、ちょうどクロチェア公が広場で公聴やってる最中だから、どうにかしてくれってお願いしに行ったらいいんじゃないかな。真面目な方だから、笑い飛ばしたりはしないだろうし。じゃーね!」


 ひらりと手を振ると、レインは北の高台目指して急ぎ足で去っていった。


 レインからの提案がなくても、どのみち広場へ行くつもりだった。友人の背中を見送ると、アメリアも再び通りを歩きはじめた。

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